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XNUMX  作者: 一太
42/43

xnumx(79)~(80)

本日から第三部、現代田舎編がスタートになります。

(79)結論から言えばラーメンは美味かった


「久しぶりねぇ、50年振りぐらいかしら?」

 母親のジョークはいつもつまらない。

「10年も経ってないよ・・父さんの三回忌以来だから8年か9年ぐらいかな。カワハラ家は相変わらず?」

「ええ、相変わらずよ。」

 俺は軋む廊下を進み居間に入った。9畳の和室で母親が冬場によくミカンを食べながらテレビを見ている部屋だ。

「お茶入れるわね」

「ああ、ありがとう」

 ・・しかしなぜだろう?最近ここに来たような気がする。変化がないとはいえ、余りにも風景に見覚えがあり過ぎる・・古びた壁にも、なんら違和感を感じない・・俺は首を傾げながら上着をハンガーにかけてコタツに足を入れた。すると一匹の猫がニャーと鳴きながら中から飛び出して来た。猫は母親のいるキッチンへと一目散に駆けて行った。・・・猫はコタツで丸くなるか・・この前猫はいなかった気がするな・・。

 俺はズボンのポケットから携帯を出して自宅にいるであろうアリスにメッセージを送った。


ー こちらは無事に帰省しました。そちらも問題ないかな? ー

 すると、ずっと画面を見ながら待っていたんじゃないかと思うほどのスピードで返信がきた。

ー よかった!こっちは問題ないよ!この借りた携帯もあるし、快適に過ごせてます。あなたがいないからちょっと寂しいけどねww ー

 とりあえず元気の良さそうな返事で安心した。食料や金は俺が戻るまでは足りるはずだが、学校にも行っていないだろうし、彼は何をして過ごしているのだろう?

ー 出かけてないんだろう?暇ではないかい? ー

ー うん、ここには沢山の本や映画のDVDがあるからね!一生かかっても全部見れなそうwとりあえずマトリックス・シリーズは2つ観たし、今はカラマーゾフの兄弟を読んでいるよ! ー

ー それならよかった ー

ー マトリックスは1作目だけで完成してるね!続編を作る意味あったのかな?w ー

 俺はそのメッセージを見て少し笑った。

ー それから使っていいと言ってくれたパソコンで行こうと思ってる専門学校について調べたりしてるよ ー

ー 学校? -

ー うん、ボクのお父さんは美容師だったんだ、だからボクも将来は美容師になろうと思ってて ー

 ・・・そうだったのか。確かに普通の14、5歳は入る高校の事や将来をおぼろげに考える年齢だ。

ー 帰ったらその話を詳しく聞かせてくれ。あと、電話や訪ねてくる人間はいたかな? -

ー わかったw 電話はないよ、朝にチャイムが鳴って郵便ですって言ってたけど出なかった。それで良かったんだよね? ー

ー ああ、それでいい。もしドアポストに不在表が入っていたら、あとでその写真を撮って送ってくれ ー

ー わかった! -

「お茶と中野さんがくれた羊羹よ」と言いながら、どこかの魔女のように肩に猫を乗せて母親が部屋に入って来た。

ー また連絡する ー と俺はアリスにメッセージを打って携帯をしまった。

「その猫はいつからいるの?」と俺は母に訪ねた。

「ん?銀ちゃん?銀ちゃんはねぇ・・3年ぐらい前からかな?」

「そうか・・」それならば俺が見ているはずはない。

「どうしてそういう名前なの?母さんの好きな蒲田行進曲から?」

「違うわよ、見れば分かるでしょ?銀色だからよ」と自分で持ってきた羊羹を先に食べながら母親が言った。

「銀色?」猫はどう見てもくすんだ灰色をしていた。

「兄さんは元気?」

「ヒサヒコ?相変わらずよ」

「そうか。今日はどこかに行ってるの?」

「ううん。工場」

「えっ?こんな年末にまだ働いてるの?」

「もちろん従業員さんはお休みよ。ヒサヒコだけ、なんか溜まってる分があるとか言ってやってんのよ」

「相変わらずだね」

「そう、相変わらずよ」

 兄のヒサヒコは昔から「この仕事が嫌いだ」と言っていた。それなのに親父と一緒に働いていた時も、親父が亡くなってからも、彼は人よりも早く工場に入り、人よりも遅くまで働いていた。俺には何をモチベーションに頑張っているのか、兄の考えが計り知れなかった。

