xnumx(87)~(88)
(87)他人を犠牲にした幸せを心から喜べるほどにはバカじゃない
高速で進む記憶を遡る逆再生の中で、自分が何を見つけるのか、どこで立ち止まるのかは、明菜自身にももう分からない。すでにそれは顕在意識を使ってコントロール出来るようなスピードをはるかに超えていて、まるでマーブル模様の大きな布が目の前を右から左に飛び去っていくような状態だった。しかし認識出来ないかといえばそういうわけでもなく、凄まじい速度であるにも関わらず、その映し出された映像は細部まで何が起こっているのかしっかりと把握出来る。目で見るわけではなく、これが自分の体験してきたものなのだと身体の隅々が答え合わせをしているようだ。・・・これってもしかして死ぬ前に見る走馬燈ってやつじゃないの?!と明菜は思う。だがその瞬間に映像が突然ゆっくりとスローモーションになる。自分ではない何かが(オマエはその続きを必要としている)と教えてくれる。
そこは真っ白い無機質な部屋だった。白衣を着た人間が3人いる。大きなドラム缶のような銀色の円柱が何本も置かれ、そこに管や配線が無数に繋がれている。何に使うのか分からない大量のデジタル機器も所狭しと設置されている。病院の無菌室と警察の鏡張りの取調室を合わせたような室内は、フィジカル的にも冷たいであろう事を想像させる。ふいに明菜の前に白衣の男の一人が近づいてくる。医者というより科学者のような男だ。そして彼は明菜にこう告げる。
「ご安心ください。マツシタさんの遺体は03番の中で冷凍保存されております。その時が来るまで。」
「わぁっ!」と、明菜は目を瞑ったまま声を出した。
「そうだった!サッちゃん、思い出したよ!」
「なんや?・・モンガーヤ・・」
「アタシ、テッっちゃんを生き返らせたいんだ、今すぐ!」
「そうか?・・モンガーラ・・」
「テッちゃんの凍った体が戻るには、もっと科学の進歩が必要なのかもだけど、アタシ今すぐテッちゃんに会いたいの、その為に友達だったカズに協力して貰おうと今付きまとってるんだよ!」
「そうか・・しかしワタシにはな、カイエダモンターメ・・それだけやなく、もう少し先があるように、モンガーヤ・モンガータ・・思えんねん、モンガーラ・・行き着くとこまで行ったら映像は勝手に止まる、ラシラセッ・・もう少しそうしてなさい、カイエダモンターメ・・」
「・・うん」
明菜は言われるがまま目を瞑って額を突き出した。
ホログラムのように映し出される映像は、より速く、より精巧に、より高密度で明菜の前を通り過ぎていく。瞬間に全てを理解し、そしてまた次の場面へと移る。それを何度も繰り返し、明菜は自分の長くない今世の人生を振り返る。・・・マツシタとの邂逅・・タレントになった自分・・母親へ使ったチェンジの能力・・引っ越し・・父親の死・・チェンジの多用・・同級生の死・・能力の開花・・虐め・・喋らなかった幼少期・・・。頭に浮かぶ物語は緩やかに速度を落とし、まるで砂時計の砂がゆっくりと落ち切るように、コーヒーのドリップのしずくが滴るように、明菜の記憶を辿る旅は静かにポタリと終結した。
バンバは口をつぐみ、手を下ろす。明菜はそれとほぼ同時に静かに目を開いた。
「・・サッちゃん、ありがとう。思い出した・・本当に自分のしたかった事を。」
「そうか・・。」
「アタシね、チェンジを捨てたかったんだ」
「チェンジってなんや?」
「アタシの能力、サッちゃんのオシカツみたいなやつ。」
「お手数や。ヤンちゃまの推し活みたいに言うな」
「そう、それ。もうその能力を本当は捨てたかったんだけど、ずっと自分の気持ちに蓋をしてたみたい」
「そうなんやろな。」
「アタシの力のせいで沢山の人が犠牲になった・・アタシはそれでも自分が幸せならいいと思ってた・・アタシはすっごいバカだった、でも他人を犠牲にした幸せを心から喜べるほどには、アタシはバカじゃない」
