第三十七話 アキン・ドゥの躍進
やっぱり、俺の勘に間違いはなかった――そう確信しながら、俺はアル・ザーク領を後にした。
空高く飛ぶワイ子の背の上で、ぐぅっと大きく伸びをする。骨が鳴る音がやけに心地いい。空は高く、風はやわらかい。旅の始まりにしちゃ、上々だ。
思い返せば、アル・ザーク領で過ごした日々は、ほんの数日だったはずなのに妙に濃かった。……いや、濃すぎると言ってもいい。
「まさか、あれがなぁ……」
思わず独りごちる。
出された料理は、どれもこれも見たことも味わったこともない代物ばかりだった。しかも、ただ珍しいだけじゃない。どれも舌を唸らせるほど美味いときている。
あの“悪魔の実”だの、“家畜の餌”だのと呼ばれていたものが、だ。そんな話、外で言ったところで誰が信じる? 俺だって、実際に食うまでは眉に唾つけてたくらいだ。
中でも――やっぱり「ジャガ」だ。
「あれは、普通にやってたら売れねぇよな……」
ワイ子の首を軽く叩きながら、苦笑する。
土臭くて腹に溜まるだけの代物。それが、蒸したり揚げたりするだけで、あそこまで化けるとは。まったく、料理人ってのは魔術師か何かか?
結局、俺は領主に頼み込んで、ジャガの料理法を教えてもらった。
……もっとも、覚えられたのは「蒸かす」と「揚げる」だけだが。
「それだけで十分だ」なんて言われたが、本当かね。まぁ、あの味になるなら、確かに十分なのかもしれん。
やり方は頭に叩き込んだ。後は実践だ。
「街に着いたら、どこかの食堂と話つけるか……」
うまくいけば、一儲けどころの話じゃない。あの味は、間違いなく人を呼ぶ。
――いや、食い物だけじゃない。
「あのワインも、捨てがたいよなぁ」
自然と頬が緩む。
まだ出来立てだって話で、若さは否めなかったが、それでも十分すぎるほどの旨味があった。舌に残るあの余韻……あれが熟成されたら、いったいどうなる?
今回、卸してもらえたのは大樽で二十。
すぐに売る分は数樽に留めて、残りは寝かせるべきだろう。
数年後が楽しみだ。十数年も経てば――
「……その頃ゃ、俺もいい歳か」
ふっと笑いが漏れる。
ならば、だ。今わの際に最後の一樽を開けるってのも悪くない。あの世への土産にしちゃ、上等すぎるくらいだろう。
「……ま、そんな先の話より」
少しだけ、声の調子が変わる。
脳裏に浮かぶのは、別の意味で“濃かった”夜のことだ。
サキュバスに、ハイエルフ。
――冗談みたいな顔ぶれに囲まれて過ごした、あの時間。
「あれは……すごかったな……」
思い出しただけで、思わず空を仰ぐ。
あんな美人のお姉さんたちに囲まれて夜を過ごすなんて、これまでの人生で一度たりともなかった。あれを知っちまったら、安っぽい娼館なんぞ、もう足を踏み入れる気にもならん。
幸福ってのは、ああいうのを言うんだろうな。
「……また、味わいてぇよなぁ」
ぽつりと漏らす。
そのためには――仕事だ。
今回の商談をきっちりまとめて、あの領地に荷を運ぶ。それができりゃ、またあの場所へ戻れる。
そう考えた瞬間、胸の奥に火が灯る。
「よし……何が何でも、まとめてやる」
俺は静かに拳を握った。
風はまだ優しく吹いている。だが、その先に待つものは――きっと、甘いだけじゃない。
それでもいい。
あの味と、あの夜が待っているならな。
◇
空を飛び続けて、丸一日。
ようやく視界の先に街の輪郭が見えたとき、俺は小さく息を吐いた。
「……着いたか」
ワイ子がゆっくりと高度を下げる。足元に広がるのは、グランベルク王国の西のはずれ――サカイの街だ。
国境にほど近く、隣国トライセイル帝国の街ともつながりを持つ交易都市。
遠目にも分かる。荷馬車の列、人の流れ、立ち並ぶ商館。あちこちに掲げられた見慣れぬ旗。ああ、なるほど……ここは“混じる場所”だ。
「悪くねぇな……いや、むしろ上等だ」
思わず口元が緩む。
グランベルク王国じゃ手に入りにくい品も、この街なら転がっている。逆に、この国の品を外へ流すにも都合がいい。つまり――俺みたいな駆け出しの商人にも、食い込む余地があるってわけだ。
