15.神紛いな俺の懸念
どんなに高く評価されていても、画風が好みでなかったら食わず嫌いのように興味を示さなかった俺の妹。
そんな前世の妹がハマり込んでいた乙女ゲームの舞台は、俺からしたらメルヘンチックというか、無駄に装飾が多いというか。
男一人では確実に浮くような、きらきらしい背景がゲーム画面には常時映っている印象だった。
その記憶を思い返しながら、乙女ゲームの舞台――ヴァルトセレーノ王立魔法学院にお忍びで足を運んだ俺は、ゲーム内の建物がそのまま実在していることに圧倒されたものだ。
けれども日本人の木戸悠真ではなく、ヴァルトセレーノ王国に馴染む容姿で学院の制服を着こなす学生に変装した私が浮くことはなく、学院自体の印象もメルヘンチックというよりは豪華絢爛という言葉がしっくりきた。
伯爵家で生まれ育ったマティアス・オーレンとしての意識が木戸悠真の記憶に勝っていたのだろう。
ヴァルトセレーノ王国の建築美学や技法を用いて建てられただろう伯爵邸も貴族の館であることを示すように華美だったから、私が何をメルヘンチックと思い、何をスタンダートと思うかの基準は変わっていた。
そんな貴族として生まれ育った私から見ても、国王の管轄下にあるヴァルトセレーノ王立魔法学院は伯爵邸とは比較にならないほどの贅と美学が詰まっていたけれど、更にその遥か上をいくのがヴァルトセレーノ王宮だった。
圧倒されるなんて生易しいものでは足りない。
王宮内に足を踏み入れた途端に、王族の存在感に当てられて肌が粟立つ。目の前に王族がいなくてもそうなのだから、王族が近づいたら目視するまでもなく反射的に額突くだろうことが予想できた。
広大なヴァルトセレーノ王宮の中央に陣取るフォスリンデ大聖堂を会場にした社交シーズン始めの舞踏会を皮切りに、それからの三か月はほぼ毎日アスタシオンに付き従って彼が担う実務の補佐をしていたけれど、当初感じた印象が変わることはなかった。
王宮の構造もその一因のひとつで、中央に据えた大聖堂の四方に国王と王妃、王太子と第二王子の館が対象に置かれた敷地になっている。
それらの間に図書館と文書館を挟んで回廊で繋がり、ひとつの巨大な宮殿として存在しているのだ。
それは、どこから王族が現れるか検討もつかない上に、誰が見てるかも分からない空間に感じさせた。
(ネムレスタ公国でも宮殿に何度か行ったけど、慣れるのは早かったんだよな)
ネムレスタ公国と大陸随一のヴァルトセレーノ王国ではそもそもの規格が違うけれど、何よりも気持ちの差が大きい。
闇属性の魔力を有する者への畏怖と偏見。
第二王子に贔屓にされていることへの嫉妬と好奇心。
他人の目がある時のアスタシオンとの会話は、たったのひと言でも気が張り詰めた。
私だけでなくて、アスタシオンだってそうだ。
二人で話す時とは態度が違う。
(勉学においては優秀なのに、政治的な場面では決断力に欠ける……ように振る舞ってるのは、第二王子としての立場があるらしいけど)
王族や貴族の権力争いなど、面倒なことこの上ない。
社交シーズンが終わることで序列が色濃く表れる王宮での日々から解放されるのは嬉しいけれど、心配ごとは残すことになってしまう。
「――お兄様」
それは言わずもがな、女官の制服を着て顔を見せた妹だ。
「久しぶり。こうして連絡くれるなんて珍しいね」
胸元に届きそうな髪。
幼少の頃と比べるとまだまだ短いけれど、随分と伸びた髪が風に揺れている。
「マルティエナ、来てくれてたんだね。今日の夜会で話す時間があるか分からなかったからさ。大事な妹に別れの挨拶はしておきたいだろう?」
「私もお兄様に会っておきたかったから嬉しい。ありがとう」
独占していたベンチへと二人並んで座って、用意していた二人分のサンドイッチを妹に手渡す。
官僚用の休憩所になっている王宮図書館一階の室内庭は、ステンドグラスの窓から温かな光を取り込み、風通しを良くする細長い開口部から心地良い風が吹く。
中央にある噴水には放し飼いされたカラフルな鳥が羽休めに降りたち、水を飲んでは羽音を響かせて室内を飛ぶ。
書類との睨めっこに疲れ果てた時や、人の目を意識せず休みたい時の気晴らしにぴったりな場所。
昼時の今は、私と妹のほかにも数人の官吏が昼休憩に訪れている。
それなりの距離を置いて点在するベンチやテーブル席から様子を伺う視線をちらほらと感じるのは、気のせいではないだろう。
第二王子の側近である私と、王太子の婚約者付きの女官である妹。
エレノアの友人だった『マティアス・オーレン』なら王宮でも関わる機会があるだろうと思っていたけれど、実際は妹とこうして会うことすら難しかった。
仲の良いように見えるのに、王太子と第二王子の間にある確かな溝。
それは意図してそうしている――とアスタシオンは話していたけれど、その影響もあってアスタシオンがエレノアとの私的な場をつくることはなかったし、私と妹は人目につく場所で誰に聞かれても問題ない話を心がけなければいけなかった。
「マルティエナ。本当に伯爵邸を閉めちゃって良いの? このまま王宮暮らしをするにしても、休みの日に邸に戻るのは息抜きになるし、私は良いと思うんだけど」
伯爵領へ戻る私の一番の心配ごと。
エレノアがソルディオンとともに王宮を離れる期間はマルティエナも同行すると思っていたら、王宮に残って離宮の管理をするという。
