22.二通の招待状を託して
進路の希望を伝えてから、二週間が過ぎた。
「マ〜ルティエナちゃん! お疲れさま〜」
クレイグは相変わらず、友人として女学院に迎えに来てくれている。
「兄ちゃんに不在の間を任されてるからさ! 格好つけさせてよ」と言われてしまえば、無碍に断る気にもなれない。
実際のところ兄が頼んだのかは問わずにおこうと思う。
「ところでさ」
馬車が緩やかに走り出すと、待ってましたと言わんばかりにグレイグが口を開く。
「今日、女学院で何か良い話あった?」
「良い話?」
「学院から出てきた子たちがさ、み〜んなそわそわしてたから。例えるなら……恋バナしてるみたいな?」
「ふふっ、そうですね。その通りかもしれません」
マルティエナもクレイグと合流するまでの間に、相手を決めているのかと数人の女学生から問われている。
皆一様に頬を染めて恥じらったり、中には少し意気込んでもいた。
その原因となったもの――女学院から配られた招待状を鞄から取り出す。
「これ……もらっていいの?」
「はい。クレイグ様にお渡ししたいと思っていましたので」
招待状のデザインはマティアスとしてクレイグと参加した時と同じだった。華美な装飾のない、日時と学院名を記しただけの最低限のもの。
右下に名前を認めてから渡す手筈になっていて、マルティエナは帰り支度の前に記しておいた。
「え~、うわ~ありがとう! 懐かしいな~」
「クレイグ様はお兄様と参加されたことがありますもんね」
卒業祝いを兼ねたパーティーの趣旨を改めて伝える必要はないだろう。
そう思っての発言だったが、クレイグの視線が窓の外へと泳いでいく。
「あ〜あれね、ああ……うん、そうそう。偶々招待状が回ってきたからさ」
マティアスは妹に何処まで話したのか、と困惑していそうだ。
「兄から仮面の会場には注意するよう言われました。女学院でそのような場を設けていることに驚きましたが、実際入学してみると理由があると知れましたよ」
単に注意を受けただけ、と前置きしてから聞き知った話の導入をつくる。クレイグは安堵したのか好奇心を強めた。
「へえ、俺もずっと気になってたんだよね! けどさ、仮面つけてる時の話を持ち出すのはご法度じゃん? 知ってる子いたけど後から聞けなくてさ〜」
仮面の奥の素顔を知っていても、仮面をつけていれば知らない人だ。
当時彼が親密そうに会話をしていた女性は、彼の話す『知ってる子』だったのだろうか。尋ねることのできない問いを隅に追いやって、マルティエナは聞き知った話を伝える。
「望まない婚約が決まっているご令嬢方の希望で始まって、今も受け継がれているそうです。昔よりは減ったとお聞きしますが、それでも政略の駒として祝福できない婚姻に至る方がいますよね。そういった方々は卒業と同時に籍を入れますから」
一回りも二回りも年の離れた、場合によっては父親よりも年上の男性に嫁いだり、爵位の高い貴族の後妻になったり。
年が近くたって相容れない相手はいる。幼い頃からの婚約者で異性より兄弟の感覚が拭えないといった、感情がどうしても恋愛に切り替わらない場合もある。
それでも、親の決めた婚姻は貴族として生き続けたいのなら絶対だ。
「最初で最後の、夢を見る場所なのだそうです」
望まない結婚を控えた者の、一時の夢のような逃避行。
それが分かっているからこそ、少しハメを外す程度なら黙認しているそうだ。
「回を重ねるごとに単純な興味本位で足を運ばれる方も増えたそうですが……クレイグ様が仰るように、仮面の間には特有のマナーがございますから」
マルティエナがクレイグと参加した時は、数名の使用人以外は女学生と招待客と思しき男性しかいないと思ったが、時々女学院の教師が巡回しているらしい。使用人にも行き過ぎた行為は仲裁するようにと指示が出されていて、あっても過度なスキンシップとキス止まりなのだとか。
(私はあの子に悪いことをしてしまったのかも……)
