(99)教室を浮遊する一匹のクラゲ
*幼少期の記述においては(2)マツシタ(3)ニュース をご参照ください。
「そう・・シタウケは無口なヤツだったよ。転校当初のマツシタのように自ら他者との断絶を選んでいるというわけではないようだったけど、彼にも特定の親しい友達がいなくてね、クラスの中では浮いた存在だった。なんというか・・とにかく影の薄い奴で、もちろん教師が朝の出席を取れば返事をするけど、それ以降はあまり声も発さず、誰もが一日のうちで彼を意識する事は少なかった。勉強も運動も良くも悪くもない。悪事もせず、かと言って何かの足しにもならない。言っちゃ悪いけどシタウケは教室を浮遊する一匹のクラゲ、という印象だったんだ。」
「あはは、めちゃくちゃ言うじゃん」と沢口明菜は笑った。
「でも、けして悪い奴じゃないんだよ、ただあまりにも印象が薄くてね。正直顔すら思い出せない」
「髪型は?」
「短かったような・・・長くは・・なかったと思う」
「えー、そんなに覚えてないんだ?!カズの記憶力が悪いだけじゃないの?」
「違うと思う。俺は自分で言うのもなんだが、元々人に関する記憶はかなり良い方だ。特別な才能はないけど、そのお陰でジャーナリストになれたようなものだしね。それにマツシタもセーラも、昔話をしている時に一度もシタウケの名前は出さなかった。彼らにとっても印象は同じだったと思う」
「まぁそういう人いるよね」
「そんな、誰にも興味を示されず、誰にも興味を示さないシタウケが、唯一俺達のやっている新聞作りには大きく関心を示していた。放課後の教室やこの図書室で俺とマツシタがあーだこーだ言って紙面作りをしていると、どこからかシタウケがフラっと現れて、その様子をいつも遠巻きに見つめていた。最初煙たがっていたマツシタだったが、マツシタの描く4コマ漫画<ミイラのマミーくん>を毎回シタウケがとにかく楽しみにしている事が分かってね、マツシタも(コイツが見てたって邪魔にはならないな)と言って、見学を許したんだ。それである日俺が(一緒に新聞作るか?)と訊いてみたらシタウケは強く頷いた。アイツに意志のような物を感じたのはそれが初めてだったよ。(じゃあ記事を書くか?)と訊くと首を横に振る。(絵を描けるか?)と訊いても首を横に振る。じゃあ一体何が出来るんだ?何がしたいんだと訊いても大した返答はない。そうしたらマツシタが(とりあえずこの号はもう出来るから完成したらコピーを取って来てくれ)と言ったんだ。するとシタウケは喜んで、原稿を渡すとあっという間に一人で職員室に行って大量のコピーを取って来た。それを見たマツシタが(オマエは下請け企業みたいだな)と言って、それ以来俺達はアイツをシタウケと呼ぶようになったんだ。」
「あはっ、そうなんだ!」
「それからは毎号完成するとメンソレ…あ、セーラの事だけど、メンソレとシタウケがコピーした新聞を学校中に配布してくれた。もちろん俺とマツシタも手伝ったけど、大人や学校外にまで読者が拡大していったのは彼らの力が大きいね。」
「そっか・・楽しい思い出だね・・・アタシにはそういうのないな・・羨ましいや」そう言って沢口明菜は机から飛び降りて戻って来た。よく見るとその手には一枚の古びた紙切れが握られていた。
「それは?」
「え?ああ、これ、そこのおっきい机の中に入ってたよ、結構古そう。でもただのゴミでしょ?」そう言いながら沢口明菜は俺に紙を渡した。
それは破れて借り手の名前が分からない、20年以上前の図書室の貸出しカードだった。
ー 1993年 6/3 竜神家の一族 6/6 六つ墓村 6/9 獄門烏 ー 以下は字も掠れて読めない。
「ははは、この生徒は急に縦溝作品にハマったんだな」と俺は言った。
「三日おきに新しい本を借りている。まるで昔の自分を見るようで好感が持てるよ」
「何それ?縦溝って誰?」そう言いながら沢口明菜は俺の手の中の図書カードを覗き込んだ。
「縦溝正次、古い推理作家だよ。映画化もされて大ヒットした竜神家の一族や六つ墓村を知らないか?」
沢口明菜は肩をすくめた。
「そうか・・マツシタの漫画にもかなり影響を与えてるはずだけど。・・そもそも俺とマツシタが仲良くなったきっかけもお互いが縦溝ファンだったからなんだ」
「へー、今度読んでみようかな。・・文字多い?」
「ああ。字も多いし、昔の作品だからある程度時代背景が分かってないと読みづらいかも知れない」
「えー!やっぱ無理かも。アタシ一回も厚い本読み切れた事ないんだよね」
「じゃあ映画にすればいい。うちにも縦溝作品のDVDは何本かあるから今度貸すよ」
「カズんちで観る」
「どうして?」
「怖いもん」
「そんなに・・怖くないよ」
「うそ!絶対嘘!今の間は怖いやつだよ!東京戻ったらカズんち行くからね・・そうだ、アリスちゃんと三人で観よ!ポップコーンでも食べながらさ」
それはなんだか少し楽しそうだなと思った俺は、その機会が永遠に訪れないだろうと分かっていたものの「ああ」と応えた。
「でもやっぱり思い出すな・・俺達の学級新聞はオカルトやミステリー、超常現象なんかの記事を中心に書いていたんだけど、六年になって最初の新聞は気合を入れて縦溝シリーズの大特集をやったんだよ。初心に返ってという感じでね。そうしたら新聞が出来上がった次の日、突然担任の教師にイチャモンを付けられて、発刊する直前に俺達の新聞は打ち切りになってしまったんだ。」
