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第15話「第147層、食べない縛り」


────────────────────


 今日の縛りは決まっていた。


 食べない。


 簡単な条件だ。


 捕獲しない、ではない。


 殺さない、でもない。


 解体しない、でもない。


 素材を回収してはいけない、でもない。


 ただ、


 食べない。


 記録帳を開いた。


 私は条件を書いた。


 「本日の縛り」


 「第147層で得た対象・素材を、攻略中および帰還後を含め、自分の食事として摂取しない」


 少し考える。


 「他者が食べることは制限しない」


 さらに一行。


 「素材として回収することも制限しない」


 ペンを止めた。


 これは、今までの縛りとは少し違う。


 剣を使わない。


 魔法を使わない。


 速度を制限する。


 そういう縛りは、攻略手段を変える。


 今回の縛りは違う。


 攻略後に、


 それを自分のものにするかどうか


を制限する。


 私は考えた。


 食べることと、所有することは同じではない。


 捕獲することと、殺すことも同じではない。


 殺すことと、食べることも同じではない。


 今まで私は、その辺りをあまり分けていなかった。


 食材なら回収する。


 食べられるなら食べる。


 食べられないなら素材にする。


 素材にもならないなら処理する。


 それで問題はなかった。


 しかし。


 第14話。


 私は世界線残滓を回収した。


 食材適性は判定不能。


 それでも調理可能性は高かった。


 なぜか。


 まだ分からない。


 私は記録帳を閉じた。


 今日は食べない。


 それだけだ。


 前衛、準備よし。


────────────────────


◆第一章「第147層」


 扉を開けた。


 匂いがした。


 肉。


 焼いた肉。


 香辛料。


 脂。


 空腹を刺激する匂いだった。


 私は立ち止まった。


 捕食の地図が自動展開する。


 【環境情報】


 【有機物密度:極高】


 【食材由来揮発性物質:異常】


 【食欲刺激因子:極高】


 なるほど。


 そういう階層か。


 周囲を見る。


 巨大な森林。


 しかし木ではない。


 骨だった。


 地面には赤い液体が流れている。


 血液に似ている。


 ただし血液ではない。


 タンパク質、糖、脂質。


 食材として成立する成分が大量に含まれている。


 空気まで食べ物に近い。


 遠くで何かが鳴いた。


 グルルル。


 私は音の方向を見る。


 森が動いた。


 巨大な獣が出てきた。


 四本脚。


 全長約12メートル。


 白い毛。


 頭部に角。


 口が大きい。


 牙が並んでいる。


 しかし。


 怖くない。


 美味しそうだった。


 捕食の地図が表示される。


 【対象:高密度食材生命体】


 【食材適性:★★★★★】


 【味覚予測:極めて高品質】


 【推定肉質:A++】


 【希少性:極高】


 【推奨調理法:直火】


 私は少しだけ目を細めた。


 これは。


 かなり良い。


 いつもなら、


 「良い素材だ」


 と言っている。


 今日は食べない。


 獣が吠えた。


 私は剣を生成した。


 食べない。


 だからといって、


 戦わないとは言っていない。


────────────────────


◆第二章「最適解」


 獣が突進した。


 速い。


 12メートルの巨体とは思えない。


 私は横へ移動した。


 爪。


 回避。


 尾。


 回避。


 牙。


 回避。


 捕食の地図が解体図を展開する。


 【弱点】


 【頸部第七椎】


 【破壊すれば即時活動停止】


 さらに表示。


 【食材損失:低】


 なるほど。


 首を切ればいい。


 私は剣を振った。


 白銀の軌跡。


 獣の首に入る。


 しかし。


 止まった。


 刃が肉に入っている。


 あと数センチ。


 切断できる。


 私は止めた。


 獣が振り返る。


 目が合った。


 捕食の地図には、


 【攻撃継続推奨】


 と表示されている。


 理由も表示された。


 【対象の生命活動停止まで0.08秒】


 私は剣を抜いた。


 獣が距離を取る。


 血が流れている。


 だが、まだ生きている。


 捕食の地図が再計算した。


 【対象は攻撃を継続する可能性が高い】


 【再推奨:頸部切断】


 私は剣を構えた。


 また突進してくる。


 今度は胸部を狙った。


 斬らない。


 剣の腹で叩く。


 獣が吹き飛ぶ。


 壁に衝突する。


 立ち上がる。


 再び来る。


 私は横へ避ける。


 爪を切断。


 もう一度。


 脚を一本、機能停止。


 獣が倒れる。


 殺してはいない。


 動けないだけ。


 私は捕食の地図を見る。


 表示が変わった。


 【討伐:未完了】


 【戦闘継続能力:低下】


 【食材価値:★★★★★】


 【生存:維持】


 私は獣を見る。


 生きている。


 食べない。


 それだけなら簡単だった。


 問題は。


 私は今、


 こいつを食べない代わりに、何をしている?


