(105)我々は闇から生まれた光、光から生まれた闇
「悪いけど、話が抽象的過ぎてよく分からないな。・・俺とキミが結婚して円になる?どういう意味だ?確かに人同士の付き合いはお互いの足りない部分を補い合うような事もあるけど、キミは売れっ子女優だし、そっちにはメリットがないだろう?いきなりこんなオジサンと結婚したらそれこそ世間が許さないよ。山口百恵みたいに結婚して電撃引退でもするつもりか?」
「別に引退してもいい。その人は知らないけど。」と沢口明菜は言った。
ジェネレーション・ギャップと俺は呟いた。
「芸能界の事はもうほんとにどうでもいいの。今撮影してる、テッちゃんの漫画が原作の映画が終わったら、ガチで辞めてもいいと思ってる」
「どうして?キミは誰から見てもこれからっていう時だろう?」
「元々興味なかったし・・。アタシはただ子供の頃にセーラちゃんの舞台を観てセーラちゃんに憧れてやってみただけ。・・もちろん(チェンジ)するまではずーっとブスでモテなかったから、超絶イケメンの男性アイドルとイチャつきたかったってのもあるけど、それは散々やってみてクソつまんなかった。顔だけで生きて来たやつはみーんなバカ、男も女も一緒。今は売れるのを喜んでくれたお母さんも死んじゃったし、これから何をモチベーションにやっていけばいいか分かんないもん・・・」
俺は沢口明菜が泣いているような気がして目元の手拭いを取って彼女の方を見た。すると彼女はただ真っすぐにこちらを向いているだけだった。
洗い立てのロングヘアーが頬から肩にかかり、はだけた浴衣の胸元からは下着を付けていないのか、ふくよかな胸の上部があふれ出している。ノーメイクでも息を飲むほど美しいその顔立ちを改めて間近で見た俺は「やっぱり引退はもったいないよ」と言った。
「ウンコと間違えて純金をトイレに流そうとしてる人がいたら、見て見ぬふりは出来ない」
「例えが汚い。」
「すまない」
「・・でもゴールドだと思ってくれてるんだ、アタシのこと」
「ああ。それ以上だと思ってる」
「だったら結婚しようよ」
「それはまた別の話だ。この場合は俺自身がトイレなんだから。」
「それやめてよ」
「そうだね」
「アタシのこと嫌い?」
「そんなわけない。逆説的になるけど、例えキミがもっとブ・・・一般的な顔立ちでも、胸が小さくても、それこそ男性だったとしても俺はキミの事が好きだし、一緒に行動を共にするにはとてもいいパートナーだと思ってるよ」
「人生でも?」
「意外と古風な例えをするんだな」
「オジサンに合わせただけだよ」
「それはどうも」
俺はそう言って手拭いを裏返してもう一度目元にかけ直した。これ以上彼女の顔や肌を見ておかしな事を言いたくなかったからだ。
目を瞑ると真冬なのに虫の音がするような気がした。それはこの土地の夏の残響かも知れない。そう言えば今日は大晦日だ。そろそろ除夜の鐘が鳴る頃だろう。田舎の鐘は大きな音がする。それは多分遮るものが少ないからだ。
「じゃあセックスをしよう」と沢口明菜が言った気がした。
俺は目を閉じたまま、聞き間違いだと思ってその言葉を無視した。
「ねぇ、聞いてる?・・女はさ、よく初対面の男性を見てすぐキス出来るかどうか識別するって言うじゃん?」
「ああ」と俺は応えた。
「あれって結局、セックス出来るかどうかっていうのをソフトに言ってるだけなんだよ」
「へー」
「生理的にムリっていう言い方もさ。つまりセックス的にムリって事だから」
「なるほどね。覚えておくよ」
「アタシ、カズとキス出来るよ」
「・・・そりゃどうも。国民的アイドルにそこまで言われたら、男に生まれた甲斐があるね」
「最初に会った時・・事務所じゃなくて、カズのアパートに言った時。アタシにビールを出してくれたカズを見てね、アタシ思ったの。うわー・・この人全然タイプじゃないけど、多分いつかセックスするなーって。」
