第三十六話 御用商人
屋敷のまわりに漂っていた空気は、ほんの少し前までの緊張が嘘みたいに、すっかり様変わりしていた。
侵入者を取り囲んでいたときの張りつめた気配はどこへやら、今はもう――にぎやかな笑い声と、料理のいい匂いに満ちた、すっかり宴会の雰囲気だ。
……うん、まあ、理由は分かってる。
「単に騒ぎたいだけだよね、これ」
小さく呟くと、近くにいた子が楽しそうに笑った。
ここって、娯楽があまりないから、こういう“口実”は貴重なんだよね。来訪者歓迎、なんて名目がつけば、なおさら。
せっかくだし、私も少しだけ張り切ることにした。
「はい、これ。今日のお酒」
運ばれていくのは、出来たばかりの山葡萄酒。
エルフたちが育てた特別な山葡萄を使って、世界樹の祝福まで受けて作られた一品――なんだけど。
「まだ熟成してないから、ちょっと若いけどね」
グラスを揺らしながら、私はくすっと笑う。
深みはこれから。でも、その分だけ、瑞々しくて力強い味がある。これはこれで、嫌いじゃない。
「“祝福のワイン”って言ってもいいよね、これ」
なんて、半分冗談で呟いてみる。
……いや、半分どころか、けっこう本気かも。
そんなことを考えていると、少し離れたところで、ササラがアキンさんに話しかけているのが見えた。
あ、営業してる。
「どうですか、この山葡萄酒! 今なら――」
身振り手振りを交えて、一生懸命説明してるけど……うーん、反応は今ひとつ、かな。
アキンさん、ちょっと困った顔してるし。
あー、これは押しが足りないやつだ。
なんて思っていたら。
「任せなさい」
すっと割り込んできたのは、シシリー。
嫌な予感しかしない。
「このワインはですね――美しい乙女が、素足で丁寧に踏みしめて発酵させた――」
「ちょっと待ってその言い方!?」
思わず声に出ちゃった。
いや、間違っては……ないのかな? いやでも、なんかこう、言い方ってものが――
って。
「……ほう」
アキンさんの目が、きらっと光った。
え、ちょっと。
「詳しく聞かせてもらおうか」
食いついた!?
さっきまでの微妙な反応どこいったの!?
シシリーはにやりと笑って、さらに畳みかける。
ササラはというと、横で「えっ、えっ?」ってなってるし。
「……なるほどねぇ」
私はグラスを傾けながら、ひとりごちる。
世界樹の祝福とか、エルフ秘伝とか、そういうのよりも――
そっちなんだ。
「……うん」
静かに頷く。
なんというか、その。
「この世界にも、業の深い人っているんだなぁ……」
しみじみ思いながら、私はもう一口、ワインを飲んだ。
◇
翌朝、少しひんやりした空気の中で、私はなかなか面白い光景を目にしていた。
広場の真ん中で――アキンさんが、深々と頭を下げている。
「何卒、何卒、この私めをこの町の御用商人に任じてください」
……うん、すごく必死。
その声の勢いに、思わず瞬きをしてしまう。
アリシアも、隣にいるカスミさんも、ちょっと面食らったような顔をしていた。
無理もないよね。昨日まで“侵入者”だった人が、いきなりこんなふうに頭を下げてくるんだもの。
アキンさんは顔を上げると、そのまま畳みかけるように話し始めた。
このアル・ザーク領は地理的にも危険度的にも、普通の商人では出入りが難しいこと。けれど自分にはワイバーンのワイ子がいるから、空輸での運搬が可能なこと。
この地の特産品を外へ運び、代わりに必要なものを持ち込める――と。
理屈としては、ちゃんと筋が通っている。
でも。
「……」
アリシアとカスミさんは、ほんの少しだけ視線を交わしていた。
うん、分かる。ちょっと出来すぎてる話だよね。
――けど。
「……あ、そっか」
私はひとり、小さく納得する。
だって、アキンさん。
なんだか、げっそりしてるのに……どこか満足そうな顔してるんだもん。
しかも、その視線の先。
何気ないふりをしながら、彼を見ている数人のハイエルフと、サキュバスのメイドたち。
みんな、妙に肌がつやつやしていて、目元が柔らかくて――
「……あー」
思わず遠い目になる。
昨日の夜、みんな妙に姿が見えなかったんだよね。
そういうこと、なんだ。
久しぶりの男性だからって、張り切っちゃったんだろうなぁ……。
で、アキンさんの方も満更じゃなくて。
むしろ――また来たい、って思ってる。
「……分かりやすいなぁ」
小さく呟いたところで、アリシアがちらりとこちらを見る。
どうする? って顔。
うん、丸投げされたの、今度はこっちだね。
「まあ、いいんじゃない?」
私は軽く肩をすくめてみせる。
「外部との流通、ちょうど問題になってたし」
そう言って、一歩前に出る。
自然と、話の主導権を引き継ぐ形になった。
「カスミさん、この領地に足りないもの、まとめてもらっていいですか?」
「はい」
すぐに頷くカスミさん。こういうところ、本当に頼りになる。
私はその間に、アキンさんへと向き直る。
「じゃあ次は、こっちの話ね。出せるものと、出したいもの」
