8.魔法でなくとも
「それでは明日の夜に戻ります。不在の間よろしくお願いします」
「はい。お疲れさまです」
一日の業務を終えたマルティエナは、ユリスに礼をして執務室を後にする。
明日は休日。
ユリスと交代で休んでいるマルティエナにとって、二週に一度の丸一日を自由に使える休暇がやってくる。
「お嬢様、お仕事お疲れ様です!」
離宮の外へ出ると、迎えの馬車の横でカーチェがオーレン伯爵家の御者と並んで待っていた。
「カーチェも来てくれたんだね」
「はい! ご当主様がお許しくださいました!」
「お兄様が?」
「取り計らってくださったのは奥様ですわ!」
兄は兄で忙しい。
伯爵邸と王宮を毎日行き来して、仕事終わりには招待を受けた夜会に参加している。兄にとっては初対面の友人知人に、別人と悟られないように過ごす日々は精神的な負担も大きいに違いない。
そんな中でも気を回してくれていた兄に嬉しさが込み上げてきたところでカーチェがネタバラシのように付け加えるから、途端に気が抜ける。
まだ王宮にいるのに、伯爵邸に戻ったかのような緩い空気が微笑ましい。
「そうしたら早速お兄様と合流しようか。早くルチナさんに会いたいしね」
「はい! お荷物お預りしますわ」
手にしていた鞄を渡したマルティエナは、御者のエスコートで馬車に乗り込む。
御者の男手を必要としないくらいに鞄は軽い。
衣類は伯爵邸にもあるし、離宮と伯爵邸どちらの私室にも身の回りのものは揃っている。
鞄に詰めている荷物は、細々としたメモをしている手帳に時々届く手紙くらいだ。
「カーチェ、リメルさんを覚えてる?」
「はい! もちろんですわ!」
リメルは入宮した初日にマルティエナの荷解きを終えたカーチェが仲良くなった王宮の使用人メイドだ。二人で話しているところにマルティエナが顔を出したので、カーチェが間に入って挨拶した経緯もあって、顔を合わせると一言二言話すことも多くなっていた。
「カーチェとお酒を呑みにいきたいって話してたよ。行きつけの酒場があって食事も美味しいんだって」
「まあ! 私も久しぶりにリメルさんとお話したいですわ。仲良くなれる気がしてたんですの!」
「今度休みの日を合わせて行っておいで。リメルさんにもルチナさんにも伝えておくね」
「ありがとうございます! お嬢様!!」
伯爵家の女主人として使用人の管理もしているルチナに任せれば、カーチェの休暇をリメルに合わせるのは容易だ。
飛びつく勢いで目を輝かせてくれるから、その場に行かないマルティエナまで楽しみになる。
「リメルさんは酔いつぶれるまで呑むのが好きみたい。夜遅くなると危険だから、エルジオに二人の迎えを任せようと思ったんだけど、どう?」
住み込みの使用人がハメを外せる機会は少ない。
夜遅くの仕事を終えたら、早朝からの仕事に備え、リメルにもカーチェにも休みの日は思う存分満喫してほしい。
そう思っての提案にカーチェは胸の前で両手を組んだ。
「嬉しいです!! エルジオが来てくれるのでしたら思いっきり楽しめますわ!」
「良かった。でも呑み過ぎには気をつけててね?」
「はい! そこそこにいたします! そこそこです!!」
言葉とは反対に呑む気満々のカーチェにマルティエナは苦笑いする。
エルジオがいれば、カーチェが悪酔いしたとしても対処できるだろう。
二人が恋仲――なのかは分からないが、兄として過ごした学院時代は日夜を共に過ごしてきた仲だ。
頻繁に口喧嘩をしているものの、マルティエナからしたら仲が良いからこそのじゃれ合いのようで、伯爵邸での生活に戻ってからも二人は特段親しく映っていた。
(カーチェには幸せになってほしい)
「あっ! お嬢様! マティアス様があそこにおります」
正門前で待っていた兄を見つけて笑顔を見せたカーチェに、マルティエナも笑みで返した。
◇◇◇
翌日は朝から曇り空の影ひとつない晴天に恵まれた。
こんな日には外に出て、気持ちの良い陽射しを一身に浴びながら過ごすに限る。
