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XNUMX  作者: 一太
34/43

XNUMX(64)インスピレーション ~(65)ベレッタ

(64)インスピレーション


「そっか。」

「えっ?」

「えっ?」

 セーラとウワガキは車内で視線を合わせた。

「驚かないの?」

「なんで?」

「オレがあの世界的有名ブランド、XNUMXの立ち上げメンバーなんだよ?」

「うん、聞いたよ」

「XNUMXは覆面デザイナー集団がやっていて、正体は誰も知らないんだよ」

「うん、そうだよね、その一人がウワガキくんなんでしょ?」

「そ、そう」

「すごいね。あ、そこの交差点を左、そうそう」

 今ウワガキのマツダは日向坂から南麻布に入り、有栖川宮記念公園を越えて滞りなく恵比寿方面に向かっている。

「はぁ・・セーラはオレのやっている事なんか、全然興味ないんだ・・・」とウワガキは溜息をついた。

 確かにセーラにはそういう所があった。大事なのは相手が自分に興味があるかどうかで、相手のやっている事にはあまり興味が湧いてこない。即物的に考える思考回路を持たないせいで、他人が自分に向ける好意のバロメーターだけで判断して間違った恋愛経験や、人間関係を構築してきた。それが三十代までの彼女を形成してきた脳内のデフォルト・システムだった。しかし今はそれが書き換えられつつある。事務所を辞めた頃から新たな思考、動機、行動パターンが少しずつ自分に芽生えている事をセーラは自覚していた。もちろんそれは突然変異ではなく、あくまでもグラデーション的なのだが・・・。

「じゃあXNUMXを手掛けるウワガキくんにしか訊けない事、教えてくれる?」

「ああ、いいよ、なに?」

「そもそもブランド名のXNUMXってなに?あのロゴには一体どういう意味があるの?」

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 ウワガキはしばらく黙ってから「・・いい質問だね」と言った。

「立ち上げメンバー以外でこの事を話すのは初めてだ・・スタッフも知らない事だよ・・・つくづくキミっていう女は・・まぁいい、XNUMXというのはね、インターネットで自動翻訳をしたページに出てくる文字の間違い、バグの事さ。外国語を上手く日本語に翻訳出来なかった時に出て来てしまう文字列なんだ。きっと技術が向上すれば無くなるんだろうけどね・・まぁいい、とにかくオレ達はそれを勝手に前後のXを無視して(ナム)と呼ぶ事にした・・でもナムという言葉よりも、あのロゴ自体に意味があるんだ。ロゴを見てもらえば分かるけど、DNAの螺旋をイメージしてる。ちょうど螺旋の切れた両端がXに見えるだろう?人間は両親二人分のDNAを所有して生まれてくるわけだけど、時々突然変異的に両親+アルファのDNAを持った、特別な力を保有した子供が生まれてくる時がある。端的に言えば3人分のDNAを持った人間だ。父親と母親、それから(それ以外の何か)。ナムとはそういう存在の事、人類のポジティブな意味でのバグさ」

 セーラはその話を聞いて何かが腑に落ちる感覚がした。ウワガキは続ける。

「必要な要素は3つなんだ、だからこのブランドを立ち上げるには3人の人間が必要だった。少なくても多くてもいけない、光と闇、表と裏、陰と陽、男と女という今までの世界を構成していた2つの要素、そこに足されるそれ以外の何か。3つ目がなくちゃ新しいモノ、特別なモノは生まれない。オレはコンセプトを生み出して、もう一人がデザインをして、もう一人がマーケティングを担当した。そして予想・・じゃなくて予定通りにXNUMXというブランドは大成功したんだ。」

「すごい・・そんなテーマでやってたんだ・・買ってる人たちは誰も知らないのに・・・でもどうしてブランドが大成功するって分かってたの?ブランドだけじゃなくでウワガキくんが手掛けた物は全部最初からヒットするって分かってて作ってるみたい」

