2.馴染みある初対面
――私室に用意された女官服に着替えて降りてくるように。
ブラウに指示されたマルティエナは、荷解きを始めていたカーチェに世話を焼かれながら女官服に着替えていく。
事前に採寸したサイズを伝えていたので、締まる首元も胴回りもぴたりと身体に沿う。
宮内官の上着と揃えた女官服の上衣はかっちりとしているが、シフォンの柔らかなスカートが揺れるので、総じて柔らかな印象になっていた。
「なんて麗しいお姿なのでしょう!! お嬢様の凛々しさはもちろん、優しいお人柄が一目で伝わりますわ!」
手を叩く勢いで絶賛するカーチェは廊下に漏れそうな声量だ。
気恥ずかしくはあるが、裏表のない褒め言葉は素直に嬉しい。
女官としてそうありたいと思い描く姿をカーチェは口にしてくれる。誇らしい主人だと思ってもらいたくて、マルティエナは胸を張った。
「他の人にもそう思ってもらえたら嬉しいな。また来るからそれまでよろしくね」
「はい! お任せくださいませ〜」
荷解きを任せたカーチェに見送られて階段を降りていくと、衛兵は名を名乗らずとも扉を開けてくれる。
目礼して先へ進むと、同じ女官服を着た女性が背を向けていた。
(あれ? この女性もしかして――――)
話し込んでいたブラウがこちらに視線を寄越す。
彼を見上げていた女性もくるりと踵を返した。
あっと息を詰める。
同性でも目が合えばどきりとしてしまう、ぱちりと瞬く大きな瞳。
きゅっと締まった口元が顔の小ささを際立たせ、淡い栗色の波打つ髪がそのまわりでふわふわと揺れている。
マルティエナは彼女が年上と知っているけれど、子リスのような小動物を彷彿させる可愛さを抱いてしまう。
「ユリス女官、彼女が先ほど伝えたマルティエナ女官だ」
一歩前にでて二人の間に挟まったブラウが手のひらを向けて紹介する。その言葉に合わせてマルティエナも礼をした。
「マルティエナ・オーレンです。本日からよろしくお願いします」
「こちらがユリス女官。ホスタギーヴ伯爵家の令嬢で、ヴァルトセレーノ王立魔法学院の卒業生だ。私の一歳上の先輩にあたる」
「ユリス・ホスタギーヴです。よろしくお願いします」
リン、と小さな鈴が転がったと思わせる可憐な声。
守ってあげたくなる風貌の彼女は、そんなものは無用とばかりに澄んだ顔つきをしている。
(卒業後は助手として在籍してたから、何度か講義でお世話になったんだよね)
講義に限らず、教師陣の代わりに助手が質問や相談に答えてくれることもある。
ユリスが付いていた教師に教えを乞いに尋ねて、代わりにユリスが解説をしてくれたことが何度か。その際に一言、二言で終わるような雑談もした――そんな記憶が朧げに思い浮かんだ。
マティアス・オーレンとして出席した昨年の社交の場でも、大きな催しでユリスの姿を見かけた気がするけれど、彼女のパートナーは誰だっただろうか。
兄に成り代わっていた期間もマルティエナ・オーレンとして過ごすようになってからも勉強だなんだと慌しかったから、社交界に疎くなってしまっている。
貴族間の繋がりは政策にも影響を与えるので、王宮で上手く立ち回るにはある程度把握しておく必要がある。
社交界の噂話でも疎かにはしたくない。
(王宮内での人脈も増えたらいいんだけど)
現状、マルティエナの情報源はクレイグとアレッタのふたり。
兄は自身の交友関係の擦り合わせがあるから、頼りにして負担をかけたくはない。
クレイグやアレッタと会える頻度もそう多くないだろう。
これから関わりがある者で話好きな人がいればいいのだが――
(女官の仕事が最優先だから、おいおいかな)
王宮は昼の社交の場である。
表立った政治の次は貴族特有の雑談になるから、親しくなれたら、様々な話を聞かせてもらえるだろう。
「今からひと通りの仕事を説明していくから、聞きたいことがあれば声をかけてくれ」
カウンター奥の扉へとブラウとユリスが進んでいく。
記憶を遡っていたマルティエナも、気持ちを切り替えて後を追うのだった。
◇◇◇
