(100)特にイノシシを使った鍋なんて最高だよ
俺は立ち上がって彼女が指差す方向を見つめたが、何者かがいるようには見えなかった。
「どこだ?」
「あそこ!あの、少し右側の枯れた木と木の間、なんか光ってない?」そう言いながら沢口明菜は金網の方へと歩を進めた。
「待て、俺が行くからキミはここにいるんだ」
「なんで?」
「いいから」
俺は沢口明菜を置いて中庭の端まで向かった。「もう少し右の細い木の横!」と後方から彼女の声が聞こえる。
金網の前に立つと鬱蒼とした木々の奥に、木漏れ日を反射してぼんやりと光る小さな塊が見えた。それはまるで光の屈折を利用して姿を眩ます最新の軍事用ユニフォームのようだ。
俺はその何かと正対する為に金網に鼻を擦り付けるほど近づいて、そのまま少しずつ右側に移動した。光る存在はそれと反対に左にゆっくりと動いて、木の合間からわざと俺に見えるようにその姿を現した。
「・・・子供?!」
それは淡い灰色の着物を着た女児だった。髪はおかっぱ、小柄で年齢は十歳前後といったところか。金網から5メートルほど先の森の中で、戸惑うような表情を浮かべて立っている。そこで俺は元投手のサイゴウの話を思い出した。(・・居間に行くと、親戚のおじさん夫婦の間に銀色の着物を着た小柄な老婆がいました。それが・・・)銀色の着物!・・灰烏家の人間だ!!
「キミ!ちょっといいかな」と俺が声をかけるとその子供はくるりと踵を返し、森の奥へと走って行った。俺は金網にしがみ付いて「待ってくれ!キミは灰烏の人間だろ、少し話を聞かせてくれ!」と叫んだが、その声は子供と共に森林の中に吸い込まれて行った。
「くそう!」俺は足をかけて金網を登ろうとしたが、その途端に激しい頭痛に襲われて、その場に膝をついた。するとすぐに後ろから沢口明菜が駆けつけてくれた。
「大丈夫?何だったの?」
「子供だった・・多分、灰烏家の・・」
「灰烏?」
「ああ・・W町の集落の方にいる地元住民らしい・・サイゴウに聞いたんだ・・」
「そうなんだ・・その灰烏の子が何なの?」
「分からない・・とても重要な人間だった気がするんだが・・うまく思い出せない・・サイゴウの話も・・今は・・」俺は両手で頭を押さえた。
「大丈夫?すごく辛そうだよ、頭痛い?」
「ちょっと異常なほどの頭痛だ・・あの子供に・・いや、山の方に近づいたせいか・・」
「分かる。アタシもさっきより眩暈がするから・・とりあえず校舎の方に戻ろ」
「あ、ああ・・すまない」
沢口明菜は俺の腕を抱えて立ち上がらせてくれた。そして俺達は校舎に進み、フラフラと図書室に入った。
図書室内に残されていた椅子とテーブルにそれぞれ腰かけて一息つくと、さっきよりお互いの症状が幾分軽くなっている事に気づいた。それでも今は、これ以上捜索出来るほどのエネルギーが残っているとは思えない。俺達は子供の追跡とセーラの痕跡探しを諦め、一旦民宿に戻って飯でも食べてから午後の行動を考えるという方向で一致した。
来た道順を遡るように、廊下を進んで北側4-3の教室に向かい、割れた窓を跨いで校舎の外に出て、回転草が吹き転がるメキシコの荒野のように乾燥した校庭を、俺達は足早に横断した。歩いている途中、眩暈は平気か?と訊くと、沢口明菜は「うん、お腹空いてただけかも!もう1時は過ぎてるよね?帰ったら2時ぐらいか・・ちょっと遅いランチだね、何食べたい?アタシはカレーかなぁ」と、なぜか俺を励ますかのように違う話題を明るく話した。
門の前に着き、さっきと同じく端の方の少し捲れた金網の部分から、まず沢口明菜が脱出した。するとすぐに外で「ええっ!どういうこと!!」という彼女の叫び声が聞こえた。
俺は慌てて「どうした!?大丈夫か!」と声をかけながら来た時同様、ジャケットを少し金網に引っ掛けつつも急いで外に出た。そして俺も思わず「うおっ!」と大きな声を上げてしまった。校内から出た途端、外の景色が一変していたのだ。
辺りは暗く、空には星々が瞬き、遠くには民家の明かりがチラホラ灯り・・・完全に周囲には夜の帳が下りていた。
「そんなバカな・・・」
呆然と立ち尽くす俺の腕に、沢口明菜はしっかりとしがみ付き「ねぇ・・さっきまでお昼だったよね?・・こ・・怖すぎるんだけど」と言った。間違いない。ここに来たのは正午過ぎだった。校内に滞在していた時間も、どう考えても一時間以内だ。時々映画館や施設に入って出て来た時に同じような感覚に襲われる事があるが、それはあくまで室内のケースで・・・。
