13.余興じみた熱演
交互に休みをとる女官同様にナザリクも丸一日の休みがあり、その日は王太子の近衛騎士が替わりに任される。
シスミナは週に一度の他、侯爵夫人としての予定がある日には不定期で休暇を取る。
離宮内で働く衛兵や使用人も順番に休みを組まれていた。
では、エレノアにとっての休日はいつなのか。
エレノアに問えば今日と言うだろうけれど、マルティエナからしたら公務の延長線である。
「マルティエナです。外出のご用意はお済みですか?」
手の甲で扉を二回叩くと、そのまま扉越しに声を掛ける。
今マルティエナがいるのは、登城初日にブラウに案内されたエレノアの私室前のスペースだ。
家具も飾りもないまっさらな空間だったここには、壁の造りと同じ八角柱の魔道具の燈を中央に置くことにした。
まっすぐ天上に向かって放たれる光は、屋根瓦の宝石にぶつかって反射する。そうして、壁の角に埋め込まれていた灯と一緒に、日の差さない時間帯を照らしてくれる。
昼夜問わず万華鏡のように形を変えながら光が降り注ぐこの空間には今、朝陽が降り注いでいて仄かに温かい。
「マルティエナさ〜ん、あと少しだけ! 中に入って待ってて?」
「では失礼してお待ちしていますね」
口早に張り上げた声が扉越しにも届いて、マルティエナは扉を開ける。
エレノアは腰まで伸びた髪を結っている最中だった。
今日も血色の良い朗らかな表情で、疲労の色は欠片もない。鏡台の大きな鏡越しに挨拶を交わしたマルティエナは近くの長椅子に浅く腰掛けた。
この席からは鏡に向かうエレノアの様子が良く見える。
耳にかかる横髪を捻ってロープ状に編んでいくのはメイドのミュレットだ。「やっぱりこっちにしようかな?」とエレノアが両手に持った二つの髪飾りを耳横に交互に当てて、ミュレットも髪を結い上げながら返事をしている。
王太子の婚約者として髪飾りを選ぶ時よりも、表情が柔らかく楽しげだ。
肩書きを気にせずひとりの女の子としているようで、身支度が終えるまで待つ時間は微笑ましい。
エレノアから髪飾りを受け取ったミュレットは、結んだ髪を白いリボンで止めると、そこから更にリボンごと編んでいく。
ストロベリーブロンドの髪を白く彩るその姿にどことなく見覚えがあった。
(女官になる前だと思うんだけど……いつだろう)
記憶を探ってみたものの、手鏡を鏡台と向かい合わせにしてエレノアが後ろ姿まで確認し終えたので、頭を切り替えて立ち上がる。
「お待たせ! マルティエナさん」
「いえ、とてもよくお似合いです。真っ白な雪が舞っているようで、エレノア様の雰囲気に合いますね」
まとめ上げられた髪から見え隠れするリボンは緩く引っ張り上げられていて、キツく留られているのに、ふわりと纏っている印象がある。耳の下に垂れ下がるリボンは、近くで見ると光を纏う光沢の輝きがあった。リボン紐ひとつとっても、質の高さが窺える。
えへへ、とエレノアは照れながらも屈託なく笑った。
「実はね、初めてディオンからもらったプレゼントが包まれてた留具なの。光の魔法使いとして認めてもらえたって嬉しくって。捨てたくなかったから髪飾りにして、学生の頃はよくこうして付けてたんだ」
「王太子殿下との思い出の品なのですね。素敵です」
「ありがとう!」
話を聞いて、マルティエナも納得したことがある。
(普段はそのまま髪を下ろしてることが多いけど、二学年に上がってから髪をまとめてることも増えていたよね。時々つけていた髪飾りはこれだったのかも)
知らずにいたエレノアと王太子の日常を聞き知って、当時の二人を想像する。
プレゼントの包みまでも大切にして、身につけてくれる。
それは王太子が好きになったエレノアの一面なのではないだろうか。
エレノアの歩調に合わせて真白なリボンが揺れる。
真昼の日差しの元では、より白く、清らかに光輝くのだろう。
◇◇◇
王都の街中は暦に限らず、平日も休日も多くの人が行き交う。
王都随一と謳われる歌劇場は平日の昼公演からチケットは完売し、開演の一時間前から来場客で溢れていた。
「いつ来ても凄い人気! 今日の舞台は騎士の成長物語みたいだけど、女性が多いのね」
「そうですね。見知った顔もちらほら見かけます」