「え?なにそれ!?出せなかったの?」
「ああ。でも休刊じゃないよ、廃刊だ。俺達の新聞作りはその瞬間に終わったんだよ。」
「ひどい!でも、なんで?!」
沢口明菜は俺のジャケットの裾を掴んだ。無意識に痛みを共有してしまったのだろう。
「分からない。書いた内容が何か不適切だったのか、はたまた担任が前日に恋人に振られただけなのか・・いずれにせよ、今でも俺とマツシタの心のどこかにはその件がひっかかっている事は間違いない。今セーラがどう思っているかは分からないけど、打ち切りが決まった時、彼女もこの図書室で号泣していた・・シタウケはただでさえ普段から少ない表情が、顔から完全に消え去っていた・・そして俺達は、最後の記念にその発行出来なかった最新号の原板を小さく四つ折りにして、セーラがどこかから持ってきたクッキーの缶に入れて、あの・・・」と言って俺は、廊下の外を指さした。
「中庭の木の根元に埋めたんだ。」
えっ?!と言ったのは、沢口明菜ではなく話した俺の方だった。今の言葉を発するまでその事柄全てを忘れていた自分に驚いたからだ。・・・そうだ、シタウケがスコップで穴を掘って、俺達は手書きの新聞を、目に涙を浮かべながら確かに埋めた・・・あの木の下に・・。
東から山肌を撫でた木漏れ日が差し込む四角い中庭には、もう枯れて生きている様には見えない太いヒマラヤスギがあの頃と同じ場所で静かに佇んでいる。
「行ってみよ」と言って沢口明菜は俺の手首をつかんだ。俺達は図書室から廊下に出て中庭に向かった。
その場所は以前と同じ広さのはずなのになぜか妙に小さくなっているように感じた。花どころか雑草一つ生えていないが、太い木を囲むように小さい花壇が配置されている様子はあの頃と何も変わらない。そして何も変わらないことがもう一つ・・・。
「どうしたの?」と沢口明菜は俺の様子を見て言った。無意識に右手がこめかみを擦っていたのだ。
「ああ、大丈夫。・・ただ、この中庭に来るといつも片頭痛がするんだよ。だから俺はこの場所が昔からあまり好きではなかった」
「そうなんだ・・そう言われると、確かにアタシもちょっと眩暈がするような気がする。校舎に囲まれて風が入らないからかな?・・」
「そうかも知れない。とにかくやるべき事を済ませてさっさと戻ろう」
俺達はヒマラヤスギの植えてある根の辺りの土を調べた。するとすぐに沢口明菜が「カズ!」と声を上げた。
「ああ。」
そこには明らかな掘り返しの跡があった。しかもどう見ても新しい、つい最近誰かが掘ったであろう土の変色した痕跡だった。
「・・セーラちゃんかな?」と沢口明菜は言った。
「さぁ」
俺は適当に落ちていた枯れ枝を拾ってその場所を削ってみた。・・・誰かが先に掘った土は柔らかく簡単に掘り進められたが、しかししばらく掘ってみても特に何かに当たる様子は見られなかった。
「これほど深くは埋めてないはず・・」
「誰かが持ってっちゃったのかな」
「うーん・・・」俺は枝を捨てて考察を説明した。
「俺達が新聞を埋めたのは20年以上も前の事だから、普通に考えればもっと前に掘り起こされてたり、花の植え替えや土の入れ替えの時に見つかって捨てられている可能性が高い。問題は最近(確認に来た誰かがいる)という事だ」
「やっぱセーラちゃんだよ!」と沢口明菜は立ち上がって言った。
「・・・いや、違うかも知れない」
「なんで?」
「さっきキミには言わなかったけど、俺達が侵入した北側の窓の付近に足跡があったんだ。それは明らかに男性の物で複数だった」
「何それ!?怖いんだけど!」
「ああ、不安にさせたくなくて言わなかった。きっと肝試しとかそういう遊び半分で来た連中だろうし、足跡も昨日以前の物だったから」
「でも、言ってよ!」
「分かった、次からは言う。」
「じゃあその人達が掘り返したのかな?」
「かも知れない・・でも、そう考えればその方がおかしい。新聞を埋めた事を知っているのは俺とマツシタとセーラ、あとはシタウケだけだから。何も知らない複数の男性が、昨日今日わざわざこんな所まで来てピンポイントでこの場所を掘り返す理由がない。」
「そっか・・・でもシタウケさんっていう可能性はないの?友達と一緒に思い出巡りをしたとか・・」
「もちろんその可能性はゼロじゃない。でも少なくとも俺の知ってるシタウケがあの新聞を誰かと一緒に掘り返しに来たというイメージは全く湧かないよ。いつも一人でいてとっても受け身な奴だったから。新聞製作をメインでしていた俺達を出し抜いてそんな能動的な行動をするとはどうして思えない。しかもこんな年末の、8年ぶりに俺が帰って来たという絶妙なタイミングで・・・。」
・・一体何が起こってるんだ?・・・もしかして俺たち以外にこの場所を知っている人間がいるのか?・・・関係ない人間があんな物を見つけても、なんの足しにもならないのに・・・俺の頭痛は少しずつズンズンと脳幹に響くように強くなってきた。
その時、立っていた沢口明菜が東側の金網の方を見て突然声を上げた。
「あっ!誰かいる!!」




