16.甘い視線は余所を向く
爵位を継げない次男以降の男にとって、社交パーティーほど気の重くなる場はない。
当主やその後継者にとっては社交の価値が低い存在。
夫人や令嬢にとっては結婚相手には不適切な存在。
見ず知らずの令嬢からの甘さを含む視線を感じて声をかけても、俺の身分を知ると即座に体調が悪いフリで誤魔化すし、令嬢自身がそうした行動にでなくても、側で様子見をしていた夫人の牽制が入る。
王太子付きの宮内官として認知され始めてからは、手のひら返しのように俺を価値ある社交相手として接する者も増えた。それでも、田舎で目立った特色もない子爵家生まれの三男が社交の場でどんな存在かは、俺自身が誰よりも分かっている。
そんな俺だが、王太子殿下の婚約者とともに王宮入りした新人女官のパートナー役を担ってからは、初々しい貴族令嬢に囲まれる機会が増えていた。
「マルティエナ様、長期のお休みのご予定はございますか? 私のお家に招待させていただきたいですわ〜」
「リーレイン様のお誘い、とても嬉しいです。ただ当面は機会がなくて難しそうで……ごめんね?」
貴族令嬢らの目的は俺ではなく、隣にいる新人女官なわけだが。
(このやり取り、これで何人目だ?)
未来の王太子妃であるエレノア・シュネヴィオール子爵令嬢が王太子殿下にエスコートされてからお役御免となったこの新人女官は、男の俺に向けられるものとは比較にならないほどに甘ったるい視線を浴びていた。
「いえ、そうですわよね。ただ私、マルティエナ様ともう一度ダンスを踊りたくて……。公式の場では踊れないのが悔やまれますわ」
「ここにいる殿方は私よりもリードが上手ですから、様々な方とダンスを楽しまれてくださいね。私は王宮に残りますので、思い出してくれた時はお手紙をください」
「もちろんですわ! 王宮宛てに送ってもよろしいのですか?」
「はい。リスフォリア離宮宛てに送っていただければ、間違いなく受け取れます。リーレイン様の領地でのお話を聞けるのを心待ちにしていますね」
背が高く中世的な風貌のこの女官。確かに見目麗しく目を惹くけれど、どこにそれほど入れ込む要素があるのだろうか。
そう思いながらこれまで様子見してきたが、俺なりに分かったこともある。
気遣いがそこいらの奴より上手いのだ。
髪が乱れていたら整え、アクセサリーが絡まったり落ちかけていたら直す。ショールが肩から下がっていれば引き上げて戻し、疲れの色が見えたら座れる場所へ誘導する。
それらを直接指摘するのではなく、自身で気づけていない相手には悟られないように、会話の流れに合う絶妙なタイミングで行動に移す。
女官の手がリーレイン嬢の頬に触れる。
今度はなんだと見ていたら、頬に落ちたまつ毛を親指の腹で払っていた。
そのことに気づいていないリーレイン嬢は、慕っている人物に頬を撫でられる嬉しさからか、惚れ惚れと目を細めている。
(策略なのか素なのか。今回は後者っぽいけど、そんじょそこらの男はこんなこと軽々しくできないだろ。というか、そもそも嫌がられるか)
恥じらいながら別れたリーレイン嬢を見送る女官の腰に手を添えると、件の女官は俺を見上げてくる。
「マールティエナ女官は男役もできるんだ?」
「形だけですよ。きっとキギリ宮内官のリードには手も足もでません」
そこに上目遣いと呼べるような可愛らしさはない。
(殿下は変わった女官をよく二人も引っ張ってきたよな。大本命はユリス女官にしても、役柄に向いてるのは断然こっちなわけで)
女なのに男顔負けな紳士のように振る舞う女官は、聖テレシア女学院出身の貴族令嬢と未来の王太子妃の交流をうまく取り持ってくれるだろう。