「そうだよ、さっきも言っただろう、特殊な状況下で集中すれば、オレは先の事が分かるんだ。」

「それはどういう状況?瞑想とか?」

「いや、ブスと寝る事だよ」

「えっ?」

 あまりに淡白な答えにセーラは言葉の意味が上手く呑み込めなかった。

「セーラ、今更驚くなよ。オレが浮気していた事は知ってるだろう?」

「う、うん・・」

「だよな?ご存じのとおりオレはキミと付き合ってる間にも沢山のオンナと寝た。でもね、それは本来の意味での浮気じゃないんだ、分かって貰えないだろうと思って言わなかったけど、要するに儀式なんだよ。」

「儀式?」

「ああ。じゃあ逆に訊くけどオレはキミを抱く時、乱暴だった?雑に扱ったことはあった?」

「いや・・ないと思う・・」そう思いたくはなかったが、セーラの少なくない男性経験の中でもウワガキはトップクラスにそれが上手く、いつも丁寧に愛してくれた。

「そうだろう?オレはいつだってキミを優しく抱いていたと思う。でも、その儀式は違うんだ。大して可愛くもない、下の中ぐらいのオンナを乱暴に抱かなきゃいけないんだ。キミのように美人じゃダメ。だからオレはキミと同程度のモデルや女優と浮気をした事はほとんどないんだぜ?まぁ調度いい事に、世の中のオンナ共は自分で中の下だと思ってるやつが多いみたいだけど、実際には下の中がほとんどだからな。そういう何てことないオンナを適当に見繕って自分勝手に抱く、相手の事なんて全く考えない、物のように雑に扱えば扱うほど、オレには強烈なインスピレーションが下りてくるんだ。これが儀式だよ。別にオレはやりたくてやってるわけじゃないんだ、ただその行為によって、間違いなくオレは沢山のヒット商品を生み出してきたんだ。」

「・・XNUMXも?」

「ああ、XNUMXは特にその儀式が上手くいった例だよ。相手は小さい事務所のうだつの上がらない新人グラビアアイドルだった、まだ若くてね、偶然宣材写真を見た時にコイツだ!って思った。上手く説明できないけど、いい儀式が出来る相手はすぐに分かる。だから接点を持つ為に雑誌のグラビア賞で優勝させてやると言って近づいたんだ。そしてその子との儀式では案の定、素晴らしいインスピレーションが下りてきた。過去一と言ってもいい。それがXNUMXだ。だけどその子は雑誌で賞を取るとすぐに事務所を移籍して、その頃からオレでも驚くほど急速に垢抜けていった・・・別人と思えるほどキレイになって、今じゃ誰もが知ってる売れっ子女優だよ・・あれじゃあもう儀式には使えない」

「そっか・・」セーラは鈍感な所があるのでそれが誰を指しているのか分からなかった。

「XNUMXは大成功したし、今までのモノを一歩だけ確実に超える力を持ったブランドになった。オレたちの手を離れて今では国内だけじゃなく、世界中の人々が認識するアイコンのようになったしね・・・だけど・・」

「ん?」

 ウワガキはまるでセーラなど横にいないかのように虚ろな表情をしていた。この人のこんな顔を見たことがない、とセーラは思った。そして初めて愛情のようなモノを感じている気がした。

「・・もう、終わりだよ、XNUMXは・・・」とウワガキはか細い声で言った。ステレオがちょうど曲間だったから偶然聞こえたぐらいの声量だった。

「どうして?海外の俳優やミュージシャンも着てるし、日本でだってXNUMXのアイテムを持ってない十代、二十代はいないよ?」

「・・そういう事じゃない」

 車はまもなく林屋出版につく。セーラはもう少し遠回りしても良かったと思った。

「さっき・・XNUMXは3人じゃなきゃ意味がないって言っただろ?」

「うん」

「・・・二人になってしまったんだよ・・」

「えっ!?」

「いや・・実質一人か・・だからもうブランドに特別な力はない・・見ててごらん、すぐに人気は低迷してあっという間に、逆にダサさの代名詞のような存在になってしまうから。」

「そんな、まさか・・ねぇ、メンバーの人が辞めちゃったの?どうして二人になっちゃったの?あ、でも、服だけじゃなくて家具とか飲食とかこれから色々事業を拡大していくんだよね?雑誌でみたよ、全然大丈夫なんじゃないかな?うん、まだまだ人気は続くよ!」

