第三十八話 領地にはお酒が必要?
ぼんっ――と、小さくない爆発音がして、目の前に並べていた希少素材が見事に黒焦げになった。煙がふわりと立ちのぼって、鼻の奥がつんとする。
「あー……また失敗かぁ」
思わず肩が落ちる。これで何回目だろう。数えるの、もうやめた気がする。
机の端に寄せてある残りの素材に目を向ける。……あと、三回分。ほんとにギリギリ。笑えないくらい。
「大丈夫、大丈夫。まだ三回もあるし」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、私は深呼吸をひとつ。それから、また最初の手順をなぞるように手を動かし始めた。
素材を細かく刻む。均一に、丁寧に。少しでも雑にすると、魔力の通りが乱れるから。刻んだそれを炉に入れて、ゆっくりと魔力を流し込みながら溶かしていくと、やがて淡く光る液体へと変わる。
ここまでは、何度やっても同じ。
問題は、この先。
魔石を手に取って、私はそっと指先で表面をなぞる。刻むのは魔方陣。時空系の術式なんて、普通の人なら一生触れることもない領域だ。……まあ、普通じゃないから、こうしてやってるんだけど。
「ねえ、これほんとに現代で作っていいやつなのかな……」
ぽつりと呟いてみるけど、もちろん答えは返ってこない。
この魔石、空間内の時間の流れを操作するためのもの。つまり、簡単に言えば――時間をいじる魔術具。
そんなもの、普通に作れるはずがない。時空魔法なんて伝説扱いだし、この手の品は“アーティファクト”って呼ばれて、古代遺跡から発掘されるものしか存在しないって言われてる。
だからこそ、成功条件はとんでもなくシビア。
「……ほんと、誰よこんな仕様にしたの」
小さく文句を言いながら、私は魔方陣を刻み終えた魔石に魔力を流し込む。ゆっくり、慎重に。飽和するまで、焦らずに。
十分に魔力が満ちたところで、それを先ほどの液体へ沈める。かき混ぜる手は一定のリズムを保つ。ここで乱れると、全部が台無しになる。
魔力と魔力が混ざり合って、やがて均一になる瞬間。そこが完成の合図――の、はずなんだけど。
私の場合は、そこにもうひとつ工程がある。
「……はい、ダイスロール」
小さく呟いて、私は机の端に置いてあった二つの十面ダイスを手に取った。
これが、問題の元凶。
0から9までの数字が刻まれたダイスを二つ振って、合計が16以上なら成功。確率、たったの6%。
「厳しすぎでしょ……」
思わず苦笑いがこぼれる。
しかも、9と9のゾロ目を出したらファンブル。三日間、調合禁止のペナルティ付き。……いやほんと、誰がこんなルール考えたの。
まあ、その代わり、0と0のゾロ目――クリティカルが出れば最高品質になって、素材が消費されないか、もう一個できるかのどっちかになるらしいけど。
「“らしい”って何よ、“らしい”って……」
見たことないし。そんな奇跡。
気づけば、この部屋にこもって三日目。そろそろカスミさんかアリシアが「いい加減にしなさい」って引っ張り出しに来てもおかしくない。
それに、素材もあと三回。どっちにしても、これ以上は続けられない。
「お願いだから……成功してよ」
ダイスに念を込めて、私はそっと振った。
ころん、と軽い音を立てて転がる。
一つ目――0。
「あー……はいはい、いつものね」
半分諦めながらも、ほんの少しだけ期待する。もしかしたら、もう一つも0で――なんて。
……そんなに甘くないよね。
ぼんっ!
小さな爆発とともに、出目は7。
「うん、知ってた」
淡々と呟いて、黒焦げになった素材を片付ける。慣れた手つきが、ちょっとだけ悲しい。
気を取り直して、次。
ダイスを振る。
9と6。
「……惜しいんだけどなぁ」
15。あと1足りない。ほんとに、あとちょっとなのに。
でも、失敗は失敗。
そして、最後の一回。
残った素材を見つめて、私は小さく息を吐いた。
「はぁ……また素材集めからかぁ」
頭の中に、あの面倒な採取作業がよぎる。危険だし、時間かかるし、正直やりたくない。
でも、やるしかない。
「……まあ、最後くらいは夢見てもいいよね」
半分諦め、半分願いながら、私はダイスを振った。
ころり、と転がる音。
一つ目――0。
「はい、終了――」
そう言いかけて、ふと手が止まる。
まだ、もう一つがある。
転がっていたダイスが、ゆっくりと――本当にゆっくりと、動きを止めた。
出目は――0。
――クリティカル。
その出目を視界に捉えた瞬間、時間が止まったみたいに、私はその場で固まった。
「……え」
声が、うまく出ない。
見間違いじゃないよね、とか、幻覚じゃないよね、とか、そんな考えがぐるぐるして、でも目の前のダイスは何度見ても変わらなくて。
0と0。
完璧な、奇跡の出目。
「……っ、やったぁぁぁぁ!!」
次の瞬間には、私は思いきり飛び上がっていた。椅子が倒れる音も、机が揺れるのも構わず、ただ全力で喜びを叫ぶ。
やった、やった、やった……!
