第17話「第171層、即断禁止」
今日の縛り。
即断しない。
記録帳に書いた。
消す。
曖昧。
書き直す。
「重要な判断について、最初に算出された最適解を即時採用しない」
追加。
「最低一つ、別解を検討する」
追加。
「生命危機への反射行動は除外」
これでいい。
第160層で、判断変数が増えた。
増えれば当然、
処理には時間がかかる。
なら今日は、
その時間を測る。
前衛、準備よし。
◇
第171層。
扉を開けた瞬間、
雨が横から降ってきた。
違う。
雨ではない。
海だ。
視界の右側に海面がある。
空は正面。
地面は左。
重力方向が三つある。
捕食の地図。
【第171層】
【多重重力海域】
【安定周期:不定】
足元、と呼ぶべき壁面にブーツを固定する。
遠くを船が落ちていった。
空へ。
帆を張った木造船。
船員は誰も騒いでいない。
途中で船体が九十度回転する。
別の重力へ乗った。
そのまま海へ着水。
なるほど。
ここでは普通らしい。
私は歩く。
数分後。
鐘が鳴った。
一回。
二回。
三回。
街が動き出した。
窓が閉まる。
露店の商品が床へ固定される。
人々が壁際の鉄環へ身体を繋ぐ。
少女が一人、
通りの中央で転んだ。
地図が赤くなる。
【重力転換まで:2.8秒】
【対象:民間人】
【推奨行動:短距離転移による回収】
最適解。
採用しない。
別解。
反射バリア。
幻影剣による固定。
空間断絶。
身体強化による直接回収。
0.17秒。
四案。
直接行く。
少女の襟を掴んだ瞬間、
街が落ちた。
いや。
重力が変わった。
建物も、石畳も、私も、
一斉に空へ向かって落下する。
少女を抱える。
反射バリア。
着地。
今まで壁だった場所が地面になる。
少女を下ろす。
怪我なし。
記録帳。
判断時間、0.17秒。
結果、成功。
問題なし。
◇
二度目は、
四十一分後だった。
海上。
巨大な骨の橋を渡っている途中。
左側の海面が盛り上がった。
直径二百メートルほどの口が出た。
橋ごと食べに来る。
地図。
【海棲捕食体】
【脅威度:高】
【中核破壊推奨】
幻影剣。
最適解。
待つ。
別解。
捕獲。
回避。
追い払う。
食材化。
0.08秒。
その間に、
口が橋まで二十メートル。
捕獲。
幻影剣を六十四本。
顎を囲む。
閉じる前に固定。
海棲捕食体が暴れた。
橋が揺れる。
背後で荷車が滑った。
商人が荷車を掴む。
商品が散る。
一本の瓶が海へ落ちた。
私は捕食体を海へ戻す。
橋は無傷。
人も無傷。
瓶一本。
損失。
記録帳。
判断時間、0.08秒。
結果、概ね成功。
副次損失、一。
原因。
私はペンを止める。
判断時間。
ではない。
捕獲を選んだからだ。
中核破壊なら、
たぶん瓶は落ちなかった。
ただし捕食体は死んでいた。
どちらが正しい。
空欄。
◇
三度目。
問題が起きた。
夕方。
重力港。
この階層では船が重力流へ乗って別の海へ移動する。
出航を見ていた。
理由はない。
少し面白かった。
鐘。
今度は七回。
人の動きが変わる。
走っている。
地図。
【重力流衝突】
【北流・西流、交差予測】
【衝突まで:11.2秒】
二隻。
北流に客船。
西流に貨物船。
このままなら衝突する。
地図が即座に計算した。
【最適解】
【貨物船を破壊】
【客船生存率:99.97%】
貨物船。
乗員、三人。
客船。
乗員乗客、二百八十一人。
簡単だ。
貨物船を消す。
最適解。
私は幻影剣を出した。
即断しない。
別解。
両方を転移。
座標不安定。
失敗率、高。
重力流そのものを切断。
周辺港湾への影響、不明。
客船を破壊。
論外。
貨物船を加速。
間に合う可能性。
地図。
【衝突まで:7.4秒】
考える。
貨物船を止める。
流れに逆らえば船体が保たない。
乗員だけ転移。
貨物は失う。
可能。
【5.1秒】
それでいい。
違う。
貨物船そのものを、
残せないか。
私は見た。
二隻の間。
何もない。
何もないなら、
作ればいい。
幻影剣。
一本。
巨大化。
全長四百メートル。
海と海の間へ突き刺す。
剣腹を、
貨物船へ当てる。
押す。
船首が逸れた。
木材が軋む。
帆柱が折れる。
客船の船腹と、
貨物船の舳先。
距離三メートル。
通過。
歓声。
私は剣を消した。
貨物船。
半壊。
乗員三人。
無傷。
客船。
二百八十一人。
無傷。
貨物。
七割残存。
地図。
【推奨解との差分】
【処理開始遅延:6.3秒】
【危険度増加:大】
【最終人的損失:0】
私は表示を見る。
成功。
しかし、
良くない。
あと三秒考えていたら、
間に合わなかった。
◇
帰還しようとした。
その時。
鐘が一回鳴った。
通りの向こう。
さっきの少女がいた。
こちらに気づいて、
手を振った。
私も手を上げようとした。
地図。
【重力転換まで:1.1秒】
少女の足元。
固定具なし。
最適解。
短距離転移。
私は転移した。
抱える。
重力転換。
着地。
0.09秒。
別解は、
考えなかった。
少女が私の腕の中で笑っている。
「まただ」
「そうだな」
下ろす。
地図。
【縛り条件違反】
私は表示を見る。
その通り。
記録帳を出した。
「即断禁止」
横に、
失敗。
書く。
今回は消さない。
◇
自室。
四件を並べる。
一件目。
0.17秒。
二件目。
0.08秒。
三件目。
6.3秒。
四件目。
0.09秒。
問題は三件目。
考えたことで、
最適解より良い結果になった。
三人を切り捨てずに済んだ。
貨物も残った。
だが、
危険は増えた。
四件目。
考えなかった。
最初の解を使った。
結果。
問題なし。
なら。
即断が悪いわけではない。
熟考が良いわけでもない。
私は新しい欄を作る。
【DECISION COST】
判断そのものに必要な時間。
その間に変化する状況。
失われる選択肢。
増える危険。
そこまで書いて、
止めた。
項目を増やしすぎている。
少し面倒だ。
記録帳を閉じようとする。
やめる。
一行だけ追加。
「考える時間も、判断の一部として扱う」
閉じる。
今度こそ終わり。
机から立つ。
冷蔵庫を開ける。
食べるものを選ぶ。
三秒。
五秒。
八秒。
私は扉を閉めた。
もう一度開けた。
最初に見たプリンを取る。
食べる。
美味しい。
記録帳は開かなかった。




