(102)曖昧さを許容出来るようになるのが大人になるって事
「悪しき所業?」
「それについてはお主は知らんでいい。この土地のもんの問題じゃて。」
「えっ、そこまで聞いたら知りたいよ」
「んや、言わん。」
「アキちゃんのケチ!」
「誰がケチじゃ!こんな年の瀬に部屋まで特別に貸してやっとるのに!」
「あ、そうだった、マジごめん!・・でも知りたいなー」
「・・あのな、何でもかんでも知ろうとせんでええ。今じゃなんでも簡単に調べられるが、知ってしまうという事はとても危険な事なんじゃ。・・些細な事でも知っていると知らんとでは、その間に大きな差がある。知る前と知った後ではその人間が全くの別人になってしまう事もある。お主がこの土地の過去について知ってしまったら、ここへ来た意味が変わってしまうかも知れんぞ。お主はお主なりの目的があってここへ来たんと違うか?」
「・・・うん、そうだね・・」
「その件はもうええ、仕舞じゃ。」
「わかった。・・でも、カズには大事な事なんだと思うの、こっち来てからなんか色々忘れちゃってるみたいでさ・・なんとか思い出せないかなぁ」
「ワシにはわからんな・・・例えお主が、あやつが忘れとる事を1から説明したところで、それをしっかり認識して記憶しておく事は多分できんじゃろう。それぐらい強い結界・・御手数がこの土地にはかかっておるんじや・・ワシらの及ぶところではない・・この辺りは全て、灰烏の手の中じゃ」
「灰烏!!」と大声を上げながら明菜は湯船から立ち上がった。
そうだ!確かにアキちゃんはあの時、灰烏って言った!!さっき学校の裏に現れた子供の事もカズは灰烏って言ってた・・・一体なんなの灰烏って?!ただの地元の人じゃないの??
その時、脱衣所のドアが開き何者かが入ってくるような音がした。明菜は焦って湯船に浸かり「誰?!アキちゃん?」と声をかけた・・・だが返答はない。
「ねぇ誰!?、もしかしてカズ?!・・って事はないよね?」
しかしそれでも返答はなく、何者かの気配は風呂場のガラス戸の近くまでヒタヒタとにじり寄ってくる。
「ちょっ、ちょっと!ここ一人用だよ、しかも今カワイイ女の子が入ってるんだけど!!」と明菜が声を上げると、器用に鼻で引き戸を横にズラして、エルビスがトコトコと中に入って来た。
「な、なんだー、エルビスかー!、焦ったー・・・でも良かったよ、二つの意味で。」
その小さな猪は湯船のすぐ横にあった空の桶の中に入り、明菜に何かを合図するような表情をした。
「ふーん、なるほど。あんたも温まりたいってか」
明菜は手桶でウリ坊が収まっている桶の中に湯船からお湯を汲んで3杯ほど入れてやった。するとエルビスは満足そうに膝を折り、目をトロンとさせてくつろいだ。
「マジ、あんたも生きてて良かったわ」
そう言って明菜はもう一度湯船に浸かり直し、今度はノアール・ホテルでのバンバとの会話を思い出した。
・・・確かあの時、サッちゃんは(ワタシが結界を張った)って言ってた・・最初は意味が分からなかったけど、それってやっぱりアキちゃんが朝に言ってた、この辺の空を囲んでいる膜の事だよね?・・でもサッちゃんは(その結界を張ったのはワタシであってワタシではない)とも言ってたっけ・・・あれはどういう意味なんだろう?・・もしかしてアタシの、人を入れ替える(チェンジ)の力とも何か関係あるのかなぁ・・・そういえば、御手数っていう言葉も二人共使ってたっけ・・・サッちゃんはアタシの(チェンジ)も御手数だって言ってたし・・J市は不思議な事が起きる土地で、でもW町に近づくほどそういう事を忘れちゃうって言ってたから、多分あのカズの通ってた小学校はかなりW町に近いって事でしょ?あそこに行っちゃったから余計にカズは大事な事を忘れちゃったのかも知んない・・・。
「あ!ヤバ、それって学校に行こうって誘ったアタシのせいじゃん!」と明菜は独り言を言った。傍にいたエルビスは一瞬ピクッと耳を動かした。
・・・でも、ノアールの部屋から出る時にサッちゃんは(アンタがちゃんと思い出させてあげるんやで!)って言ってた・・って事は、アタシがトリガーって事だよね?・・・どうすればいいんだろう?・・説明するだけじゃダメみたいだし、一体何をすればいいのかなぁ・・・。