ほんとに出た、ほんとに成功した……!
その声が屋敷中に響いたんだと思う。ばたばたと足音が近づいてきて、次の瞬間、作業部屋の扉が勢いよく開いた。
「シズカ様、今の音は――」
真っ先に入ってきたのは、ササラさんだった。長い銀の髪を揺らしながら、少し息を弾ませている。
その後ろには、同じように心配そうで――でもどこか期待を隠しきれていないハイエルフたち。それから、ぱたぱたとスカートを揺らして駆け込んできたサキュバスメイドのみんな。
最後に、少しだけ遅れて、アリシアが静かに扉のところに立った。
「……それで?」
腕を組んで、いつもの落ち着いた声。でも、その目だけは、ほんの少しだけ真剣で。
――ああ、もう。
そんな顔で見られたら、変に引っ張るのも意地悪だよね。
私はまだ少し震える手で、完成した魔石をそっと持ち上げた。
淡く、でも確かに――時間そのものみたいな、不思議な輝きを宿している。
「……できた、よ」
そう言った瞬間、部屋の空気が一気に変わった。
「――っ、本当に……!」
ササラさんが一歩前に出て、信じられないものを見るみたいに目を見開く。
「成功、なさったのですね……?」
恐る恐る、でも嬉しさを隠しきれない声。
その周りでも、ハイエルフたちが顔を見合わせて、小さく歓声を上げているし、サキュバスメイドたちは「すごい……」「さすがご主人様です……!」なんてきゃいきゃいしてる。
アリシアは――少しだけ目を細めて、ふっと息をついた。
「……やるじゃない」
短い一言。でも、それが一番嬉しい。
私は魔石をぎゅっと握りしめて、へにゃっと笑った。
「うん。今回は……みんなの期待、裏切らなくて済んだみたい」
胸の奥にあった重たいものが、すっと軽くなる。
ほんとに、ぎりぎりだったけど。
でも――ちゃんと、届いた。
◇
――そもそもの始まりは、本当にどうでもいい会話だったと思う。
商人のアキンさんが帰ったあとのこと。あの人に振る舞った自慢のワイン、そのときのやり取りを思い出しながら、私はみんなとだらだら雑談していた。
「他の作物でもお酒って作れないのかな?」
「山葡萄の種類、もっと増やしてみるのもありですよね」
なんて、ああでもないこうでもないって、のんびり話してた、そのとき。
――ほんとに、ぽろっと。
「ワインを蒸留したら、ブランデーってお酒も作れるよ?」
って、言っちゃったんだよね。
……うん、言わなきゃよかった、とは思ってないけど。
でも、あの瞬間の空気の変わり方は、さすがにちょっと怖かった。
「蒸留……ですか?」
「新しいお酒……?」
ざわっと、みんなの視線が集まって――
「詳しく聞かせてください」
にっこり微笑んで、でも目が全然笑ってなかったのが、カスミさん。
あれは、逃げられないやつだった。
――そして始まった、ブランデー作り。
私のうろ覚えの知識を頼りに、蒸留器が作られて、何度も何度も試行錯誤を繰り返して。
正直、途中で「これほんとに合ってる?」って何回も思ったけど、それでもなんとか形にはなった。
完成したのは、ちゃんとした蒸留酒――ブランデー。
だったんだけど。
「アルコール度がきついぃ……」
「味がとがってるね」
「フルーティな香りはいいですけど……まだ荒いというか……」
……うん、評価は、いまいち。
期待値が高かった分、ちょっとだけしょんぼりした空気になる。
「仕方ないよ」
私は苦笑しながら肩をすくめた。
「これ、このあと何年も寝かせて熟成させないとダメなんだから」
そう言った瞬間、みんなの肩が一斉に落ちた。
「何年も……?」
「そんなに待つのですか……」
うん、まあ、そうなるよね。
せっかく作ったのに、飲み頃は数年後です、なんて言われたら。
その空気の中で、ふと――ササラさんが顔を上げた。
「……シズカ様なら」
少し考えるようにしてから、ぽつりと言う。
「魔術具で、何とかできるのではありませんか?」
「……へ?」
思わず、間の抜けた声が出た。
でも、その一言で、頭の中にある知識が、すっと繋がる。
空間拡張の魔石。
あれには、いくつか種類がある。
単純に空間を広げるだけのもの。これは比較的簡単に作れる。
次に、拡張した空間内の時間の流れを緩やかにするもの。これは、それなりに素材も魔力も必要。
そして――時間を止めるもの。これは、もう別格。希少素材を山ほど使うし、完全に高級品。
「……あ」
思わず声が漏れる。
時間を“遅くする”ことができるなら。
時間を“止める”こともできるなら。
「……逆も、できるんじゃない?」
ぽつりと呟いた私に、みんなの視線が集まる。
私は少しだけ考えて、それから頷いた。
「理論的には……可能、だと思う」