エレノアが不在の間は終業時間が一定になるため、邸宅からの通いでも良いと言われたけど離宮に残ることにしたと聞いた時には、私だけじゃなくて、ルチナや使用人の面々も勢揃いで引き留めた。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、お兄様。息抜きしたくなったら王都の宿に泊まれば良いし、いつ帰ってくるかも分からない私のために邸を管理するのは皆が大変でしょう」
けれども当の本人はこの調子だ。
「カーチェは全て自分がやるって張り切っているけどね」
「うん、――ごめん」
妹は「頼ってほしい」と私に告げたその口で、大丈夫と不安を隠す。
それを翳った眼差し垣間見えた気がしたから、ほとんど同じ高さの頭を撫でた。
「いつでも手紙を送って。すぐにカーチェを向かわせるし、邸を閉めている間の管理は執事に任せるから、彼を頼るんだよ」
「ありがとう。ここでの生活も大分慣れたし、王太子殿下付きの宮内官の皆も親切にしてくれてるから、お兄様も安心してね」
今度の妹の笑みは心からのものだ。
全てが不安で堪らないのではなくて、不安を抱えながらも安心できる場所がある。
その気持ちを闇属性の魔法士集団にいた私はよく知っている。
だから、マルティエナが王宮での生活を望んだのも分かる。
分かるけれど――
「それが私は心配なんだけどな。いくら使用人も多いとはいえ、后宮以外は基本的に男社会だから、馴れ馴れしい男には下心があると思っておくんだよ」
妹の話によると、上官のブラウ・ラスティも王太子の視察に同行せずに王宮に残るらしい。
乙女ゲームの攻略対象のひとりとして名を知っているその人物は、根が真面目な努力キャラだ。
王太子は信用ならないものの、エレノアが手を伸ばせる範囲にいれば妹が不当な扱いを受けないと思っていた。
不正を黙認せず公平を重んじる彼になら、同じくらい安心して妹の身の安全を任せられる。
(けど、男女間の恋愛においては別問題だ!)
乙女ゲームの主人公に選ばれなかった攻略対象は、その後どうなるのだろうか。
「お兄様心配しすぎだよ。でも本当にありがとう、覚えておくね」
ブラウには是非とも妹の良き上司で在り続けてほしい。
アスタシオンのような、おくびにも出さないのに執着した恋愛はやめてほしい。
昼休憩に出る私を爽やかな笑顔で送り出した彼を思い浮かべて、同時に頼まれたことに息を吐く。
「あー……のな、マルティエナ。口出しすぎるのもよくないけど、キギリ・アレサ宮内官ってどんな人? 夜会に参加するときはその人と組むこと多いんだって?」
これは断じて、王太子付きの宮内官を詮索しているのではない。
大切な妹を案じている兄として当然の会話だ。誰の目にも耳にも、そう見えるし聞こえるはずだ。
「いつも仕事上の都合だよ。今回は一応誘われた形だけど……成り行きみたいなものかな」
「ならどんな人?」
はっきりとしない物言いなのは事情があるからだろう。
分かるでしょう? と訴えかける瞳に追及はせずに、別な切り口で問う。
「キギリ宮内官は同僚から信頼されてるし良い人だよ。頼りになるお兄さんみたいに慕われてるかな」
「マルティエナから見ても兄さんみたい?」
「お兄様……どうしてそんなに気になるの?」
「私がマルティエナの正統な兄だからだよ。まだ婚約者も決まってない大事な妹を預けられる人か心配になる兄心を多めにみてくれないかい」
役者のように感情を前に出すことを意識して、手のひらを胸に当てて語ってみせる。
前世に見た外国の映画でも、少し大げさなくらいのジェスチャーがあった気がする。
演じる気恥ずかしさはあるけれど、遠くから様子を伺っている者にも理解してもらうには、このくらいが丁度良いのではないか。むしろ、妹を激愛しているようだと大いに噂してほしい。
様子のおかしな私にマルティエナは苦笑いしながらも、観念したようだった。
「話を聞いてもキギリ宮内官への態度を変えないでね?」
「約束はできないけど、私はマルティエナを尊重するよ」
私はね、と心のなかで繰り返したのは妹には秘密である。
「私には少し嫌味なところもあったけど、それは誤解があったからで、今は普通……なのかな? 愛想はないけど、頼りになる宮内官かな。ああ――それとね、キギリ宮内官は身長が男性の中でも高いから、私がパートナーだと丁度良いみたい」
身長差があり過ぎると首や腰が辛いらしくて、と続ける妹に私は何とも言えなくなる。
(丁度良いなんて、アスタシオンが聞いたら妬むだろうな)
妹に嫌味な態度をとったのも引っかかる。当の本人が気にしていなくとも、それを私がどう思おうととも、アスタシオンは根に持ちそうだ。
(ゲームでのアスタシオンのルートは、主人公がソルディオンのお気に入りでも手放さないし譲らないって話だったはず。でも今は……)
アスタシオンは自分のお気に入りを、王太子のお気に入りにさせたがっている。
それが妹の身の安全を最大限にする方法だと俺なりに理解しているけれど、その先にアスタシオンが望む妹との未来はあるのだろうか?
妹が幸せになれるアスタシオンとの未来はあるのだろうか?
どちらにせよ、俺がすることは変わらない。
妹の為になる最大限の手助けをする。それだけなのだ。




