第十四話 奴隷2
重厚な門構え。
高い塀に囲まれた屋敷は、街の他の建物とは明らかに一線を画していた。
「……ここ、だよね」
静香は足を止め、目の前の館を見上げる。
豪奢――というよりは、威圧的。
外から中の様子はほとんど見えず、どこか閉鎖的な空気が漂っている。
(来たはいいけど……)
一歩踏み出したはいいものの、その先が続かない。
どうする?
どう動く?
助ける、と決めたけれど、その“方法”までは何一つ考えていなかった。
(……どうしよう)
思考が空回りし始めた、そのとき。
――ふっ、と。
何もない空間に、唐突にそれは現れた。
「……え?」
宙に浮かぶ、二つのダイス。
十面体のそれが、ゆっくりと回転している。
しかし――
(成功、とか失敗、とか……ない?)
表示はない。
ただ、ダイスが二つ。
それだけ。
静香はわずかに眉をひそめる。
(……これ、振れってこと?)
答えはない。
けれど、ここまでの流れを考えれば、選択肢は一つだった。
静香は小さく息を吸い――
ダイスに手を伸ばした。
触れた瞬間、重さが伝わる。
そして、そのまま振り下ろした。
コロコロ、と乾いた音を立てて転がる二つのダイス。
やがて、ぴたりと止まった。
「……2、と……7」
合計、9。
(これが……いいのか、悪いのか……)
判断材料がない。
ただ、その結果だけが現実として残る。
その意味を考える間もなく――
「おや、お嬢さん」
背後から声がかかった。
びくりと肩が揺れる。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
整った服装。
丁寧に整えられた髪。
一見すれば、礼儀正しく、穏やかな人物に見える。
だが――
(……この目)
静香は、わずかに息を詰めた。
男の視線。
それはまるで、品物を値踏みするような――冷たい目だった。
どこかで見たことがある。
思い出すまでもない。
(日本にいた時も……いたよね、こういう人)
言葉では取り繕いながら、内心では別のものを見ている目。
特に――自分の“身体”を、いやらしく品定めするような男たち。
目の前の男は、それと同じ目をしていた。
「どうされました? このような場所に」
柔らかな口調。
しかし、その奥にあるものは隠しきれていない。
静香は一瞬だけ迷い――
「……知り合いが、いるかもしれなくて」
そう答えていた。
つまり、さっきのダイスは「どういう状況になるか?」を決めるダイスロールだったのだろう。
9という数字が出たから、この男が現れた。おそらく、別の数字であれば別の状況になっていたのだろうと推測される。
男の口元が、ゆっくりと歪む。
「ほう……それはそれは」
にやり、と笑った。
その笑みは、歓迎というよりも――“興味”に近い。
「では、どうぞ中へ」
自然な流れで促される。
(……ここで逃げる?)
一瞬、そんな考えがよぎる。
けれど――
(見捨てるなら、来てない)
静香は小さく拳を握り、その誘いに従った。
館の中は静かだった。
外の喧騒が嘘のように、音が少ない。
廊下を進みながら、男の背中を追う。
やがて一つの部屋の前で足が止まった。
「こちらです」
男はそう言って、窓の方へと視線を向けるよう促す。
静香は恐る恐る、その先を覗き込んだ。
――そこにいたのは。
「……っ」
息が止まる。
間違いない……舞姫だった。
閉じ込められた空間の中で、静かに座るその姿。
昨日見たときとは違い、その表情には疲労と――どこか諦めの色が滲んでいる。
(……いた)
確かに、舞姫はここにいる。けれど――
(他の三人は……?)
