X南無X(75)卵の刻 ~(76)樹の刻
(75)卵の刻
ー 南無ー
ー 南無とは、漢訳仏教語であり「那謨」とも音写される、サンスクリット語のnamasまたはnamoの音写で「帰依します」「敬います」「救いを求めます」という意味を持ち、仏や菩薩を信頼し、教えに身を委ねることを表す ー
身体に圧し掛かる重さは増す一方だったが、一比己はかろうじて喋れる事に気づいて「と、当主が久太になったのは・・本当だったのだな」と言った。
咲千代は一比己の近くまで来ると「いや、そうではない。村人達の手前そう装っているだけじゃ。これからは当主を立てる事をせんのだ」と言った。
左右から候補者の四人も近づいて来て、六人が一比己を囲むような形になった。塩崎が両手を前に印を結び、何か祝詞のようなものを唱えている。この俺を押さえつけているのはコイツの力なのだな、と一比己は思った。そして重さに耐え切れず少しずつ無様にうつ伏せになりながら「ど、、どういう事だ」と訊いた。
「オマエが村人どもを殺し、この集落を無きものにしようとしているのをなぜ止めなかったと思う?もちろんオマエが当主に選ばれなければ逆恨みでそうするであろう事も前々から分かっておった。」と咲千代は言った。
「な、なんだと?」
「わからんか?・・奇遇だと思ったんじゃよ。なぜならわしもこの村を消そうと思っておったからな。そうじゃ丁度良い、自分の手は汚さずアヤツにやって貰おう、とな。あっはっはっは」装飾の付いた派手な扇を口元に、咲千代は高笑いした。
「な、、なにぃいい?」
「利用させてもろたんじゃ、お主の(妾の子)という劣等感を煽ってな。」
「く、くそう・・・」口から血が滲むほど一比己は歯を食いしばった。そして独り言のように「・・まぁいい、この村が跡形もなく無くなるなら・・」と言った。
「いいや。世襲制度を無くしてここは普通の集落になる。この灰烏大社は残り、古神社を守るただの田舎村になるんじゃ」
「・・んだと?・・そ、それでええのか?」
「ああ、ええ。わしらもみんなここを出て行くけ。生き残った者たちに細々と存続させて貰えばそれでええんじゃ。まぁ大事なのは村でも大社でもなく(あそこ)じゃからな」
「?」
「オマエがよう昼寝で使っとる森の中の勾玉形をした芝生じゃよ」
「・・なに?!あ、あそこに何が?」
「まぁ知らんじゃろな。知ってたらあんなところで寝たりはせん。危険過ぎるけ。・・・あそこはな、卵の丘と言うてな、繋がっとるんじゃよ、上にも下にも」
「な、な、なんて?」
「まぁええ。今からみんなで行くけ、そこで話してやる」
そう咲千代が言うと今度は波地と牧村と植垣が手を前に合わせ、三人で一斉に同じ文句を唱え始めた。だが塩崎の祝詞とは違い、三人の言葉はただ単純に「南無」と繰り返しているだけだった。しかしそれはまるで人類最古の経のように魂に作用する根源的な響きを持っていた。そして三人の声は重なり合って次第に大きくなり、凄まじいまでの倍音を発生させて横になっている一比己の身体を振動させた。・・なんなんだ、これはっ!?地震のようじゃ!・・揺れているのは一比己だけではなく空間全体だった。それに気づいた次の瞬間、さっきまで本殿の中にいたはずの全員が、そっくりそのまま卵の丘の上に移動していた。立っている位置も姿勢も全く同じ状態だった。
「な、なんだっ!!」と一比己は声を上げた。「一瞬で飛んだぞ!」うつ伏せのまま見える限りの辺りを見る・・・まだ薄暗いが、いつもの芝生の上だ・・しかし、何かがおかしい・・草の質感や夜風の匂いを感じない。
「飛んだのではない」と咲千代が言った。
「正確に言えば、我々の身体はまだ灰烏大社の本殿におる。今、ここに来たのは我々の魂だけじゃ」
「な、なんだって!?し・・死んだのか?」
「阿呆が、死んではおらん。この三人はな、一人一人では大した御手数ではないが、三人ともなるととてつもない強い力を生み出すのじゃ。これもその一つよ」
波地と牧村と植垣が、同時に南無を止めた。よく見るといつの間にか塩崎も印を解き、もう祝詞を発していない。
「立て」と咲千代が言った。