――その瞬間。
空気が変わった。
期待と、興奮と、少しの無茶が混ざった、あの感じ。
そして、その日。
領内一丸となっての、“時間操作の魔石”開発プロジェクトが始まった。
幸いにも、ここは深淵の森の近く。
希少素材には事欠かない。
「多少どころじゃなかったけどね……」
小声で呟くくらいには、採取は大変だった。ほんとに。
でも、なんとか必要なものは揃った。
あとは――私の調合。
成功率は、あのとおり。
とんでもなく低い。
でも、逆に言えば。
「成功さえ引けば、何でも作れるってことなんだよね……」
伝説級だろうが、禁忌だろうが、関係ない。
……うん、これ、冷静に考えると、ちょっとズルいよね。
――そして。
奇跡みたいな確率を引き当てて、私はそれを完成させた。
時空操作の魔石。
倉庫の中には、すでに蒸留したお酒が樽ごと運び込まれている。
あとは、この魔石を設置して、動かすだけ。
「……でも、その前に」
私は魔石を手にしながら、小さく息を吐く。
これ、便利だけど――同時に、危険すぎる。
もし中に人がいる状態で動かしたら、その人、一瞬で年を取ることになる。
笑えないどころの話じゃない。
「だから、安全対策は絶対」
扉が開いているときは作動しない。
それと――この領地の住民。くーちゃんの眷属たちも、シュバルツたちも含めて、登録した存在が中にいる場合は作動しないようにする。
魔石に刻む術式を、一つひとつ確認しながら仕上げていく。
「領民以外の人?」
ふと、口から漏れる。
「……知らないよ、そんなの」
肩をすくめる。
だって、そんな人が中にいる時点で、何かしらやらかしてるわけだし。
そこまで面倒見る義理はないよね。
全部の設定を終えて、私は倉庫の前に立つ。
中をもう一度確認。誰もいない。
「よし」
扉を閉める。
静かな音が、やけに大きく響いた気がした。
そして――
私は、魔石にそっと魔力を流し込む。
「……動作開始」
次の瞬間。
倉庫の内側で、目に見えない“時間”が――ゆっくりと、加速し始めた。
そして、その結果……
できあがったブランデーは、もはや別物だった。
樽からそっと注いだ液体は、琥珀色に深く輝いていて、グラス越しに見ているだけでも、時間の重みみたいなものが伝わってくる。
「……これ、本当に同じお酒ですか?」
ササラさんが、恐る恐る香りを確かめながら呟く。
「うん。中で十年、二十年、三十年って……ちゃんと熟成させたやつ」
そう、あの倉庫の中で加速された時間は、確かにお酒を“育てて”くれていた。
試しに少しだけ口に含むと――
「……っ」
思わず息を呑む。
角が取れて、まろやかで、それでいて深い。最初に飲んだあの“とがった感じ”はどこにもなくて、代わりに、ゆっくりと広がる甘みと香り。
「……すごい」
自分で作ったのに、ちょっと信じられない。
その一言をきっかけに、空気が一気に弾けた。
「これは……!」
「美味しいです……!」
「こんなお酒、初めて……!」
気づけば、その場はそのまま大宴会に突入していた。
グラスが次々と満たされて、笑い声があちこちで弾ける。さっきまでの慎重さなんてどこへやら、みんな遠慮なく飲んでいる。
「ちょ、ちょっと……飲みすぎじゃない?」
そう言った私の声は、あっさりかき消された。
……うん、止まらないよね、これは。
結果。
あっという間に量産される、酔っ払い。
普段は落ち着いてるササラさんまで、ほんのり頬を赤くしてふわふわしてるし、サキュバスメイドのみんなはもう完全にテンションがおかしい。
そして――
「ねえ、シズカ」
不意に、すぐ隣から声がした。
振り向くと、アリシアがやけに近い距離にいて。
ほんのり赤く染まった頬と、少し潤んだ瞳。
「……いいお酒、作ったじゃない」
そう言って、くすっと笑う。
そのまま、距離がさらに近づいて――
「ちょ、ちょっと近いってば……!」
思わず後ずさるけど、逃げ場はない。
周りは騒がしいし、誰も気にしてないし。
「逃げるの?」
「に、逃げてないし……!」
そんなやり取りをしてた――はず、なんだけど。
……そのあとは、正直、あんまり覚えてない。
――そして、翌朝。
目を覚ました私は、しばらくの間、状況を理解できなかった。
「……えっと」
見慣れない天井じゃない。自分の部屋。
でも。
「……なんで?」
布団の中で、私は――なぜか、何も身につけていなくて。
数秒遅れて、昨夜の記憶が断片的に戻ってきて、顔が一気に熱くなる。
「……うそでしょ」
思わず布団に潜り込む。
そのまま、しばらく動けなかった。
――結論。
「ブランデーは……制限しよう」
私は、誰に聞かせるでもなく、静かにそう誓ったのだった。