 ということだった。


────────────────────


◆第三章「食べないなら、どうする」


 獣は動けない。


 私は解体用の道具を出した。


 獣がこちらを見る。


 私は止まった。


 食べない。


 しかし素材として回収することは、縛りに含まれていない。


 ならば、


 肉を切り出すことは可能だ。


 食べるのは後でもいい。


 巨大冷蔵庫へ持ち帰ればいい。


 つまり、


 「食べない」


 という縛りは、


 「所有しない」


 という意味ではない。


 私は刃物を持った。


 毛皮。


 骨。


 角。


 肉。


 内臓。


 すべて価値がある。


 捕食の地図が一覧を出す。


 【素材価値】


 角:★★★★★


 骨:★★★★☆


 毛皮:★★★★☆


 肉:★★★★★


 内臓:★★★★★★


 私は少し考えた。


 内臓が一番高い。


 食材としても優秀。


 しかし。


 食べない。


 私は獣を見た。


 まだ呼吸している。


 ここで殺して解体することはできる。


 縛り違反ではない。


 食べなければいい。


 合理的には。


 殺す。


 解体する。


 持ち帰る。


 冷蔵する。


 後日、誰かが食べる。


 何も問題はない。


 私は刃物を下ろした。


 「……」


 捕食の地図が再び表示した。


 【推奨行動:殺害】


 【理由:資源回収効率最大】


 私はその表示を見た。


 いつもなら、


 正しい。


 今日は。


 違う。


 私は記録帳を取り出した。


 書く。


 「対象は生存中」


 少し考える。


 続ける。


 「食材価値は極めて高い」


 さらに。


 「殺害による資源回収効率は高い」


 ここまでは事実。


 最後の一行。


 「しかし、殺す理由が食べることではなくなった」


 ペンが止まった。


 私はその一文を見た。


 消そうと思った。


 しかし、


 消さなかった。


────────────────────


◆第四章「所有」


 獣が立ち上がった。


 脚を引きずっている。


 逃げようとしている。


 私は追わなかった。


 捕食の地図には、


 【逃走方向】


 【安全区域】


 【回収可能性】


 まで表示される。


 獣は森の奥へ行こうとしている。


 私は道を空けた。


 獣が止まった。


 こちらを見る。


 数秒。


 そして、


 走った。


 森の奥へ消えていく。


 私は追わなかった。


 捕食の地図には、


 【対象を放棄しました】


 と出た。


 私は訂正した。


 「放棄ではない」


 地図が反応しない。


 私は続けた。


 「所有しなかった」


 しばらくして、


 表示が変わった。


 【所有状態:解除】


 私は少し考えた。


 こんな項目は今まで見たことがない。


 「所有状態」


 私はもう一度表示を見る。


 【対象】


 【食材適性:★★★★★】


 【捕食可能】


 【所有状態:なし】


 そこで初めて気づいた。


 今まで私は、


 捕食対象を見つけたら、


 「倒す」


 「解体する」


 「回収する」


 「保管する」


 「食べる」


 という一連の流れを当然のものとして扱っていた。


 しかし。


 それぞれ別の行為だ。


 捕食。


 殺害。


 解体。


 所有。


 消費。


 全部違う。


 私は記録帳を閉じた。


 今日は一つだけ実験できた。


 食べない。


 結果。


 私は食べなくても、対象を自分のものにしようとしていた。


 縛りがなければ、


 殺して。


 解体して。


 持ち帰っていた。


 食べることだけを禁止したことで、


 その前段階にある「所有」が見えた。


 私は少し考えた。


 「……面白い」


 それだけ言った。


────────────────────


◆第五章「もう一体」


 森の奥から音がした。


 一体ではない。


 二体。


 三体。


 五体。


 十体。


 大量の獣が現れた。


 すべて同じ種類。


 すべて食材適性★★★★★。


 しかし。


 様子がおかしい。


 先ほど逃がした個体が中央にいる。


 その周囲を他の個体が囲んでいる。


 群れだった。


 捕食の地図が一斉に情報を出す。


 【群体構造】


 【個体間記憶共有】


 【一個体の損傷が群体全体へ情報伝達】


 【群体内での役割分担を確認】


 なるほど。


 先ほどの戦闘で得た情報を、他の個体が共有している。


 つまり。


 私は一体を逃がしたことで、


 群れ全体の防御能力を上げてしまった。


 合理的には、