 セーラは無駄だとわかっていたが、なぜか精一杯ウワガキの事を励ましていた。・・・でも、きっとこの人の言う事は本当なんだろう。アパレルの流行の移り変わりは早い。1シーズンしか持たなかったブランドだっていくつもある・・ましてやこれほど一過性的に広く認知されてしまうと消費されるのも早くなる・・・。

「セーラ・・・ブランドが急激に落ち目になったらオレはとんでもない額の負債を抱える事になるんだ。実際あのスタジオ付きの自社ビルの支払いもまだ済んでないから・・でも今は終わりが始まっている事に世間は気づいていないし、オレの元にはかなりの金が残っている。だから今のうちに海外に逃げようと思うんだ」

 ウワガキは赤のマツダを林屋出版ビルの関係者用の裏口に停めた。そしてシートベルトを外してセーラの両肩を掴むと「なぁセーラ、オレと一緒に来ないか?」と言った。

「えっ?」

「オレと一緒に海外に逃げよう、ニューヨークでも、ロンドンでも、セブ島でも・・・あ、キミのルーツであるフィリピンでもいい!二人でどこかに小さな家を買って、素敵な家庭を作ろうじゃないか!」

「えっ、な、なんでそうなるの?」

「オレは分かったんだよ、成功したって、金持ちになったからって大した意味はないんだ!オレの傍にはもう、オレの成功のおこぼれを欲しがるハイエナしか寄って来ない、岡山の田舎から18で出て来て、バイトをいくつもやりながらなんとか専門学校に通って、馬鹿な大人に媚びへつらって10年かけてやっと手に入れたモノは、こんな空虚な気持ちと借金だけだったんだ!」

「で、でも、アナタは先の事が分かるんでしょう?なんとか立ち直れるんじゃない?」

「いや・・もう・・オレの力はほとんど残っていない・・XNUMX以降は、なぜか儀式をやっても大したアイデアは浮かんでこないんだ・・・今じゃ分かる事なんて元カノが使いそうな駅ぐらいさ・・そうなるとセックスだって苦痛でしかない・・・」

「そう言われたって・・今更アナタとどこかに行くなんて考えられない、ワタシにはワタシの生活、人生があるんだよ?」

「それはわかる、でもそれはなんだ?もう一度女優として成功したいのか?セーラだってもう三十後半だろ?今更どこの事務所が拾ってくれるんだよ、元裏モノAV女優がほざくなよ!」

 パンッ!!

 セーラは初めて男性の頬を平手打ちした。

「・・ごめんなさい、ワタシ行かなくちゃ・・・もしワタシが警察に捕まっても、アナタのドラッグについては何も言わないから」

 素早くシートベルトを外してセーラは助手席から降りた。しかしビルの入り口に向かおうと歩き出した瞬間、ダウンジャケットの右ひじを追ってきたウワガキに掴まれた。

「嘘だ!オマエは警察に言うはずだ!オレを道連れにして減刑して貰うんだろう!」

「そんな事しない、いや!離して!!」

 と、大声を上げてしまったが、セーラは人が集まってくる事の方を懸念した。あと数メートル、せっかく林屋出版まで来たのにこれじゃ社長に会えないかも知れない。ぐずぐずしてたら警備員が出て来て大事になってしまうかも、そうしたら警察も来て・・・ウワガキは両手でセーラを掴み無理やり車の方へ連れ戻そうとした、セーラは声を出さずなんとか抵抗をしていた、すると後ろから男性が「どうしました?」と声をかけてきた。ウワガキは関係ないだろ!と言いながらその男性を押し退けようとした、男性は押してきたウワガキの手首を掴んで体を逆方向に捻った、するとウワガキは宙を舞ってコンクリートに一回転して背中から落ちた。