 羊羹を食べ終えたのにまたミカンを剥きながら母親が「あんた夕飯食べてくの?」と訊いてきた。俺の幼少期から飾ってある壁掛け時計に目をやると時刻は夕方五時を回っていた。

「そのつもりだけど?」

「そう・・・」

 母親はなんだかとても面倒くさそうだった。8年ぶりに帰ってきても歓迎はされないか。

「最近お兄ちゃんも大体外で食べてくるから私あんまりご飯作らないのよ」

「そうなんだ。・・・じゃあ俺もどっかで食べてくるよ、駅前にはそれなりに店もあるみたいだし」

「そうして貰える?」

「ああ。でも電話でしばらくやっかいになるって伝えたと思うけど、滞在するのは大丈夫なんだよね?」

「お父さんの部屋なら使えるわよ」

「俺の部屋は?」

「あんたの部屋はお兄ちゃんの部屋でもあったんだから、もう無理よ」

「まぁ、そうか・・」

 今日はここに泊まるとしても、これは早めにどこかに拠点を移した方がよさそうだ。

 ガラガラガラ・・・玄関の引き戸が開く音がした。・・廊下を歩く滑らせるような足音で分かる、兄貴だ。

 母親は「おかえり、今日はもう終わり?」と声をかけたが、兄貴は俺達のいる部屋の横を作業用ツナギのまま素通りして行った。そしてB-3のようなムートンジャケットを羽織って戻って来るとわずかに室内に顔を向けて「飯はいらないから」と言った。母親は「わかってるわよ」と返事をした。それは俺の知らない間にカワハラ家でルーティン化されたやり取りのようだった。兄貴は俺を一瞥して「よう」と言った。俺は「久しぶり」と答えた。白髪が増え少し恰幅の良くなった兄貴は「またな」と言ってさっきと全く同じ引きずるような足音をさせて玄関から出て行った。

 リモコンでテレビを付けた母親に俺は「兄貴どこに行ったの?」と訊いた。すると「わかんない。毎日仕事の後すぐに出かけるのよ、そのまま夜遅くに帰って来るか、朝直接工場に行ってるわ」と答えた。

「彼女かな?」

「さぁ」

 母はテレビを見て笑い出し、俺達の八年振りの会話は大体終わった。とりあえずここではこれ以上する事がないので、俺は携帯と財布を持って家を出る事にした。


 関東より暖かいとはいえ、師走の風は当然冷たい。ましてや田舎は遮る建物が少ないのだ。俺は肩をすくめて歩きながら携帯の履歴を確認した。アリスからー ポストに不在表はなかったよ ーというメッセージが届いていた。・・ん?おかしい。住民のいなかった家に郵便が来て不在表を入れない事があるだろうか?・・・郵便局員のフリをしてまたヒラタでも訪ねて来たのだろうか?・・しかしもう俺に用はないはずだ。というか、今俺に直接会いに来る人間など思い当たらない・・しかも局員を装ってまで・・・だとすると目的はアリス!?もしかして児童養護施設の人間が探しに来たとか?・・いや、それにしては早すぎる、客観的に考えて俺とアリスをつなぐ線はほとんど見当たらないはずだ。GPSが付いていたと思われるアリスの(仕事用)の携帯電話はドラゴンに処分されたらしいし、四六時中彼を見張ってる人間がいなければ俺の家に匿っている事など他人に気づかれるはずはない・・・まてよ、もしかして、そういう人間がいるのか!?

