第20話「第203層、戻る」
記録帳を開く。
第196層。
最後の二行。
「左を選んだ」
「右は知らない」
その下に書く。
「選択後の不要な再比較はしない」
悪くない。
閉じる。
今日は、それを試す。
◇
第203層は、縦だった。
直径三百メートルほどの円筒。
底は見えない。
壁面に道が螺旋状に続いている。
中央を、黒い獣が落ちていった。
翼はない。
八本脚。
背中から白い骨が何十本も伸びている。
落ちながら、壁を蹴る。
石が飛ぶ。
捕食の地図。
【第203層】
【攻略対象:深層走行獣】
【推奨:追跡】
【逃走完了まで:7分42秒】
分かりやすい。
私は飛び降りた。
◇
風が上へ流れる。
壁が速い。
獣まで二百八十メートル。
縮む。
二百。
百二十。
獣が吠える。
壁の一部が開いた。
横穴。
地図。
【攻略非推奨】
【追跡対象なし】
見ない。
通過。
その瞬間。
横穴の奥で、金属音がした。
かん。
一回。
聞いた。
でも進む。
選んだ後の再比較はしない。
◇
三十秒後。
また横穴。
今度は右。
【攻略非推奨】
通過。
獣が近い。
五十メートル。
骨の一本が飛ぶ。
避ける。
背後の壁が数十メートル消し飛ぶ。
私は幻影剣を出す。
三本。
脚を狙う。
一本目。
切断。
獣が落下姿勢を崩す。
二本目。
切断。
三本目。
その直前。
地図に、細い線が出た。
獣から。
上へ。
さっき通過した横穴へ。
消える。
私は剣を止めた。
獣が距離を取る。
地図。
【攻略対象:深層走行獣】
変わらない。
【推奨:追跡継続】
変わらない。
なら前へ出る。
そうするはずだった。
私はもう一度、線が出た場所を見る。
ない。
追う。
◇
残り4分08秒。
獣が底へ着いた。
円筒の底。
黒い湖。
獣は水面へ立つ。
私はその前へ降りる。
距離。
二十メートル。
地図が解体図を開く。
首。
胸。
腹。
骨。
核。
全部見える。
食材価値。
高い。
危険度。
問題なし。
所要。
0.7秒。
「こいつは私向きだな」
獣が沈む。
来る。
水面が盛り上がる。
私は踏み込む。
幻影剣。
六十四。
一斉に胸を貫く。
硬い。
でも切れる。
核まで、あと三センチ。
そのとき。
かん。
音がした。
遠い。
上。
獣の胸が震えた。
同時に。
かん。
もう一度。
剣を止める。
地図。
獣の核。
脈動。
上の金属音。
間隔。
同じ。
1.8秒。
1.8秒。
1.8秒。
私は獣を見る。
核がない。
正確には。
ここにあるのは受信器。
本体は別。
地図が更新される。
【外部生体核の可能性】
【位置:未確定】
獣が腕を振る。
受ける。
黒い湖が左右へ割れた。
私は動かない。
上を見る。
横穴。
攻略非推奨。
追跡対象なし。
だから切った。
情報から。
選択肢から。
私は幻影剣を消した。
獣が吠える。
「待て」
待たない。
当然。
私は上へ跳んだ。
◇
逆走。
風を切る。
獣が追ってくる。
残り3分21秒。
逃走完了までの時間だった表示が変わる。
【攻略対象離脱中】
【非推奨】
無視。
壁面を蹴る。
一キロ。
二キロ。
三キロ。
さっきの横穴。
通り過ぎる。
違う。
次。
金属音。
かん。
左。
入る。
◇
狭い。
高さ二メートル。
幅、一・五。
獣は入れない。
奥へ走る。
二十メートル。
鉄格子。
その向こう。
人がいた。
座っている。
壁にもたれている。
年齢は分からない。
装備は古い。
右腕から、黒い管が伸びている。
壁の中へ。
手には金属片。
それで床を叩いていた。
かん。
私を見る。
「……聞こえた?」
「聞こえた」
地図。
【攻略対象外】
その表示を、初めて邪魔だと思った。
鉄格子を掴む。
引く。
壁ごと外れる。
管を見る。
獣の核と同期。
この人が生きている限り、獣は再生する。
逆もある。
獣の核を破壊すれば。
地図。
【外部生体核:死亡確率 99.8%】
さっきの0.7秒。
あのままなら。
攻略成功。
この人は死んだ。
私は管を掴む。
「抜く」
「待って。たぶん、それ」
「分かってる」
管の内部構造。
生命維持。
神経接続。
世界線固定。
まとめて切れば死ぬ。
一本ずつ。
順番を変える。
獣が横穴の入口へ衝突した。
洞窟全体が揺れる。
石が落ちる。
私は片手を入口へ向ける。
空間断絶。
塞ぐ。
「私には問題ありません。あなたへの影響だけ先に見ます」
「誰?」
「摩天」
「そうじゃなくて」
今はいい。
◇
管。
十二本。
一本。
二本。
三本。
獣が壁を砕く。
空間断絶を追加。
四。
五。
人の指が動く。
六。
呼吸が乱れる。
七。
止める。
順番が違う。
地図を閉じる。
身体を見る。
皮膚の色。
呼吸。
管の脈。
八番ではない。
十一番。
切る。
呼吸が戻る。
「……なんで分かった」
「見た」
九。
十。
最後。
管が床へ落ちる。
黒く乾いた。
地図。
【外部生体核:分離】
入口の向こうで、獣の音が変わった。
再生が止まった。
私は立つ。
「ここにいて」
「え」
「足場だけ見て。あとは私がやる」
入口へ戻る。
◇
獣は弱くなっていない。
もともと、私には関係ない。
違うのは。
もう、殺しても誰も死なない。
空間断絶を解除。
黒い腕。
正面。
避けない。
掴む。
引く。
獣の巨体が横穴へめり込む。
幻影剣。
一本。
胸。
核。
0.3秒。
終わる。
◇
帰還前。
救出した人が壁際に座っている。
水を渡す。
「何日いた」
「分からない」
「どうして音を鳴らした」
「それしかできなかった」
金属片を見る。
曲がっている。
何百回。
何千回。
叩いたのかもしれない。
「一回、通り過ぎた」
相手が私を見る。
「戻ってきたじゃん」
私は答えない。
記録帳を開く。
◇
「第203層」
「攻略完了」
「攻略対象:深層走行獣」
「救出:1」
その下。
「初回判断:横穴を攻略非推奨として除外」
「後発情報:外部生体核との同期を確認」
「判断変更:追跡中断、逆走」
ペンが止まる。
第196層。
右は知らない。
あれは間違っていない。
選ばなかった道を、理由もなく何度も比較する必要はない。
でも。
新しい音まで、昔の判断で消してはいけない。
私は書く。
「振り返らないことと、戻らないことは同じではない」
少し考える。
もう一行。
「判断後に増えた情報は、判断後だからという理由で捨てない」
閉じる。
救出した人が立ち上がる。
「帰れる?」
「帰れる」
「どこに?」
それは。
私も知らない。
捕食の地図を開く。
帰還経路が三つ出る。
一番近いものを選ぶ。
今度は、音も聞きながら進んだ。