「ぐわっ」

「ウワガキくん!」と思わずセーラは声を上げた。

「あ、やり過ぎましたかねぇ・・お嬢さんは大丈夫ですか?」

「は、はい、ありがとうございま・・・キャーー!!」

 セーラは大きな悲鳴を上げた。なぜなら、その助けてくれた男性の姿が余りにも最近見た死体に似ていたからだ。

「あらら、助けた方が悲鳴をあげられるとは・・いやはやなんとも・・」

「す、すいません、ち、ちょっと貴方が知人に似ていたもので・・」とセーラは何とか返答した。

「ああ、なるほど。アナタはきっと兄をご存じなんですね?」と、その太った中年男性は言った。

「モウリケンヂは私の兄で、私は林屋健三と申しまして、一応このビルの社長をしている者です。」



(65)ベレッタ


 セーラは温度も濃度も丁度いい完璧な緑茶を飲みながら、生涯で一度も食べた事がなかった栗きんとんを食べた。そして思わず片手で口元を抑えながら「うーーーっ」と唸ってしまった。

「どうです?美味しいでしょう?ここの栗きんとんを食べたら他の物は食べられなくなりますよ」と、テーブルを挟んで林屋健三は嬉しそうに言った。セーラは他の栗きんとんを知らないので、食べるならもう一生これでいいと思った。

 今二人は林屋出版の社長室にいる。建て替えられたばかりの新しいビルの中に、こんな昭和レトロな応接室がある事にセーラは驚いた。なんでもこの部屋は先代の林屋出版の社長室を完全に再現しているらしい。家具や装飾品もセーラが子供の頃にうっすら見た記憶がある30年以上前の物ばかりだった。お茶菓子といい、内装といい(よく見ると林屋健三の服装も)とにかく拘る人なのかも知れない。

「この部屋に招いたのは家族以外でアナタが二人目です。」と林屋健三は言った。

「年齢は・・アナタと同じぐらいかな?最近友人になったジャーナリストの男性なんですよ」

 彼の事だと思ったがセーラは口には出さなかった。我々に繋がりがある事を知られたら、彼に迷惑がかかるかも知れない。

「そうなんですね」とセーラはお得意の、一回で男性の記憶に焼き付く営業スマイルを返した。

「ふむ、落ち着いたようでよかった・・ところでさっきの男性は彼氏ですか?腰を押さえていたようですが・・ちょっとやり過ぎましたかねぇ」

「あ、いえいえ、ありがとうございます。あわてて車に乗って行きましたね、運転出来てたみたいだから大丈夫だと思います。彼氏・・ではないんですけど。」

「そうですか、余計な事をしてしまったのかと」と言って林屋健三は頭を掻いた。

「いえ、本当に助かりました。・・あの、さっきの技はなんですか?柔道?」

「ああ、あれは合気道です。技の名前で言えば、逆半身片手取回転投げですね」

「逆・・半身・・回転・・」

「あはは、技の名前を覚えなくてもいいですよ、うちは兄が剣道の達人だったので私は合気道に途中から転向したんです。何をやっても兄には勝てなくてね」

「そうなんですね・・」

「まぁもう一つ上に腹違いの兄がいるんですが、彼は武道とは縁遠い人で・・あ、林屋家とも縁遠いか。あははは、おっと、そんな事どうでもいいですね。ところで、アナタは先ほど私を見て驚いていましたが、兄のケンヂをご存じなのでしょう?よければどういうご関係か教えて頂けますか?生前の兄の知り合いという方に私はほとんど会った事がなくて」

「あ、いえ、ワタシは知り合いというほどでは・・・」

「お仕事とかですか?」

「え、ええ、まぁ‥仕事と言えば仕事ですね・・」

 実際にはスキャンダルを一方的に報じられただけなんだよな・・とセーラは思った。

「じゃあ、例えばですけど・・」と言いながら林屋健三はテーブルの下に手を入れた。

「はい?」

「アナタが兄を殺したんではないですか?」

 林屋健三は取り出したベレッタM92の銃口をセーラの額に向けた。

「!」

 セーラは自分が何をされているのか一瞬分からなかった。そのせいで体が完全に固まってしまった。まさか自分の人生で銃を突きつけられる日がくるなんて・・・。

「さっき外にいた時も、どこかで見覚えがあるなぁとは思っていたんですが、今はっきりと分かりました。アナタ、GSW出版のビルで防犯カメラに映っていた女性ですね?」

 そうか、知らなかった・・あの時撮られていたなんて・・だから警察がすぐワタシの周辺に現れたんだ・・・。

「私はここのところずっとアナタを探していました。それなりの人脈やお金を使って・・でも見つからなかった・・それなのにまさかアナタの方からやって来てくれるとは」

 二人は座ったまま有田焼の湯飲みと食べかけの栗きんとんが乗ったテーブルを挟んで対峙している。林屋健三は銃を持った右手に左手を添えた。セーラは全く動かず、相手の顔を正面から見た。そして「ワタシが犯人だったら良かったんですけど・・」と言った。