一比己は、手を握っては開く動作を何度か繰り返して体の自由を確認してから一気に飛び上がると、左脇にさした短刀を振りかぶって咲千代の頭を一刀両断に切りつけた・・・が、手応えはなかった。よく見ると、自分の腕も刀も、真っ二つになったはずの咲千代も、全てが半透明で陽炎のようだった。短刀から手を離すとそれは下に落ちるのではなく、煙のように消えた。
「持っている気がするだけじゃ。さっき咲千代様が魂だけと言ったじゃろうに、オマエは相変わらず短気で阿呆じゃのう」と久太が言った。久太は一比己の二つ歳上で、お互い灰烏八太と妾(別々)の子であった為に小さい頃はこの村で本当の兄弟のように育てられた。
「・・よう、兄貴。新当主になったら気も大きくなったか?」と一比己は久太の方に歩み寄った。
「当主は形だけじゃとさっき言っただろう。お主本当に話を聞いておらんのう」と後ろから巨躯の塩崎が言った。塩崎は灰烏の血筋とはいえ、かなり遠縁で当主候補者の中では最年長者だった。
「ジジイは黙ってろ!」と一比己は言った。
「一比己さん、ここから逃げ去ろうと考えてるようですけどそれは無駄ですよ」と、まだあどけなさを残している植垣が横から言った。
「ほう、お前は心を読む御手数だな?」
「ええ。でも目の前の人間にしか出来ません。それにかなり集中しないと使えないので私一人の御手数は非力です。元々当主になる器ではなかったんでしょうね」
「そんな事はない。お前はまだ十五だろう、修行次第でもっと力は強くなる」といかにも都会の紳士といった感じの牧村が言った。この男の存在は知っていたが遠縁で、一比己とはあまり接点がなかった。
「逃げようとしても無駄ですぜ、今魂体であるわし達はこの卵の丘から外に出る事は出来ないんですから。」と波地が言った。太っていて背が低く、頭も薄い中年男だ。こいつと話すのも初めてだ、と一比己は思った。
「へっ、そうかい、万事用意周到じゃな。じゃあなぜ俺をこんな策に嵌めた?邪魔ならさっさと殺せばいいじゃろうが!」
「うむ。教えてやろう。・・というか、教えてくれ」と咲千代が言った。
「なに?」
「我々はオマエの御手数を知りたいのじゃ。その為に生かしておいた」
「・・ほう・・・」やはり俺の力はバレていないのか、と一比己は思った。
「その前に一つ訊きたい」
「なんじゃ?」
「当主候補者は六人だったはず。襲名の儀の時、俺はその場に行けなかったようだが、だとすると俺の代わりをしていた人間がおるじゃろう?そいつは誰だ?」
そう言って一比己は全員の顔を見回した。
「毛利じゃ。」と咲千代は言った。
「なに?」
一比己は毛利の事を知っていた。なぜなら数少ないこの集落に住む、直系の候補者だったからだ。二十代後半、細身で背が高く、村で一番の美男と言われていたが、浮いた話が全くなく男色ではないかと噂されていた。だが、新当主の最有力候補者でもあった。
「嘘をつけ。男前で恰幅も違い過ぎる毛利と俺では似ても似つかん!顔を隠すだけで集まった親戚筋を騙せるはずがねぇ」
「それがアイツの御手数じゃ」と塩崎が言った。「どうやっておるのか分からんが、喋る事さえしなければアイツは周りに自分を他の誰かだと思い込ませる事が出来るのじゃ。・・まるで双子のようにな」
「ふっ・・そりゃあ勝手のいい力だな。で、毛利はなぜいない?」と一比己は言った。
「死んだよ」と植垣が言った。「襲名の儀のあと、毛利さんがいなくなっている事に気づいてみんなで探したら、竜人の間で・・・」
「自ら短刀で右目を突き刺して死んでおったわ」と咲千代が言った。「まるで今回の事を絵にかいたわしへの当てつけのようにの」
竜人の間は当主である咲千代の部屋でもあった。
「いやぁ、アイツも自身の悩みが色々ありましたからなぁ」と波地が言った。
「死ぬ機会を伺っていた節もある」と牧村が言った。
「して一比己、オマエの御手数はなんじゃ」と塩崎が言った。
「うるせぇな。それを言わなきゃどうなるんじゃ?寄ってたかって嬲り殺しにするか?」
咲千代の魂体がゆっくりと一比己の魂体の前に歩み寄り「言わねば死ぬよりも恐ろしい事になるぞ」と言った。