 ここで群れごと処理する。


 しかし。


 それをすると、


 さっきの一体も死ぬ。


 私は剣を構えた。


 群れが一斉に動いた。


 速い。


 私は一歩下がる。


 幻影剣を五本。


 投擲。


 脚。


 肩。


 尾。


 地面。


 殺さない。


 動きを止める。


 一体。


 二体。


 三体。


 十体。


 群れの動きが崩れる。


 しかし中央の個体だけが動く。


 先ほどの個体。


 こちらを見る。


 私は理解した。


 こいつは、


 群れを逃がそうとしている。


 捕食の地図を見る。


 【推奨:中央個体を殺害】


 【理由:群体統制中枢】


 つまり、


 こいつを殺せば、


 群れ全体が崩れる。


 最短。


 最適。


 確実。


 私は剣を構えた。


 そして、


 下ろした。


 「逃げろ」


 獣は動かなかった。


 私はもう一度言った。


 「必要なことをする」


 幻影剣を消す。


 私は群れの横を通り抜けた。


 そのまま出口へ向かった。


 背後から獣の声が聞こえた。


 追ってこない。


 私は振り返らなかった。


────────────────────


◆第六章「帰還」


 帰還した。


 素材。


 なし。


 食材。


 なし。


 討伐。


 失敗。


 探索。


 成功。


 生存個体。


 十一。


 私は記録帳を開いた。


 いつもの形式で書く。


 「第147層」


 「食材生命体群」


 「討伐未完了」


 「素材回収なし」


 「食事なし」


 そこで止まった。


 私は書き直した。


 「討伐しなかった」


 さらに、


 「素材を回収しなかった」


 そして、


 「食べなかった」


 最後に、


 「対象群は生存」


 ペンを置いた。


 今回の結果は、


 効率が悪い。


 素材回収量はゼロ。


 食材確保量もゼロ。


 討伐数もゼロ。


 普通なら失敗だ。


 しかし。


 何かが違う。


 私は記録帳の下に、


 新しい欄を作った。


 今までなかった項目。


 JUDGMENT RESULT


 そこに、


 「不明」


 と書いた。


 理由。


 「最適解は存在していた」


 「しかし採用しなかった」


 「採用しなかった理由を、まだ正確に説明できない」


 少し考える。


 もう一行。


 「食べないことが目的ではなかった可能性」


 私はその文章を見た。


 そして、


 「所有しないこと」


 と書き足した。


 さらに、


 「殺さないこと」


 と書いた。


 しかし、


 「救うこと」


 とは書かなかった。


 まだ、そこまでは分からない。


────────────────────


◆第七章「瑠倫」


 部屋を出ると、瑠倫がいた。


 いつものように茶を飲んでいる。


 「お帰りじゃ」


 「ただいま」


 「今日は何を獲ってきたのじゃ?」


 「何も」


 瑠倫が目を丸くした。


 「ほう」


 「食べない縛りだった」


 「なるほどのう」


 瑠倫は楽しそうに笑った。


 「それで?」


 私は答えなかった。


 瑠倫がこちらを見る。


 「何か見つけた顔をしておる」


 「分からない」


 「何がじゃ?」


 「分からないものが何なのかが、分からない」


 瑠倫は少しだけ黙った。


 「難儀じゃのう」


 「そうでもない」


 私は記録帳を見る。


 「今日は食べなかった」


 「うむ」


 「殺さなかった」


 「うむ」


 「所有しなかった」


 「うむ」


 「でも、それをしたかった」


 瑠倫は茶を飲んだ。


 「それは普通じゃ」


 「そうか」


 「欲しいから取る。取ったから食べる。食べたからなくなる。そういうものじゃろ」


 私は少し考えた。


 「違う」


 「ほう?」


 「取らなくてもいい」


 瑠倫が笑った。


 「ようやく気づいたか」


 私は瑠倫を見る。


 「何に?」


 「それは自分で考えるものじゃ」


 私は少し黙った。


 「……そうか」


 瑠倫は茶を飲んだ。


 「フォッフォッ」


────────────────────


◆第八章「冷蔵庫」


 自室へ戻った。


 巨大冷蔵庫を開ける。


 昨日までに回収した素材。


 磁場結晶。


 世界線残滓。


 未知の鉱物。


 概念体の肉。


 記録媒体。


 全部、整然と並んでいる。


 私は一つずつ見た。


 どれも私が採ってきたものだ。


 所有している。


 冷蔵庫を閉める。


 私は少し考えた。


 今日の獣たちは、


 私の冷蔵庫には入っていない。


 私はそれを確認した。


