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タイガの森の狩り暮らし〜契約夫婦と東欧ごはん〜  作者: 江本マシメサ


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17/85

皇帝の至宝

 ミハイルは「はあ~」と長い溜息を吐く。遊牧民の男が来た時の対処も聞いていなかった。

 男は細い目をさらに細め、ミハイルの顔を覗き込んでくる。


「ん、ドウシタ?」

「悪いが今、オリガ・アンドレーエヴナはいない」

「狩りカ?」

「そうなんだよ」


 これで帰ってくれと願ったが、そんなに簡単に引かない。

 立ち止まったまま、じっと見つめられる。


「な、なんだ?」

「オマエ、ドウシテ、ここにイル?」


 どうしようか迷った。

 今、オリガの夫であると言うべきか、言わざるべきか。


「俺は――」

「ウッ!」

「ん?」


 突然、目の前の男の体がぐらりと傾いた。

 ミハイルに凭れかかり、全体重がぐっと押し付けられる。


「うわ、何、おま、っていうか、重い!!」


 男の体を押し戻したら、そのままの勢いで背中から転倒する。

 バタンと倒れた時、ミハイルは我に返った。

 地に伏せたまま起き上がろうとしないので、焦ってしまう。


「お、おい、あんた、大丈夫か!?」


 男は腹部を押さえ、体を丸めて身を縮めていた。

 ミハイルは片膝を突き、男の顔を覗き込む。

 額には、びっしりと玉の汗が浮かんでいたのだ。


「どうしたんだ、おい!」


 大声で話しかけると、男はぼそりと呟く。


「――腹ガ、減ッタ」

「はあ!?」


 倒れた理由は、とんでもないものだった。


 ◇◇◇


「美味イ、美味イ!」


 家に上げた男は、ミハイルの用意した料理をどんどん平らげていく。

 見ていて気持ちいいほどの、良い食べっぷりだった。

 これでよかったのか。ミハイルは頭を抱え、考える。


 男の名はラゥ・ハオと名乗った。

 ら

「姓がラゥ、名がハオ、ダ」

「ら、らう」

「チガウ、ラゥ、だ」

「ら……う、クソ、言いにくいんだよ!」


 どうにも、ラゥ・ハオと名乗る男の国の言葉は、発音しにくい。

 ミハイルが苦戦する様子を見て、ラゥ・ハオは「哈哈哈ハハハ!」と朗らかに笑う。


 ハオは三つの国をまたいで旅する遊牧民で、馬と羊を率いて、各地を転々としていると話した。

 さまざまな地域を回り、取引を持ちかけているのだと話す。


「色んな交易品、アル。絹織物、鉄製品、瑪瑙、珊瑚、琥珀、葡萄酒、香辛料、絨毯に煙草……」


 定住せずに交易を繰り返し、それらの品々を遠くに運ぶことによって利益を得ている。


「狩猟はあまりシナイから、オリガはスゴイ。ホシイ」


 タカにワシ、野生のウシにシカ、クマなど、手の届かない野生動物と遭遇することになる。

 その毛皮は美しく、価値は高い。それに、その生き物は家畜を狙う脅威になる時もあった。

 なので、一流の狩人であるオリガがいたら、安心な上に、野生動物も手に入る。

 いいことだらけなのだと、ラゥ・ハオは語る。


 オリガのために用意していた食事はラゥ・ハオがほとんど食べてしまった。

 パンは残り一個。オリガの分に取ってある。

 こうなったら、今度は酒とつまみを持って来て、酔い潰そうと思った。


 どんどんカップを開けるラゥ・ハオ。ミハイルは酒を注ぐ。

 しかし、どれだけ飲んでも、顔を赤くし、呂律が回らなくなる様子を見せない。

 もしかして、ザルなのかと疑い始める。

 葡萄酒の瓶が空になったので、今度は度数の高い酒を持って来た。

 穀物とジャガイモから作られた蒸留酒、『ヴォートゥカ』。別名『命の秘薬』とも呼ばれる酒だ。


 ミハイルは地下から一階に持って上がり、窓に瓶を透かす。

 無色透明の酒で、少量口にしただけで舌が痺れ、喉は焼けるような熱を発し、キリキリと胃が痛む。

 火傷したと錯覚するような強い辛口の酒で、ミハイルはあまり好きではなかった。


 これならば、ラゥ・ハオをやっつけることができる。


 一刻も早く潰してやろうと、花を生けるような大きく細長い器に注いで渡した。

 ハオは『ヴォートゥカ』を見るなり大好物だと言い、ごくごくと一気に飲み干す。


「ぷはっ! ヤハリ、ここの酒ハ、ウォッカ、一番美味イ!」


 その豪快な飲みっぷりを見て、ミハイルはようやく確信する。

 この男は、とんでもない酒豪だと。

 作戦は大失敗だった。

 差し出された器に、うんざりしながらヴォートゥカを注ぐ。

 ミハイルは、死んだ目をしていた。


「フウ。やっと、体が温マッタ。ヤハリ、ここの冬、最悪ダナ」

「うるせえ。みんな、一生懸命生きているんだよ」

「遊牧、寒いトコハ行かない。暖かい、場所、巡るカラ」


 だったらなぜ、わざわざノコノコと冬の時季にやって来たのか。ミハイルは問い詰める。


「そうそう!!」


 ラゥ・ハオは部屋から出て行った。

 数分後、布に包まれた大きな荷物を抱えて戻って来る。


「な、なんだ!?」

「コレ、毛皮と交換シタイ!」


 居間にズラリと交易品が並べられる。