「・・・ほう、それはどういう事じゃ?俺は今日一日で数十人の罪もない村人を切った。閻魔にだって見放されるような大罪人じゃ。死後の地獄生きは決まっとる、もう恐ろしい事などないがな?」と一比己は言った。
「地獄の方がまだマシじゃて。」と咲千代は笑った。そして波地と牧村と植垣の方に視線を送った。三人は手を合わせ先ほどと同じように南無を唱え出した。
「オマエをここに置いて行く。魂体のままな。するとどうなると思う?」と咲千代は言った。
「なに?」
「ここから離れられなくなるんじゃよ。死ぬことも戻ることも出来ず、永遠にこの卵の丘だけがオマエの世界になる。何千年、何万年経とうと、オマエは永遠にこの場所を離れられず、生まれ変わる事もない。景色が変わってもお前は何も変化しない。零はいつまで経っても壱にはならんでの。この世界が終わるまで、その移り変わりをただただここから見届けるだけの存在になるんじゃ。・・いや、世界が終わった後もか。」
(76)樹の刻
「お、おいっ!それは本当の地獄じゃねーか!!」
三人の南無は先ほど同様に周りを振動させた。
「そうじゃな。じゃがオマエはそれに相応しい事をしておるじゃろう?罪もない多くの人々を自分の我の為に殺めおって」
一比己は今度は自分がその振動に包まれていない事に気づいた。
「だ、だったら、いっそ殺してくれ!俺が殺したヤツらのように!」
「おうおう、どこまでも自分勝手じゃのう。オマエはそれでええかも知れんが、オマエが殺した人間たちは死にたくなかったんじゃぞ?その者たちにどんな明日が待っておったか、オマエは考えもせんじゃろう?・・・だが、まぁええ、それはオマエの業の問題じゃ、人の運命は我々の及ぶところではないからな。・・よし、オマエの御手数を明かせばひと思いに殺してやろう、それでよいな?」と咲千代は言った。
「・・・わかった」
咲千代は植垣の方に視線を移した。合掌をしたまま植垣は「・・嘘はついていないようです」と言った。咲千代は肯いて、それを見た波地と牧村も南無を解いた。
一比己の魂体はガックリと両手と膝を芝の上に着けた。不思議な事にかいていないはずの冷汗を感じた。
「さ、流石腐っても当主候補、すげぇ御手数だ・・この様子じゃ久太の兄貴も相当な力を持っているんじゃろうな?」
「それはもうオマエは体感しておるわい。」と咲千代が言った。
「ん?」
「一日飛ばしたのは俺の御手数だ。」と久太が言った。
「な、なんだって!?あれはあんた(咲千代)じゃねーのか!?」
「ははは、何を言う?わしは灰烏の血筋ではないじゃろうが?20年前に長野戸隠の落合家から嫁いだもんじゃ、御手数がない事も村中の人間が知っておろう。」
「そ・・そうだが・・なるほど、兄貴か・・そりゃ相当な御手数の持ち主だな・・村ごと一日飛ばすとは・・」
「いや、村だけではない。この辺り・・そうさな、県全体ほどじゃ。」久太が言った。
「なんだって?!」
「規模の範囲は俺には加減出来ん。だが、今回はオマエの動きを警戒してなるべく広く力を使った。俺の御手数は準備も助けもいる。その為に数日前からこの者達と用意したんじゃ。お篭りの儀の振りをしてな。この場所のせいで強力にはなっておるがやはり父上とは違い、俺も一人では大した事はないのだ。」
「そう。このように力を強く発揮できる場に来て、同胞の者の力添えがなければ久太の御手数もさほどではない。だからこの村から出て行く者の掟も守ると言っておる。掟についてはオマエも知っておるな?」と咲千代が言った。
「ああ・・」と一比己は苦虫を嚙み潰したような顔で「当主以外は御手数を消されて村から出て行く・・兄貴も消されるって事はやはり新当主ではないんだな」と言った。
「そうじゃ。さっきも言うたが新しい当主はおらん。わしが最後の当主じゃ。じゃが御手数はないが、わしとて女とは言え当主としての厳しい修業はきっちりこなしておるからな。消失の業は身に着けておるぞ」
「くっ・・代々当主だけが覚える消失の業か・・なにも身につけなくてもよい物を・・兄貴はそれでいいのか?」と一比己は久太を見た。
