第19話「第196層、右は知らない」
扉が二つあった。
左。
右。
それだけだった。
第196層へ降りた直後、捕食の地図が両方へ線を伸ばす。
【左経路】
【攻略効率:100.000】
【右経路】
【攻略効率:100.000】
同じ。
危険度。
同じ。
食材価値。
同じ。
所要時間。
同じ。
生存率。
同じ。
私は左を見る。
右を見る。
もう一度地図を開く。
数字は変わらない。
こういう分岐自体は珍しくない。
どちらかを選べば、もう片方が閉じる階層も何度か見た。
ただ、
地図が優劣を一つも出さないのは初めてだった。
【選択後、非選択経路は消失】
なるほど。
昨日なら、
残すものを考えた。
その前なら、
判断時間を測った。
今日は。
何も決めていない。
私は二つの扉の間に立った。
◇
十八分経った。
扉はまだある。
敵も来ない。
崩落もしない。
時間制限もない。
地図を閉じる。
開く。
同じ。
床を見る。
左の扉の前だけ、石が少し温かい。
右は冷たい。
地図。
【攻略上の有意差:なし】
私は左の取っ手を握った。
温かい。
右を見る。
理由。
特にない。
「左にする」
開けた。
背後で、
右の扉が音もなく消えた。
◇
左の先は、
長い下り坂だった。
黒い岩。
天井から青い苔。
遠くで水滴が落ちる。
百メートルほど進む。
また二つ。
地図。
【左経路:100.000】
【右経路:100.000】
私は止まる。
今度は九秒。
左から水の音。
右から風。
右へ行く。
理由。
風の方が気になった。
次。
三つ。
全部100.000。
中央。
天井が高いから。
次。
二つ。
左から肉の焼ける匂い。
左。
これは理由がある。
次。
四つ。
全部同じ。
一番近い。
次。
七つ。
私は地図を閉じた。
三番目。
なぜ。
分からない。
進む。
後ろで、
六本の道が消えた。
◇
十一回目の分岐を越えたところで、
足音が増えた。
私の足音ではない。
一歩。
遅れて、
十一歩。
止まる。
後ろも止まる。
振り返る。
一本道。
誰もいない。
捕食の地図。
【反応なし】
もう一歩。
後ろから十一歩。
今度は、
少し近い。
私はしゃがんで床に触れる。
振動。
ある。
幻聴ではない。
「こいつは私向きだな」
歩く。
足音が増える。
十二。
十三。
十四。
分岐を選ぶたび、
一つ増える。
◇
十五回目。
広間。
天井は見えない。
中央に、
黒いものが立っていた。
私と同じ高さ。
輪郭も、
ほぼ同じ。
ただし腕が多い。
脚も。
顔も。
一つの身体へ、
何十人分もの私を無理に重ねた形。
背後から道が伸びている。
私が選ばなかった道。
全部。
地図が初めて、
数字以外を出した。
【未選択経路集合体】
【構成:放棄経路 34】
【増殖条件:選択済み経路の再評価】
私は見る。
黒い私も、
こちらを見る。
右手に剣。
左手にも剣。
その後ろの手にも。
私が別の道を選んでいた場合の装備。
別の位置。
別の構え。
別の距離。
一斉に動いた。
速い。
でも、
私より遅い。
一本目を避ける。
二本目を掴む。
三本目を折る。
幻影剣。
三十二本。
黒い腕をまとめて切断。
切断面から、
道が生えた。
左。
右。
上。
下。
地図。
【再評価候補】
【第一分岐・右経路】
景色が開く。
右を選んでいた世界。
巨大な白い獣。
食材価値、極高。
その奥。
世界線結晶。
さらに、
見たことのない果実。
地図が数字を並べる。
【現在経路との比較を開始】
黒い身体が膨らんだ。
なるほど。
比べると増える。
◇
地図を閉じる。
黒い私が止まった。
一瞬。
縮む。
分かった。
倒し方ではない。
餌。
こいつは、
選ばなかったものを考えるほど増える。
なら。
考えなければいい。
黒い私の背後。
出口がある。
距離。
二百七十メートル。
間に、
未選択経路が三十四本。
全部が口を開く。
別の報酬。
別の敵。
別の景色。
別の結末。
私は前を見る。
「面白くなってきたな」
幻影剣を一本。
正面。
「行くぞ」
踏み込む。
◇
最初の道が、
私の左腕へ絡む。
切る。
次。
巨大獣の顎。
殴る。
砕ける。
次。
重力反転。
そのまま走る。
次。
海。
水面を踏む。
次。
過去の分岐。
見ない。
幻影剣が増える。
百。
千。
道そのものを斬る。
黒い私が背後で崩れていく。
何かを叫んでいる。
聞かない。
出口。
十メートル。
三。
一。
通過。
扉が閉まった。
足音が、
一つになった。
◇
攻略報酬。
台座の上に、
赤い果実が一個。
手のひらほど。
地図。
【食材価値:良好】
極高ではない。
世界線結晶でもない。
希少素材でもない。
私は取る。
齧る。
酸っぱい。
あとから甘い。
もう一口。
美味しい。
地図を開く。
【第196層攻略完了】
右経路。
表示なし。
最初から存在しなかったみたいに、
何も残っていない。
記録帳。
「第196層」
「選択回数:15」
「未選択経路:消失」
「攻略報酬:赤色果実1」
ここで一度、
ペンが止まる。
右の方が、
良かったか。
確認不能。
私は次の行に、
「左を選んだ」
と書いた。
その下。
「右は知らない」
記録帳を閉じる。
果実の残りを食べた。




