Chapter3-1.始まりは疑念を孕んで
Chapter3からは
第一王子→王太子としていますので、よろしくお願いします!
清々しい朝の陽が満ちた日、マルティエナは王宮の本殿から離れた一画に建つ離宮に降り立った。
「ここかぁ……綺麗な場所だね」
奥に広がる建物を統べるように、手前には三階建ての塔が構えている。
ここは元々、王太子の教育に用いられている離宮だ。
奥に広がる建物には専門的な講義室に舞踏や楽器のレッスン室の他、屋内馬場もあるらしい。
そうした場で過ごす機会はあるだろうけれど、エレノアが主に過ごすのはその手前の塔である。
細かい模様の彫刻を施した八本の柱を乳白色の艶やかな外壁で繋いだ塔なのだが、一階部分はアーチ状に壁が取り払われ、外回廊のように吹き抜けている。
厳重な扉のない開放的なホールだからか、離宮の前に立つと歓迎されている気持ちが湧き上がる。
事前に受けた説明によると、二階が執務室と女官室に近衛騎士の私室、三階がエレノアと女官の私室、そして半地下が使用人の仕事部屋らしい。
「そうですわね! ですがお嬢様とお別れだなんて寂しいです〜」
隣で両手を組んで眉をハの字に下げたのはカーチェだ。
王都の邸宅から通う兄とは異なり、マルティエナは王宮に住み込みになった。
どのくらいの頻度で王都の邸宅に顔を出せるか見込みが立たないため、それなりに荷物を詰めたトランクを数個馬車に積んでいる。
その荷解きの手伝いをカーチェに頼んでいた。
「ここまで付き合ってくれてありがとう、カーチェ」
兄として過ごしてきた日々も、聖テレシア女学院に通ったこれまでも。
朗らかに笑って出迎えてくれるカーチェとなら危うい吊り橋のうえでも笑い合っていられたから、常に側に置いていた。
唐突に逃げ出したくなる弱気な自分が表に出ないように繋ぎ止める、心の拠りどころ。
いつまでも甘えてしまいそうだったから、住み込みでの仕事に就けたのはある意味良かったのかもしれない。
「私は王宮の使用人になってでもお嬢様といたかったですわ」
「休みの日は帰るよ。カーチェが出迎えてくれるのを楽しみにしてる」
「はいぃ……」
「荷物お願いね。もうすぐ私の部屋まで案内してくれる人が来るから、また後で」
マルティエナが同意を示せば今すぐにでも実行しそうな提案を止めて、一旦別れる。
扉を潜ることのない開放的なホールに踏み入り、真白なカーペットの敷かれた階段を上った。
一度でも踏めば汚れそうなものだが、くすんだ色は見受けられない。
壁沿いに曲がる階段を上がりながらホールを見下ろすと、窓から差し込む朝陽に照らされたカーペットの繊細な輝きに目が留まる。
(教会領でみた雪を思い出すなぁ……)
織り込まれた銀糸が光を受け取って反射している。
丁寧な清掃で汚れを落としているのか、それとも汚れが付着しないよう処置を施しているのか。
魔法かは分からないが、こういった些細な差で権威を見せつけられる。
名だたる王族の肖像画や彫像を飾り立てていない慎ましい離宮でも、王宮の一角であると主張する空気感を肌身に感じるのだ。
階段を上り終えると、ホールとは打って変わって金細工を凝らした重厚な両開きの扉に迎えられる。
その両端には実用的とは思えない華美な装飾が施された斧を手にする2人の衛兵がいた。名を告げて開けてもらった扉の先は、エレノアの執務室との繋ぎの間だ。
直線上の壁にある同様の装飾が施された扉は締め切られていて、右手には何も置かれていない細長いカウンターが設置されている。
そして――
「オーレン伯爵家のマルティエナ嬢ですね。私はブラウ・ラスティ。王太子殿下付きの宮内官ですが、此方の離宮の監督も任されましたので貴女の直属の上官になります」
マルティエナとしては初対面だが、兄としては何度も見かけたことのある人物だ。
ラスティ侯爵家の子息で王太子の右腕になると言われている彼は、ヴァルトセレーノ王立魔法学院でも常に王太子の隣にいた。
「マルティエナ・オーレンです。本日からよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。では――私のことは今後ブラウと呼んでくれ、マルティエナ女官。君の部屋に案内しよう」
颯爽と歩き出したブラウの後をマルティエナは追う。
切り揃えた髪は乱れることを知らず、すっきりとした鋭利な顔立ちが冷たさを感じさせるものの、声音は柔らかい。
エレノアがよく親切にしてもらっていると感謝していたことを思い出す。
(マティアス・オーレンとしては会話したことなかったし、心配はいらない……よね?)
