14.見せかけの平穏が常なのか
「請求書の整理もこれで終えますね。納品も全て確認しましたし、あとは……」
三ヶ月かけて連日開かれていた王国議会の最終日。
夜に開かれる国王主催の舞踏会に向けてエレノアは朝から身支度を始めていた。
今回はマルティエナとユリスも総出で出席することになっているのだが、その前に女官の本分である月締め書類の総まとめだ。
「終わりですよ。報告するものをまとめましたので、ブラウ宮内官の元へいきましょう」
報告書類を手分けして抱え、繋ぎの間で手持ち無沙汰にエレノアの身支度が終えるのを待つナザリクに一言告げて離宮を離れた。
普段は軽装で過ごすことの多いナザリクも護衛騎士の正装で身を固め、派手やかだ。
肩を掠めてあちこちに跳ねる毛先すら様になる彼は、今日も若い令嬢からの人目を集めるのだろう。
湿り気を帯びた空気を吸いながら翠陽宮に続く園路の裏道を歩く。
アーチ状に植物に囲われた道を抜けると、正面には翠陽宮が見え、左手には王宮裁判所の敷地が広がる。
敷地を区切るように背の高い木が整然と並んでいるけれど、その奥の景観は開けていて、木々の隙間からシルクハットを被りステッキを手にする貴族がちらほら見えた。
「庭園にもう人が集まっていらっしゃいますね」
朝一番に始まる王国議会を終えてからは、国王の元へ多くの貴族当主が挨拶へと謁見の間に列を成す。
昼を迎える今の時間、王宮の本殿に収まりきらず、外にまで列がなされていることだろう。
(昨年はお兄様として列に並んだけど、順番がくるまでの何時間も待つのは流石に堪えたな。年が近い人もいなかったし)
挨拶を終えてから夜の舞踏会までは時間が空くので、本殿の各宮を結ぶ回廊や庭園で知人と挨拶をしながら舞踏会の開始を待つ者も多い。
翠陽宮が近づくにつれ、そうした貴族当主からの視線をひしひしと感じていた。
「王宮勤めにならない限り、女性には縁のない慣習ですよね。……父もどこかにいると思うと気が重いです」
ユリスの口振りは重い。
彼女の父であるホスタギーヴ伯爵の決断には、妻も子も意を唱えることが叶わないらしい。
爵位を受け継ぐ当主が全ての権限を持つのは、ヴァルトセレーノ王国では当たり前のことだ。
マルティエナの父である前オーレン伯爵も、兄の失踪がなく心身ともに健在であったなら、これほどまでにマルティエナが自分の意志で過ごせることもなかったに違いない。
「后宮が離れてる分、女官の姿は目立ってしまいますよね。年代が上の方ばかりで私も緊張します」
王立魔法学院で魔法を極めていたユリスが魔法とは縁遠い場所に身を置いているのには、そうした伯爵当主の意向なのだろうか。
ユリスの心情を想像して苦々しく思いながらも、マルティエナは同意するのだった。
◇◇◇
ブラウに報告した書類が、彼の手の中でパラパラと捲られていく。
新たな書類に切り替わる度に説明を加えながら最後の一枚まで達すると、ブラウは手にした書類を机に置いた。
「ご苦労。君たちは夜会の支度にまわって構わない。不備があれば後日伝えよう」
「ありがとうございます」
ユリスの言葉に合わせて礼をしたマルティエナは、強く唇を引き結んで表情を硬くしたブラウを目に留めて、踵を返しそうになる足を止める。
言うか言わないかを悩んでいる面持ちだ。
咄嗟に後ろ手をユリスの背に回して立ち止まってもらうと、ブラウの閉じられた唇が迷いながらも開かれた。
「今回ふたりにはエレノア様の側に控えてもらうが、殿下がエレノア様と行動を共にされている間は、自由に過ごして良いと殿下が許可されている」
伝えられたのは、前々から聞いていた内容である。
「その間は君たちも楽しんで――とユリス女官に私が言うのもおかしな話だが、ふたりとも楽に過ごしてほしい」
どことなく気まずさの混じった気遣いだった。
「こちらこそよろしくお願いいたします」
「私もお言葉に甘えて、今夜の夜会を楽しみたいと思います」
ふたりは今回、舞踏会のパートナーを組んでいる。
ユリスによると「王太子殿下から父への配慮」なのだそう。
侯爵家の後継者でありながら王太子の側近として、将来的にも現時点でも有望な立ち場にいるブラウのパートナーに選ばれるのは、それだけでも価値がある。
多くの貴族の関心を引き、他の貴族令嬢たちへの牽制もできてしまうだろう。例え今回限りのパートナーになっても、国王主催の夜会で選ばれることに多くの貴族は見えない意味を見出す。
