9.急き立てられた美名
バルコニーに用意されたケーキを小さく一口咀嚼したアレッタは、頬を緩ませながらも憂げに瞼を下す。
「マルティエナ様、エレノア様はお茶会にはまだ参加なさらないのですよね?」
「うん。当面はその予定だけど、どうかした?」
アレッタの示すお茶会とは、貴族当主が宮廷勤めや議会へ出席する日中に、婦人と令嬢が集まる社交場のことだ。
主催者によって年齢層や規模も異なる、女性同士の交流を図る集まり。
始めは妃教育で詰まっていたエレノアの予定は、魔法士団員としての訓練や任務が入りつつある。
そうした事情を理由にお茶会の招待には応じていないのだが、各貴族の出方を窺っている面もあるはずだ。
何せ、王太子の婚約者を我先にと招く高位貴族の多くは、当主や令嬢自身が王太子妃の座を狙っていたのだから。
「私、友人なのでしょうと催促されていまして。困ってはおりませんのよ。適切に流しておりますわ」
ふぅ、とアレッタが頬に手を当てた。
「異様に感じますのよ。今の流行が何か、貴女様も察しがついたのでは?」
マルティエナの足元を覆うドレスの裾がそよぐ風に揺れる。
陽だまりに染まる薄紅色の布地。
何年もの間、今でも見慣れているその色は――
「エレノア様そのもの――だよね」
ふわりと揺れるストロベリーブロンドの髪と同じ色味だった。
艶やかな真珠を思わせる白地をアクセントに入れたドレスや細かなフリルの飾り、腰から膨らんで広がる可愛らしいお姫様のようなシルエット。
試着したドレスの多くが、王太子の婚約発表がなされた国王主催の舞踏会でエレノアが着用したドレスを連想させるデザインを取り入れていた。
王太子の婚約者エレノア・シュネヴィオールの一部を模したデザインが流行している。
それは、一見すると喜ばしいことだ。
二人の婚約を祝福していると言葉なしでも表しているようなものだから。
「ええ。ハインオルド公爵令嬢が先陣をきったようです。王太子殿下との婚約も一時期噂されておりましたし、あの方には好意があったようにお見受けしておりましたのに、舞踏会の翌日には特注したようですのよ」
「婚約発表までの期間に話がついていたなら、祝福する心積りができていたとも取れるけど」
頭の切れるアレッタも既に予想していることだろう。
その上での話と思いながらも、状況把握の為に声に出す。
「ええ。心から祝福されているのならこれ以上ないことですわ」
「アレッタ嬢は気掛かりがあるんだね?」
「ハインオルド公爵令嬢に続いたのは、社交界の憧れとして立つ高位貴族のご令嬢方なのです。皆さま、口を揃えて仰います」
息をつく間。
濁すことなく流暢に告げるアレッタのほんの一瞬の息継ぎが、思考が途絶えるほどの長い沈黙に感じた。
「歴代最高の光の魔法使いエレノア様は王太子殿下に並び立つに相応しいお方――と。意を唱える方が見当たらないのですわ」
太陽の光を浴びたアレッタの瞳は鋭い意志を持っている。マルティエナも目を逸らすことなく視線で頷く。
「異様だね。私も思うよ」
エレノアは言葉通りに歴代最高の光の魔法士だ。
国内のみならず、地続きの近隣諸国も全て含めた大陸で最高峰と讃えられるヴァルトセレーノ王立魔法学院では、卒業時の魔法試験の成績が群を抜いてトップだった。
単純な魔法勝負では、知識も実力も突出していたネヴィルも完敗するようになって。
光属性の古代魔法を幾つも発動した正真正銘の実力者だとマルティエナは断言できる。
けれど――
「その評判は早すぎる」
エレノアには功績がない。
学院での成績がそのまま魔法士としての実務に活かされるのか?
不自由なく暮らしている貴族の娘が、荒れ果てた環境に出向いて任務をこなせるのか?
王太子妃になることを口実に、稀有な力を最も必要とする危険な任務を避けるのではないか?
歴代最高の光の魔法士と語るだけのお飾りの栄光で、王太子の婚約者になるのか――?
魔法士はその場の状況に臨機応変に対処しなければならない。
娘を未来の王太子妃にしたかった貴族なら、魔法の能力が高いだけでは役に立たないこともあると、過去の例を取り上げて幾らでも粗を探せる。
まして王立魔法学院に通わない選択をした者の多くは、専門性の高い複合魔法や古代魔法、魔法の対象範囲や規模のコントロールが如何に難しいかを知らない。
王族が在籍していたここ数年は、魔力適正のある貴族女性の入学率も高かったけれど、それでも男性の割合が格段に高いのも事実。
だから、聖テレシア女学院に通っていた大半の貴族令嬢は、表立った功績のないエレノアの実力を適切に推し図るのは困難だ。
(王太子殿下はどうするおつもりなんだろう)
王太子は既に把握した上で、貴族女性だけが集まる茶会へのエレノアの参加を見送っているはず。
考えを巡らせて行きつくのはアスタシオンの言葉だ。
(王太子殿下にとって代えのきかない存在になる――か。想像もつきません、殿下)
エレノアの女官になれた時点で、一応は選ばれてはいる。
けれど、それだけ。
どんな理由で選ばれたのかマルティエナには想像もつかない。
(私はずっと避けてきたから、王太子殿下の人となりを何も知らない。お考えを想像もできない)
王宮で顔を合わせることは数度あった。
挨拶とお辞儀。一介の女官が行うことは限られていて、そこに王太子の視線が向けられるか、手を掲げられる程度。
王太子から女官に指示がある時はブラウが必ず間に入るから直接の関わりはなく、意思決定の場に立ち会うこともない。
信用も信頼も得ていないから、ひとつひとつの決定にどういった意図があるのか知らされることもない。
――アスタシオンが信頼をおく『マティアス・オーレン』の妹。
闇属性の魔力を有しているけれど高度な魔法を学ばずに育った、エレノアと同い年の伯爵令嬢。
そんな『マルティエナ・オーレン』は王太子ソルディオン・リヒトライ・ヴァルトセレーノにとって、どんな存在のか。
(私らしく。私にできることをすれば良いんだよね)
答えの知り得ない問題に悩んで身動きが取れなくなるくらいなら、選んだ先の結末を納得して迎えたい。
王立魔法学院時代に、私らしく――正確には私が思う兄らしく過ごすよう背を押してくれたエルジオの立ち位置に、今はアスタシオンがいる。
それが何よりも心強かった。




