第二十二話 出会い その一
むずむずとした、嫌な予感が背筋をなぞる。
……また来た。
そう思った瞬間、いつものようにダイスが現れる――はずだったのに。
目の前に浮かび上がったのは、まったく別のものだった。
『介入する……Yes/No』
「……なに、これ」
思わず小さく呟く。
ダイスじゃない。判定でもない。ただの――選択肢。
戸惑っていると、不意に馬車が止まった。
「どうしたの?」
アリシアが小声で尋ねると、カスミはすっと人差し指を唇に当てる。
「……静かに」
そのまま、ゆっくりと前方を指し示した。
視線を向けて――息を呑む。
そこでは、魔物同士の戦いが繰り広げられていた。
地面を揺らすような重い衝撃音。
荒々しい唸り声。
……そして。
「ネコちゃん……」
思わず、口から漏れた。
狂気を宿したような赤い目の、大きなクマ。
その前に立っているのは――あまりにも小さな、小さな子猫。
どう見ても、勝負にならない。
いや、勝負ですらない。一方的な蹂躙になるはずの光景。
なのに、その子猫は逃げようともしないで、必死にクマを睨みつけている。
その姿を見た瞬間。
迷いは、なかった。
「ネコちゃん、助けるっ!」
「シズカっ!」
背後からカスミの制止が飛ぶ。
でも、足は止まらなかった。
気づけば、私はもう飛び出していて――子猫とクマの間に割り込んでいた。
……大きい。
間近で見ると、その巨体がより現実味を持って迫ってくる。
思わず、身体が震えた。
でも。
無謀で飛び出したわけじゃない。
私はポーチに手を突っ込み、準備していた小瓶を取り出す。
そして――迷わず投げた。
クマの眼前で、小瓶が弾ける。
ぱんっ、と乾いた音と同時に、刺激の強い粉末が一気に広がった。
咄嗟に息を止め、私は地面を蹴る。
そのまま子猫を抱き上げ、一気に距離を取る。
背後で、クマの咆哮が響いた。
目と鼻を押さえ、のたうち回るように暴れ――やがて、逃げるように森の奥へと消えていく。
……助かった。
心の底から、そう思った――その瞬間。
「シズカ」
低く、静かな声。
振り向くと――そこには、怖い顔のカスミが立っていた。
……あ、これ。
逃げられないやつだ。
観念して、私はその場に正座する。
当然のように始まるお説教。
無茶をしたこと。
勝手に飛び出したこと。
連携を乱したこと。
一つ一つ、丁寧に、容赦なく指摘される。
「……はい」
「……すみません」
小さくなりながら、ひたすら頷くしかない。
――ふと、横を見ると。
同じように、ちょこんと座らされている子猫の姿があった。
背筋をぴんと伸ばしているのに、首だけしょんぼりと項垂れている。
……なんでこの子も一緒に怒られてるの?
というか、ちゃんと聞いてる風なのがすごい。
その妙な光景に、思わず少しだけ頬が緩む。
……怒られてる最中なのに。
でも――
まあ、いいか。
この子、助けてよかったし。
◇
長いお説教のあと。
さすがにこれ以上進むのは危険だということで、今日はこの場で野営することになった。
馬車を中心にして、私は結界石を配置していく。
簡易的なものとはいえ、ちゃんと魔力を込めて作ったものだ。これで周囲に結界が張られる。
……正直、この森の“本気の魔物”相手にどこまで通用するかはわからない。
でも、少なくとも。
寝ている間に、気づいたら襲われていた――なんて最悪の事態は、防げるはずだ。
そう信じたい。
で。
問題は――やっぱり、この子だ。
助けた子猫ちゃん。
怪我をしていたから、回復ポーションを使ってあげたんだけど。
その結果が――これ。
「……大きくない?」
ぽつりと呟く。
さっきまで、両手で抱えられるくらいのサイズだったはずなのに。
今はもう、どう見てもライオン級。
もふもふ感も、サイズも、存在感も、全部が規格外に跳ね上がっている。
……でも。
(これ、絶対ふかふかだよね……?)