農作物――特にトマトとジャガイモについて説明すると、案の定、アキンさんは少し渋い顔をした。
「……量が多すぎるのと、保存と輸送のリスクが……」
「でも、美味しいでしょ?」
軽く言うと、彼は一瞬だけ言葉に詰まる。
昨夜の料理、しっかり食べてたもんね。
「……それは、間違いなく」
「なら、後は売り方の問題でしょ?」
にこっと笑う。
つまり――そこは、商人としての腕の見せどころ。
高く捌けるなら、こっちとしても長く付き合いたい。
そういう関係でいきたいよね。
「それと」
横からカスミさんが口を挟む。
「外部の情報も、お願いしたいところです」
「情報、ですか」
「はい。この領は、ほぼ外界と遮断されていますから」
世界樹のこともあるし、誰でも出入り自由、というわけにはいかない。
でも、完全に閉じたままでは、いずれ困る。
どこまでを受け入れて、どこからを遮断するか――その判断には、外の情報が必要になる。
しばらくの話し合いの末、内容はまとまった。
こちらが求めるのは、「鉄製品」「お菓子などの嗜好品」「種や苗木」――特に、この土地では手に入らない乳製品は重点的に。
対価として渡すのは、ジャガイモ、トウモロコシ、トマトをそれぞれ300㎏から500㎏ずつ。
そして――
「“乙女のウィン”を、十数樽」
私がそう言うと、アキンさんの眉がぴくりと動いた。
……うん、その反応、分かるよ。
名前については、私も色々と言いたいことはあるけど。
なぜか、そうなっちゃったんだよね。
細かい説明は、まあ、しないでおこう。
「この条件でどうです?」
静かに問いかける。
アキンさんは、少しの間考え込んでから、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、商人らしい計算の光が宿っている。
ちゃんとした腕があるなら、多少仕入れが高くても、十分に利益は出せるはず。
逆に言えば――
「……」
売れなければ、次はない。
そして、必要な品も持って来られない。
つまり。
「……なるほど」
アキンさんが、ほんの少しだけ頬を引きつらせた。
うん、気づいたみたい。
言葉にはしていないけど。
――もう一度ここに来たいなら、頑張ってね、っていうこと。
彼は小さく息を吐いてから、深く頭を下げた。
「……承りました」
その声は、昨日よりもずっと、商人らしい響きを帯びていた。
◇
「本当に……よろしいのですかな?」
アキンさんが、どこか引きつった声でそう言った。
その様子に、私は思わず小さく首をかしげる。
彼の背には、小さなリュックサック。そしてワイ子には、しっかりと括りつけられた荷籠。どちらも見た目だけなら、そう大した大きさじゃない。
ワインの瓶なら二ダース入れればいっぱい――そんな程度。
でも。
「……まあ、普通はそう思うよね」
ぽつりと呟く。
実際のところ、あのリュックは荷馬車一台分、ワイ子の荷籠に至っては大きな倉庫三つ分の容量を持つ、空間拡張の代物だ。
カスミさんが「国宝級」と言っていたのも、あながち大げさじゃない。
……うん、普通に考えたら、そんなものをぽんと貸し出すのはどうかしてる。
でも。
「いいも何も、それがなくて荷物運べるの?」
私はあっさりと言い返す。
今回アキンさんに託す荷は、およそ二トン近い量。いくらワイバーンの力が強くても、物理的な重量と“かさ”の問題は別だ。
本来なら、荷馬車を二台、三台と用意する規模。
それをワイ子一頭でどうにかしようっていうなら――こういう手段が必要になる。
「……それは、その……」
言葉に詰まるアキンさん。
うん、分かってる。分かってるけど。
「いらないなら、それでもいいけど?」
少しだけ意地悪く言ってみると、彼はぶんぶんと首を横に振った。
「いえ! 是非とも、お借りします!」
そのまま、深々と頭を下げる。
……うん、素直でよろしい。
「あ、一応言っておくけど」
私は指を一本立てる。
「それ、あげたんじゃなくて“貸してる”だけだからね?」
「は、はい!」
即答。いい返事。
これで妙な気は起こさないだろうし――まあ、そもそも。
(使えないようにしてるんだけどね)
心の中で小さく付け加える。
私たちかアキンさん本人以外には使えないよう、ちゃんと制限はかけてある。転売しようとしても、意味はない。
そこまでしておいてなんだけど、こういうのは“言っておくこと”が大事なんだよね。
「じゃあ、よろしくね」
軽く手を振る。
準備は整った。
ワイ子が小さく鳴いて、翼を広げる。
その周りには、なぜかやけに名残惜しそうな視線が集まっていた。
ハイエルフたちに、サキュバスメイドさんたち。
……うん、まあ、気持ちは分からなくもないけど。
「また、必ず参ります!」
アキンさんが、力強くそう言って。
少しだけ頬を引きつらせながらも、どこか決意を宿した顔で――この地を後にした。
空へと舞い上がるその背中を見送りながら、私はふっと息をつく。
「さて、と」
これで、外との流れが少しは動き出す。
どう転ぶかは――これから次第、かな。




