3.清新とした日の緩み
女官の仕事に就いて一週間が過ぎた。
「マルティエナさん、この書類で数点確認させてください」
「はい、何でしょう?」
エレノアの執務室へ続く繋ぎの間で、マルティエナはユリスと並んでカウンター席に座る。
女官室もあるけれど、二人しかいない今は書類置き場と休憩室のような扱いになっている。
エレノアへの来訪者が増えると変わっていくだろうが、今のところは静かな日々を送っていた。
離宮に揃えたい品々の要望書と予算を確認しあって、補足が必要な点を明確にしていく。
ユリスのチェックを聞き終えると、視界に入る煌びやかな扉が開いた。
「シスミナ様が女官一人をお呼びだよ」
姿を現したのは、エレノアの近衛騎士を命じられたナザリク・ウィロウだ。
「では私が。マルティエナさんは今お話しした点の加筆をお願いします。後でもう一度チェックをしたら、ブラウ宮内官に提出しましょう」
「分かりました。ありがとうございます」
ナザリクによって開け放たれた両開きの扉を進んでいったユリスを見届けると、マルティエナはペンを手に取る。
(ユリスさんに指摘を受けたところは……)
走り書きしたメモを元に文章を頭の中でまとめながらペン先をインクに浸し、丁寧に文字を記す。
少しの間が空いてから、近くで布地が擦れる音がした。
椅子が引かれて空席になった隣が埋まるのを感じて、一文を書き終えるとペンを置く。
「ナザリク様は休憩ですか?」
「ああ。ここ借りるな」
扉が開いたままのエレノアの執務室からは、侍女のシスミナの声が聞こえていた。
家庭教師も兼ねたシスミナは、王族の遠い血縁でもあるカルドレン侯爵夫人であり、マルティエナたちの親世代、またはそれよりも上の齢だ。
侍女としてエレノアにつき、迅速な王太子妃教育を頼まれたという。
王家の頼みならと教育が終わるまでの期間限定で侍女も引き受けている彼女は、後を引き継ぐかもしれないからと女官を同席させることも多い。
これまでのナザリクは執務室の入り口付近で待機していたのだが、こうして息抜きをするのは環境に慣れてきた証拠かもしれない。
「飲み物を頼みましょうか?」
「じゃあコーヒーで」
頷いたマルティエナは壁際に取り付けられた通信具に指先を触れた。
割当てられた数字を記しながら魔力を送り込むと通信具が光り、数秒の後に年若いメイドの応答が響く。
「ナザリク様にコーヒーを一杯用意してもらえる?」
『かしこまりました』
よろしくね、と伝えてから指を離すと、光は消える。通信が切れた合図だ。
貴族の屋敷にも呼び鈴が設けられているが、会話が出来るという点が異なる。
おかげで使用人が駆け回る必要はなくなるので、少ない人数でも手が回る。
同様に離宮の主人からの呼び出しに女官も対応できるのだが――
(エレノアさんは自ら呼びにきちゃうんだよね)
エレノアが女官室をそっと訪ねてきた当初は、ユリスが珍しく焦っていた。
用があれば通信具で呼ぶよう頼んでいたが、エレノアにとっては執務室を出る口実になるようだ。
王立魔法学院の敷地内をいつも歩き回っていたエレノアにしてみれば、離宮は狭過ぎた。
王宮の広大な敷地を人知れず出歩くことはないので、離宮内での自由な振舞いもシスミナが見逃している行為ならと、ユリスは自身を納得させていた。
「ナザリク様は騎士団内でこの通信具を使われていましたか?」
「俺は使ったことなかったな。上官用って感じだったし。数もないし、緊急の要件でもないと下っ端は使わせてもらえない」
「そうなのですね。こんなに便利なのに、貴族の邸には普及されていなさそうで不思議です」
折角なのでマルティエナは会話を切り出す。
離宮外への通信先は限定されているとはいえ、この通信具は便利過ぎる。