そんな明菜の苦悩をよそに、エルビスはスクっと桶から立ち上がり、一度体を震わせて水気を取ると、まるで銭湯の常連客のように軽い足取りで風呂場から出て行った。
明菜が湯船から窓を見上げると、外には正円の月がいつもより高く浮かんでいた。しかし月光も結界のせいなのかいつもより幾分暗いように感じた・・・。
ビールを飲み終えて缶をテーブルに置いたと同時に障子が開き、風呂上りの沢口明菜が部屋に戻って来た。
「狭いけどいいお湯だったよ」
彼女は頭にタオルを巻いて、就寝用のスウェット上下を着ている。
「そういえばエルビス生きてた。」
「ああ、俺も会ったよ。」
「マジ?」
「突然部屋に入って来たからビックリしたけどね。喉が乾いているみたいだったから小皿にビールを分けてやったら喜んで飲んで、さっき出て行ったよ」
「うっそ、風呂入ってビールってマジ、親父じゃん」
「ん?」
「ううん、別にいいの。お蕎麦に入ってたお肉がエルビスじゃなくて良かったね」
「そうだな」
「てか、カズもお風呂入る?」
「ああ。でもその前に聞いてほしい話があるんだ」
「アタシも。」
そう言って沢口明菜は俺の横に座布団を置いて座った。シャンプーと湯気の香りが彼女から漂ってきた。
「でも、そっちが先でいいよ」
「分かった。」
俺は彼女の方にノートパソコンの画面を向けた。
「こいつがシタウケだ」
「えっ!!」
それは小学校の卒業式での集合写真で、左端に佇むこれと言って特徴のない少年を俺は指さした。
「こんな写真持ってたの?」と言いながら沢口明菜は液晶画面をのぞき込んだ。
「ああ、実は以前セーラに貰っていたのを忘れていたんだ。・・確かマツシタの葬儀の後・・俺達が再会した日なんだけど、ご飯を食べながら昔話をしていたらセーラが(私、卒業式の写真持ってるよ、送ろうか?)と言ってきてね、俺は正直写真はいらなかったんだけど、彼女が(送るからメールアドレスを教えて)と言って・・」
「よかったじゃん、それで付き合うようになったんだ」
「ああ、それがきっかけかも知れない」
「ああーーー!!」と言って沢口明菜は、俺の肩を数発叩いた。
「やっぱり二人付き合ってたんだー!」
「いてて・・言ってなかったっけ?」
「言ってないよ!てか、なんか小学校の仲良し三人組みたいにずっと言ってごまかしてたけど、アタシ気づいてたからね!そっかー、やっぱ付き合ってたかー」
「ごまかしてはいないけど・・」
「いーや、ごまかしてたね。でも無理よ、女の勘をナメないでほしいわ。・・てか、ただの友達追いかけて地元まで戻ってこないっしょ?」
「そうか・・・」
「でもセーラちゃんだもんね、そりゃテッちゃんもカズも取り合いになるって」
俺は実のところ、沢口明菜がマツシタを大切に思っている事を考慮してその件を話さないようにしていた。・・いや、それだけではなく俺自身がいくら亡くなったからといって、すぐに親友の愛する女性と寝るような人間だと思われたくなかったのかも知れない。けれど話す限りは誠実に答えたい。
「取り合ってはいない。俺がセーラとそういう関係になったのは、マツシタの葬儀で会ってからだから、ごく最近の事だよ」
「ああ、そうか。・・でもどうして再会してすぐ付き合う事になったの?・・てかどっちから告ったの?」
「告白とかはしていない。そもそも付き合っていたとか、正式な恋人だったと言えるのかは微妙なところだ」
「なにそれ?どっちかが付き合おうって言ってないの?」
「言ってない。大人になるとそういう口約束はあまりしなくなるんだ」
「えっ?じゃあどうやって恋愛が始まるの?だってそれじゃあ付き合ってるか分かんないじゃん」
「分からない方が都合がいい場合もある」
「何それ、意味わかんない」
「キミがそう言いたくなる事も分かる。俺も二十代ぐらいまでは同じ考えだったろう。でも三十も半ばを過ぎると、自分にも相手にも責任を持たせたくないという心理が働くんだ。交際イコール結婚という年齢だからね。もちろん全ての人やケースがそうだとは言わないけど、お互いが確定しない立場の方が楽な時がある、年齢とともにそういう相手やケースが時々生まれてしまうんだよ」
