第5話 双子の出生と夫の嘘
第5話 双子の出生と夫の嘘
十二月の早朝、幸子は腹の奥を強くつかまれるような痛みで目を覚ました。枕元の時計は四時十二分を指し、窓の外では細かな雨がベランダの手すりを濡らしている。隣では、まなとはんなが一枚の毛布にくるまり、互いの足を重ねて眠っていた。
痛みが引いた隙に、幸子は布団を抜け出した。灰色のスウェットの上から腹を押さえ、台所まで歩く。昨夜作った里芋の煮物と冷めたみそ汁が鍋に残っていたが、湯気のない食べ物を見ただけで吐き気が込み上げた。
二度目の痛みは、十分もたたずにやってきた。幸子は流し台へ両手をつき、息を吐く。腹の中で双子が激しく動き、腰まで重くしびれた。
「ママ、お腹が痛いの?」
まなが寝室の襖を開け、目をこすっていた。短くなったパジャマの裾から、細い足首が出ている。幸子は口元を曲げて笑い、大丈夫だと答えた。
「赤ちゃんが、そろそろ出たいって言ってるみたい」
「今日、生まれるの?」
「まだ分からないよ。病院の先生に聞いてみるね」
「はんなも起こす?」
「まだ寝かせてあげて。まなは、テーブルにある電話を取ってくれる?」
幸子は病院へ連絡し、すぐに来るよう指示された。続いてクラブのママへ電話をかける。ママは一度で電話に出ると、寝起きとは思えないはっきりした声で、三十分以内に迎えに行くと答えた。
「透真には連絡したの?」
「まだです」
「一応、知らせなさい。来るかどうかを決めるのは、あの人よ」
「来ないと思います」
「来なかったという事実も残るわ。電話だけはしておきなさい」
幸子は透真へ三度電話をかけたが、すべて留守番電話につながった。双子の出産が始まりそうなので病院へ行くと、短いメッセージも送る。既読はつかなかった。
ママが到着すると、まなとはんなを毛布ごと抱き上げた。ママは化粧をせず、黒いセーターと幅の広いズボンを着ている。いつもの香水ではなく、洗いたての髪と缶コーヒーの匂いがした。
「子どもたちは私が預かるわ。幸子は病院のことだけ考えなさい」
「入院用のバッグが押し入れにあります。まなの幼稚園の服は……」
「着替えも幼稚園も、こちらで何とかする。朝ご飯は?」
「まだです。冷蔵庫に卵が三つあります」
「分かった。卵焼きくらい、私にも作れるわよ」
「ママの卵焼き、前に殻が入ってたよ」
まなが毛布から顔を出して言うと、ママは眉をつり上げた。今度は入れないと約束し、はんなを背中に負ぶう。幸子は痛みの合間に笑い、入院用のバッグを持って玄関を出た。
病院へ着いてから、出産まで九時間かかった。幸子は薄い青色の入院着を汗で濡らし、何度もシーツを握った。一人目の産声が聞こえた直後、休む間もなく二人目の出産が始まった。
「一人目の男の子、元気ですよ。二千四百八十グラムです」
「もう一人は?」
「すぐに会えます。お母さん、もう少しです」
二人目の産声は、一人目より少し高かった。幸子の胸元へ、白い布に包まれた二人が順番に運ばれてくる。赤く濡れた顔も、固く握った指も、兄弟なのに少しずつ違っていた。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
幸子が指を差し出すと、弟が小さな手で握った。力は弱かったが、確かに温かい。透真へ送ったメッセージは、出産が終わっても未読のままだった。
夕方、まなとはんながママと一緒に病室へ来た。二人はガラス越しに並んだ赤ん坊を見つけ、どちらが兄かを看護師へ何度も尋ねる。まなは背伸びをし、はんなはガラスへ鼻をつけた。
「赤ちゃん、二人とも顔がしわしわだね」
「はんなも生まれたときは、しわしわだったよ」
「うそ。はんなは、かわいかったよ」
「この子たちも、かわいいよ。お兄ちゃんが湊、弟が樹だよ」
「みなとと、いつき?」