部下でありパートナーであるユリスを前に声をかけるか迷いながらも、直属の上司として告げておきたかった姿に、ブラウの人柄が垣間見えた。
長居せずに上官室を後にしたマルティエナとユリスは、封筒の束を抱えて壁面の棚に仕分けしていく宮内官へと声をかける。
「ルド宮内官、お疲れさまです。離宮宛ての荷はございますか」
「お疲れさま。あるよ、ちょっと待ってね〜」
抱えた封筒の束から一通、そして棚から二通と二つ折りのカードが取り出された。
「これはマルティエナ女官にお兄さんから。今見るのがオススメ」
「ありがとうございます」
手のひらに収まるカードは、王宮内での些細なやり取りに用いられているものだ。
カードの縁を染めた色で送り元が分けられていて、エメラルドを彷彿とさせる鮮やかな深緑は国王直下、生命力を感じさせる明るく瑞々しい緑は王太子、そして芽吹いた草葉が色付くまでの柔らかな薄緑が第二王子の管轄だ。王族が自ら用いるカードには、さらに金縁の模様が施されている。
他にも王妃や騎士団、魔法士団と所属毎に色分けされているのだが、エレノアにはまだ色は与えられておらず、王太子の管轄として緑色のカードが離宮でも使用されていた。
受け取った薄緑色のカードを手にしたマルティエナは、その場で半分に折られたそれを開く。
(時間があれば正午に王宮図書館一階の室内庭で会おう――か。三十分後なら離宮に戻ってからでも間に合うけど)
離宮に持ち帰る荷物は厚みのない封筒が三通。
ユリスに任せて良いか尋ねようと視線を向けると、承知したとばかりに頷いた。
「私は先に戻っています」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ルドに会釈をして秘書局を去る前に、通り過ぎた室内をもう一度軽く覗く。
男性の姿しかない秘書局でも、マルティエナの目的とする人物はとりわけ背の高いので、探さずとも目に付く。
(打ち合わせは終わらないみたいだし、挨拶はやめておこう)
作業机に広げた書類を前に話し込んでいるキギリは、マルティエナが上官室に入る時から続いていた。二人の宮内官の静かながらも険のある打ち合わせは、秘書局の空気をひやりとさせている。
「もしかしてキギリに用事だった?」
口元に手を添えて声を落とすのはルドだ。
そこはかとなく漂う緊張感を物ともせず茶目っ気たっぷりに笑うルドにつられて、マルティエナも微笑する。
「挨拶をと思いましたが、打ち合わせ中でしたので大丈夫です」
「ふたりは今夜のパートナーだったね。その頃にはキギリの仕事も落ち着いてるだろうし、楽しんで」
「ありがとうございます。ルド宮内官も、また夜会で」
ひらひらと手を振るルドに再び会釈をしたマルティエナは、数歩先の回廊で待ってくれていたユリスの隣に並んで歩き出す。
今夜の夜会で自由に過ごすことを許可されているユリスとマルティエナだが、同時に条件も下されていた。
それは王太子付きの宮内官のエスコートを受けること。
そしてユリスのパートナーはブラウにすると王太子が直々に決められたそうだ。
一方のマルティエナには指定はなかったけれど、王太子が求める条件に見合った者である必要はある。
王太子の秘書局と女官の関係性を示せと言い含められた意図に沿える相手だ。
とはいえ、秘書局内で公にされているその条件に頭を悩ませるのは、マルティエナの領分ではない。
宮内長官から話を受けたというキギリからの誘いを、拒否することなく頷くだけだ。
王太子付き宮内官の中でも勤続年数の長いキギリは伯爵家の三男ではあり、王宮に出入りしている貴族からの認知は高い。加えて、その背の高さから目につきやすい。
宮内長官が人選した理由はそうした点もあるだろうと推測できても、王太子の思惑や王宮内の派閥は分からないことばかり。
(エレノアさんが王太子殿下とともに王宮を離れる間、私は秘書局に席を用意してもらえることになったし……王宮の内情も少しは見えてくると良いな)
女官になってからというもの、何ごともなく毎日を過ごせている。
エレノアは分け隔てなく優しくて、離宮で働く者を疑うことなく信じる。主の人柄が離宮をつくるように、いつだって離宮のなかは穏やかだった。
王太子の秘書局に足を運んでも、ブラウを筆頭に他の宮内官たちからも快く受け入れられている。
王宮に渦巻く陰謀の影を微塵も感じさせない日常は、警戒していた分もマルティエナに心地良さを与えてくれた。
そして、それはまだ事が起こっていないからだということも、頭の片隅で理解していた――




