20.迷いに逃げを
ジェナミアがマルティエナに運んできたのは、王宮への招待状だ。
受け取るも自由、捨てるも自由。
強制力のない、けれど機会を逃せば二度と訪れない知らせ。
自分の裁量で決めれるからこそ、かえって難しかった。
――マルティエナには眩過ぎたアスタシオンの住む世界。
温もりを感じるはずの光の結界が、マルティエナには皮膚に覆われた血肉がじわじわと炙られるように痛く痺れた。
兄に成り済ますために闇の古代魔法を使用していたせいだろうか。
マルティエナ本来の姿で赴くのであれば、気にはならないのかもしれない。
けれども、王宮に潜む危険は光の結界だけではない。
エレノアは爵位を与えられたばかりの子爵家の娘だ。
貴重な光の魔法士だからといって、王太子妃には身分不相応と見做す者もいるはず。
そのうような反対勢力が表立って異論を唱えることはまずない。祝福しつつも、不慮の事故を装った妨害工作や暗殺を企てるものだ。
エレノアの近くで働けば、そうした策略に最も巻き込まれやすい。気付かぬ間に利用されていたり、罪を擦りつけられる場合だってあるかもしれない。それを分かった上で、貴族の権力争いを表面化させないために切り捨てられる可能性だってある。
王太子妃になる道を歩むエレノアを思えばこそ、身の周りを整える女官の爵位は高すぎても低くすぎてもいけない。
信用ができて、いざという時に代えの効く存在が望ましい。
切り捨てた際に、それが原因で新たな火種が生まれても困るから、王族が掌握できる家柄の娘が望ましい。
そういった点において、国の采配で裁きを下せる闇属性の魔力の持ち主は都合が良い。
つまり、闇属性の魔力を有する若きオーレン伯爵当主とその妹は何方にも当てはまるのだ。
ジェナミアはそう判断したのではないか。
とはいえ、いずれ王太子妃になるエレノアの女官に学がない者を推せない。
女官になるには必要な教養が備わっていることが前提にあるとしても、そうした真っ当な評価だけで選ばれたとは思えない。
(何事も起きなかったら。もしくは対処しきれる問題しかなければ、とても利になる話。それでもオーレン伯爵家には危険すぎる)
闇属性の魔力を有しながらも、オーレン伯爵当主は既に第二王子の厚い信頼を得ている。今後の社交シーズンにおいては、第二王子の側近の一人にも数えられる。
伯爵家としては身に余る栄転だ。
これ以上の欲は身を滅ぼす。自分だけでなく、伯爵家も巻き込んで。
(指名されてないってことは『マルティエナ・オーレンの病を癒した』対価でもないみたいだし)
数年がかりでようやく取り戻せた安泰を投げ捨てるわけにはいかないから、適当な理由で拒否してしまえば良い。
それなのに――――
(兄のままでいたかった――なんて、思ったらいけないのに)
国王が座す城。
それが王宮なのに、マルティエナにとっては『アスタシオンが生きる世界』なのだ。
兄として、彼の力になりたかった。
学院生活で不自由なく過ごせたのは自分だけの力じゃないから。
第二王子として気を張って表舞台を生きる彼に恩を返したかった。限られた時間でも、王族として立つ彼の支えになりたいと願った。
光の結界で生じる痛みなんて、どうでもよくなるくらい大事なこと。
けれど理由はそれだけじゃない。
(私は、殿下の第二王子としての日常を知りたかった。表に出せない痛みに、寄り添わせてほしかった)
兄だったから許されること。
『マルティエナ・オーレン』では到底有り得ないこと。
叶うことのない夢だと区切りをつけたのに。
微かでも垣間見れる可能性があると、望んでしまった。
彼の姿が脳裏にチラついて、会いたいだなんて分不相応な期待を抱いてしまう。
もしエレノアの女官になったら。
彼の友人『マティアス・オーレン』の妹という特権を利用してしまいそうなほどに、願ってしまう。
会話を交わせずに遠目から眺めているだけの距離に、満足していられる自信がない。
(胸を張って殿下の隣に立てないのなら意味がないのに)
言葉にする思いとは裏腹に、どうしようもなく願って期待をしてしまうのだ。
「――マルティエナちゃん、元気ないね? 心配ごと?」
走り出した馬車の中で、涼やかなクレイグの眼差しが詰まる息を和らげる。
彼の声音が一段と柔らかいから、息を吸う行為に意識を向けて渦を巻く現状を整理できる。