バルコニーの特等席に案内されたエレノアとともにマルティエナも座席に座って、階下を見下ろす。
席を埋める半数以上の客が女性で、華やかな飾りや仕立ての良い服で身を包んだ貴族が大半だ。
ナザリクは背後に立ってホール全体を見渡しながら会話に加わった。
「騎士は物語でも現実でも、とても女性に人気なんですよ。モテたくて騎士になる男もいます。俺は違いますよ」
さらりと付け足された最後の一言でマルティエナが振り返ろうとすると、同じ反応をしたエレノアと顔を見合わせることになった。
にこにこと物言いたそうな表情に、マルティエナは口を閉ざしたまま微笑んだ。続く言葉は同じだろう。
「ナザリクさんも人気だよね。夜会ではいつも声を掛けられているのを見かけるもの」
「職務中は遠慮してほしいのが本音ですよ。俺の話はいいとして、騎士役の男優が美男子で有名なそうですが、知っていますか?」
「もしかしたら何かの公演で見たことあるかもしれないけど、 私はあまり役者さんに詳しくないの。マルティエナさんは?」
「昨年の火の季節の公演で観ました。噂に違わぬ美男子でしたが、私は声の深さが一番の魅力に思いましたよ。言葉のひとつひとつに背景が見えるようで、目を閉じて聴き入ってしまいたくなりました」
受付で配られた二つ折りのパンフレットを開く。舞台のあらすじと出演者の役柄が肖像画とともに印字されている。以前に舞台で見た姿とは髪型が違うけれど、精巧な顔立ちはそのままだ。
「顔も声も素敵なんて舞台役者にぴったり! 始まるのが待ち遠しいな!」
「そうですね。私も楽しみです」
「俺は職務怠慢になるんで、舞台に気を取られないようにしなきゃいけないんですよね。残念」
歌劇は新人騎士の若い男の生涯を描いた物語。 初めての任務でチームを組んだ魔法士から魔力の才を見出され、騎士であり優秀な魔法の使い手として成長していく内容だ。
(恋愛要素もあるんだろうな)
出演者の欄にはティアラを身につけた王女役の女優が主人公の次に載っている。
どんな話になるのだろうか。
エレノアとともに手元のパンフレットに目を通しながら、舞台への高揚を膨れ上がらせた。
◇◇◇
「ようやく。――帰ってきましたね」
大衆が遠巻きに見守る中で跪くひとりの騎士が両手に掲げた剣を、凛と立つ王女が手に取る。
「私の騎士は貴方だけ」
切っ先が折れた無惨な剣。
それは王女に呪いをかけた龍の討伐に赴いた主人公の殉職を表していた。
剥き出しの刃を厭わずに王女は胸に抱く。
舞台の照明が消えて、一筋の光が王女だけを照らす。
「愛しているわ。貴方は私の呪いを解いた英雄。未来永劫、 私だけの騎士よ」
王女の静かに告げた声だけが会場を満たす。
反響した余韻が消え去ると、剣を抱きしめて慈しむ王女の涙のような音色が鳴る。たった一音のピアノの音粒。
そこに主人公の殉職を悼むような深く重厚感ある旋律が重なって、幕はゆるりと下りていく。
会場からはすすり泣く音が溢れ出していた。
「ッ……ふぅぅ……」
真横からも必死に耐える息遣いが聞こえてくる。
マルティエナは奏でられる鎮魂歌の音色に耳を傾けながら、急き立つ鼓動を抑えるように瞼を閉じる。
(参加した武闘大会で王女に名を覚えられたことがきっかけで、主人公は王女と秘密の恋をする。普通だったら叶わない恋だけど、王女には短命の呪いが掛けられていて、元凶の龍を討伐した者の望みを叶えると国王がお触れを出した。その先で、主人公は龍と相討ちになって……)
主要な場面を振り返って、今し方見た終わりを再生する。
(人を選ばず好まれる王道な展開で、役者の演技と演出に魅入られる舞台だった。感動したし面白かったのは確かなんだけど)
エレノアや他の観客とともに感動のまま涙を流せない。物語の世界を楽しみながらも、マルティエナの胸にずっと引っ掛かるものがあった。
閉じられた幕が再び上がって、主人公役の男優と王女役の女優が手を掲げて現れる。
舞台の静かな余韻が鳴り止まない喝采に変わって、再び幕が下りるまで。拍手を続ける手のひらのじんじんとした痛みよりも、胸の焦燥が気にかかる。
オリビアが知らせてくれた噂話に感じた不安によく似ていた。
そんなマルティエナとは反対に、両手を胸の前で組んだエレノアは、幕が閉じた舞台に熱い眼差しを向け続ける。