視線を巡らせる。
しかし、見える範囲には舞姫しかいない。
「お探しの方は、あの方で?」
背後から、楽しげな声。
静香はゆっくりと振り返る。
奴隷商の男は、愉快そうに目を細めていた。
まるで――この状況そのものを、娯楽のように味わっているかのように。
「――あれを、お嬢さんが買う、ということでよろしいですか?」
背後からかけられた声は、どこまでも柔らかく、そして不快なほどに粘ついていた。
静香が振り返ると、奴隷商は口元に笑みを浮かべたまま、窓の向こう――舞姫のいる部屋へと顎をしゃくる。
「あの娘は、なかなか上玉でしてね。本来ならば金貨十枚は下らない品ですが……」
言葉を区切り、男はゆっくりと静香を見た。
値踏みするような視線が、頭の先から足元までをなぞる。
「特別に――金貨一枚でお譲りいたしましょう」
にやり、と口角が吊り上がる。
金貨一枚。
その価値がどれほどのものか、静香には正確には分からない。
だが、少なくとも――
(無理、だよね)
手元にあるのは、銅貨十枚だけ。
比較するまでもなく、話にならない。
静香は視線を落とし、そして小さく息を吐いた。
「……どうして、あの人がここにいるんですか?」
問いかける声は、思ったよりも落ち着いていた。
奴隷商は肩をすくめ、大げさに手を広げてみせる。
「単純な話ですよ。あの娘と、その仲間たちは――無銭飲食で捕まりましてね」
「無銭……飲食?」
思わず聞き返す。
あまりにも、軽い罪に思えたからだ。
「ええ。店で飲み食いした代金を払えなかった。まあ、それ自体はよくある話ですが……」
男は楽しげに続ける。
「ちょうどその場に、私が居合わせたのです」
その言葉に、静香は嫌な予感を覚える。
「店側も困っておりましてね。このままでは騒ぎが大きくなる。そこで私が――彼女たちを“買い受ける”ことで、その場を収めた、というわけです」
まるで善行でも語るかのような口ぶりだった。
だが、その実態は明白だ。
「……それが、助けたことになるんですか?」
静香の問いに、奴隷商はわずかに目を細めた。
「もちろん。私がいなければ、彼女たちは正式に罪人として裁かれていたでしょうから」
「裁かれるって……どうなるんですか?」
その問いに、男はあっさりと答えた。
「決めるのは貴族様です。罰金で済むこともあれば、鞭打ちで終わることもある。ですが――」
一拍、間を置く。
「機嫌が悪ければ、首が飛ぶこともありますな」
「……っ」
言葉を失う。
無銭飲食で、死刑。
理不尽にもほどがある。
だが――
(ここは……そういう世界、ってこと?)
納得はできない。
けれど、理解はするしかない。
静香が沈黙していると、奴隷商は再び口を開いた。
「ちなみに、あの娘たちは四人組でしてね」
「……四人?」
「ええ。男が三人、女が一人」
静香の胸が、どくりと鳴る。
「男どもは別口で売りに出します。ちょうど明日、別の場所で競りがありましてね」
「じゃあ……あの人は?」
窓の向こうの舞姫を見やる。
「女は別です」
きっぱりとした口調だった。
「需要が違いますので。特にあの娘のような見目であれば、なおさら」
その意味は、言葉にしなくても分かった。
娼館。
あるいは、それに類する場所。
男とは違う“用途”で売られる。
静香の指先が、わずかに震えた。
(……最悪だ)
胸の奥に、重たいものが沈んでいく。
助けたつもりで、より悪い状況に突き落とす。
そんな構図が、あまりにも露骨だった。
「さて」
奴隷商は軽く手を叩いた。
「いかがなさいます? 特別価格は、今この場限りですよ」
甘い声。
だが、その実、逃げ場を塞ぐような響き。
静香は答えない。
答えられない。
(どうする……?)