「・・ん?今なんと?」

「失礼ですが・・社長さんの手は震えています。でもワタシが犯人だったらその引金をひくだけで全てが終わったんですもんね、ごめんなさい。」

 林屋健三は少し驚いていた。この娘は銃を向けられてもなお、相手をおもんばかるれるのかと。

「きっと・・いえ、間違いなくワタシがお兄様の最後の姿を見た人間だと思います。ただあまりに驚いてしまってすぐにその場を離れたので、実際にはその時に亡くなっていたのかは分かりません・・もしかしたらそこですぐ救急車に連絡すれば、あるいはまだご存命だったのかも知れません。ワタシはその事をずっと後悔しています・・・本当に申し訳ありませんでした。逃げてしまった事が何らかの罪にあたるのであればワタシはすぐに自首します。」

 セーラは深々と頭を下げた。そしてそのまま続けた。

「それを承知で、林屋社長に一つだけお願いがあります。お兄様が雑誌で記事にしたワタシの素人時代のAV出演の写真は、実はワタシではありません。なので、ワタシと間違えられて写真を掲載された女性が、雑誌が出版された事でもしかしたら今困っているかも知れません。その事を周りに秘密にして静かに暮らしていたとしたら、その子の人生は大きく狂ってしまってるかも知れない。その事だけ・・林屋社長のお力でなんとかならないでしょうか?・・もし必要とあればワタシが出演していた作品の画像を探して提出しても構いません。その、ワタシの身代わりになっている女性にこれ以上迷惑がかからないように・・どうか・・・」

「・・つまり、ある意味ではアナタに兄を殺す動機があると?」と林屋健三は言った。

「・・そうかも知れません。客観的に見れば自分の秘密を暴露されたという事で、お兄様を殺す動機としては十分でしょうから・・」

「でもアナタは、その記事の写真を差し替えて、間違って掲載された女性を救ってくれと言っている。その為ならむしろ自分の写真を使ってくれと?」

「はい・・ワタシのせいで間違えられた人が悲しい思いをしているとしたら、耐えられないんです・・」

 下を向いたセーラの顎から涙がテーブルにポタポタと垂れて、テーブルの木目にドット柄を描いた。10秒ほどの沈黙の後、林屋健三が口を開いた。

「・・・実はこれ、オモチャなんです。」

「えっ・・」

 セーラが顔を上げると、林屋健三は銃口を上に向けて椅子の背もたれに体を預けた。

「ふぅー。慣れない事をやるもんじゃないですね、緊張して手が震えましたよ」

「・・あの・・」

「私の趣味なんです。モデルガン制作。と言っても昭和の玩具なので、人間の皮膚を貫通するぐらいの威力はあるんですけどね。どうです?本物みたいに塗装してあるでしょう?」

 林屋健三はテーブルにベレッタを置いて、ティッシュを数枚取ってセーラに渡すと「アナタは笑顔も泣き顔もすごいですね」と言った。

 セーラは意味が分からなかったがティッシュを受け取り「ありがとうございます」と言った。

「すいませんね、脅かしてしまって。ただずっと兄を殺した犯人を追っかけていて、いざ目の前に現れたと思ったらどうしていいか分からなくなったんです。丁度テーブルの下にいつも眺めているお気に入りのモデルガンがあったので、そうだ、これで脅して足止めしておいて誰かに警察を呼んで貰おう、というアイデアしか浮かびませんでした。いい大人が、なんとも子供じみてますね、あはは」

 セーラは返答に困っていた。

「ワタシには兄や何人かの親しい人間たちのように、特別な力があるわけではありません。ただ長年この業界で社長業をやってきて色んな人間を見てきました。そのお陰で目の前にいる人が信用に足る人間かどうかだけはすぐに分かります。実際アナタが栗きんとんを一口ほおばった時には、もうアナタを信用していました。ただ向けてしまった銃を下げる為には、もう一つ確信が欲しかった。どこかの作家が言っていたように(物語に銃が登場したらその弾は発射されなければいけない)という・・まぁ銃というのは玩具であってもそれぐらい(重さ)があるモノなのでね」