何度見ても窓の外に広がる気持ちの良さそうな天気に、現実逃避してしまいたくなる。
「マルティエナ様、次はこちらにいたしましょう!」
次の休日に、と会う約束を取り付けていたアレッタが手にしているのは夜会用の華やかなドレスだ。
「そちらのドレスも素敵ですね。三着目のドレスと似てますが、色合いが柔らかい感じがします」
「ええ! そうなんですの! 先ほどは色がはっきりとしていた分妖艶な印象が強くなっていましたので、こちらの方がマルティエナ様によくお似合いになると思いますわ」
「早速着てみますね」
アレッタの待ち遠しいと言わんばかりの笑顔が「これに決めた」という半ば投げやりな言葉を噤ませる。
(私のために色々考えてくれてるんだから、私が根を上げちゃだめ)
エレノアの随行で夜会に参加するので、流行を教えてほしい――
社交界での流行を素早く察知するアレッタにお願いをしたマルティエナは、ラングロア侯爵邸を訪ねてからというもの、かれこれ十着のドレスを試着し続け、着せ替え人形状態になっていた。
侯爵家のメイドが三人もついて、複雑な装飾もあるドレスの着脱を手伝ってくれるので、足を上げてと言われたら上げて、腕を通してと言われたら通す。
指示が出ない時には棒立ちのまま、鏡の前で自分の装いが変わっていくのを眺める。
(どれも良いと思ってたけど……)
仕立て屋を招いて並べた数多くのドレスからアレッタが厳選したドレスは、どれも違和感なく馴染んでいた。
だからこそ、もう充分だと満足して試着を終えたく思っていたのだ。
「――綺麗」
胸元から始まるライトグレーの生地が腰回りから裾にかけて徐々に陽だまりに染まる薄紅色へと変わっていくグラデーションのドレス。生地の織り方なのか、裾に向かって徐々に光沢感が増していて、身動きをすると光が反射して足元が輝く。
夜会向けの胸元まで開いたドレスには細かなレースの羽織りがセットになって鎖骨周りの露出を抑えてくれるので、上品で大人びた仕上がりになっている。
なによりシルエットが良い。
女性にしては高いマルティエナの背丈が活かされている。
鏡に映る姿が自分ではない誰かを映しているようで、思わず魅入ってしまったほど。
「決まりですね」
衝立から姿を現したアレッタが、開いていた扇子をパチンと閉じた。
「やはりマルティエナ様は身長もあってスタイルが良いので、身体のラインがでるドレスがとても似合いますわね! 選んだ甲斐がありましたわ」
このドレスを手にしたアレッタは「次は」と言っていた。
用意してくれていたドレスはざっと見ても三十着は並んでいて、まだ他にも彼女のお勧めはあるはず。
これまで試着したドレス一着一着に賞賛の言葉を添えていたし、その言葉をアレッタは繕ってはいない。
(私が気にいるのを待っていてくれたのかな)
思わず自身への賞賛が口をついてしまうほど、ぴたりと噛み合って感じた。
自分の為に用意されたドレスだと、そう思える一着。
「ありがとう、アレッタ――様」
気が緩んで昔ながらの口調になるのをギリギリで防ぐ。
――それなりに似合っていれば、なんだって良い。
ルチナやアレッタには最高の一着で着飾ることを望んでいたけれど、自分自身である『マルティエナ・オーレン』に対しては許容範囲が広くなる。
自分を美しく見せたいといった他者からの評価を多くは求めていないから、その場に適しているか否かが選定の基準になっていた。
(無意識だったのに、アレッタ嬢はよく見てる)
目を合わせたのは鏡越しの自分。
見慣れた表情でも、いつもより幸せそうに見える。露出した肌は明るい艶を放ち、顔の血色も良く見えた。
隣に並んで鏡に映ったアレッタも満足げに微笑む。
「次は宝飾品を選んでいきましょう。モニカ、お願い」
アレッタの後ろに控えていた侍女が頷いた途端にメイド達が一斉に動き出す。
マルティエナはアレッタに手を引かれた。
「宝飾商の用意が整うまで、私たちはティータイムにいたしましょう」




