特別な兄妹①(若菜の過去)
「わかなちゃんは本当にいい子ね」
始まりは幼稚園の先生の何気ない一言だった気がする。
元々体がそんなに強くなかったわたしはみんなが外で遊ぶ中、部屋で1人本を読んでることが多かった。きっと『手のかからない子』という意味だったのだろう。けれど当時のわたしは自分の何がいい子なのかさっぱりわからなかった。
降園の時間になると、2つ上の兄さんがいつもわたしをクラスまで迎えに来てくれる。
「わかな、かえろ!」
「あら~こうすけくんはいいお兄ちゃんね」
どうやら兄さんはいいお兄ちゃんらしい。
じゃあ兄さんのまねをすればわたしはもっといい子になれる。幼稚園に入りたての子供がその単純な答えにたどり着くのは想像に難くない。
その日からわたしは兄さんのすることはなんでもまねするようになった。
兄さんが外に遊びに出ればそれについていき、ご飯をおかわりすればわたしもおかわりをする。
もちろん年齢的にも、男女の差があって、できないこともたくさんあった。けれどそんな時はいつも兄さんが助けてくれた。わたしはそんな兄さんが大好きだったし、子供ながらに尊敬していた。
兄さんが幼稚園を卒園し、小学校に上がってから一番変わったことは兄さんが勉強を始めたことだ。といっても自ら進んで机に向かっていたわけではなく、お母さんに怒られて渋々って感じがほとんどだったけれど。
そしてわたしはそんな兄さんのまねをして隣で紙に鉛筆を走らせる。普通は精神と脳がまだ未発達な幼稚園児には難しい、その深淵の扉の中を覗くようなことができたのはひとえにわたしがよく本を読んでいて、ひらがながわかって、文章が理解できたからだろう。
そしてわたしには勉強の才能があった。そのことに気づいたのはわたしが小学校1年生の時だった。
一緒に帰ろうと兄さんの教室を訪れると、兄さんの担任の先生に委員会だからここで待っているといいと言われた。
兄さんの席に座り、暇そうに足をぷらぷらしていると担任の先生が暇そうなわたしの相手をしてあげようと勉強を見てあげようかと提案してきた。けれど当時のわたしは1年生の勉強はいわば2年前に終わっているといった感じで分からないことはおろか興味を持つことさえない毎日を過ごしていた。
何気なしに机の中を漁ると中から兄さんの算数の教科書が出てきて、先生は「もう、置き勉はダメだって毎日言ってるのに」とため息を吐いている。
わたしはその教科書を何気なしにパラパラとめくると衝撃を受けた。わたしの知らない記号。わたしの知らない式。
けれどそのどれもがパラパラと教科書を見ただけで理解できた。
「先生、この問題って……こういうこと?」
「おっ、すごいね正解。お家でお兄ちゃんと勉強してるの?」
わたしは首をゆっくり横に振る。
「ううん、初めて見た。けど、ここにこう書いてるからこういうことかなって」
先生の驚き、目を見開いた顔は今でもはっきりと覚えている。
「じゃ、じゃあこの問題は?」
わたしは指さされた問題の数ページ前をチラッと除いて、そして答えを教えた。
「て、天才だわ……」
その次の日からわたしは学校で天才だの神童だの言われるようになった。
先生達からは特別扱い。同級生はわたしを天才と囃し立てて敬うようになり、以前比べ疎遠になった。お父さんとお母さんは以前からわたしのことを溺愛してくれていたけれど、それに拍車をかけたように親バカになり、天才だの自慢の娘だのという言葉を浴びせ、もてはやすようになった。
そしてそんな人達は1ができるとわかると2を求めてくる。2ができると3を。3ができると4を。
みんなの期待に応えるためわたしは毎日机にかじりつくように勉強をした。そしていつしか私自身も自分は他人よりも優れているのだからそれに応えることが務めであり、使命であると思うようになっていた。
けれどそんなモチベーションでいつまでも続くわけがない。
小学校4年生の時。いわゆる高校までの勉強というのが終わったあと、今まで通り次のステップへと大学の範囲に手を出して、そして手が止まった。
初めての感覚だった。教科書や参考文献を読んでも理解ができない。なぜそうなるのかがわからない。
わたしは怖くなった。勉強が分からないことがじゃない。周りの人達が——わたしに期待し、わたしをもてはやしていた人達がわたしに失望することが。見放されることが。
部屋に籠って何度も何度も教科書を読んで参考文献を漁って。けれど1つ解けてもまたさらに難しい問題がわたしを襲ってくる。
気づけばわたしはペンを持つのもやめてただぼーっとしていた。
まるでゴールのない一人マラソンをずっとしているようで。やめて、投げ出してしまいたい。けれどそんなわたしに価値なんてない。
そんな板挟みな場所からわたしを連れ出してくれたのは兄さんだった。
「なあ、若菜。一緒にゲームしようぜ」
その誘いに乗ったのはいわば現実逃避のようなもので。逃げる理由が欲しかったわたしには好都合だった。思えば兄さんと一緒にゲームをするのなんてわたしが兄さんのまねばかりしていた時以来だ。あの頃はよく一緒にゲームをしていた。
ピコピコとテレビの前で二人、無言でコントローラーを握り、時には兄さんの大人げないプレイに文句を言って。まるで昔みたいに。
そうか——兄さんだけはわたしをただの妹として見てくれていたんだ。
こうして兄さん大好きなブラコンが完成したってわけ。