社交界の表舞台で会えたら嬉しいと話した女の子は、仮面に隠された素顔も名前も知らない。
兄として参加した社交界は規模の大きな夜会や舞踏会なので同じ会場にいた可能性は高いが、その分探し出すのも難しい。
もし彼女も一時の夢を求めてあの場にいたのなら。
彼女を楽しませてあげられなかった自分こそ不義理だったと反省する。
「あ~それなら。俺とマティアスが会った女の子たちは後者っぽいなぁ。婚約発表の知らせ見かけたの最近だし。男の方も……条件的には対等だろうから」
「そう、でしたか」
呟きのような会話の延長にマルティエナはクレイグを見入る。
まるで、心を見透かされたようなタイミングだ。
「あっ違う。違うよ。俺もお兄ちゃんも、初対面の女の子に不埒な真似はしてないから! いや、俺は空気に呑まれてしそうになってたけど……マティアスが止めてくれたからさ。お恥ずかしいことに」
そんなマルティエナに気づいたクレイグは、慌てて手を振って否定した。
呟きのようとは思ったが、彼の反応から察するに声にするつもりのなかった独り言だったらしい。
兄に成りすましていたことに気づかれているのかと一瞬疑ったが、杞憂だったようだ。
彼になら知られてもいい。
そう思っていたけれど、心なしか安堵して、彼の慌てように少しだけ笑う。
「そこまで必死に否定されると言い訳みたいですね」
「ええ! 言い訳だし本当の話! なんならお兄ちゃんに確認とっても良いから! 俺は未遂!!」
「疑ってませんから大丈夫ですよ」
全力で否定するクレイグをつい揶揄ってしまいたくなるけれど、彼にとっては恥ずかしい汚点のようだ。
身体を縮こまらせてしょげているクレイグの気分を変えてあげようと、マルティエナは招待状の話へと戻る。
「招待状は二通ありますので、ご友人といらしてください」
「それって――俺が決めちゃっていいの?」
「いいですよ。招待相手にも暗黙の了解はありますが、クレイグ様の友人であれば心配無用ですからね」
社交界の予行演習といえる女学院のパーティーは、本名を名乗らないので貴賤は問わない。例えば平民でも、王族でも。
招待は誰だっていいのだ。
兄弟でも長年仕える使用人でも良いし、密かに恋募らせた殿方でも良い。
だから、招待状の行き先に思いを馳せ、お喋りを楽しむ令嬢たちを目にしたクレイグは恋の話に例えたのだろう。
けれども、こうした場で客人が何かしらの騒ぎを起こした場合、招いた側の責となる。
未婚の貴族令嬢が集う場とあって、招待状を送る際は特に慎重にならなければいけない。
結果として、招かれた客人の多くは親の意向で、将来が期待されるヴァルトセレーノ王立魔法学院の学生が多くなるのだろう。
(カストの予定が空いてたら一緒にくるよね、きっと)
クレイグがパーティーを楽しめるのなら誰とでもいいと思いながらも、彼が選ぶ友人を一人に絞っていたマルティエナは、複雑な面持ちで招待状と向き合うクレイグに気づけなかった。
◇◇◇
聖テレシア女学院の卒業を祝うパーティーは、からりと晴れた日に行われた。
照りつける日差しは暑いが、火の季節の名残で空気は冷えているので、庭園での立食形式のパーティーも心地良く過ごせる。
クレイグは助手の任期満了による書類整理を終えたら来ると話していた。
昼を過ぎて、少しずつヴァルトセレーノ王立魔法学院の学生と思われる者が増えてきたので、もうすぐ来るのだろう。
ミリアから兄を紹介され、三人で一口サイズの食事を手にしながら会話をしていたマルティエナは、庭園の入り口である蔦の這えたレンガ積みの門柱の間を歩く二人の男性に目を留めた。
ひと言詫びてからその場を離れると、ほんの少し歩むペースを速めて彼らの元へと進む。
「マルティエナちゃ〜ん」
料理や菓子で埋まるテーブル周りに集う人混みから抜け出すと、こちらに気づいたクレイグが手を振った。
歩きながらも会釈をして、彼から半歩遅れて歩く長身の人物を見遣る。
(カストじゃないんだ?)
