(98)完全に抹消していた記憶の扉が開く音を聴いた。
校門はSL機関車を想起させるあの、懐かしい重厚な鉄製の門は撤去されていて、その代わりに高さ2メートルほどの金網が敷地を覆うように張り巡らされていた。
「ここがカズやテッちゃんの母校なんだ・・・」と言いながら、沢口明菜はぴょんぴょんと跳ねて校内を確認しようとした。
「ああ・・でもこれじゃ入れないな、外から校舎を眺めるぐらいしか・・・」と俺が言うと、突然
沢口明菜が「あっ!」と声を上げた。
「ここ、金網切れてるよ、入れそう!」
「なんだって?」
確かに残っていたコンクリート製の塀の一部と金網の間に、少し開けば人が入れそうな箇所があった。それはパッと見では分からないように隠されていたが、鉄線の切り口は鋭利で明らかに人為的に剥離されていた。
「切り口が真新しい・・これは最近誰かがやったものだ」
「うっそ!・・セーラちゃんかな?」
「・・まさか。」
俺の知っているセーラは、何かを破壊してまで自分の欲求を成し遂げようとする人間ではない。
「とりあえず中へ行ってみよ。アタシ158cmだから簡単に入れると思う」
そう言って沢口明菜は体を屈めて素早く校内へと入っていった。
「おいおい、警備の人間やカメラがあるかも知れないぞ」と俺は言ったが、それはあくまで彼女への注意喚起で、どちらもあるはずがない事は地元の人間である自分がよく分かっていた。そして175cmの俺は、6年もの間、駆け込むように簡単に登校していた母校に、金網を押し曲げて何とか忍び込んだ。
校庭も校舎も当時と驚くほど変わっていなかった。けして広くない乾いた茶色いグランド。建物は増築も改築もされた跡はなく、雨風にさらされてきた年月相応に痛んでいる姿はまるで、俺が卒業から今日まで体験した時間経過そのものだった。
「変わってないな・・」と独り言を言いながら俺は、校舎に向かって駆け出して行った沢口明菜をゆっくりと追いかけた。
10メートルほど先からこちらを振り返って「入口どこー」と沢口明菜が叫んだ。
「分かりづらいだろー?変な造りなんだよ、この学校は。そのまま花壇を右に曲がって・・」と言うと、彼女は最後まで聞かずにその方向にさっさと走って行った。
仕方なく小走りで玄関に向かうと沢口明菜は入口の様子を伺いながら「ここの扉も閉まってるね」と言った。
「まぁそうだろうな・・でもさっき割れてる窓ガラスがあったからそこから入ってしまおう。多分四年生の教室辺りだと思うけど・・・」俺たちは少し来た道を引き返した。
校庭から南側の校舎に繋がる地面に、申し訳程度の石材に囲まれた花壇があり、その裏が一階の4年~6年の教室だった。窓ガラスは軒並みひび割れていたが、一枚だけ大きく枠ごと壊れている窓があった。
「ここも少し不自然な感じがするな・・」と俺が警戒していると、沢口明菜は横からすり抜けるように窓を跨いで躊躇なく校内へ侵入した。
「おいおい・・一応これは不法侵入なんだぞ」と言いながら俺も中に入った。
日が高い時間だったので、自然光だけで十分教室の中は見渡せた。誇りまみれの椅子三脚、勉強机二台、落書きも何も残っていない白く汚れた黒板と、壁には打ち残された無数の画鋲たち・・・割れた窓から入る太陽の光が、空中を舞っている埃をサーチライトのように照らし出し、そこで浮遊する塵達は渦を巻いた気流を楽しんでいる微生物のように見える。
「兵どもが夢の跡か・・・」そう、感傷に浸る俺の気持ちを一刀両断するように沢口明菜は「なんもないね!」と大声を出した。
「そうだな・・」しかし窓の下の床をよく見てみると、うっすら靴の形のような跡があった。
