自由市にて
裏口のほうに回ると、動物の足跡ができていた。
しゃがみ込んで調べる――馬だった。
ラゥ・ハオは単独で来たことが判明した。
オリガはごくごく冷静に、背負っていた空気銃を武器庫に収納し、代わりにライフル銃を手に取る。
素早く薬室に弾を装填し、ガチャンと遊底を下ろした。
照準器を覗き込んで調整し、安全装置の確認をしてから背負う。
壁に張り付けるようにして収納しているナイフは、一番大振りの物を選んでベルトに差す。
早撃ち用の銃も忘れない。
準備は万全だった。
狩りに連れて行かなかったソリ犬三頭と、猟犬を一頭連れ出す。
家からミハイルが使っていた手袋を持ちだし、匂いを嗅がせた。
「ミハイルの匂いだ。わかるな?」
犬は返事をするようにワン! と鳴いた。
オリガは頷く。
馬の足がどこまでも残っているとは限らない。なので、嗅覚に優れた猟犬を使ってミハイルを探す。
とはいっても、どこに行ったかは想定していた。
今日は黒星の村で自由市がある日。
自由市とは、五つの村の者達が集結し、各々の村の特産品を売る市場。月に一回、開催されていた。
そこでは通いの商人から買うより、一割から二割、大盤振る舞いの店ならば三割から四割ほど安い値段で品物が手に入る。
交易に命を懸けるラゥ・ハオがそこに行っていないわけがない。
馬の足跡も、黒星の村に向かっていたのだ。
即座に、出発する。
ソリ犬を操りながら、オリガは自由市に思いをはせる。
父親が生きていた頃には、買い物に行っていたし、毛皮をたくさん持って店を出していた。
けれど、独りになってからは一度も行っていない。
今、改めて振り返ると、自由市には家族の姿が多く見られ、とても賑やかな場所だ。その様子を見ていたら、物寂しくなるので、行かなかったのだろう。今まで自覚していなかった感情に気付いた。
切ない気持ちを胸に秘めたまま、オリガは森の細道を、ソリで駆け抜ける。
ゴウゴウと音を立てながら吹き荒ぶ風。
凍てついた空気は、全身を冷やしてくれる。
ここの生活に慣れているオリガでも、ぶるりと震えた。
今日は、特別寒い。
なのに、ミハイルは帽子も、手袋も身に着けていない状態で連れ去られてしまった。
きっと今頃、寒い思いをしているだろう。
そう思ったら、胸が苦しくなる。
途中、犬を休憩させつつ、森の中を急いだ。
犬ゾリは速さ重視で、トナカイに比べたら体力はない。けれど、緊急事態のオリガを助けようと、頑張ってくれている。
「……すまない。もう少し、頑張ってくれ」
オリガは一頭一頭、犬の頭を撫でて頼み込んだ。
そして、追跡を再開する。
◇◇◇
黒星の村――酪農と畜産が行われる広大な村。
やや平原寄りの場所にあり、森と大地の恵みを享受しているのどかな場所である。
自由市は黒星の村の中央広場に天幕を張り、三日間行われる。
黒星の村に到着したオリガは、猟犬とソリ犬をその辺の幹に繋げ、馬やソリが駐められている場所を単独で調査していた。
ラゥ・ハオの馬は特別大きい。
胴は太く、他の馬よりも脚が短い。性格は大らかで、この前、三千ポンドの荷を運んだと、自慢していた。力持ちで体力がある、遊牧に適した品種なのだ。
それは異国の地より交易で入手した馬で、ラゥ・ハオは繁殖に成功していた。
オリガが頼んでも、馬だけは交換に応じてくれなかった。一族の宝だと言っている。
葦毛や青毛が多いのが特徴。なので、栗毛の馬が多い中で、すぐに見つかった。
数は四頭。
おそらく、自由市で部下と落ち会ったのだろうと推測。
馬のいる場所には一人、見張り番の男がいた。背の低い、中年男だ。
地面に座り込み、地図を見ていた。どこから見ても、隙だらけである。
ラゥ・ハオがいつも着ているような、丈の長い民族衣装を纏っていた。同族であることは、一目瞭然。
周囲には、嬉しそうにはしゃぎ回る子ども達や、幸せそうな夫婦の姿があった。
その中でオリガは小さなナイフを引き抜く。刃は見えないよう、左手で隠した。
今日は楽しい自由市。なるべく大きな騒ぎにはしたくない。
気配を殺し、遊牧民の男に接近する。