 ・・・俺はふーっと大きく息を吐いた。口から副流煙のような白い息が出て夜風に流されていった。今俺は疑心暗鬼に陥りかけているのかも知れない・・助けたいと思う対象と実際に距離を置いてしまっているせいで、不安感に苛まれているんだ。だが、低い可能性を考えて混乱するのは馬鹿のすることだ・・落ち着け、まだ東京を離れたばかりじゃないか・・とりあえず、新幹線の中から何も食べていないのだから空腹を満たして脳を正常に働かせよう・・・隠し事っていうのはあまり健康に良いものじゃないな、と俺は独り言をいった。

 駅に向かえば繁華街があるのは分かっていたが、またそこまで戻るのは馬鹿馬鹿しいのでどこか手頃な店で手を打ちたいと思っていたところに丁度、古めかしいラーメン屋が見つかった。どう見ても数十年は経っている店構えで、俺が子供の頃からやっている店だと言われてもそう思うほどの年期の入り具合だった。暖簾のかすれた字を見る・・・ラーメン獅子戸?・・こんな店あっただろうか?この道は昔から使っていたし、もしその頃から営業していたなら間違いなく知っているはずなのだが・・・俺は寒さにも耐えかねて、それ以上考えるのを止めて入店した。


 結論から言えばラーメンは美味かった。所謂中華ソバと言われるオーソドックスな醤油味で、一緒に頼んだ餃子、セットで付いた半チャーハンも同じく、昔ながらの日本人向け中華料理という感じで毎日食べても飽きない懐かしい味付けだった。店内は狭く客は俺一人、店の天井の角にはテレビが吊るしてあった。俺は瓶ビールも一本開けて、十分にその昭和の雰囲気を楽しんだ。実家にいる時よりもリラックス出来て田舎に帰ってきたという実感すら沸いたほどだった。・・ただ一つ、帰り際に感じた強烈な違和感だけが俺のほろ酔い気分を急激に覚醒させたのだが・・・。



(80)何でおじさんってオールドファッションが好きなの?


 俺は会計をして貰おうと店内を見渡したがレジらしいレジがなかったので、カウンター越しに店主に「ご馳走様でした」と声をかけた。すると中で煙草をふかしながら新聞を読んでいた不愛想な初老の男は、面倒くさそうに立ち上がり「820円」と言った。俺は思わず「えっ?」と声を上げた。テーブルにメニューもなく、壁に貼ってある紙のお品書きも変色していて良く見えなかったから値段を確認せずに注文したのだが、それにしても安過ぎる。

 俺は「間違ってませんか?」と言った。

「ん?ラーメン半チャーセットに餃子、ビールだろ?」

「はい」

「820円だよ」オヤジはくわえタバコの煙が目に染みるようで片目を閉じながら言った。

「そう・・なんですね」

 作った本人が言うのだから合っているのだろう。俺は千円を出し「おつりはいいです、美味かったです、また来ます」と言って店を出た。オヤジはうんともすんとも言わずに、なぜか渡した札を広げて珍しそうに眺めていた。

 歩きながら俺はふと(そう言えば子供の頃ってラーメンは400円ぐらいだったよな)と思い出した。(あそこは創業以来価格を変えてないとか・・?)そんな思案中、携帯にメッセージの着信が入った。見てみると沢口明菜からでー 暇なんだけど ーと書いてあった。俺はそれを既読にならないように待ち受け画面だけで確認し、返信を見送った。時刻は夕方の六時半を過ぎていた。家に帰るには早過ぎるし、かと言って田舎では時間を潰す場所も少ない。俺はとりあえずセーラの実家のスナックに行ってみて、母親に娘から連絡がきていないかと聞いてみる事にした。

 

 繁華街からは離れた場所にあるその小さな店の前につくと、丁度中から照明付き置き看板を出しているセーラの母親の姿が見えた。この師走時でも営業するんだな、と思いながら俺は彼女に駆け寄った。