ヴァルトセレーノ王立魔法学院の入学当初は小柄だったカストは、今では遅めの成長期を終えて縦に伸びた。それでもクレイグの背を越すことはなかったけれど、彼の隣に立つ人物は遠目からでもクレイグとの身長差がわかる。
なにより、髪色がカストの赤茶とは違って真っ黒だ。
表情を隠してしまう太い縁の眼鏡をかけているのだが、マルティエナには見覚えがない。
(誰だろう)
どことなく息を潜めているように見える人物。
華やかなパーティーが苦手そうな雰囲気も、そこはかとなく醸し出している。
身なりや立ち振る舞いは綺麗だけれど、よほど社交的なご令嬢でない限り声をかけようとは思わなそうな、そんな人物。
(クレイグが無理矢理誘った、のかなぁ?)
――そんなことをする人じゃないんだけど。
マルティエナが心の中で首を傾げていると、ふわり、と風が舞った。
目に刺さる鋭い風とは違って、柔らかく体を包み込んでくれる優しい風。
思い出となってしまった過去の香り。
庭園内に蔓延した白薔薇の華やかな芳香を塗り替えてしまうほどの甘い面影。
消えずにいた熱量が込み上げてくるから、息を深く吸うことで押し留めた。
艶やかな黒の前髪がさらさらと揺れている。
瞳の色を隠す分厚い眼鏡に遮られた眼差しが微笑んでいる気がした。
「マルティエナちゃんに紹介するのは初めてだけど、俺の友人のシオンね。地方の子爵家次男だから、身元は安心してな」
偽名なのだから出自の説明は不要だが、彼を招いた側になるマルティエナへの配慮なのだろう。
本来の名を隠すための偽りのものとマルティエナは知っているけれど、受付でそう名乗ったのなら、架空の人物ではなく実在する者の出自のはずだ。
「よろしくね、マルティエナ嬢」
変装をして、周りとは一線を画す特有の雰囲気すらも感じさせないほど振る舞いを変えているけれど、発する声は記憶のままの彼だった。
「お初にお目にかかります、シオン様」
マルティエナは上ずりそうになる声を冷静に絞り出して、スカートを持ち上げて礼をする。
クレイグの手前、初対面の相手への対応を意識しなければいけないのに、過剰な動揺を悟られていそうで言葉少なに顔を伏せてしまった。
これではいけないと意気込んで、姿勢を正しながら微笑みを貼り付ける。
「そんで、来たばっかりで悪いんだけど」
申し訳なさげに眉を下げたクレイグに、マルティエナは首を傾げた。
「俺は一回来たことあるから大体わかるけど、こいつ初めてだからさ。マルティエナちゃんがよければ、ひと通り案内してやってくれない?」
「――クレイグ様は?」
「それがここにくること親に知られちゃってさ。数人に挨拶しておくよう言われたんだよね。姿絵は見たから気長に探そうと思って」
言い難そうに頭を掻いたクレイグは、それでも視線を外さずに苦々しく笑う。
要は、この場で婚約者探しをするよう言いつけられたのだろう。
彼の告白を断った手前、どんな言葉をかけて良いのか迷ったマルティエナは、ただ頷くだけに留める。
「わかりました。シオン様の案内はお任せください」
「うん。――ありがとうね、マルティエナちゃん。そんじゃあまた後で」
今し方マルティエナが辿った道を、今度はクレイグが一人で歩き出す。
その後姿を見送るマルティエナは、緩やかな風にのるアスタシオンの香りを身に取り込みながらも、今日を現実とは思えずにいた――