「うん。二人で相談して、覚えてあげてね」
夕食には、白身魚の煮つけと青菜のおひたし、温かいみそ汁が出た。幸子は魚を一口食べただけで喉が詰まり、箸を置く。まながベッド脇の椅子へ座り、魚の骨を取って幸子のご飯へ載せた。
「ママ、食べないとおっぱいが出ないよ」
「まなは、何でも知ってるね」
「ママが前に言ってたよ」
「じゃあ、もう一口食べる。見ていてね」
幸子は魚とご飯を口へ運び、ゆっくり飲み込んだ。娘たちが帰ったあと、透真からようやく返信が届いた。祝いの言葉も、幸子の体を気遣う言葉もなかった。
《本当に俺の子なのか?》
幸子は画面を閉じ、スマートフォンを伏せた。窓の外では雨がやみ、病院の駐車場に残った水たまりが街灯を映している。幸子は返事をせず、一条へメッセージの画像を送った。
退院から二週間後、幸子は双子の出生届を提出した。婚姻中に生まれた二人は、法律上、透真の子として戸籍に記載される。湊と樹という名前が並んだ戸籍を受け取ると、幸子は折れないように透明なファイルへ入れた。
家へ戻ると、居間は洗濯物でいっぱいだった。小さな肌着、娘たちの靴下、双子の布おむつが部屋干し用の棒から垂れ下がっている。温め直した豚汁の匂いと赤ん坊のミルクの匂いが混じり、以前より狭くなった部屋に四人の子どもの声が響いていた。
「ママ、樹が泣いてる」
「湊も起きたよ」
「まなは湊を見ていて。はんなは、おむつを一枚取ってくれる?」
「はんな、二枚持てるよ」
幸子は二人を交互に抱き、冷めた豚汁を立ったまま飲んだ。眠れるのは一度に一時間ほどで、髪を洗う時間さえ取れない。それでも、子どもたちが布団に並んで眠ると、幸子は四人の胸が動いていることを一人ずつ確かめた。
その頃、美津子は神崎家の親族へ電話をかけていた。透真とは別居していた時期に妊娠した、父親が誰か分からない子を神崎家の戸籍へ入れられたと話している。さらに、神崎不動産の取引先が集まる食事会でも、同じ話をした。
噂を知ったのは、神崎不動産と長く取引している会社の社長からだった。その社長はクラブ「花扇」の客でもあり、ママへ確認の電話をかけてきた。ママはすぐに幸子へ連絡し、聞いた内容を日時とともに書き留めるよう伝えた。
「美津子さんは、父親が誰か分からない子だと言っていたそうよ」
「親族だけでなく、会社の取引先にもですか?」
「ええ。あなたが夜の店で働いていたことまで持ち出して、好き勝手に話しているらしいわ」
「湊と樹は、生まれてきたばかりなのに……」
「電話をくださった社長さんは、必要なら聞いたことを証言すると言っている。ほかにも、その場にいた人を確認してもらうわ」
幸子は一条へ連絡し、美津子の発言を伝えた。一条は、噂を聞いた人物の名前、場所、日時、発言の内容をできるだけ正確に記録するよう指示する。確認できた相手には、美津子の言葉を聞いたという陳述書の作成も依頼した。
離婚調停では、透真も双子との血縁を否定した。幸子が婚姻中に別の男と関係を持った可能性があり、自分には養育費を払う義務がないと主張する。幸子は一条から内容を聞き、授乳用の服のボタンを一つずつ留め直した。
「透真は、本気でそう言っているんですか?」
「書面には、そのように記載されています」
「双子を妊娠した頃、私たちは一緒に暮らしていました。透真も妊婦健診に来ています」
「母子手帳に記録はありますか?」
「病院で父親として名前を書いた書類もあるはずです。双子だと分かった日に、透真が撮った診察室の写真も残っています」
一条は、透真が血縁関係を争い続けるのであれば、DNA鑑定に応じるよう求める方針を立てた。透真側は最初、費用がかかる、赤ん坊に負担があると言って拒んだ。しかし一条が、血縁を否定する一方で鑑定から逃げる理由を正式な書面で説明するよう求めると、透真は態度を変えた。