 確かチェーホフだったっけ・・とセーラは思った。林屋健三は続ける。

「アナタは入り口の前で男性に襲われていたにも関わらず、私に投げられた後、その男性を気づかっていました。そして銃を向けられても、向けた私の心情をくみ取ろうとしていた、そしてそもそもここに来た動機は、自分の記事の取り下げ要求ではなく、自分と間違えられた女性を救ってくれ、という物でした。そんな人間が人を殺せるはずがありません。」

「はい・・あの・・根本的な疑問なのですが・・・」とセーラは言った。

「なんでしょう?」

「お兄様は、やはり誰かに殺害されたのですか?」

 林屋健三は立ち上がり、急須にお湯を注いでセーラにお茶のお代わりを入れてくれた。それから自分の湯飲みにも注ぎながら「私はそう思っています」と言った。

「ただ、安心してください。遺体の死亡推定時刻からアナタが発見した時にはもう、兄は亡くなっていました。ですからアナタが対応を怠ったせいで兄が亡くなったというわけではありませんよ」

 セーラの目にまた涙が溢れた。「よかった・・・」

「まぁお茶でも飲んで落ち着いてください。それからもう一つ」

 セーラは涙を拭いてお茶を口に含んだ。さっきより仄かに甘いような気がした。

「アナタが懸念している、アナタと間違って写真を掲載されてしまった女性についてですが・・」

「はい・・」

「その方は、いないかも知れません」

「えっ?どういう・・?」

 林屋健三はベレッタをテーブルの脇に寄せて少し前かがみになった。

「言葉通り存在していないという意味です。あ、いえ、確定出来るものではないんですけどね。ええっと・・なんと言うか、つかぬ事をお訊きしますが、アナタはその記事を掲載される前後(何かに付き纏われている)ような感覚はありましたか?」

 セーラには身に覚えがあった。だから小さく頷いた。

「やはり・・・簡単には信じて貰えない話ですが、兄には非常に稀有な能力がありました。・・実際私も詳細は分からないんですが、兄は雑誌に載せる記事の為の取材をした事がないんです。ずーっと自分の仕事場に籠っていました。それなのにほとんど一人で雑誌を作っていたんです」

「えっ?・・じゃあどうやって・・」

「もちろん外部のライターを多少は雇っていましたよ、文体も一人だと本全体が似てしまいますし、バリエーションやタスクの分散として実務的に。でも外注のライター達に任せた記事はあくまでオマケ程度のページ稼ぎで、文字数も少ない物でした。ほとんどは兄の取材・・いや、力によって雑誌は出来ていたんです。」

「・・それは、優秀な編集長一人の力で雑誌が出来ていた、という言葉そのままの意味ではない、という事ですよね?」とセーラは訊いた。

「やはりアナタは察しがいい。私は兄の会社の内情が気になって、ある時訊いたんです。ほとんど会社にいるみたいだけど、どうやって取材をしているんだと。すると兄は(オレは足を使うなんていう古臭い取材スタイルじゃないんだ、オレはオレの一部を飛ばしているんだ、ドローンみたいにね)と言いました。」

 セーラはゾクっと寒気を感じて身震いした。

「あ、寒いですか?エアコンの温度を上げますね、ワタシは太ってて暑がりなので」

「あ、いえ、大丈夫です」

 そのセーラの返答を無視して林屋健三はリモコンを何度か押した。

「私にはその意味が分からなくて首を傾げました。すると兄は(オレはクサイと思った人物を見つけたら、しばらくオレの一部を張り付かせる。するとそいつの知られたくない事が分かってくる。その尾行の間に分かりやすくボロを出す時もあれば、誰かに秘密がバレないかと心配している様子が見られる時もある、そこから得た情報を元に記事を書いているんだ)と言いました。私はその時にやっと、いじめられっ子だった兄がある時から急に周りに恐れられるようになった理由が分かったんです。きっと兄は自分を攻撃してくる相手の弱みを握って彼らをゆすっていたのでしょう。・・最近知ったんですが、これはリモート・ビューイングという能力の一種らしいです。」