金はない。
交渉材料もない。
力づくでどうにかできる相手でもない。
それでも――
(何か……何か、方法は……)
必死に思考を巡らせる。
このままでは、舞姫は確実に売られる。
そして、その先に待つ未来は――想像するまでもない。
視線を落とし、拳を握りしめる。
静香は、必死に考え続けた。
この絶望的な状況を、打開するための――たった一つの可能性を。
「――どうでしょう?」
奴隷商の声は、先ほどよりも一層甘く、そして底知れぬ粘りを帯びていた。
「あなたご自身を、奴隷としてお売りになるというのは?」
静香の思考が、一瞬止まる。
「……は?」
間の抜けた声が漏れた。
だが男は気にした様子もなく、ゆっくりと歩み寄る。
「あなたほどの娘であれば、金貨十五枚は固い。いえ、オークションならそれ以上の値が付くでしょうが、……今回は特別に即金で、その額で買い取りましょう」
指を一本、立てる。
「そのうちの金貨一枚で、あの娘を買う。悪くない取引でしょう?」
確かに――一見すれば、筋は通っている。
舞姫は助かる。
自分は奴隷になる。
だが、それだけでは終わらない。
「ご安心を。あなたなら、金貨一枚などすぐに稼げるでしょう」
滑らかに、言葉が続く。
「働いて金貨一枚を得る。そして残りの十四枚と合わせて、金貨十五枚でご自身を買い戻す。そうすれば――すぐに自由の身です」
完璧な理屈。
破綻のない提案。
だが――
(……ありえない)
静香の背筋に、冷たいものが走る。
あの目だ。
表面上は穏やかでも、その奥に潜むもの。
人を“物”としてしか見ていない、あの視線。
(そんな簡単に、解放させるわけがない)
条件を変える。
借金を増やす。
理由をつけて引き延ばす。
いくらでもやりようはある。
(絶対に……裏がある)
直感が、強く警鐘を鳴らしていた。
それでも――
(じゃあ、どうするの?)
現実は変わらない。
金はない。
力もない。
交渉材料もない。
袋小路。
そのときだった。
――ぐにゃり、と。
視界が歪む。
床も、壁も、奴隷商の姿さえも、溶けるように揺らぎ始める。
「……来た」
静香は小さく呟いた。
次の瞬間、世界は完全に切り離される。
静寂。
そして――目の前に現れる、二つのダイス。
十面体。
淡く光を帯びながら、宙に浮かんでいる。
(……今回のは)
理解する。
これは――“起死回生の策を思いつけるか”の判定。
成功すれば、道が開ける。
失敗すれば、何も思いつかない。
そして――
(クリティカルなら、全員助けられる……ファンブルなら……)
奴隷商の提案を、受け入れる。
強制的に。
(……成功ラインは、11以上)
二つのダイスの合計値。0から18の内11以上……成功率は4割を切る……けど……
(悪くない……いける)
静香は深く息を吸い、そして――ダイスを振った。
乾いた音が、虚無の空間に響く。
コロコロと転がる、ひとつ目のダイス。
やがて、止まる。
「……9」
思わず、口元が緩む。
(よし……!)
あと一つ。
2以上出れば、成功。
ほぼ確実と言っていい。
勝った。
そう思った。
二つ目のダイスが、軽やかに転がる。
(お願い……)
自然と、祈りが漏れる。
カラカラと回り続けるそれは――
「6……!」
思わず声が弾む。
(勝ち――)
だが、その瞬間。
「……え?」
ダイスが、止まらない。
6の面を見せたまま、わずかに傾き――
ころり、と転がる。
「ちょ、待って……!」
さらに、回る。
一度、0の面を見せる。
(やめて……!)
祈る。
必死に。
(止まって……!)
そして――
ぴたり、と静止した。
「……9」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
喜びが弾けた。
だが――次の瞬間。
静香の顔から、血の気が引いた。
「……あ」
9と、9。
ゾロ目。
それが意味するものは――
「ファンブル……っ」
絶対的失敗。
救いのない、最悪の結果。
空間が、音もなく崩れていく。
歪んでいた世界が、元の形を取り戻し――
現実が、戻ってくる。
目の前には、奴隷商。
変わらぬ笑みを浮かべたまま、こちらを見ている。
まるで――
すべてを、知っていたかのように。
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