「ははは、あんなに機嫌悪そうだったのに、そんな事を考えていたんだ」
「うん、一瞬ね。なんか女ってそういう予感があるんだよ」
「そうか、女性はみんな能力者だ」
「うん、実際そう思う。でも・・・」
言葉の続きが中々届かず、静寂に耐えられなくなった俺は目元の手拭いをどかして彼女の方を向いた。
すると沢口明菜は泣きながら「・・・どうしたらいいか分からないの」と言った。
「どうしたんだ?」という俺の言葉を遮るように彼女は「カズとアタシは今よりもっと仲良くならなきゃいけないんだよ、しかも急いで」と苛立ちを滲ませながら仰向けになった。
「どうして?我々は15歳以上歳の離れた男女にしては結構仲が良い方だろう?これはほとんど奇跡的だよ。知り合ってまだ間もないし、急速に親しくなったと言えるレベルだと思うけどな」
「・・全然足りない。これじゃ補えないよ・・時間も足りない。間に合わない」
「ん?別に締め切りのある関係じゃないだろ?」
「ううん、ある。今年中じゃないとダメなの、年が明けると全ては手遅れになる。」
「・・手遅れ?」
「そう。年内に輪を繋げて円にならないと・・ほどけてしまうの」
「解ける?・・悪いけど、言ってる意味が全く分からないよ」
「うん・・そうだよね、アタシも分からない。でも口から勝手に言葉が出てくる。」
沢口明菜は天井の一点を見つめながら喋り出した。
「ワレワレは闇から生まれた光、光から生まれた闇、二極なるモノは一つ。一つがゆえに別れ、分かれるがゆえにまた戻ろうとする」
その声は普段の彼女の若く美しい声とはまるで似ても似つかない、とても深い場所から聞こえてくるマグマの胎動のような音だった。
「天から落ちて地に潜り、芽となって花を咲かせ、大木に育ちまた天に昇る。ワレワレはそれを幾度となく繰り返し、永遠の時を経てまた一つになる。魂はその為に枝分かれ、その為に集束す。カイエダ・モンターメ、カイエダ・モンターメ」
「カイエ・・なんだって!?」と俺が体を起こそうとしたその刹那、沢口明菜は飛び上がるように布団から立ち上がり、一瞬で俺の上に馬乗りになった。
「おい!どうした!!」
俺は彼女の体を押し退けようとしたが何故か腕に力が入らず、逆に彼女に両手首を掴まれて抑え付けられてしまった。・・まさか、すごい力だ・・これでも軍隊格闘技を習ってて、ヤクザとだってやり合えるのに・・・。
沢口明菜の顔を見上げると、さっきまでの透明感のある瞳ではなく、目の色が全て真っ黒に変わっていた。そして半開きの口からは涎が垂れ、俺の首元に雫が数滴落ちてきた。
「おい!おい!大丈夫か!?」と俺が声をかけても、彼女の黒い瞳には言葉が届いているようには思えない。足をバタつかせてもビクともせず、軽いとはいえ全体重が胸に圧し掛かり、呼吸も苦しくなってきた。
彼女は俺に向かって唾を吐きかけながら「年が明ければ二つの要素に三つ目が加わる・・三つの力が繋がり回転を始め、速度は上がり次元は上昇する・・二つだけでは置いて行かれる」と言った。
「な、なんだ、それは・・・」
俺はとりあえず掴まれた腕を引き剝がそうとしたが、向こうの人間とは思えない力とこちらの体の異常でやはりどうにもならなかった。
「クソッ・・・おい!明菜っ!明菜っ!!正気に戻れ、明菜!!」そう声をかけると、一瞬彼女の瞳の色が元に戻った。
そして「やっと・・名前で呼んでくれたね」といつもの声で言った。
「どうしたんだ?!・・くっそ、体も動かないんだ・・」
「ごめん・・さっきやかんのお茶に・・薬を・・」と沢口明菜は言った。
「な、なんだ!?何か入れたのか?」
俺の手は痺れてもう指を握る事さえ出来ない。
「ごめん・・アタシにももう、どうする事も出来ない・・」
そう言ったのを最後に沢口明菜の目はまた漆黒の闇に覆われ、その少女とは思えない怪力を宿した両腕が今度は俺の首をきつく絞め出した。