「あの、すいません、ご無沙汰しています。カワハラです。娘さんの小学校の同級生の」

「おおー!・・ダレだ?」と、セーラの母は愛想がいいだけのよく分からない返事をした。

「カワハラです。子供の頃に挨拶していたぐらいなんでもう分からないかも知れないですけど」

「ああ、そうか!カワハラさんちの次男坊か、元気か?」

「はい、お陰様で」と答えながら俺は、相変わらず東南アジア系丸出しの喋り方だな、と思った。ずっと日本に住んでいるのになぜあまり変わらないんだろう。

「娘さんと東京で偶然再会したんです。年末にこっちに戻ると言っていたんですが、帰ってますかね?」

「あの子?あの子、いないよ!」と母親は言った。

「連絡とかは?」

「連絡もない、あの子親不孝だよ!」

「そうですか・・・」

「それより今から店開けるから、アンタも一杯やってきな」

「あ、いえ、そろそろ帰らないといけないんです、久しぶりに実家で夕食を食べるので」と俺は嘘をついた。

「そうか?一杯だけならいいだろ?兄ちゃんもいるよ」

「えっ?」

 俺は三分の一ほど開いている扉から店内を覗いた。すると驚く事にカウンターの一番奥の席に、兄貴が座っていて黒人の女性店員と話しながら酒を飲んでいた。

 ・・・嘘だろ!と思った。正直自分の目を疑った。俺の知っている兄貴は昔から極度の外国アレルギーで英語の成績も悪く、音楽も邦楽しか聞かない、映画も邦画しか見ない異文化交流反対派の人間だった。そんな兄貴がフィリピン人のやっているスナックで黒人女性と話しているなんて!!そもそも酒だってほとんど呑めないはずだ!

 固まっている俺にセーラの母親は「兄ちゃんほとんど毎日来てるよ、エレノワに入れあげてんだ」と言った。

 俺はいささかパニックになってしまって「すいません、ちょっと急ぐので失礼します」と言ってすぐにその場を離れた。そんな俺の背後から「今度は飲んでってよー」という声が聞こえたような気がした。


ーセーラの母親はドアを閉めて店内に戻った。そしてヒサヒコに「弟と今会ったよ」と言った。ヒサヒコは少し驚いた様子で「カズが?」と訊いた。セーラの母親は「客として来たんじゃなかった、うちの娘の事を訊いてきたよ」と言った。ヒサヒコは「へえ」っと言った。「娘からは連絡ないって言ってやった。ほんとはある。少し前に電話がきてしばらく家に泊めてくれと言われた。でも今はエレノワいるから無理だと言った」テーブルを拭きながらエレノワが「ごめんなさい」と言った。セーラの母は「あんたは謝らなくていい。店も手伝ってくれてるし、子供の事もある。娘は女優になりたいって言って勝手に出て行った。それから20年で、二、三回しか帰ってこなかった。連絡もほとんどなかった。」と言った。「でも娘にこっちに戻ってくる事は誰にも言わないでと言われた、だから訊かれたけどワタシ言わなかったよ。」・・・エレノワとヒサヒコは顔を見合わせ(今私たちに言ってるじゃないか)という顔をした。それを見てセーラの母親は「あんた達はいいの!口固いし、友達いないから!」と言った。二人は笑い出した。ヒサヒコのその笑い顔もカズヒコが見た事のないものだろうー


 俺は一旦、頭を整理しようと当てもなく繁華街の中心部に向かって歩いていた。すると上着のポケットが携帯の呼び出し音で振動した。出る気がなかったのに考え事をしていたせいで、俺は反射的に通話ボタンを押してしまった。

「もしもし」

「もしもしじゃねーよ、返事しろよ!」・・沢口明菜だ。

「ああ、悪い」

「ねぇ、暇なんだってばー」

「そう言われてもな・・こっちも数年ぶりに実家に帰って来て忙しいんだよ」

「嘘つけ!外の音してんじゃん、今どこなの?」

 この子の勘の良さは時に面倒だ。

「んん・・割と駅に近いかな?」

「えっ!マジ?アンタんちの最寄りって言ってたイワサキ駅?」

「ああ・・」

「アタシ実は今そこにいるんだけど!」

「えっ、来たのか!?」

「うん、沢口明菜イワサキ初見参!国民的アイドル、あえてローカル電車乗ってみた、みたいな?」

「おいおい」

 地元民にバレたらどうするんだ・・・とはいえ来てしまっているんじゃ一人で帰すわけにもいかないか・・。

「ねー、遊んでよー、ホテルには戻りたくないんだよー」

「どうして?ふかふかベッドのスィートなんだろ?」

「そうなんだけどー、なんか変なのー」

「変って?」

「会ったら話す」

 ・・全く交渉の上手い子だ。

「わかった、じゃあとりあえず駅前の商店街を抜けて出口辺りに向かってくれ、左手にミスドがあるからそこで待ち合わせよう」と言ってから俺は、そこがもうなくなっているかも知れない可能性に気がついた。なにせ最後に前を通ってから8年も経っているのだ。