「凄く、凄く感動したわ!! 無事に生きて王女様と結ばれてほしかったけど、剣だけでも王女様のもとに帰れて良かった!」
「剣は騎士の魂みたいなものですからね。使命を果たした上での殉職も、騎士にとっては名誉ですよ」
「うぅ~……やっぱり生きててほしいから殉職が名誉だなんて嫌だけど、でも、なんとなく分かるかも。自分の信じる道を最後まで生きれたんだもんね」
「そうですね。あの王女様もエレノア様と同じように思われたと思います。騎士の誇りを受け取ったからこその最後だったのではないでしょうか」
「うん、そうだね。でも無理ぃい! 私が王女様だったら絶対泣いちゃう! 受け止めきれないよ〜」
公演中から握りしめていた彼女のハンカチは使いものにならなくなったようだった。
真っ赤に充血した目元から再び溢れ出した涙を指で拭うエレノアに、マルティエナは自身のハンカチを差し出す。
階下の席ではエレノアと同じく、止まらない涙のせいで席を立てずにいる客も多い。
けれどマルティエナとナザリクが平然としているものだから、エレノアは恥ずかしそうにハンカチで涙を拭った。
「なんかね、魔法を学んで力をつけていく姿を見てると、魔法を上手く使えなかった学生の頃を思い出して懐かしかったの。だからかな? こんなに泣いたのは初めてかも」
その言葉に、マルティエナの心臓は不快な音を鳴らす。
「今日の公演チケットはシスミナ様がくださったのですよね。シスミナ様は何か仰っていましたか?」
「ううん? おすすめのお出掛け先を聞いたら、今人気の歌劇は観ておいたほうが良いと用意してくださったの。本当に観に来れて良かった!!」
エレノアは吸い込んだ息を幸せいっぱいに吐き出していく。
「前に視察先の候補で少し揉めたでしょう? 私ね、ずっと何かしなきゃ、頑張らなきゃって思ってたの。でも、こうして街で過ごすことも大事だよね。皆がどんなことを楽しんで、どんなことに喜んで。どんなことに怒って悲しむのか知ろうとしない王太子妃なんて嫌だよね」
「エレノア様……」
目元に添えた白いハンカチによって際立つ真っ赤な目元には覚悟のような強さが滲んでいた。
「だから知りたいなって思ったの! マルティエナさん、これからも時間が出来たら一緒に街歩きに付き合ってくれる? ナザリクさんも!」
「はい、私で良ければ是非」
「俺も喜んでお供いたします」
「ありがとう! これから行くカフェも楽しみだね! 持ち帰りできそうなら、ユリスさんや皆の分も買って帰りたいな」
「行こう!」と笑顔で立ち上がったエレノアに引き上げられるように、マルティエナも笑みを返す。
エレノアはシスミナから紹介された舞台を純粋に楽しんで、次の行き先でも友人から聞き知ったというおすすめを堪能するのだろう。
裏を探ろうとせず、見たものそのままを受け取って、前を向く糧にする。陽の光のように明るく前向きな純真さがエレノアの強みだ。
席を離れる前に、幕が閉じ切った舞台を目に収める。
舞台の照明を一身に浴びる騎士が、マルティエナにはエレノアに重なった。
魔法の素質がきっかけで王太子と師弟関係になり、貴族の序列だけで考えれば結ばれない恋をして。今では、王太子殿下の婚約者に相応しいとされるほどの光属性魔法の使い手になったエレノア。
もしも、エレノアが光属性の魔法士として危険な任務に就いたら――
任務の最中でその身に危険が迫ったら。
(エレノアさんは、任務を諦めて自分の命を守る選択はきっとしない。どうして今、この舞台が人気なんだろう)
ふと気になって、ざわめきが薄れてきた階下を見下ろす。
遠目からでも分かる仕立ての良い服に身を包んだ貴族女性。舞台が終えてからの時間は社交の場とでもいうように数人で集まって談笑をしていた。
よくある、微笑ましい光景だ。
どのシーンが良かった、この台詞が格好良かったと感想を伝え合って、互いの感想を共有する。
自分とは違う視点の話を聞けたらより世界観が深まって、再度観たいと盛り上がる。
そうした、幸せな時間のはずなのに。
その表情が見えそうになった途端に冷え冷えとした感覚が背筋に走って、マルティエナは慌てて目を逸らした。