 妙な感じがした。


 何もない。


 なのに、


 今日は何かを持って帰ってきた気がする。


 記録帳を開く。


 最後のページ。


 今日の結論を書く。


 最初は、


 「縛り達成」


 と書こうとした。


 止めた。


 「縛り:達成」


 とだけ書く。


 その下。


 「討伐:未達成」


 「素材回収:未達成」


 「食事:未達成」


 「生存:達成」


 そして、


 「判断:更新」


 と書いた。


 何が更新されたのか。


 まだ言語化できない。


 私は最後に、


 「捕食=所有ではない」


 と書いた。


 少し考えて、


 もう一行。


 「所有=必要ではない」


 さらに。


 「ただし、まだ所有したい」


 私はその一文をしばらく見た。


 消さなかった。


────────────────────


◆第九章「通知」


 記録帳を閉じた。


 その瞬間。


 小さな電子音が鳴った。


 M社内部通知。


 私は画面を見る。


 【第147層攻略報告を受信しました】


 【採掘結果】


 【食材:0】


 【素材:0】


 【世界線情報:取得済】


 私は止まった。


 世界線情報。


 取得した覚えはない。


 画面を開く。


 【対象群の行動情報】


 【群体構造】


 【個体間記憶共有】


 【逃走行動】


 【役割分担】


 【自己保存行動】


 その下。


 【情報価値:高】


 私は画面を見た。


 食材を回収していない。


 素材もない。


 それでも、


 何かが「採れた」ことになっている。


 私は通知を閉じた。


 少し考える。


 今日の私は、


 何も持ち帰っていない。


 なのに、


 採掘結果は、


 「取得済」。


 私は記録帳を開いた。


 新しい一行を書く。


 「第147層」


 「素材回収なし」


 「食材回収なし」


 「しかし情報は回収された」


 そこで止まった。


 「回収」という言葉を見る。


 私は少しだけ考えた。


 これまで、


 回収とは、


 物を持ち帰ること


だと思っていた。


 違うのかもしれない。


 何かを見つける。


 理解する。


 記録する。


 それも、


 回収なのかもしれない。


 私は記録帳を閉じた。


 まだ分からない。


 でも。


 今日は一つ、分かった。


 食べなくても、ダンジョンから何かを持ち帰ることはできる。


────────────────────


◆終章「記録」


 深夜。


 私は机に向かっている。


 記録帳。


 第147層。


 最後の欄。


 いつもの言葉を書く。


 「必要なことをする」


 その下に、


 今日は別の言葉を書いた。


 「必要でないことを、しない。」


 私はその二行を見た。


 どちらが正しいのか。


 まだ分からない。


 だから消さない。


 明日も潜る。


 未知はまだある。


 食材もある。


 素材もある。


 弱点もある。


 攻略法もある。


 だから、


 次は別のことを試す。


 私は記録帳を閉じた。


 前衛、準備よし。


────────────────────


◇後記


第147層。


食材生命体群。


討伐なし。


素材回収なし。


食事なし。


生存。


情報回収。


そして、


JUDGMENT RESULT。


「判断:更新」


今回の実験で分かったこと。


食べること。


殺すこと。


解体すること。


所有すること。


回収すること。


それらは同じではない。


今まで摩天は、


「食材」という一つのカテゴリにまとめて処理していた。


しかし今回、


その内部に複数の判断変数があることが初めて明確になった。


そしてもう一つ。


摩天は対象を生存させた。


しかし、それを「救った」とは認識していない。


これは重要。


彼女の判断構造はまだ、


生存価値 > 捕食価値


にはなっていない。


今回起きたのは、


捕食価値と所有価値の分離


である。


それだけ。


ただし。


その「それだけ」が、後の判断を変える。


第15話はその最初の一歩だった。


そして第147層で摩天が知らないうちに回収したもの。


それは、


肉でも。


骨でも。


概念でもない。


情報だった。


まだ本人は、それを「採掘」と呼んでいない。


しかしM社の記録には、すでに別の名前が付いている。


«WORLD-LINE RESOURCE»


その文字列だけが、


誰にも読まれないまま、


内部データベースへ保存された。

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