第三十話 第一の領民 後編
ササラの語りが終わるころには、食堂の空気はすっかり落ち着きを取り戻していた。
さっきまでの緊張も、警戒も、そして少しばかりの呆れも、全部が静かに沈んで、その上に残ったのは、ただ「これからどうするか」という現実だけだった。
私はちらりとアリシアを見る。
彼女は少しだけ目を閉じて、それからゆっくりと顔を上げた。
その仕草ひとつで、空気が変わる。
さっきまで隣で笑っていた人とは思えないくらい、そこにいるのは“領主”としてのアリシアだった。
「お話は分かりました」
穏やかで、それでいて揺るがない声。
ササラたち十五人が、自然と背筋を正すのが分かる。
「あなたたちが辿ってきた道のりも、そして今の状況も……軽々しく扱えるものではありません」
その言葉に、ササラの表情がわずかに引き締まる。
「だからこそ、ひとつ提案させてください」
アリシアは、まっすぐに彼女たちを見据えた。
「あなたたちがよければ――ここで、一緒に暮らしませんか?」
静かに落とされたその言葉は、不思議なくらい、すとんと場に馴染んだ。
驚きの声が上がるでもなく、ただ、確かに届いたのが分かる。
アリシアはそのまま、言葉を続けた。
ここがまだ発展途上の土地であること。領地としては始まったばかりで、人も足りていないこと。そして――だからこそ、共に作り上げていける余地があるということ。
「完璧な場所ではないわ。でも、その分だけ、これから形にしていける」
柔らかく微笑みながら、けれどその瞳は真剣だった。
「あなたたちの力を貸してほしいの。そして同時に、私たちも、あなたたちが安心して暮らせる場所を作るために力を尽くす」
その言葉は、どこか不思議と温かくて、でも逃げ道はない。
一緒に生きていく、ということを、まっすぐに差し出している。
「――協力して、暮らしていきましょう」
最後にそう締めくくったとき、食堂の中はしんと静まり返っていた。
数瞬の沈黙のあと。
「……あ、あの……」
震えるような声が、小さく響く。
ササラだった。
その瞳は、明らかに潤んでいて――
「よろしいのですか……? 本当に……私たちが……」
「ええ」
アリシアは迷いなく頷く。
その一言だけで、十分だった。
次の瞬間、ササラは深く、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……っ!」
その声は、先ほどのような取り繕ったものではなく、心の底からのものだった。
「このササラ、そして我らハイエルフ一同、あなた様の領民として、この地にて生き、力を尽くすことを誓います!」
その言葉に続くように、他の者たちも一斉に頭を下げる。
その光景を見ながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(……よかった)
単純に、そう思う。
これで、この場所に“人”が増える。
ただの土地じゃなくて、“誰かが暮らす場所”になっていく。
――けれど。
「……ひとつ、よろしいでしょうか」
その流れに、静かに差し込まれた声があった。
カスミだ。
私は内心で、あ、と小さく思う。
(来た)
「受け入れること自体に異論はありません」
カスミは淡々と、けれど確実に言葉を重ねる。
「しかし、いくつか条件を設けさせていただきます」
ササラたちが顔を上げ、緊張した面持ちで彼女を見る。
「まず」
カスミの視線が、わずかに鋭くなる。
「無節操に男性を連れ込まないこと」
「……っ」
ぴしり、と空気が張る。
「一族の存続のため、男性を迎え入れること自体を否定はしません」
その言い方は、あくまで理性的で、公平だった。
「ですが、その場合は――この領地の一員として受け入れるかどうか、事前に判断を行います」
「は、はい……」
ササラが、少しだけ戸惑いながら頷く。
「また、いきずりの関係を持つ場合は、必ず領地の外で行うこと」
「そ、外……」
「領内に、男女間のトラブルを持ち込まないためです」
淡々と、しかし一切の隙なく言い切る。
さらにカスミは続ける。
問題が発生した場合の報告義務や、外部との接触に関する注意事項、そして風評被害への対処についてまで――
気づけば、かなり細かいところまで話が及んでいた。
(……長い)
正直、そう思う。
でも同時に、その一つ一つが、ちゃんと意味を持っているのも分かる。
ササラたちは最初こそ戸惑っていたものの、やがて真剣な顔で聞き入り、最後にはしっかりと頷いていた。
「以上です。よろしいですね」
「は、はい……遵守いたします」
ぺこりと頭を下げるササラに、カスミは小さく頷いた。
それでようやく、場の空気が少し緩む。
私はその様子を見ながら、そっと息を吐いた。
(……なんだかんだ言って)
カスミの言ったことは、全部――
アリシアのためで。
そしてたぶん、私のためでもある。
無用なトラブルを避けて、この場所を守るための線引き。
「……ありがと」
小さく呟くと、カスミがほんのわずかだけこちらを見る。
「当然のことをしたまでです」
いつも通りの、そっけない返事。
でもその声は、どこかほんの少しだけ柔らかく聞こえた気がして、私は小さく笑った。
こうして――
私たちの領地に、十五人の新しい“仲間”が加わった。
◇
ササラたちがこの地に加わって、まず最初に取りかかったのは――彼女たちの住まいを整えることだった。
いくらアリシアのお屋敷が広いとはいえ、さすがに十五人を新たに迎え入れるには無理がある。最初からそのつもりで作られているわけじゃないし、何より、彼女たちにも彼女たちなりの生活の形がある。
「というわけで、家を建てます」
さらっと言ったササラに、私は当然のように頷いて。
「うん、任せて。錬成でぱぱっとやるよ」
そう答えたのだけれど――
「あ、大丈夫です。資材さえあれば、自分たちで建てますので」
にこやかに、でもきっぱりと断られた。
「……え?」
思わず間の抜けた声が出る。
「いや、でも結構大変だよ? 時間もかかるし」
「問題ありません」
ササラは穏やかに微笑んだまま、まったく揺らがない。
その横で、別のハイエルフたちも当然のように頷いている。
(……え、本当に?)