 一品一品、ハオは笑顔で紹介していった。


「ミャオ族の磁器。綺麗、外国デモ、人気! コレハ、シェイ地方の特産品で――」


 なんでも、ラゥ・ハオの国の皇帝の婚儀が決まり、献上する毛皮を得るためにやって来たのだと話す。


 袋から取り出した品を、どんどん並べていくので、そこまで広くない部屋はいっぱいになってしまった。

 ミハイルは誰が片付けるんだよと、ぼやいている。


「アト、これはスゴイ、特別!」


 厳重な様子で布に包まれていたのは、深い紫色に輝く、大粒の宝玉。


「なんだ、これは?」

山藤シャンタン・

「聞いたことがねえな」


 大変珍しい宝石で、場所によってはダイヤモンドよりも価値が付く場合もあると、ラゥ・ハオはミハイルに語って聞かせる。


 もしも、とっておきの毛皮があったら、交換しようと思っていたらしく、今回持って来た。

 普段は厳重に保管されているという。


「特別な毛皮って?」

「ウ~ン、幻の、白イトラとか!」


 それは先日、オリガがミハイルに与えた毛皮であった。

 その昔、オリガの父親が狩ったという話を村人から聞いていたようで、ラゥ・ハオはずっと欲しがっていた。


「トラ、広大なタイガの王! コレホド、献上物に、相応しい品、シラナイ」

「なるほどな」

「デモ――」

「?」


 ハオはにっこりと、笑顔でミハイルの顔を覗き込んだ。


「トラの毛皮ヨリモ、イイモノ・・・・を、見ツケタ!」

「!?」


 素早い動きで、ミハイルは口元を布で覆われる。

 息をしたら、何かを吸い込み、視界がぼんやりと歪んで意識を失ってしまった。


 ◇◇◇


 倒れる体をラゥ・ハオが抱き止めたが、その頃には物言わぬ人形のようになっていた。

 瞼が閉ざされた見目麗しい少年の姿を見下ろし、ラゥ・ハオはにっこりと微笑む。


『極上の献上品を見つけた。男だが、十分過ぎるほど美しい。きっと、皇帝も喜んでくださるだろう』


 寒くないよう、玄関にかけてあった上着をミハイルに巻きつけ、そっと優しく体を持ち上げる。

 そして、オリガの家から立ち去った。


 ◇◇◇


 オリガは狩猟から帰宅する。

 今日はライチョウが七羽と大猟だった。

 ミハイルは喜んでくれるか。オリガは口元にうっすらと笑みを浮かべながら帰宅する。


「――ん? どうした?」


 犬の様子がおかしい。

 そわそわと、落ち着かない様子だった。


 家の塀はすぐ目の前に見えている。


 オリガはソリから降りて、左手で腰のナイフを鞘から引き抜き、右手は銃を握った。

 じっと、耳を澄ます。

 ヒュウヒュウと風が吹く音しか聞こえない。


 家に近づくにつれて、犬は落ち付きがなくなっていた。

 キュウキュウ鳴いていたので、静かにするように命じる。


 低い姿勢で近づき、背の高い塀で姿を隠す。

 木と木の隙間から、内部を覗き込んだが――ハッと、息を呑んだ。


 白い羊が二頭、鶏が十羽ほど放されていたのだ。

 あれは、オリガの家畜ではない。


 あのように、勝手に羊や鶏を持って来る者など、一人しか知らなかった。


 オリガは塀の出入り口を蹴破って、中に入る。


「ラゥ・ハオだな!! 私の家に勝手に入るなと言っただろう!!」


 力の限り叫んだ。

 けれど、どこからも反応がない。


 前にも一度、出かけている間に家に上がり込み、勝手に酒を飲んでいたことがあった。

 その時はナイフを首筋に当て、次に同じことをしたら、頸動脈を切り裂くと脅していたのに、効果はなかったようだ。


 ナイフと銃を握ったまま、家に入る。

 人の気配は――ない。


 そして、居間の様子を見て、ぎょっとする。


 隙間なく並べられた交易品の数々。

 間違いなく、ラゥ・ハオがやって来たのだと、確信する。


 その上、テーブルの上の倒された酒瓶を見て、カッと頭に血が上った。

 またしても、ラゥ・ハオはオリガの家に上がり込み、酒を飲んだのだ。


 それだけではない。

 スープの入った壺は空となり、朝から焼いたであろうパンは、くずしか残っていなかった。

 まさか、ミハイルを脅して用意させたのでは?

 推測し、ぐらりと眩暈を覚えた。

 ここで、オリガは気付く。


「ミハイル!! ミハイル・イヴァーノヴィチ!!」


 オリガは走って台所に向かった。ミハイルの姿はない。

 地下にも、二階の寝室にもいなかった。


 居間に戻ると床の上に、紫色に輝く宝石があるに気付いた。

 それは、ラゥ・ハオが至宝と言っていた交易品の一つであった。


「――まさか!?」


 この部屋にあるすべての品は、ミハイルと引き換えに置いて行かれた物ではないかと。


 慌てて、屋根裏部屋の毛皮を確認に行く。

 縄はしっかり巻かれ、施錠もされていた。

 内部も、荒らされた気配はない。


 ここで、オリガは確信する。


 ミハイルは連れ去られたのだ。大量の、交易品と引き換えに。


 オリガは、手にしていたナイフをぎゅっと握り締める。

 浮かべた表情は――『猛虎』そのものであった。


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