ワイ子から降りると、軽く肩を回す。さすがに一日空の上は堪えるが、それ以上に胸の内がざわついていた。
街に着いて、まずやることは決まっている。
「……情報だな」
俺の勘が、はっきりと告げていた。
――今すぐ売りに出すのは、よくない。
理由はいくつかあるが、一番大きいのは、俺自身がこの国に来て日が浅いってことだ。
アル・ザーク領についても、ほとんど何も知らないに等しい。
「下手に口滑らせて、面倒事に巻き込まれるのは御免だ」
独りごちる。
仕入れ先なんてのは、本来なら隠すもんだ。だが今回の“仕入れ先”は、そういう次元の話じゃない。
自然と、あの領地で出会った面々の顔が浮かぶ。
領主、アリシア。
その横に控えていたカスミ。
そして――あの、とんでもない代物を寄越してきた女、シズカ。
「……ただの連中じゃねぇよな」
ぽつりと呟く。
アリシアについては、最初こそ世間知らずの貴族のお嬢ちゃん、なんて印象が拭えなかった。だが、時折見せるあの威圧――あれは違う。
あの目、あの空気。
軽く見ていい相手じゃないと、本能が告げていた。
そもそもだ。
“死の森”が領地で、その中心に街があるなんて話からしておかしい。その地を治めるのが、ただの娘のはずがない。
「見た目に騙されるな、ってやつか……」
苦笑が漏れる。
そして、カスミ。
一見すれば、ただの側仕えだ。だが、あれは違う。
あの身に纏う覇気――あれは、戦場をくぐり抜けてきた者のそれだ。
俺は商売柄、冒険者連中を間近で見る機会が多い。A級と呼ばれる連中だって、何人も見てきた。
だが、断言できる。
「……あいつらでも、カスミには届かねぇ」
それほどの圧があった。
静かに立っているだけで分かる。あれは“超一流”だ。
――だが。
「一番わからねぇのは……やっぱり、シズカだな」
思わず足を止めかけて、すぐに歩みを戻す。
本人は、領主の奴隷で錬金術師だなんて言っていたが――
「そんなわけあるか」
即座に否定する。
あのバック。
空間拡張が施された、あの代物。
一つ取っても異常だ。国中の錬金術師が束になっても、再現できるかどうか怪しい。
それだけじゃない。
あの地で目にした、希少素材の数々。
効能までは分からない。だが、商売人として断言できる。どれもこれも、とんでもない値がつく代物だ。
そんな素材を惜しげもなく使い、ああいう魔術具を作り上げる女。
「……どんな化け物だよ」
思わず乾いた笑いが漏れる。
もし、だ。
もしあの女が本気で錬金術を振るえば――どんな魔術具が生まれる?
どれほどの効力を持つポーションが作られる?
考えるだけで、背筋がぞくりとする。
「下手すりゃ……いや、下手しなくても」
あの“伝説”にまで思い至る。
部位欠損すら治すと言われた、幻のポーション。
「あれすら、作れちまうんじゃねぇか……?」
もしそうなら――
アル・ザーク領の価値は、計り知れないどころの話じゃない。
跳ね上がる、なんてもんじゃ済まない。
そして。
そんな場所へ、比較的自由に出入りできる俺の価値も――
「……はは、笑えてくるな」
喉の奥で低く笑う。
だが同時に、理解する。
だからこそ、軽々しく動くわけにはいかない。
下手を打てば、全部吹き飛ぶ。
「やっぱり……情報だな」
改めて呟き、視線を上げる。
ちょうどいい具合に、人の出入りが激しい建物が目に入った。看板、酒の匂い、ざわめき。
「まずは、あそこだ」
最寄りの酒場。
こういう街じゃ、情報は酒と一緒に流れてくる。
俺は人混みに紛れながら、その扉へと足を向けた。
さて――この街は、どんな顔を見せてくれるのか。
胸の内でそう呟きながら、俺は静かに扉を押し開けた。
◇
情報収集は――思ったよりも、あっさり進んだ。
そして同時に、妙な壁にぶつかっていた。
「……なんだ、この偏りは」
酒場の隅で杯を傾けながら、俺は小さく呟く。
アル・ザークという土地についての話だけなら、拍子抜けするほど簡単に集まった。
曰く、“死の森”。