半信半疑のまま、結局私がやったのは、木を伐って、加工しやすい素材にするところまでだった。
そこから先は――全部、彼女たち。
そして。
「……早くない?」
ぽつりと呟いたのは、完成した建物を前にしたときだった。
一週間も経っていない。
それなのに、そこにはすでに、立派な建物がいくつも並んでいた。
広くて開放的な共用の家が一棟。それに加えて、個別に暮らせる小さな家が五つ。
配置も無駄がなくて、風の通りや日当たりまで計算されているのが分かる。
「こちらが共同生活用の建物で、こちらが各住居になります」
ササラが説明してくれる声を、半分くらい上の空で聞きながら、私はただ建物を見上げていた。
(……すごい)
正直、それしか言葉が出てこない。
木材の組み方も、装飾も、細かいところまで丁寧に仕上げられていて、どこか自然と一体になっているような美しさがある。
そして何より――
(私の屋敷より、出来いいんだけど……)
その事実に気づいた瞬間、胸の奥がちくりとした。
もちろん、用途が違うとか、人数が違うとか、いろいろ理由はある。あるけど、それでもこう、はっきりと“上”を見せつけられると、ちょっと……くる。
私は思わず、ほんの少しだけ俯いた。
そのときだった。
「シズカ様?」
優しい声がかかる。
顔を上げると、ササラの隣にいたサリアが、こちらを覗き込んでいた。
「もしよろしければ、領主様のお屋敷も建て直されますか?」
「やる」
間髪入れずに答えていた。
「ぜひお願いします」
自分でもびっくりするくらいの即答だったと思う。
サリアが少し目を丸くして、それからくすっと笑う。
「かしこまりました」
(……よし)
なんだかちょっと負けた気分だけど、いいものはいい。使えるものは使う。それでいいはずだ。
そうやって前向きに考えることにした。
――そして。
彼女たちが来てから変わったことは、もうひとつある。
「うわ……今日のご飯、豪華じゃない?」
思わず声が漏れる。
テーブルの上には、これまでとは明らかに違う料理が並んでいた。
パンに、スープに、そして彩り豊かな野菜。
「ハイエルフの方々が持ち込んでくださったものです」
カスミが淡々と説明する。
小麦やキャベツのような葉物野菜。これまでこの土地にはなかった作物たち。
それが加わったことで、食卓は一気に華やかになっていた。
「……いいね、これ」
自然と頬が緩む。
でも、それ以上に――
「おいしいですぅ……!」
泣きながら肉を頬張っている子がいた。
シシリーだ。
焼いた肉を、これまた持ち込まれた葉野菜――レタスに巻いて、幸せそうに食べている。
「今までは生臭くてまずかったのですよぉ!」
「え、生だったの……?」
思わず引く。
「森の中では火を使うのも危険でしたので……」
ササラが少し困ったように補足する。
なるほど、と納得しかけて――
(いや、でも)
「そりゃ焼いたほうがおいしいよね……」
ぽつりと呟く。
当たり前の話だった。
ただ。
「……あれ?」
ふと、違和感に気づく。
「エルフって、お肉食べるんだ?」
思わず口に出してしまった。
なんとなく、森の中で静かに果実とか食べてるイメージがあったから。
すると。
「お肉以外に何を食べるんです?」
真顔で聞き返してきたのは、シセラだった。
お皿に山盛りのお肉を抱えながら。
「え、えっと……森の恵み、とか? 火を使わずに、自然と共生しながら……みたいな」
自分でも曖昧だなと思いながら答えると。
「それ、どこの妄言ですか?」
ぴしゃり、と言われた。
「自然を馬鹿にしてません?」
「えっ」
シセラはもぐもぐと肉を頬張りながら、呆れたように続ける。
「森にあるものは、ちゃんと加工してこそ活きるんですよ。生でかじってばかりで生きていけるほど、自然は甘くありません」
「……ですよね」
なんか、ごめんなさい。
妙に説得力があって、私は素直に頷くしかなかった。
(なんかイメージと違うなぁ……)
そう思いながら、ふと彼女たちを見渡して――
(……あれ?)
気づく。
なんというか、全体的に、その……主張が強い。
特に胸元が。
「それも必要です」
いつの間にか隣に来ていたササラが、さらっと言った。
「男性を惹きつけるためには、重要な要素ですので」
「そ、そうなんだ……」
なんとも言えない気持ちで頷く。
(……うん)
頭の中で、何かが静かに崩れ落ちる音がした。
(少なくとも)
私は小さく息を吐いて、ひとり納得する。
(私の知ってるエルフ像は、だいぶ違ってたみたい)
とりあえず――
どこかの偉い作家さんのイメージは、ここでは通用しないらしい。