「なんでしょう?」
言葉無しに見下ろしていると、気まずくなったらしい女官が声を上げた。
そこには不機嫌も上機嫌もなく、率直な疑問のようだった。
「男の俺よりもマルティエナ女官と踊りたがってるとか、プライドが傷付くって話。まあ、爵位も継げない三男と踊る利点もないけど」
「踊りますか? 良ければ友人をご紹介しますよ」
「そ? じゃあ踊るかな。でも紹介はしてもらわなくて良いから。面倒だし、今日の俺は丁度良いパートナーもいる。お役目は果たさなきゃな」
舞踏ホールの片隅へと引っ張った俺は、そのまま女官の手を取って音楽に歩調を委ねる。
(それにしても、妙に視線が刺さるというか何というか……)
これまでの夜会では俺に向けられる視線の主は令嬢だったけれど、今日はやけに敵意や殺気混じりだ。
(気になるのはそれだけじゃない)
ほんの少しの違和感。
俺を見上げる視線が、時折他所を向く。
俺をすり抜けたその先へ、この女官の意識が向く。
その一瞬を目にして、二歩のステップで切り変わる景色から、俺に向かない眼差しの着地点を探す。
(何処だ?)
背筋に感じる悪寒も、目の前の女官の眼差しの先も。
どちらも僅かな一瞬で、探し当てるのも難しい細やかな間で、気まぐれのようにふいに訪れる。
瞬きの合間にも人が入れ替わる大規模な会場では、探し当てられやしない。
(誰が俺に嫉妬していようがいまいが、マルティエナ女官が誰を見ていようがいまいが、どうでも良いんだけどな)
誰にでも愛想の良い女官が珍しくも女の目をした視線の先を面白半分に知ろうとしただけ。
単なる仕事仲間の俺に嫉妬する人物がどんな野郎か、はたまた令嬢か、単純な興味が湧いただけ。
マルティエナ女官はつくづく奇妙な人物だ。
表立っては目立たないのに、人知れず人気がある。誰か彼かはこの女官を探している。
上っ面を取り繕った連中とさして変わらないような会話をしていても、信用やら信頼やらを互いの合間に感じれる。
「キギリ宮内官、パートナーに誘ってくださってありがとうございます。私からお願いして探し回るのは荷が重かったんです」
初対面で値踏みした俺に対しても、今では他と同じように信用か信頼かよく分からない気持ちの良い空気を向けてくる。
「俺じゃなくても、他の奴らが声掛けたがってたよ。来週からは君と四六時中同じ部屋で仕事できるって浮かれてるし」
風の季節は今日で終わり、来週からは水の季節。
王太子殿下が地方へ長期視察に出払っても、下っ端の官吏は王宮で変わらぬ毎日を過ごす。
そのはずだったのに、王太子殿下とともにシュネヴィオール子爵令嬢が王宮を離れる期間もリスフォリア離宮の管理をするために女官が片方残ることになり、監督責任者のブラウ・ラスティ宮内官の配慮で、この女官の席が俺たちの仕事場に設けられることになった。
宮内長官から報じられた時に騒ぎ立てる者こそいなかったものの、そわそわした気配は隠し通せていなかった。
「人手が必要な時は声をかけてくださいね。オフシーズンは私の仕事も少ないので、皆さんのお手伝いもするようブラウ宮内官から言付かっていますから」
「なら今度こそ有難く、こき使ってあげるよ」
「はい、よろしくお願いします」
彼女が俺に向けるのは、いつだって仕事に向き合う官吏の顔だ。
色恋を分かっていなさそうな、異性を異性としてみていない顔。
(来週からは同じ部屋で仕事する仲間だし。どっちにしても観察対象なのは変わらない)
俺以外の男にも同様に見えていたけれど、実際はどうなのか。
この女官の恋焦がれる視線の着地点を探ることはできるのか。
それは次の季節の楽しみといこう。