曰く、“生きて帰れない場所”。
曰く、“自殺志願者が向かう地”。
運が良ければ希少素材が手に入るが、それもせいぜい森の入り口付近まで。しかも、A級冒険者のパーティでもなければ話にならない――そんな具合だ。
「……まぁ、聞いてた通りだな」
苦く笑う。
むしろ、噂が誇張されている様子すらない。誰に聞いても似たような答えが返ってくるあたり、事実として定着しているのだろう。
まとめれば、単純だ。
――近寄るな。死にたくなければな。
その一言に尽きる。
だからこそ。
「……街がある、なんて言ったら、頭おかしいと思われるわけだ」
実際、軽くそれとなく匂わせてみたが、返ってきたのは苦笑か、露骨な不信の目だけだった。
まぁ、無理もない。
問題は――そこから先だ。
アル・ザーク“領主”について話を振った途端、空気が変わる。
さっきまで饒舌だった連中が、ぴたりと口を閉ざす。視線を逸らす。話題を変える。
あからさますぎて、逆に笑えてくるほどだ。
「……こりゃ、触れちゃいけねぇ話か」
そう思った矢先だった。
カウンターの向こうでグラスを磨いていたマスターが、ちらりとこちらを見て――
「長生きしたいなら、それ以上は詮索するな」
ぼそりと、そう言った。
脅しでもなんでもない、ただの忠告。
だが、それが逆に重かった。
「……ますます気になるっての」
とはいえ、ここで突っ込んで藪をつつくほど、俺も馬鹿じゃない。
だから、やり方を変えた。
通う。
顔を覚えさせる。
酒を飲み、適当に話し、時には情報を流す。
そうやって一週間。
「……で、ようやく、か」
目の前の皿に視線を落とす。
黄金色に揚がった細切りのジャガ――“フライドポテト”。
こいつをつまみに出したのが、転機だった。
最初は怪訝な顔をしていた連中も、一口食えば目の色が変わる。マスターに至っては、その日のうちに「これをうちで出せないか」と言ってきたくらいだ。
もちろん、ただで教えるほどお人好しじゃない。
その代わりに、ほんの少しだけ――口を割ってもらった。
「……なるほどな」
得られた情報は、断片的だが十分すぎた。
アル・ザーク領主の任命は、実質的な“島流し”。
いや――処刑と同義。
政治に敗れた貴族が送り込まれ、二度と戻らない場所。
先日任命された領主も、例に漏れず、争いに敗れた側の人間。
「まぁ、生きてねぇだろうな」
マスターはそう言い切った。
仮に生きていたとしても――
「貴族同士の火種が再燃するだけだ。だから、話題にするな」
そう釘を刺された。
「……なるほど、ね」
杯を傾けながら、俺は内心で苦笑する。
生きてるどころか、あの様子だ。
街を築いて、あれだけの連中を従えている。
――どう考えても、“普通”じゃない。
だが、それを口に出すつもりはない。
「仕入れ先は……黙っとくのが正解だな」
小さく呟く。
下手に広めれば、面倒どころじゃ済まない。俺一人じゃ抱えきれない波が来る。
なら、今は――静かに稼ぐ。
幸い、足場はできた。
「ジャガは、この店で決まりだな」
視線の先では、マスターがフライドポテトを試作している。多少形は不格好だが、味は問題ない。
あとは安定供給できれば、それだけで看板になる。
「あと二、三軒……食堂を回れば十分か」
ジャガとトウモロコシは、それで捌けるだろう。
問題は――トマトだ。
「あれは……一般向けじゃねぇな」
あの味、あの見た目。
扱いを間違えれば、ただの奇妙な野菜で終わる。
「できれば……貴族か」
舌の肥えた連中なら、価値を理解する可能性が高い。
だが、伝手がない。
「……いや、あるか」
ふと、口元が歪む。
頭に浮かぶのは、大樽に詰めたあのワイン。
まだ若いが、それでも十分すぎる出来だ。
あれを“餌”にすれば――
「一人くらい、釣れるだろ」
貴族との繋がり。
それさえできれば、販路は一気に広がる。
「……よし」
静かに杯を置く。
次にやるべきことは決まった。
この街で、足場を固める。
そして――一段、上へ。
そのための一手を、打つとしよう。