「多くは語れませんが、私には畏れ多い話をいただきまして。返答に悩んでいました」
まだ第一王子とエレノアの婚約発表等は大々的に公表されていないので、エレノア付きの女官になる打診は話せない。
情報の巡りが早いクレイグなら既に知っていそうなものだが、ただの憶測が話して良い理由にはならない。
「悩むってことは気持ちはあるんだよね。けど、その先にある何かに恐れてる」
頷けずにマルティエナは視線を伏せる。
不純な動機だから誰にも知られたくなかったし、知られてもいけないと思った。
アレッタの好意は見つめられたら蕩け落ちてしまいそうな甘さだった。エレノアも第一王子と並ぶ時は一層輝きを増していて、その眩しさに目を細めてしまうほど。
対して自分はどうだ。
実らなくとも、思い出のなかで甘く浸れる恋だった。夢から覚めぬことを願う、そんな恋のまま終わってくれたらよかったのに。
クレイグに感じた気持ちだって、ちゃんとある。
『恋』――そう名付けれる情を自覚したばかりだというのに。
終着を迎えた叶わない恋のその先があるのかもしれないと期待をして、天秤にかけることもなく願ってしまった。
その上で、今こうして彼の優しさに甘えていることが情けないし、何より烏滸がましい。
「マルティエナちゃんは結構現実みてるよね。マティアスもそうだったけどさ〜」
ふに、と頬にひんやりとした何かが触れた。
顔を横に向けると、手のひらで握れる大きさの水泡がふよふよと形を変えながら浮かんでいる。
「やっぱ、闇の魔力あったら考えちゃうもんだよな。何をしてもリスクが他より多いわけだし」
慰めるような動きで頬を撫でる水泡は、柔らかな皮膜に覆われているので濡れも割れもしない。
されるがままになりながら制止を求めるけれど、クレイグはしたり顔で笑っていた。
指先は水泡を動かす為にくるくると弧を描いてる。
「気楽な立場の俺が思うにさ」
しょうがないから頬を滑る水泡を甘んじて受け入れる。
途端に無駄に張った力が抜けた。
クレイグに身を委ねると、あっという間に彼の調子に引っ張られるのだ。
そんな彼の隣にいるのが心地良くて好きだったし、今でも好きだ。
「マルティエナちゃんは数倍は欲深くなってもいいと思うね」
「数倍って……誰よりも強欲になってしまいますよ」
今までだってやりたいように生きてきた。
そう思うのに、クレイグは微笑みながらも否定する。
「今まで我慢してきた分、好きにしてみたらいいじゃん?」
クレイグは伯爵家が隠してきた内情を何も知らない。
だから、病で伏せっていた間我慢していた分、と話しているのだろう。
それなのに、兄として生きてきたマルティエナ自身の心に焦点を当ててくれているようで。
背を押してくれる力を糧にして前に踏み出してみたいのに、その一歩が鉛のように重い。
「マルティエナちゃんは何が心配?」
「私の行動が周りを巻き込むかもしれません」
不安が何度も押し寄せて、高波になって迫り来る。
「もしも、を考えてしまうんです」
最初は幸せと思えるだろう。
主従関係になっても、エレノアと過ごす日々は穏やかなはずだ。
女官として王宮内を歩きながら、時々、アスタシオンの影をみる。
エレノアのことだから、アスタシオンと会話をする機会も多いかもしれない。言葉を交わせずとも同じ空間に立てる。
けれど、喜びを噛み締めて過ごせる平穏はいつまで続くのだろうか。
先の未来に光が射さないから、堂々巡りを繰り返してしまうのだ。
「その時は俺と逃げればいいんだよ」
ひんやりと心地良い水泡が目尻を撫でる。
泣いてないと言おうとして、笑っているのに真剣なクレイグに息を呑んだ。
「いつだってさ」
気の抜けた口調で、軽口を叩くような物言い。
「どんな状況でも俺はマルティエナちゃんの隣にいくよ。逃げ道が確保できてるんだから、やりたいように突き進めばいいって俺は思うね」
けれども冗談とは程遠い、真摯な声。
「後のことは有能で人脈もある兄ちゃんに任せちゃおうか? マティアスならどうせ、どうとでもしてくれるしさ」
クレイグのペースに乗せられて、それもいいのかもしれないと楽観的に思ってしまえるから。
マルティエナは鍵穴を用意していなかった枷を外して、切望を現実に変えられるのだ――