そして、距離が縮まったら、首筋に刃の腹を当てて、耳元で囁いた。
「――死にたくなければ、大きな声を出すな」
男の体はビクリと跳ね、すぐにコクコクと頷いた。
聞きわけの良い男に、オリガはいくつかの質問をする。
「お前は、ラゥ・ハオの一族の者か?」
男は素早く頷いた。
「では、ラゥ・ハオは、まだここにいる?」
再度、頷く。
「ラゥ・ハオは、緑色の目の、黒髪の若い男を連れていたな?」
その質問には、すぐに反応を示さない。もしかすると、口止めをされている可能性があった。
オリガは首元の刃を、さらに強く押しあてた。
すると、何も聞いていないのに、ペラペラと喋り始める。
「お、おお、お頭、男、連れテタ!! 黒髪、緑目!! トッテモ、綺麗、顔!!」
「ラゥ・ハオは、何が目的なんだ? なぜ、私の夫を攫った?」
「こ、皇帝!! 婚儀、献上!!」
中年男より得た情報は――ラゥ・ハオは皇帝の婚儀に献上する毛皮を求め、オリガと交渉をするために、急遽この地へとやって来た。
そこで、毛皮よりも価値のある美しい容貌を持つ男を見つけ、皇帝に献上しようと思って男を睡眠薬で寝かせて連れ去る。もちろん、オリガの家に大量の交易品を置いたので、誘拐や攫ったという言い方には誤解がある――とのこと。
「なるほど、な」
オリガは素早くナイフをベルトにしまったが、それと同時に、男の両腕を縄で縛り上げる。
両足も同様に。口元は布で縛り、喋れないようにする。
「すまないがそこでしばらく大人しくしておいてくれ。一時間ほどで、助けは来るだろう」
オリガは中年男の懐に、ミンクの毛皮を入れておく。情報料であった。
用事は済ませたので立ち上がり、中央広場の自由市の会場へ向かった。
◇◇◇
広場では、赤、青、白、黒、緑と、様々な色の天幕が張られている。
赤い天幕の下では赤星の村の魚が売られ、青い天幕の下では青星の村の毛皮を売っている。白い天幕は白星の村のパンとお菓子、黒い天幕は黒星の村の酪農品と畜産物。緑の天幕の下では、緑星の村の農産物を売っている。
天幕を見て、どこで何が売っているのか、ひと目でわかりやすいようになっていた。
ラゥ・ハオは毛皮を求めてやって来たと聞いた。なので、青い天幕のある辺りにいるだろう。
オリガはそう確信し、ズンズンと歩いて行く。
道行く人は、オリガの美しさに見惚れていた。すれ違った者は、かならず振り返っている。
『猛虎』の名を知らない初老の男が、とびきりの美女であるオリガに声をかける。
「おうい、姉ちゃん。べっぴんさんだねえ。どうだい、ワシと一杯、付き合っても……」
オリガは男に目もくれず、颯爽と歩いて行く。
「つれないなあ~」
男は諦めもせずに背後から近付き、形の良い尻に手を伸ばした――が、オリガは振り返らずにその手を握って即座に払った。そして、一言。
「――次に、地獄で出会ったならば、付き合ってやろう」
その、冷え切った声を聞いた男は、オリガのあとを追わなかった。
歩くたびにゆらり、ゆらりと揺れる長い金色の三つ編みは、かつて男が森で見かけた荒ぶるトラの尾に似ていた。
気付けば、全身が震えていた。知らず知らずのうちに殺気を感じ、慄いていたのだ。
「なんなんだ、あの女――トラのようだ」
去りゆくオリガの後ろ姿を見て、ポツリと呟く。
この一件をきっかけに、『猛虎』の名は他所の村でも広がることになる。
当の本人であるオリガは、知る由もない。
◇◇◇
すごい人混みであった。
オリガがかつて父親と行った記憶の中では、ここまで人は多くなかった。
しかし、賑わっているのも、納得できた。
出店数が増え、五つの村の特産品以外も売られていた。
おそらく、五年前に代替わりした村長が、外から商人を呼び寄せたり、広場を拡張したりと、いろいろと手を広げているのだろうと推測する。
注意深く見渡していると、見知った後ろ姿を発見した。
黒髪に浅黒い肌。
胸の前で布を合わせ、腰部を帯で締める変わった民族衣装――ラゥ・ハオだ。
毛皮で包んだミハイルを担いでいる。
オリガは目を細め、気配を殺した。
ナイフの柄に手をかけて、そっと接近し――。