鑑定の日、透真は赤いダウンジャケットを着て現れた。幸子と目を合わせず、待合室で何度もスマートフォンを触っている。湊と樹は白いおそろいの服を着て、二人乗りのベビーカーで眠っていた。
「ずいぶん小さいな」
透真が双子を見て言った。幸子はベビーカーの前に立ち、透真が不用意に触れないようにした。透真は不満そうに口を曲げる。
「あなたが家を出たあとに生まれたから、知らないだけでしょう」
「別に、見たいなんて言ってない」
「それなら、終わるまで離れていてください」
「俺の子だと決まったわけじゃないだろ」
「だから今日、調べるんです。結果が出たあとも、同じ言葉を言えるか覚えておいてください」
鑑定のための検体採取は短時間で終わった。双子が泣くと、幸子は一人ずつ抱き上げ、持参したミルクを飲ませた。透真は自動販売機で買ったコーヒーを飲みながら、その様子を遠くから見ていた。
結果が届いたのは、それから数週間後だった。一条の事務所で封筒を開くと、透真と双子の父子関係を肯定する結果が記されている。疑う余地のない数値を見ても、透真はしばらく黙っていた。
「検査が間違ってる可能性は?」
「正式な鑑定機関による結果です。根拠もなく間違いだと言うのであれば、その根拠を示してください」
「母さんが、幸子は夜の仕事をしていたから信用できないって……」
「あなたは自分の子どもを侮辱した責任まで、お母様に押しつけるのですか?」
一条の問いに、透真は唇を噛んだ。新品だった革靴には泥がつき、右足のかかとを何度も床へ打ちつけている。幸子は鑑定書を閉じ、透真を正面から見た。
「疑ったことまで責めるつもりはありません。確かめたいと思うことはあるでしょう。でも、子どもを侮辱した言葉は、一生忘れません」
「俺は、母さんに言われただけだ」
「あなたが送ったメッセージは、あなたの言葉です。調停で血縁を否定した書面にも、あなたの名前があります」
「じゃあ、謝ればいいのかよ」
「謝る相手は私ではありません。湊と樹です。二人が言葉を理解できるようになったとき、自分が何をしたのか説明してください」
美津子に対しては、噂を聞いた複数の人物の陳述書とDNA鑑定の結果を添え、発言の撤回、謝罪、損害賠償を求める通知書が送られた。美津子は最初、世間話をしただけだと反論した。しかし一条が、取引先へ事実と異なる話を広めた具体的な日時と場所を示すと、言い逃れはできなくなった。
最終的に、美津子は発言を伝えた親族と取引先へ、内容が事実ではなかったと認める文書を送った。幸子と双子への謝罪文を提出し、解決金も支払うことになった。署名の下には、美津子の印鑑が赤く押されていた。
その夜、幸子は謝罪文を戸棚の奥へしまった。まなとはんなは布団の上で双子を挟み、絵本を読んでいる。湊は途中で眠り、樹は絵本の角を握ったまま離さなかった。
「ママ、赤ちゃんたち、パパに似てるの?」
まなが尋ねた。幸子は洗濯物から外した小さな肌着を畳み、二人の枕元へ置く。窓の外では風が鳴っていたが、部屋には煮込んだクリームシチューの匂いが残っていた。
「似ているところもあるよ。でも、湊は湊で、樹は樹。誰に似ていても、二人が大切なことは変わらないよ」
「はんなには似てる?」
「食べるときに鼻が動くところは、はんなに似てるかも」
「じゃあ、はんなのお赤ちゃんだね」
はんなが樹の頬を指でつつき、まなが慌てて止めた。幸子は四人に毛布をかけ、食卓へ戻った。冷めたシチューを温め直しながら、透真から一度も振り込まれていない婚姻費用の記録を家計簿へ書き足す。
双子が透真の子であることは証明された。けれど、透真が父親としての責任を果たすかどうかは、別の問題だった。幸子は空欄のまま並ぶ入金記録を見つめ、次の手続きを一条へ相談するため、必要な書類を封筒へ入れた。




