12.歴史ある軋轢
夜会を終えてからは何かが動き出すのではないかと身構えていたものの、これといったことはなく。
マルティエナは平和に日々を過ごしていた。それは離宮の主人であるエレノアも同様だ。
(エレノアさんが魔法士団として遠征する予定はないし、アレッタ嬢もオリビア様の話は聞いたこともなかったようだし……)
近隣諸国と比べて領地が広大なヴァルトセレーノ王国は、領地の区分けが多い分貴族も多い。
国王の采配は隅まで行き渡っているように見えるけれど、細かな派閥は常に存在する。
何かのきっかけで消えたとしても、気づけば新たに生まれるものだ。
(ブラウ宮内官にも念のため伝えたから、私に出来ることは今のところない)
オリビアからもたらされたのは小さな火種だ。
まだ火種にもなっていないかもしれない。
火種になっても、気付かぬうちに自然と消えることもある。
(よからぬ噂は消えてくれればいいんだけど)
悪意があるのならタチが悪い。
燃え広がるまでは鎮火せずに燻り続けてしまうから。
「なーんか考えごと?」
手元に広げた紙面に影が落ちる。
マルティエナが見上げると、後ろ手に椅子を引いたナザリクが腰を下ろした。
「ナザリク様は休憩ですね」
「シスミナ様と長官殿が対立してて話纏まんないから抜けしてきた。俺が何か言える立場でもないしな」
「それは――お疲れさまでした」
労いの言葉をかけたマルティエナは通信具に手をかけてコーヒーを二杯頼む。
今、エレノアの元には王太子付きの宮内長官とブラウが訪ねてきている。
残りひと月を切った風の季節が過ぎたら、社交シーズンも一旦終えて貴族の大半が領地へと戻る。
来たる水の季節に行われる王太子の王領視察にエレノアも同行することが決まったのが先週。
視察の行程案を受け取ったシスミナが、王太子妃教育の一環として視察先の希望リストを提出したのが昨日の夕方。
昼食を終えてから離宮に姿を現わした宮内長官の面持ちは、決して穏やかではなかった。
「二人の会話は聞こえてた?」
「はい。視察先の希望に芸術分野が多すぎるから数を絞るよう宮内長官が仰っていましたよね」
「そうそう。そんで、シスミナ様が最低限に絞った上でのリストと話されてさ。口論になり始めたから流石に扉閉めたけど、今もずっと平行線だよ」
「間を取って決めていただけると良いのですが……」
「だよなー。あれ絶対他所の問題持ち込んできてるって」
――貴方がたは実用性を求め過ぎて、芸術を嗜むことを疎かにしています。基本的な生活魔法を覚えていれば不自由なく暮らせる国民の視点に立って物事を考えていただかなければ、王太子妃として認められませんよ。
――その基本的な生活魔法だけで不自由なく暮らせるよう、基盤を整えることが我々上に立つ者の使命だ。劇場に博覧展、音楽会ばかり巡ったところで、なんの役に立つ? 王立魔法学院で得た知識を国政にいかにして活かしていくかを、早急に実地で学んでいただくべきだ。
執務室の扉が閉まる前に聞こえていたシスミナと宮内長官のどちらも筋が通っているし、マルティエナから見ても、王太子妃になるエレノアにとって必要なことだと頷ける。
代々の王族の女性は国政を固める国王や王太子を支えるため、祭事や神事のほか、慰問や慈善活動といった社会貢献を数多く担っている。
王族に倣う貴族が大半のため、そうした社会貢献活動は女性主体の社交の場で頻繁に交わされる話題だった。
それに世間の流行には、社交界の華と呼ばれる貴婦人が中心にいる。
芸術分野は流行が事あるごとに変わるし、国民が今何を求めているかも反映されやすい。知ってるのと知らないのとでは、社交の場で隔たりができる。
(知らなくても楽しく過ごせる間柄なら良いんだけど。エレノアさんに不満を持つ人はきっと見逃さない)
直接的な衝突がなくても空気は変わる。それこそ火種となって一人二人と増えていく可能性は高い。
そうした面からも王太子妃として担っていく分野を視察先に増やすことは、見識を深めるとともに大々的に関心を示す絶好の機会だ。
そう唱えるシスミナに対して、宮内長官の主張はシンプルだ。
エレノアが王太子の婚約者として認められた最大の理由――"歴代最高の光の魔法使い"として、数多くの結果を示すこと。
その為に王太子が携わる国政に関連する視察先をひとつでも多く学ばせるための機会と唱えていた。
どちらも切り捨てることはできないのでバランスの問題なのだが、上手く立ち回る為にはエレノアがどちらにも精通していなければ難しい。
「エレノア様は頑張り過ぎるところがあるので、その点が心配です」
「それそれ。護衛騎士増やしてくんないと俺も身体持たないよ。そっちも全然休みないもんな? ハードワーク過ぎない?」
「忙しくはなくても仕える時間が長いですよね。女官の仕事自体はまだ二人で事足りるんですけど、何かあった時のためにもう一人増えると動きやすくなるとはユリスさんと話してました」
「だよな。俺が休みの時は殿下付きの騎士様が来てくれてるけど、気は遣うし」
コーヒーを運んできた使用人にひらりと手を振るナザリクは人受けの良い笑みを忘れない。