慣れてしまえば手放せない代物のはずが、招かれた貴族の屋敷では一度も目にしたことがない。
学院でも社交の場でも、存在さえ聞き知らなかった。
「マルティエナ女官はまだそれの作り方知らないんだな。聞いたら卒倒しそうだ」
「ご存知なんですか? ぜひ教えていただきたいです」
頬杖をついたナザリクが重い瞼の下から壁を見遣った。
「建築段階で壁材に文字を彫ってるんだよ。通信具が開発される前に建てられた部分は大抵ないし、あるところは金かけまくって改修してる。この塔は比較的新しくて建物自体狭いからどこでも使える設計になってるんだ」
「金銭面が問題なら、資金に余裕のある貴族は模倣しそうですよね?」
「それだけならな。でも相当複雑な円陣で文字を刻むらしいから、王宮の優秀な魔法士数人が一年掛かりで施すとか、そんくらい大変だって話でさ」
「そんなに……」
数人で一年なら、と部屋を見渡して魔法印の大きさや複雑さを想像する。
インクでは耐久性が弱いから、長持ちさせたい魔道具なら文字を直接掘るのだけれど、その役目は魔法士だ。
身体の内を巡る魔力を感じて、記す文字の成り立ちを理解して、精霊に語りかける。
魔法であっても魔道具に刻む魔法印であっても本質は変わらないから、魔法への理解が薄い者に協力は頼めない。頼んだところで、見よう見まねでは発動せずに終えるだろう。
「その魔法印も使用許可を貰わないと、知ることも叶わないしな。王宮以外はギルドや研究機関だったか。国が支援する組織だし、よっぽど金積まないと引き受ける魔法士なんて現れないよ」
大金を貰えたって俺は遠慮する、とナザリクは続けた。
マルティエナもようやく納得できたと苦々しく笑った。
「上手く発動しなかった時の責任が重すぎますね。携わった方々にはお礼を伝えたいくらいです」
彫るのなら修復が効かない。
誤った時に魔法で元に戻したら、その痕跡が残って発動時に影響を与えてしまう可能性があるのだ。
(魔道具を作るのって気を張るんだよね)
王立魔法学院を卒業後、時間がなくて魔道具の作成をしていない。
手をつけると集中して時間を忘れてしまう性分を自覚しているので、隙間時間に手を出そうとは思えなかったし、学業から外れた今はただの趣味になる。
(すっかり遠のいていたけど、生活が落ち着いたら何か作ってみたいな)
文字の組み合わせを考えては試していた日々を思い出す。
「魔法印は知ることができないのですね」
残念、と思う気持ちが言葉に出ていた。
「そういや俺もがっかりしたな。けど聖テレシア女学院は魔法印の勉強もしてんだ? 俺、勝手にそういう知識ないもんだと思ってた」
訝しがることなくナザリクが言う。
(話し過ぎた……)
兄として面識がなかったから、気が緩んでいた。
「概念的な内容は学びますが、魔法印の構造は選択制でしたよ。私は兄から教わったので、少し興味がありまして」
ナザリクの理解もあながち間違いではない。
けれど、興味があれば積極的に学べるので、王立魔法学院の学生には及ばずとも知識のある者もいた。
「マルティエナ女官のお兄さんっていうと、アスタシオン殿下付きになったオーレン伯爵だよな。面識はないけど話はよく聞いてる」
「良い話であってほしいです」
運ばれてきたコーヒーを受け取ったナザリクは、視線を上に向けながら湯気の立つコーヒーをごくごくと飲み込んでいく。
「嫉み半分、賞賛半分ってとこかな。大層モテてたって聞いたけど、マルティエナ女官からみても理想的な男なの?」
「それは――……」
なんとも答えづらい。
兄として過ごした自分を褒めることになるのだが、兄を否定したくはなくて。
「そのうち会えますよ。その時は私の尊敬する兄を紹介しますね」
結局、兄に託すことにしたマルティエナは、インクの乾いたペンを手に取るのだった。