「あ、もしかしたら・・」

「オッケー」ブチッ。

 沢口明菜は最後まで聞かずに電話を切った。せっかちめ・・・まぁ距離的に言ってこっちが先に着くだろう、それに閉まっていたら連絡してくるか・・そう思いながら俺は幾分急ぎ足で店に向かった。


 俺の青春の憩いの場はまだそこにあった。古めかしいオレンジと茶色の外観、西海岸のガソリンスタンドにオマケとして建てられたようなチープな佇まいは、あの頃と何も変わらない。俺は自動ではない、握った瞬間に記憶が蘇るような重たいドアを開けて店内に入った。

 店に流れているBGMは黒人コーラスグループ、ザ・ドリフターズのThis Magic Momentだった。心の中で俺は「これだよ、これ!」と唸った。ツートンの床タイル、赤いソファ、仕切り板しかない意味のない喫煙席、オールディーズ・ミュージック。これこそ(ミスド)だ。最近の都心部のミスドは有線でJポップがかかり、全席禁煙、椅子は簡素な四脚椅子、アニメとコラボした甘いだけのドーナツもどきを押し売りしていて、オールドファッションを販売していない店舗すらある。・・最高だ、田舎にはまだこういうミスドが残っているのだ。

 俺はゴキゲンでガラスケースからオールドファッションを選びアメリカン・コーヒーを注文して、中学生の頃同級生たちと毎日のように無駄話をしていた奥にある、U字型ソファの席に向かった。

「おせえって」

 驚いた事に沢口明菜はそこに座っていた。・・・そうなんだよ、若い子って歩くの早いんだよな・・もう少し一人で思い出に浸っていたかったのだが・・。

「早いね」と言いながら俺は、コーナーソファなので正面ではなく彼女の左隣に適度な距離を開けて座った。

「なんでおじさんってオールドファッションが好きなの?」と、移動中とは違って、黒いニットキャップ、大きめの黒いレザージャケットに身を包んだ沢口明菜が言った。

「さあね、キミは・・」見ると彼女のお皿には、食べかけの見た事のない物が乗っていた。

「これは生ショコラ・ドーナツ・プラリネだよ。期間限定のやつ。飲み物はタピオカもちもち黒糖ミルク」

「なんで若い女の子は期間限定が好きなんだろう?」

「さあね。あ、あとキミじゃなくて明菜な」

「ああ、今からそう呼ばせて貰うよ」

 俺はコーヒーを一口飲んだ。・・うーん、このぼったくられているような薄さ・・最高だ。BGMはプラターズのThe Great Pretenderに変わった。ー 僕は偉大な演技者さ、上手くやっているように見せているんだ ー

「あんた下の名前なんて言うの?」と沢口明菜は、タピオカもちもち黒糖ミルクのストローをくわえたまま言った。

「カズヒコ」

「カズヒコね・・なんて呼ばれてる?友達とかに」

「うーん、地元の人間ならカズが多いかな」

「サッカー界のレジェンドかよ」

「よく言われるよ、ちなみに部活はバスケ部だった。サッカーは出来ない」

「じゃあアタシもカズって呼ぼうー」

「おいおい、カワハラさん、もしくはカズヒコさんだろう?」

「やだ、距離感ある」

「距離感って・・」

「いいじゃん、カズー、あはははは」

 まったく・・売れっ子タレントらしく大人をなめているな。当然だが、社会人になってから新しく知り合った人間にカズと呼ばれる事はほとんどない。海外の仕事の時・・例えばあの事件で亡くなった相棒のライオネルにはKazuと呼ばれていたが、それぐらいだ。マツシタは大人になっても俺をカズと呼んだが、セーラはずっとカワハラくんだった。

「ところでどうしてホテルにいたくないんだ?何か変わった事でもあった?」

「ううん・・何もない・・・」

「じゃあどうして?一人で暇・・」

「違うの、何か起きたわけじゃないんだけど・・・」

「ん?」

「中が嫌なの・・・」

「中?内観という事かな?それとも室内が?」

「どっちも。ソックリなの、例のノアール・ホテルに」

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