「よし、次行こう!」そう言って沢口明菜は廊下に出ると、俺を置き去りにして隣のクラスに向かった。
俺はしゃがんで窓から教室に続いていく足跡らしき痕跡を確認した。・・・やはり校庭の砂がほんの少し靴形に残っている・・・どうやら俺達と同じルートでこの窓から教室に入った人間がいたらしい・・外の金網を切ったのもこいつらの仕業か・・・大きさから見て男性・・・ソールからするとスニーカーではないな・・複数ある・・・全てほぼ同じサイズ、ほぼ同じ形状の革靴と思われる靴底・・だが、これは一人の物じゃない・・・二、三人の男が俺達のようにこの窓から入って来て・・・。しかし乾燥した砂粒は数歩分残っていたが、教室の中心部辺りになるとすっかり消え去っていた。・・・足取りを追えるほどは残っていないか・・・ただの肝試しの若者たちか、県外から来た廃墟マニアかも知れない。いずれにせよ、ごく最近の物で、複数の男性の足跡だ。セーラの物ではない。
すると廊下から「こっちもなんもなーい!」という沢口明菜の声がした。
俺は廊下に出て自分が今いた教室の番号を確認した。
<4-3>
・・・そうか、ここは俺達のクラスだったのか・・。
「4-1,4-2も異常なーし!」と言いながら沢口明菜が走って戻って来た。
「あっちの、五年生の方に行ってみる?」
「ああ。でも五年も六年も3組の教室だけ見ればいいと思う」
「どうして?」
「この学校は生徒数が少なくて俺達の代はクラス替えもマツシタが転校して来た4年の時に一度行われただけなんだ、だから俺達3人はその後もずっと3組だったんだ。」
「そっか。じゃあセーラちゃんがここに来てるとしたら、何かあるのは4年3組か5年3組、6年3組の教室ってことだね」
俺は何もないと思いながらも「そうなるね。」と答えた。
俺たちは廊下を歩いて5-3と6-3の教室を確認した。・・・だが、それらも最初に入った4-3と大した差はなく、教室後部のロッカーや掃除用具入れに、よく分からないゴミが入っている程度の違いしかなかった。そのまま近かった職員室と家庭科室も一応確認したが、やはりそこに残っていた(役目を終えて朽ち果てた備品達)に胸を躍らせる事は出来なかった。
「3人の出会いは4年生の時だよね?」と、歩きながら退屈そうに沢口明菜が言った。きっと彼女はもっとドラマチックな何かが起きる事を期待していたのだろう。
「そうだよ。」
「それなら4-3の教室はやっぱりカズたちにとって思い出深い場所だと思うけど、他にはないの?」
「他かぁ・・それほど印象的な場所は思い当たらないなぁ・・・俺はこう見えて活発なタイプの子供だったから校庭で野球ばかりしてたし、マツシタは他に友達も作らず休み時間も教室で勉強、セーラは色んな委員に入っていてその活動で忙しそうだったし、実際3人の思い出っていうのもあまりないんだよ」
「ふーん・・」
「3人で一緒にいる時間っていったら、学級新聞を書く時ぐらいだったかな」
「学級新聞?」
「ああ。4年の時にマツシタが転校して来て無理やり教師に新聞係をさせられてね・・ほら、小学生の時って何かしらの係とか委員を担当させられるじゃないか」
「あっ!アタシ4年の時は黒板消し係だった!一番楽なやつ」
「おお、それは人気職だ。・・それで詳しい経緯は忘れたけれど、俺も新聞係を手伝うハメになってマツシタと学級新聞を作っていたんだよ」
「へー」
「それがとにかく人気になってね、一時期は学校だけでなく近所中にも配られるようになって・・・」
「何それ、すごい!え?もしかしてテッっちゃん、もう漫画書いてた?」
「うん、ミイラのマミーくんっていう4コマ漫画を描いてて、これも人気だったなー」