「アタシはそんな恋人やだ。友達は友達、恋人は恋人、セフレはセフレがいい」
「あはは、最後のはどっちでもないって事じゃないのか?」
「違うよ、立場はハッキリさせるもん」
「曖昧さを許容出来るようになるのが大人になるって事でもあるんだよ」
「そんな大人になりたくない」
話が大分逸れてきたようだ。
「すまないけど、今はキミと年齢別の恋愛の矛盾について話し合うつもりはないんだ、もう時間も遅いし、俺達は昼間の件で思った以上に消耗しているだろう?キミも話があるって言ってたし、この写真を見てから寝る前に明日以降の簡単なスケジュールを練りたいと思ってるんだけど、どうかな?」
「・・・わかった。」
そう言って沢口明菜はもう一度パソコンの画面で解明度の低い集合写真を見た。
「あ、これカズだ」
「ああ」
「坊主に近いぐらい髪短いけど面影あるね、あっ、これテッちゃん?あはは、テッちゃんそのまんまじゃん!全然変わってない。えーっとセーラちゃんは・・・あ、これか!」
「そう。セーラは少し違うだろう?」
「うん、何て言うか、ハーフって言うよりほとんど外国人だね」
「そうなんだ、この頃は肌も黒いし今のように背も高くなかったから、東南アジアの子供にしか見えないんだ」
「うん、目立つからわかるけど、男の子に見えるぐらいだね。やっぱりアタシがセーラちゃんを・・」
「・・ん?なんだ?」
「ううん、何でもない」
(明菜は自分がセーラを一度チェンジさせた事を言いそうになったが、それは言わない事にした。今その話をしたら恋愛観についてよりも時間を取りそうだったからだ。いずれ言う事になったとしても今じゃなくてもいいだろうと、明菜は自分を納得させた。)
「それで・・この人がシタウケ君なんだよね?」と沢口明菜は左端の少年を指さした。
「そうだ。それほど小さくない六年の時の写真だから俺もマツシタも顔はそんなに変わってないだろう?」
「うん、笑っちゃうぐらいそのまんま。」
「俺も写真を見てそいつがシタウケだとすぐに思い出したんだけど・・・でもどうしても名前は思い出せないんだよ」
「苗字?・・でもそれを思い出して何か意味があるの?」
「分からない。・・だけどこの土地に帰って来てから俺の頭には何かモヤがかかってるような感じがしてずっとそれがストレスなんだ。・・シタウケの苗字ぐらいスッキリ思い出したい」
俺がそう言うと沢口明菜は「だよねぇ」と言いながら、乗り出すように画面に近づいた。彼女が俺達の昔の写真をよく見たところで何かを思い出せるわけでもないのに。
すると沢口明菜は「なーんか・・・」と小さくつぶやきながら写真を拡大した。
「なんだい?協力的なのはありがたいけど、こればっかりは俺が自力で思い出さないといけないからな」
「うーん、でも、なんかこの人見た事あるんだよねー」
「シタウケか?」
「うーん」
写真の中のシタウケは卒業証書を両手で持って、映りたくないのかほとんど真横になるほど体を曲げて斜に構えている。当時の子供に多かったスポーツ刈りと言われる髪型で、どこのパーツも印象的ではない顔立ち、陰鬱な視線。中くらいの背丈に卒業式だからと無理やり着せられたピカピカのブレザー。写真の中に映っている誰もが彼の事をほとんど気にしていないようだ。
その時、沢口明菜が「あっ!」と声を上げた。
「いや、でも、嘘・・そんなはずないよね」
「何がだ?」
「うん、でもなー、めっちゃ似てるんだよなー」
「何だよ」
拡大されたシタウケの顔のアップ画像を、今度は遠目に見ながら沢口明菜は腕を組んだ。
「うーーん。もしかしたらアタシ、この人に会った事あるかもしんない」
「ええっ?いくらなんでもそんな事はないだろう・・」
俺は体を少し後ろに倒して両手を畳についた。この時俺は、正直彼女の言葉をバカにしていた。
「いや、マジ。シタウケ君も顔変わってないよ、カズやテッちゃんと同じぐらい。」
「キミが大人になったシタウケに会った事があるって?そんな馬鹿なこと・・・」
沢口明菜は画面にキスをするのかと思うほど近づいた。
「うん、やっぱりそうだ。この目つき、全然変わってない」
「ん?」
すると沢口明菜は俺の方を向いてこう言った。
「この人、ロックシンガーのジョニー蒼だよ。」