「リモート・ビューイング?」とセーラは聞きなれない言葉を反芻した。

「はい、いわゆる遠隔透視と言われる遠く離れた場所や物体、人物の情報を、直感やイメージで感知する力です。某国ではその能力を保有する人間を軍事目的に雇っていると言われています。敵国の武器庫を探したり、テログループのリーダーの居場所を探したり・・・しかし兄にはそれ以上の能力もあったのです」

「・・・・」セーラは話の続きを聞くのが段々恐ろしくなってきた。

「もちろん私も兄の話を最初から信じていたわけではありません。だから私は、同じ本を作る人間として当然の疑問をぶつけました。兄さんの雑記は娯楽雑誌だから百歩譲ってそのいい加減なやり方で記事を書けたとしても、写真はどうしてるんだ?漠然とイメージが沸くだけじゃどうしょうもないだろ?別にパパラッチでも雇うのかよ?と。すると兄は驚くような事を言いました。」

 林屋健三はお茶を一口飲んで喉を潤した。

「(ウインクをすれば写真は撮れる)と言ったんです。」

「えっ!?」

「いや、アナタの疑問はもっともです。ワタシも相手が血を分けた双子の兄弟とはいえ、聞いた時にはアナタと全く同じ反応をしましたから。そのぐらいさっぱり意味が分かりませんでした。言い忘れましたが兄は右目が義眼なのですが・・」

 そこでセーラは、自分が見た遺体は目をくり抜かれていたわけではなくて、元々片方の眼球がなかったのだと分かった。それと同時に自分が目玉に追われているという妄想に取りつかれていたのは、この話を聞くかぎり間違いではなかったのだと思った。林屋健三は続ける。

「・・その義眼の方の眼窩には普通の物は見えなくても、見たい物を見られる力があるんだと、兄は言いました。だから例えその場に自分がいなくてもカメラを持って、眼球のない方の目をウインクするように瞼を動かせば、それがシャッターとなって(浮かんできたイメージを念写する事が出来る)と言ったのです。」

「・・・すいません、情報量が多くてワタシの理解が追い付かないようです」とセーラは正直に言った。

「そうですよね、それは当然です。・・では推測の域を出ませんが、アナタに関する事だけを端的に言いましょう。兄は(ない方の目)を使ってアナタを尾行して、アナタの知られたくない秘密を嗅ぎつけて記事にする為に、その場面をイメージとして念写した、その写真に映っているのがアナタの言っている記事の女性だと思います。」

 セーラはこめかみを指で擦った。

「・・・という事は・・あの写真に映っている女性は、ワタシであってワタシではない・・お兄様がイメージした場面を念写したワタシであると?」

「仰るとおりです。だから現実には存在しない人物です。私はその雑誌の記事を見ていませんが、少なくとも兄がアナタの出演した昔の作品を一生懸命探し出して、わざわざ動画から切り取って掲載した画像ではないと思います。きっと兄は最新号を出すにあたっても、あの狭い仕事場から一歩も出ていなかったでしょうから。」 

 色々とすぐには理解できない部分があったが、とにかくセーラはほっとした・・どうやら自分の過去の過ちで他人を傷つけたわけではないのだと。

「・・・でも・・どうしてワタシがターゲットだったんでしょう?お兄様ともワタシは接点がなかったですし、自分で言うのもなんですが、今更スキャンダルが出てもあまり話題になるような人間でもないですし・・」とセーラは言った。

「どうですかね?・・記事に抜けがあって締め切りに間に合わせる為になんでもいいからネタを探していたのか・・もしかしたら、最初は違う人間を狙っていたのか・・」

「え?」

「アナタの近くに、兄と接触していた人がいて、兄は元々その人を追っていたのかも知れません。これもあくまで推測ですが、その人の弱みを掴もうとしていた時にアナタが出て来て、アナタにターゲットを移行したのかも・・あるいはアナタ自体が兄の追っていた人にとっての弱点だったのか・・・」

「・・ワタシが、弱点?」

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