「うっそ!その新聞、今残ってたらすごいプレミア物じゃない?!あの人気漫画家の幻のデビュー作でしょ?」
「あはは、確かにそうなるね。それで発行する度にどんどん学級新聞の人気が出てきて、作るのも大変になって面倒見のいいクラス委員のメンソレ・・こと、セーラが手伝ってくれるようになったんだ」
「そうなんだ!セーラちゃん、係掛け持ちとか良いヤツ過ぎ。」
「そうだな、確かセーラは他にも保健係と図書係もやっていたよ」
「うっそ、子供なのに多忙過ぎるんだけど!」
「あはは、セーラらしいだろ?」
「うん。で、その新聞っていうのはどこで書いてたの?教室?カズの家とか?」
「ああ、最初の頃は俺とマツシタだけだったから放課後の教室とかお互いの家に行き来したりして書いてたな・・でも途中からセーラが手伝ってくれて(何かと便利だから)って図書係のセーラの恩恵を受けて図書室をメインに使っていた・・・」
俺と沢口明菜はお互いの顔を見合わせた。
「図書室に行ってみよう」俺がそう言うと、沢口明菜はうんと強く頷いた。
今さっき俺達は会話をしながら素通りしてしまっていたが、建物の真ん中に当たる西側の中心部に図書室はあった。図書室の向いは廊下が開かれていてそのまま中庭に出られる構造だ。なぜ中庭から廊下に出入り出来て、その正面が図書室なのか・・・子供の頃は、風が入ってきて寒いなと思った程度であまり深くは考えなかったが、やはり変な造りの校舎だ。
ドアが開きっぱなしの図書室に入ると椅子も本棚も全て撤去されていて、他の教室以上に殺風景な空間だった。残されているのは壁と一体化した棚と、貸出の受付になる大きなL字の机だけ。ここに何か痕跡を残すのは難しいだろう。同じ印象を持ったのか室内を見渡した沢口明菜が「うーん」と唸った。
「確かに三人で共有した時間が最も長かったのは、この図書室かも知れない。だけど今はあまりに殺風景過ぎて感傷的な気分にもなれないよ」と俺は言った。
「きっとセーラちゃんもそうだろうね」そう言いながら沢口明菜はL字の机の裏側に入っていって、引き出しを探った。
「学級新聞の作り方は二人でテーマを決めて俺がネタを取材して、それをマツシタが絵と文章でまとめる形だった。セーラは記事のチェックをやってくれて教師に確認したり、他のクラスや別の学年にも売り込んでくれてたんだ」
「へー、本格的。・・・でも、すごい発行部数じゃない?普通学級新聞ってクラス内だけでしょ?」
「そうだね。内輪ネタで完結するのが普通だろう。でも俺達は、映画やオカルトや流行の物を取り上げて記事にしたり、マツシタの漫画を連載したりして、最初から誰が読んでも面白い新聞を目指して書いていたんだ。それが教師や大人にも受けて、学校だけじゃなくどんどん色んな人に読まれていった・・部数が増えてしまったからコピー担当の人間もいたぐらいで・・・・」
俺はそこで完全に抹消していた記憶の扉が開く音を聴いた。
「3人じゃない・・・」
「えっ?」沢口明菜が机の裏から顔を出した。
「どうして忘れていたんだろう・・・俺達は3人で新聞を作っていたわけじゃなかった・・」
「どういう事?」と、言いながら沢口明菜は机の上に座ってこっちを向いた。
「俺とマツシタ・・そしてメンソレことセーラの他に、もう一人いた・・」
「誰?」
「名前は思い出せない・・でもシタウケというあだ名で呼んでいた男の子がいて、文字通り学級新聞作りの末端の作業・・コピーや配布をやってくれてたんだ」
「・・シタウケ?」
*シタウケ登場エピソードにご興味のある方は(2)マツシタを読み返してみてください。