「ええやん。めっちゃええ。人間ちゅうのは見なくてはいけない深淵から目を背けるもんや。本当の自分の弱さ、醜さ、課題を他人やら忙しさやらのせいにして誤魔化すねん。ある意味ではそれが上手くなる事を(大人になる)っちゅうのかも知れんけど、実際にはそれが一番遠回りや。人はすべからく与えられた課題をこなす為に生まれて来とるんやから」
「アタシ・・どうすればいいのかな?」
「どうもせんでいい、大丈夫や。アンタJ市に行っとるんやろ?それはあそこに呼ばれたっちゅう事やねん」
「どういう意味?」
「あの土地はな、日本にいる全ての能力者のルーツになっている場所や。強い能力者の血縁や関係者を辿っていけば、結局はあそこに存在する、小さな一つの集落に行き着く。そこでお手数を持った人間が生まれ、時にはお手数を失っていく。そういう土地なんや。力を持ったアンタがあそこに行ったという事は、それはお手数を放棄するべき時が来たっちゅうことやねん。アンタが流れに歯向かわずそのままのアンタとして素直に進んでいけば、全てはアンタの望んだ形になる。本来のアンタのな。・・まぁそうだったと納得するまでにはまだしばらくかかるんやけど。」
「そうなんだ・・・」
「せやねん。J市のK町は繁華街もあるとこやけど、隣のW町・・特に外れの方は特殊な土地でな、アンタもそっちの方に行くまでは目的やらを覚えてたんやろ?」
「うん。田舎の方に行けば行くほど、なんか記憶が曖昧になっていって・・」
「せやねん。あそこは元々不思議な事が沢山起きる土地なんやけど、他の土地からそういう事に興味を持って訪れた者はW町の方に近づけば近づくほど、その事をうまく認識出来なくなんねん。アンタみたいにな」
「そっか、なんでだろう?」
「結界が張られてんねん」
「結界?」
「ああ、中から外に行く者は忘れる。外から中に来る者は覚えておられん。W町の外れにある山間の集落を中心に、渦を巻くように強い結界が張られてんねや。」
「なんでも詳しいんだね、サッちゃんは」
「ワタシが張ったからの」
「えっ!結界を?!」
「せやねん」
「どうやって?」
「・・・わからん」
「なにそれ!」
「しゃーないねん。その結界を張ったワタシは、ワタシであってワタシでないからの」
「どういう事?」
「過去世のワタシか、はたまた別世界のワタシか・・ええねんそれは。それよりアンタそろそろ戻らんとあかんのちゃう?」
「そうかも!でも戻ったらまた忘れちゃわないかな?」
「平気やと思うで。アンタは一度その結界の張られた世界から外れてしもたからの。そして今世の目的も魂の目的も思い出した。完全に一回出てもうたから戻っても結界の力は及ばんと思うわ。要するにいっぺん死んでやり直した感じに近いんとちゃう?」
「やっぱアタシ幽霊じゃん!」
「戻れんかったらホンマにそうなんで。ちゃんと戻る事が大事や」
「そっか・・・」
「ええか?来た道をきっちり同じように、逆回転するように帰るんやで、わかるな?」
「う、うん・・」
「それからな、アンタのお連れさんもきっと目的を忘れてしまっとるやろうから、アンタがちゃんと思い出させてあげるんやで」
「わかった!やってみるよ!」
「ほな帰りなさい。ワタシは約束しとるお客さんがそろそろ来るからな。その後ヤンちゃまのドラマも観なあかんし、忙しいねん」
「わっ、サッちゃんって帰るってなったら意外と淡泊ー」
「やかましいわ。人には(今このタイミングで椅子から立ち上がれ)っちゅう時があんねん。ワタシにはそれが分かる。アンタは今が一番ええ。はよ行きなさい」
「わかったよ、色々ありがとね!」
いつものように明菜は、反動をつけて椅子から飛び上がるようにして立ちあがった。
「元気やなアンタ、半透明のくせに」
「まぁーね、目的さえ分かれば進むのみよ!」