アスタシオンの忠告に従って第一王子との関わりを避けていたので、結果としてブラウとも話す機会がなかった。
兄の帰還以降伸ばしていた髪は肩につくようになったので、闇の古代魔法も今は使っていない。
『マティアス・オーレン』として長いこと彼の存在を認識していたから変に意識してしまうが、何も問題はないと言い聞かせた。
階段を上がって通路を進むと突き当たりに当たる。
正面には主人の部屋と分かる装飾が施された扉。
そして左右の壁には、一見すると壁に思うほど一体化した扉が二つ。
「君の部屋は左側だ。右はもう一人の女官が使用し、正面はエレノア様の私室に繋がる」
そう言ってブラウは正面の扉をノックなしに開けた。
「この空間はちょうど塔の中央でな。バルコニーがない代わりに、ささやかなスペースを設けているんだ」
何本もの細い光が射していた。
室内は日差しの熱で暖かい。
(内部屋で窓はないのに)
眩しさに目を細めながら頭上を見上げると、天井がきらきらと光を拡散している。
屋根裏部屋は作っていないようで、ドーム状になっている塔の丸みが内から視認できた。
「宝石を屋根の一部に用いているから、光の当たり方はいつ見ても違うぞ」
「宝石を屋根に? 凄いですね……」
距離が離れているから小さくみえるけれど、実物はかなり大きいのだろう。
(宝石を屋根瓦になんて、できるのは王族くらいだよ)
宝石といえばアクセサリーや小物のアクセント、魔道具に使うという極々一般的な使い方しか考えていなかったマルティエナは唖然とする。
「今は何も置かれていないが、どのように使うかはエレノア様と決めてくれ」
言われて辺りを見渡した。
広くはない。
離宮の外観と同様に八つの平坦な壁で囲われているので、絵画やタペストリーは飾れる。
ちょっとしたテーブル席も置けそうだが、閉塞感を与えてしまいかねない広さ。
(花瓶や彫刻像を飾ったり、椅子を設けるとか?)
個人的には飾り気のない今の状態で既に満足できる。
けれど、エレノアの私室に繋がる間なのだから、エレノアを象徴するような空間が良いのだろう。
ぐるりと見渡していたマルティエナの視点は足元に行きつく。
枠線で囲われた一つの模様が飾り気のない室内を彩っていた。
建物自体が魔道具なのか。
それとも紛れ込ませた文字に魔力を通せば、何らかの魔法が発動するのか。
「君は何を視ている?」
文字として眺めてしまうマルティエナをブラウは一見する。
いけない、とマルティエナは微笑んだ。
「床の意匠が素敵でしたので、敷物で隠れたら勿体ないと思っておりました。エレノア様の意向をお聞きするのが今から楽しみです」
聖テレシア女学院でも魔法の授業はあるが、専門的に学ぶヴァルトセレーノ王立魔法学院からしたら、基礎的なもの。ラルムシェーンの温室の管理や研究は、学生にとっては趣味の領域なのだ。
そうした女学院での魔法学は、生活の質を向上させることを主目的としている。
どちらかというと戦闘魔法に重きを置いたヴァルトセレーノ王立魔法学院とは根本が違う。
聖テレシア女学院出身の者が離宮の床に刻まれた模様に意味を見出そうとするなんて、ブラウには異様に思われたかもしれない。
「――そうか」
静かに見下ろされて、ひやりとする。
(私って警戒されてたり……するの?)
アスタシオンが側に置いている『マティアス・オーレン』の妹で、かつエレノアが秘匿することになった治癒の古代魔法を使った存在だから、そんなに警戒されるとは思っていなかった。
ほんの少し床の模様を観察していただけ。
その程度で兄と自分の秘密が分かるわけがない。
だから大丈夫だと言い聞かせた。
「――気に入ったのなら、何度でも見にきたら良い。私たちはそれが許される立場にいるからな」
警戒とは少し異なる雰囲気だ。
仕事として立ち入ることはあるのだろうが、それを指してはいなさそうな言葉尻にマルティエナは返事を迷う。
「君は望んで女官に志願したと聞いたが、内心では思うところもあるだろう。これはささやかだが貴重な特権だ。特権は使ってこそ意味がある」
ブラウの示す特権は離宮内を自由に出入りできること。
マルティエナが思い悩むリスクに対してはささやかだけれど、女官にならなければ決して足を踏み入れる機会はなかっただろう空間。
誰に示すでもなく自らの為に凝らした王族の誰かによる趣味嗜好の間を、満喫できる贅沢が許される。
(気を遣ってくれたんだよね?)
頭上から差し込む明かりは先ほどとは角度を変えて、四方八方に散っている。
くるくると回る万華鏡に紛れ込んだような感覚だった。
「ありがとうございます。特権は有難く受け取ることにして、時々お邪魔しようと思います」
この離宮における一番の見所はここだ。少なくとも彼はそう思っている。
(私にとっても、そうなりそう)
高い天井のおかげで閉塞感はないけれど、局所的に光が当たるので、その分陰は色濃く映る。
それに少し安心した。
光の結界に覆われた眩い王宮の中にいても、ここは安全だと思えてしまう。
「だが私が君の上官だということを忘れるな。仕事を疎かにするようなら、それなりの罰は与えるつもりだ」
「はい。ご指導の程よろしくお願いします、ブラウ宮内官」
咳払いをしたブラウは厳しく口添える。
けれども彼なりの気遣いを先に受け取ったマルティエナは、和かに礼をするのだった。