ブラウに案内されたのは女官室だ。
粗方の業務説明を終えてブラウが部屋を離れるのを見送ったのが数分前のこと。
机上に積んだ書類と書き留めたメモを整理していたマルティエナは、向かい合わせに置かれた席に座るユリスを見遣る。
ユリスも同様に手元の資料を眺めていた。
けれども視線を感じ取ったのか、ぱっと顔が持ち上がる。
「予想はしていましたが、想像以上に覚えることが多いですね」
王宮に居を移すことになったけれど、エレノアは今の時点ではまだ王太子の婚約者だ。
王族の婚姻は大抵数年かけて準備を行うし、婚約者になったばかりのエレノアが王族の一員として公務を受け持つことは当面ない。
執務室のある離宮を与えられたものの王太子妃教育が一番の目的なので、側仕えの数は最低限で補える。
ひとつひとつの作業は些細でも業務は多岐にわたるから、慣れるまでは目まぐるしい日々を送ることになりそうだった。
「そうですね。数日は二人で一緒に仕事を進めて、様子を見て分担を決めていきませんか?」
「はい、是非お願いします。交代のタイミングも様子を見てですね」
「ええ。そうしましょう」
ユリスは頷いて、再び視線を落とす。
王宮の本殿から庭園を挟んだ離宮のためか、離宮の前に降り立った時には自然の音しか聞こえなかった。
窓が閉め切られていると室内はシンと静まり返る。
「ユリス女官――」
精巧に作られた人形の瞼が開くようにくっきりと現れたユリスの眼差しに、どきりと胸が弾む。
思わず息を呑んだマルティエナを緊張していると思ったのか。
「新人同士ですから、良ければ気楽に呼んでください。私もマルティエナさんと呼ばせていただきますので」
「ですが」
「ここは学院ではありません。年齢よりも務めた経験を尊重したいと私は思います。私たちに上下はありません」
「では、お言葉に甘えてユリスさんと呼ばせていただきますね」
「はい」
表情を変えず澄んだ顔つきのままでも、紡がれる言葉は気遣いで満ちている。
微動だにしない表情が彫刻のようと恐れる人もいたけれど、ユリスの親身な優しさは変わらない。
年下相手に女官として対等と明言する彼女に頼るばかりではなく、信頼してもらえる存在になれるだろうか。
認められたい――と率直に思う。
「ユリスさん、少し席を外しても良いでしょうか? 家のメイドに荷解きをお願いしているのですが、そろそろ終わると思うので見送りをしたいと思いまして」
「良いですよ。ブラウ宮内官が先に戻ったら伝えておきますね」
ユリスは頷いて、会話は終わったと視線を下げた。
「ありがとうございます。では失礼しますね」
立ち上がると視線を上げたユリスと目が合ったので、マルティエナは微笑んで会釈をする。
ユリスは口元を僅かに引き締めて、視線を彷徨わせるように目礼を返してくれた。
女官室の扉を静かに閉めたマルティエナは、歩きながら顎に手を当てる。
マルティエナとしては『マティアス・オーレン』として知っていて安心感のある相手だけれど、ユリスにとっての自分は初対面だ。ブラウが去って二人きりになってからも彼女の淡々とした様子は変わらなかったけれど、顔を合わせると多少のぎこちなさが垣間見えた。
(戻る時に飲み物も持っていこうかな? ユリスさんにコーヒー派か紅茶派か聞いておけば良かった……)
先に使用人に頼むことにしたマルティエナは階段を降りて、奥まった扉から更に半地下へと向かう。
扉を開けようと取っ手に手をかけると、見知らぬ女性の快活な話し声とカーチェの笑い声が漏れてきた。
(もう王宮勤めの使用人と意気投合したんだ。カーチェなら王宮でも上手くやっていけそうだったかな)
王宮の使用人になってでもお嬢様といたかった、と話したカーチェの一言は実に頼もしい誘惑だった。振り払った決断に後悔はしていないけれど、今後、私室でひとり過ごす夜は物寂しさを感じるのだろう。
(ここの使用人とも仲良くなれたらいいんだけど)
そうした少しの心配は、カーチェが間に入ってくれたおかげであっさりと解決しそうな予感がした。