小走りで玄関に向かい、スリッパを履き替え、ドアノブに手をかけながら明菜は振り返って「サッちゃん、また会える?」と訊いた。
「ああ、必ず。いつかのどこかでな」
「よかった!じゃあね、ありがとう!」
「慎重にな、逆回りやで」
「うん」
沢口明菜は741号室のドアを開けて、飛び出したい気持ちを押さえながらゆっくりと廊下に足を入れた。
(88)間違ったフタで閉めてあるビンを見ているような気分
背後で扉の閉まる音がした。空間が密閉されるような静かな吸着音。その瞬間から741号室はさっきまで明菜がいた741号室とは全く変わってしまう。きっと中にはバンバ・サチヲもいないし、美味しいオールドファッションも、コーラもない。もう一度ドアを開けてわざわざ確認しなくて明菜にはそれが分かる。だから振り返らずに、エレベーターに向かってゆっくりと歩き出した。ここがノアールだと確信できる別の理由として、この不思議な空間、廊下の造りがある。ホテルの外観は直線を基調とした一般的なビルディングの長方形に近い形だが、中は何故かほとんど角がなく、丸みのある形状をしているのだ。丁度、削る前の鉛筆を上から見たようなイメージで、外の六角形の部分が外観、芯に当たる黒い部分をもっと太くしたのが人々のいるエリアだと捉えればいいかも知れない。明菜は今その湾曲した、まるで段差のない螺旋階段のような廊下を歩いてエレベーターに向かっている。来た時とは逆の、時計回りで。
気を付けていないと見落とすほど装飾のないエレベーターの前で立ち止まり、明菜は(これまた見落とすほど小さな)↓ボタンを押す。そして、ここまでは順調なはずだと安堵のため息を漏らす。それから自分に言い聞かせる、「なるべき行き道と同じ気持ちでフラットに」と。
すぐに来たエレベーターに乗り込み、自分の部屋があるであろう三階を押す。「なかったらどうしよう」と明菜の頭に一瞬不安がよぎる。せめて窓から景色でも観れたら・・・相変わらず窓がないせいで上がっているのか下がっているのか分からない。そもそもこれはエレベーターではなくて、黒いボックス式のMRI検査機なのかも知れない。そんな突飛な想像をしていると、なぜかエレベーターは五階で音もなく止まった。想定外の出来事に明菜は戸惑う。アドレナリンが放出するのが分かる。だが考えている猶予はなく、すぐに扉が開き誰かが乗って来る気配がする。明菜はすばやくエレベーター内の左の隅に体を移動させる。
乗って来たのは、来る時に会った年齢差のあるカップルだった。そこで明菜は「しまった!」と思う。エレベーターを操作出来る前のポジションにいるべきだったと後悔する。そうすれば、ドアの開閉を早くして先に自分が降りる事も出来たのに。どうせこの男はまた餌である草食動物を見るような目でアタシをいやらしく見つめてくるのだ。
しかしその懸念はすぐに払拭される。何故なら彼らはさっきとは違い、どちらも全く明菜に目を向けてこないからだ。目を向けないどころではない。明菜の存在、彼女がそこにいること自体をまるで認識出来ていないようだ。「どうして?」と明菜は思う。「後ろにいるだけで見えないなんてことある?」しかし、ふと目線を下に落とすと、スリッパを履いた自分の両足がペットボトルに入った水のように無色になっている事に気づく。「えっ!?サッちゃんが半透明って言ってたけど、もうほとんど透明人間じゃん!」明菜は自分が思いのほか(こっち)に長居してしまっていた事に気づく。そして本来自分がいるべき場所に一刻も早く戻らなければならないと思う。