「あーでも俺、足並み揃える系が苦手だからこっち来たんだった。やっぱ今のままのが良いや」
そうして湯気が立つうちにごくごくと飲みほしていく彼は、マルティエナが初対面の頃から見ていた彼のままだ。
「ナザリク様は人と打ち解けるのが得意そうなので意外です」
護衛騎士としてエレノアと外に出る時は、背筋が伸びて目付きも鋭くなる。離宮では少し空気が和らいで、エレノアの元を離れて小休憩を挟む時にはのびのびと過ごすし、こうしてよく喋る。
気持ちの切り替えが傍から見て分かるので、今の様子が彼の素顔だと誰もが思うだろう。
(だからかな。ナザリク様相手だと会話が進む。話し過ぎちゃうのは気をつけないといけないけど)
ナザリク自身が足並みを揃えようとしなくても、周りが合わせたくなりそうなものだが。
その疑問は早々と答えがでた。
「魔物退治とか結構ひとり行動して先輩から怒られてたよ。細かい報連相が抜けてるってさ。いちいち言わなくても見れば分かるだろって内心思いながら謝ってると、時々そうした自分が馬鹿馬鹿しくなるんだよな」
「それはナザリク様が優秀すぎたという話ですか?」
「ははっ。さては俺のこと高く評価してくれてるな」
空になったコーヒーカップを置いたナザリクが「そろそろ戻るか」と口を渋った。
マルティエナもコーヒーに口をつけたものの舌が火傷しそうな熱さが残っている。仕方なく香りを楽しむだけにして、水面に映る自分を見下ろす。
嘘偽りのない『マルティエナ・オーレン』の素顔がゆらゆらと揺れながら、同じようにこちらを窺い見ている。
「ちなみにマルティエナ女官はどっち派? やっぱシスミナ様派?」
兄に成り代わっていた時から自身へ投げかけていた問いに似ていた。
「俺はさ、魔法学院卒業して直ぐに騎士団入ったし、それなりに危険な場面にも遭遇してきた。魔獣の掃討も人間同士のいざこざも、一歩間違えたら俺がやられる。そういうのが常になってたから、シスミナ様の話は平和な世界に生きてる人の話なんだよなって思う。まあ、騎士団が機能してる表れと思えば良いことだな」
生きている世界が違う。
それは、オリビアも明確に線引きをしていたことだ。
(魔法学院生と私達は違う――か)
成績の良し悪しを抜きにしても『王立魔法学院を卒業した』ことが、貴族男性の間では一種のステータスになる。
この世の構成と同じくする四つの元素と光と闇の二属性の精霊と、いかにして交流を図るか。
魔法を極めていくと、まるで神の使者のように地形や天候を操れる。精霊からの恩恵である魔法は人智を超えた力なのだ。
それが爵位や身分とは別の上下関係として見え隠れしている。
エレノアが王太子の婚約者に選ばれたことで、これまでは見受けられなかった貴族女性の間でも取り沙汰されるのではないか。
腹の内で終わらずに、社会全体で表面化していくのではないか。
その結果が良いか悪いか、先の想像は不可能に近い。
「二択で選ばなければいけないのなら、私はシスミナ様寄りです。エレノア様が正当な評価を受けるためにも、好印象を与えて敵対心を和らげる行動は増やしておいたほうが得策ではないでしょうか」
口にして自分の耳で再び取り込むと、兄であり自分のことだと気づく。
伯爵家を守ることを何よりも優先していた過去の自分。
エレノアを重ねてしまっている。王太子はエレノアを婚約者に選んだ時点で無難な選択はしないだろうに、守りに入る姿勢を望んでしまう。
「いち個人の力は数の力に抗えないでしょう。王太子殿下との婚姻を夢見ていた大勢の貴族が、手放しで祝福しているとはどうしても思えなくて」
以前よりも疑り深くなったのは、胸に巣喰った不安から。
落ちかけた視界とともに耳にかけていた横髪が流れて、指で掬う。
「もちろん宮内長官のお話も大事なことと分かりますので、行程に無理のない範囲で中間案を出してほしいと思っています」
「だな」と相槌を打ったナザリクが立ち上がった。
彼の休憩終了によって、マルティエナも手元の紙面へ向き直ろうとペンを取る。
けれどもカウンターに右手をついたままのナザリクに普段はない間を受け取って隣を見上げた。
「ナザリク様?」
幾分も高くなっているはずのナザリクの顔は、彼が前屈みになっているせいで半分近い。
向けられた眼差しは見つめられていると表現できる甘さはなくて、観察されているような気まずさだ。
「マルティエナ女官って人好きに見えてたけど、恐れてもいるんだな。俺も意外だった」
それでも、彼の言葉尻はどことなく肯定的である。
「それじゃあ行ってくるかな」
返事を待たずに背を向けたナザリクに返す言葉が出てこなくて「いってらっしゃい」とだけ告げる。
ひとりきりになって、ようやく温くなったコーヒーを飲み込めた。気が滅入りそうな疑り深い思考も苦味とともに身体の奥に流していく。
(ナザリク様が多少は好意的に受け取ってくれて良かった。気持ちが先に落ちたらいけないよね)
鼻息を鳴らす勢いのシスミナが執務室の扉を開き、「やはり聖テレシア女学院の学生がいると違いますね」と手を握られた時には曖昧に笑うしかなかった。