「ああ、ええ。正直に言うと林田の家を建て直す資金として、灰烏家の遺産の分け前を貰える約束になっておるのだ。俺だけじゃねぇぞ?ここにいる候補者全員じゃ。まぁ村を出るだけでも金はかかるからな。それにこれからの世の中は御手数よりも金の方が役に立つ。使い勝手の悪い能力が無くなったとて、生きる事にはなんら困らんよ。俺は名前も変えて東京で事業を始めるんだ。・・そうさな、林田から(気)がなくなるから木田とでも名乗ろうか。わっははは」
他の者達は特に何も言わなかった。思いは違えど、皆が一様にいわくつきの土地から離れたいという意味では考えが同じようだった。
「さて、言え、オマエの御手数を。」と久太が言った。
「うむ、よそ者のわしの技量では持ち主の御手数を知らんと消失の業は行えんのじゃ。」と咲千代が言った。
塩崎が言う「オマエの御手数を聞き、本殿に戻って咲千代様がここのいる者達に一斉に消失の業を行う。そして我々全員この地を離れる。もう会う事もないじゃろう。もちろん子孫から強い御手数が出た場合は、この場所に連れてまいって関係の者が速やかに消失の業を行う。そうやってここは(力を持った者の力を消す為の場)としてのみ存続する、ただの集落となるんじゃ。」
「これはみんなで決めた事なんです」と植垣が言った。
「俺抜きでか?」と一比己が言った。
「オマエは昔から親族の集まりや会合には何にも参加してこなかっただろう?第一オマエは知っておるのか?この土地の成り立ちや存在する意味を」と久太が言った。
「ここを昼寝の場にするぐらいですからね、エフエフエフッ」と波地が笑った。
「そうじゃな、これが最後じゃからな、少し話してやろうか」と咲千代が言った。
「ワタシも訊きたいですね、遠縁であまり詳しくないので」と牧村が言った。
一比己は、少し喋らせておけば逃げる術を考える時間になると思った。。そして敢えて「・・いいのか?朝が来ちまうぜ」と言った。
するとすかさず植垣が「逃げようとしても無駄ですよ、ここからは出られないし、本殿にある肉体へ戻っても塩崎さんの重力の御手数がありますからね」と言った。
チッ、その前にオマエの心を読む御手数も厄介なんだ!と一比己は思った。
「ここには時間が存在せんからな、朝は来ん」と咲千代が言った。「何時間、何日喋ろうと戻れば先ほどと同じ刻、何も変わっとらんのじゃ。ゆえに喉も乾かんし腹も減らん。オマエが感じたような気がした疲労は、焦りからくる肉体の幻影にほかならんのじゃよ。実際には疲れも痛みもない、全てはオマエの脳の味噌が勝手に作り上げているものじゃ」
一比己は膝をついている芝を見た。確かに草の感触はない。そういえば何度も刀を振った腕の重だるさも、山道を走った足の痙攣も感じない。それは肉体の残り香でしかなく、どうやら存在していないようだった。
「なるほどな・・」と言って一比己は立ち上がった。そして首を回したが、それも無意味だった。
「我々の立っているこの場所は丘と言うても実際には石土の盛り上がった丘ではない。」と咲千代が言った。「この円形の場はな・・もう草が覆ってしまって分からんじゃろうが・・下は根元幹周、約二千五百寸の大木の幹なのじゃ」
「な、なんだって!ここは木なのか!?」
「そうじゃ。恐ろしいまでの巨木、定かではないが樹齢数万年と言われておった大樹の幹じゃ。はるか古代、生木だった頃にはそのあまりの高さに先端は見えず、空のかなたまで梢が伸びておったそうじゃ。」
「まさか・・・」一比己は自分の足の下を見たが、そこには雑草が生い茂った地面しか見えなかった。咲千代は続ける。
「灰色に輝く御召し物を纏った者達がこの木を伝ってここに降り立ったと、大社に残る文献には書かれておった。そして彼らが帰る時、自らの力によってこの大木を根本から切断し、それと共に天空に消え去ったと。不思議な事に残った切断面には年輪ではなく、勾玉が合わさったような陰陽太極図の紋様が浮かび上がっておったそうな。・・・だがもちろんそれも定かではない、誰も上からここを見る事は出来ぬからな。」
「・・寓話のようじゃな、その伝承は真実だと言えるのか?」と一比己は言った。
「わからん。しかし、ここが天上と地下を繋ぐ生命の樹の幹である事は間違いない。何かが生まれ、何かが損なわれる。上に昇って行くことも下に堕ちて行く事も出来る。言わば中間、灰色の地点じゃ。」