俺は袖をめくって腕時計を見た。セーラの前に交際していた恋人から誕生日の時に貰ったGーショック・スピードモデルの液晶は、18:33と表示している。携帯電話も見たがやはり全く同じ時刻だった。
「今は6時半らしい」
「嘘でしょ!?だって絶対さっきまで明るかったし!」
そう言うと沢口明菜は俺の腕を離し、出て来たばかりの金網を潜ってまた校内に入った。
「おい!待て!!」と俺が危惧する間もなく、彼女はすぐに戻って来て「あっちもちゃんと夜だったよ」と言った。俺は心底安心した。向こうとこちらが違う世界になっていて、俺達はもう二度と会えないのではと思ったからだ。
そんなこっちの胸を見透かすように、沢口明菜は「焦ってやんの。カワイっ」と言った。
「俺達は普通じゃない所にいるんだ、それはキミも分かってるだろ?もう少し気を付けてくれ」と言うと「んんー、だね!」とまるで他人事のように返事をした。
灯りもなく、徒歩でしか来られないエリアから車道に向かいながら、俺は電話でタクシーを呼んだ。今から3キロほどの距離を歩いて帰るには疲れすぎていたし、まだ頭痛も残っていたからだ。電話を切ってから相当待つだろうという覚悟をして、いい歳の大人だが地べたに座り込んでしまおうかと思っていたところ、ものの5分でタクシーはやって来た。そして運転手はやはり、あの数日前に俺達を民宿まで乗せた初老の男性だった。
「タイミングが良かったね、こんな場所で大晦日にタクシーなんて捕まらないよ、俺は今丁度近くでご飯を食べていたんだ」と運転手は言った。
「え?おじさん、この辺にご飯屋さんあるの!?」と後部座席から沢口明菜が訊いた。
「いやぁこの辺には何もないよ、おじさんは知り合いの農家の家でご馳走になってたんだ・・・あ、あれ?つい最近も誰かとこんな会話したなぁ・・」
「そうなんだ、やっぱ駅の方まで戻らないとダメかなぁー」と空腹の沢口明菜は意気消沈した。
「そういや、アンタたち、この間も夜にこの辺で乗せたよな?俺覚えてるよ。野田さんとこの民宿に泊ってんだろ?野田さんに夕飯作って貰えばいいんじゃねぇか?」
「えっ?アキちゃん、料理すんの?」
「アキ・・?野田さんのことだよな?野田さんの飯、めちゃくちゃ美味いぞ、特にイノシシを使った鍋なんて最高だよ!」と自慢げに運転手が言った。
沢口明菜は俺の方を向いて「エルビス食べちゃうの?」と言って悪そうな顔をした。
俺が運転手に「我々は素泊まりの予約なんですよ」と言うと、男性は「いやいや、あの人料理好きだから頼めばやってくれるって。別料金だろうけど言ってみなよ、何でも美味いから」と言った。
「そうしよっか?」と沢口明菜が言った。俺も食事処を探す手間を考えればその方がいいと思った。それに彼女が頼めばノダさんはきっと料理を作ってくれる。
「もしかしてアンタらも弔事だったの?」と運転手がいきなり話題を変えた。
「えっ?」
「いや、昨日かな?二人組の男性を乗せたんだよ。丁度さっきアンタ達を拾った辺りでね。こんな所に来る人間なんてほとんどいないからさ、見るからに県外の人だったし、親戚とかで同じ目的なのかなって。」
「どんな人でした?」と俺は狭い車内には合っていない少し大きな声で言った。沢口明菜はビクっとした後、俺を肘で小突いた。
「そうだなぁ~、二人とも暗めのコートにスーツ姿で・・まぁ弔事ならみんなそんな感じかぁ」
「年齢は?」
「うーん、年上の方は60前ぐらいかな・・若い方は30・・これも手前ってとこだね」
俺はその組み合わせの二人組に覚えがあった。
「もしかして年上の方はしかめっ面・・というか常に難しい顔をしていて、若い方は細いフレームの眼鏡をかけてお喋りでしたか?」
「あっ、ああ、そうそう!そうだね!・・やっぱりアンタたちの親戚?」
俺と沢口明菜は運転手の言葉を無視して顔を見合わせた。あの、刑事達だ!!
・・だとすると、教室にあった靴の跡もあの二人で間違いない。・・なるほど、セーラを追って、もう学校まで突き止めていたのか・・・しかし彼らがいかに優秀な刑事だとしても、中庭の木の下に埋めた新聞の事は流石に知らないはずだ・・・それなら土を掘り返したのは一体誰なんだ?・・・。