包まれて寝たら、めちゃくちゃ気持ちよさそう。
そんなことを考えているのは、どうやら私だけらしい。
「シ、シズカ……それ……」
アリシアは明らかに引いてるし。
カスミに至っては、完全に臨戦態勢だ。
「どうしたの?」
首を傾げて聞いてみると、カスミが一切の油断なく答えた。
「その魔物――“ヘルフェオアーカーチェ”。通称ヘル・キャットです。この森でも一、二を争う危険種です」
……へぇ。
「…………え?」
一拍遅れて理解した。
いや、待って。
最強クラス?
この子が?
「先ほどまで小さかったのは、消耗を抑えるために体を縮めていたのでしょう」
淡々と説明が続く。
つまり――あの子猫状態、あれが本来じゃなかった、と。
「とにかく!」
ぴしっと、カスミが言い切る。
「そんな危険な魔物を、お嬢様の側に置いておくわけにはいきません!」
真っ当な意見だった。
うん、すごく正しい。
でも。
「えぇ……こんなに可愛いのにぃ」
私は思わず、目の前の“それ”の頭を撫でる。
ふかふか。
予想通りの、極上の手触り。
すると。
「ミゥ……」
小さく鳴いて、しょんぼりと項垂れるヘル・キャット。
……いや、そんな反応されたら。
「ほら、大人しいよ?」
「見た目に騙されないでください」
即答された。
ですよね。
でも――。
撫でるたびに、気持ちよさそうに目を細めるこの子を見ていると。
どうしても、“危険な魔物”っていう実感がわかない。
……むしろ。
完全に、大きい猫なんだけど。
私はもう一度、その柔らかい毛並みに手を沈めながら、小さく呟いた。
「……ダメかなぁ」
長い――本当に長い説得の末。
なんとか、みぅの同行を勝ち取ることができた。
「普段は子猫の姿でいること」
「アリシアとカスミの指示には従うこと」
いくつか条件は出されたけれど。
その全部に、みぅは「ミゥ」と小さく鳴いて、こくこくと頷いてみせた。
……うん。
どう見ても、人の言葉、理解してるよね?
「みぅ」というのは、この子の名前だ。
だって、鳴き声が「ミゥゥ……」だったから。
……いいの。
名付けなんて、そんなものでしょ。
それに――名前を呼ぶと、ちゃんと反応してくれるし。
問題なし。
むしろ、その瞬間。
私の中で、何かが変わった。
――ジョブ「テイマー」、獲得。
頭の中に、そんな感覚が流れ込んできた。
それと同時に、いくつかの“スキル”の存在も理解する。
……え、なにこれ。
名前つけただけで?
いや、まあ。
みぅが普通の猫じゃないのは、もう十分すぎるほどわかってるけど。
それにしても、急展開すぎる。
そんなこんなで条件付きながらも同行が認められたわけだけど――
最終的な決め手になったのは、ちょっと意外なものだった。
「私がお風呂を作る」
それを聞いた瞬間、カスミの表情が、ほんのわずかに揺れたのを私は見逃さなかった。
……うん、効いてる。
というわけで、さっそく実演。
まずは、土の初級魔法で地面に穴を掘る。
そのまま縁をしっかり固めて、崩れないように整形。
掘り出した土を使って、周囲に簡単な壁も作る。
そして――
水と火の合成魔法。
「ホットウォーター」
生成したお湯を、ざばざばと穴に注いでいく。
湯気が立ち上り、ほんのりと温かい空気が広がる。
「……できた」
即席だけど、立派なお風呂だ。
カスミが、じっとそれを見つめている。
無表情。
……だけど。
ほんの少しだけ、目が本気だった。
「初級魔法の組み合わせとはいえ……通常は不可能です」
ぽつりと、そんな評価が下される。
どうやら、かなり無茶なことをやっているらしい。
理由は単純。
内包している魔力量と、それを形にするイメージ力。
その二つが、ちょっとおかしいレベルらしい。
……自覚は、あまりないけど。
でも。
お風呂はできた。
それがすべて。
「……」
カスミが、もう一度お風呂を見る。
そして、ほんのわずかに視線を逸らして。
「……条件付きで、許可します」
小さく、そう言った。
条件はひとつ。
――旅の間、毎日お風呂を用意すること。
……うん。
「任せて」
即答だった。
こうして。
みぅを含めた、ちょっと賑やかな旅が――本格的に始まることになった。