目の前のカップルは扉の前に立ち、二人とも明菜に背を向けて立っている。嫌な柄のマフラーを肩からかけた六十代ぐらいのダークスーツを着た男は、横にいる二十歳前後のキャバ嬢風の若い女のお尻を、ボーリングのマイボールのように撫で回している。明菜は、もし今度どこかで男にこういうお尻の触られ方をしたら、その小指を握って逆方向に折り曲げてやろうと心に誓う。彼らが何をしようと勝手だ。どれほど年齢差があってもお互い愛し合っていれば(彼らはそうではないだろうが)別に他人がとやかく言う必要は全くない。でもなぜ極端な歳の差のあるカップルを見るといつも、間違ったフタで閉めてあるビンを見ているような気分になるのだろう?と明菜は思う。外を歩いている時のアタシとカズも、他人からはそう見えてるのかな・・・。
エレベーターは三階に止まり、彼らは足早に出て行く。まるで世界中に自分たち二人しかいないかのように。「よく考えたら五階から乗って来て三階で降りるってどういう事だろう?自分たちの部屋が五階にあるんだったら一階まで降りるのが普通じゃないかな?そうじゃなくて、例えば五階にバーラウンジとかがあってその帰りなのかな?」そんな事を考えながら明菜自身も三階に降りる。そして扉が閉まると同時に「そうか、あの二人はさっきと同じ行動をとってるんだ!今のが行き道の(アタシに合わなかった本来のバージョン)なんだ」と気づく。
壁に埋め込まれた小さなランプが青い灯りをともらせる薄暗い廊下で、立ち止まったまま明菜は左右の行き先を見比べる。「あれ、どっちから来たんだっけ?」ルームナンバーの標識はなく、どちらに進めば自分の部屋に戻れるのかが分からない。記憶を頼りにいけば左の気がするが、今カップルが暗闇に消えていった右のルートが客室のエリアのような気もする。・・バンバが言っていた(来た道の通りに戻らなければ同じ場所に帰れない)という言葉を思い出し、明菜の心拍数が上がり出す。「間違えちゃいけなんだ。絶対に。それに早くしないと(ここで止まっていること自体がさっきとは違う行動)になっちゃう。悩んではいられない、なるべくスムーズに、来た時の感じで落ち着いて・・・」明菜は今までもそうしてきたように、リラックスする為にSQUEEZEのTemptedのサビを鼻歌で歌う。~ 別の果実の誘惑を試してみて、真実を発見した、いったい何がどうなっていたのか ~ そしてもう一度右の通路を確認してから左の通路を確認する。
すると遠くに微かな光が見える。光は廊下の突き当りのカーブでわずかに揺らめいている。好奇心に飲み込まれて近づかないように足を止めて警戒する。何か尖った棒状の光だ。・・アイドルのライブで応援する時に使うやつ?・・そう思いながら明菜は目を凝らす。おぼろげな灯りが陰影を作り出し、壁に大きな生物の影を映し出している。どうやらその動物の鼻先が光っているようだ。いや・・鼻ではなく角・・「ユニコーンだ!」と明菜は思う。その真っ白い馬の額に生えた長い角の先端がわずかに光り、灯台のように明菜を誘導している。遠くて正確には読み取れないが、その表情はとても優しく母性のような物を感じさせる。そして明菜は安心する。この未知なる生物が何であったとしても、自分はそれと同じエネルギーを今までに感じた事がある。それは見返りを求めない愛であり、安らぎであり、信頼であり、利害を必要としない純粋な交流を可能とする者だけが発する、安定した温かい波動だ。
明菜がそれを受け取った事を確認すると、その動物は大きな体を翻し、視界からゆっくりと消えて行った。明菜はユニコーンを追うように確信を持って左の通路を進み出す。
ほどなくして自分の部屋の扉が見つかる。そして明菜は気負わず、まるで近くのコンビニエンスストアから帰って来た時のような気持ちでそのドアを開け、小さな声で「ただいまー」と言いながら身体を滑り込ませる。
部屋は白く明るい。目がしっかりと開けられないほどだ。壁に掛けられた北欧家具風の大きな時計を薄目で見ると、時刻は夜の9時15分を指していた。「カズと別れてタクシーで帰って来た時と同じ時間だ・・」明菜はリゾート・オハラの369号室へ戻って来た。




