Chapter2-19.光陰の使者
◇IFルート(アスタシオンEND)
本編Chapter2-18.明確な戸惑い の後に、こちらに分岐してお読みください!
マルティエナとアスタシオンの”もしも”の恋物語を
最後までお楽しみいただければ幸いです!
午前の講義を終えた昼休憩。
ここ最近は親しくなった友人とゆっくりと昼食をとる。余った時間にそのまま食後の紅茶をいただくのだが、今日は早々に席を立った。
廊下を駆け回るほど急いではおらず、一定のリズムで、けれども普段よりは僅かに速くマルティエナは歩いていく。
教職員室の前まで来たマルティエナは、さらに奥のこじんまりとした一室の扉を叩いた。
扉越しの合図を耳に、静かに開けた扉の中へと体を滑り込ませていく。
「本日はお時間を設けてくださりありがとうございます、ジェナミア先生」
「ようこそマルティエナさん。どうぞ、おかけになって?」
ジェナミアは女学院で最も長く教職に就いている教師である。艶のある色味の抜けた白髪が、彼女の静粛な品位を際立たせていた。
教壇に立つ姿を見たことはなく、教職員室にいることも稀。
数年をかけて在学している令嬢たちでも、彼女が教壇で教えを説いた回数を指折りで数えてしまえていた。
聞いたところによると、年中問わず学院内外を行き来していて、土の季節半ばから火の季節の終わりまでは毎日のように外回りをしているのだそう。それも、正門には必ずさまざまな機関の紋章入りの馬車が迎えに来るのだとか。
彼女は謂わば、この学院における就職案内の窓口なのだ。
「マルティエナさんは就職を希望されているのだそうね」
「はい」
「これまでの事情を抜きにしても、貴女は優秀とお聞きしていますよ。ラルムシェーンの温室管理も頼んだと伺ったのだけれど、実の入りはどうかしら?」
「とても。機会をくださった先生方のおかげで充実した時間を過ごせています」
ラルムシェーンとは溜め込んだ魔力によって実をつける植物である。
木のようにどっしりとした幹はないけれど、中身を詰まらせて膨らむ薄紅の実を支えられるしなやかで丈夫な一本の茎がある。
伸びた茎の先に小降りの花が咲き、実をつけ始めると枝垂れ柳のように垂れ下がる。
そうして熟した実は、割れることなく落ちて、土の中に埋もれていくのである。
生育環境がヴァルトセレーノ王国の国土には向いておらず、育てる労力に対して味は薄く、果肉というよりは水分と油の混ざった乳液に近いため、食用としては好まれていない。
けれど、髪や肌が潤うと女性の間では有名で、女学院では栽培と研究を長年続けているそうだ。
指揮を取る教師の他、数人の学生が代々補佐を担っていて、マルティエナも声をかけてもらっていた。
温室の管理や研究資料の閲覧、品種改良の試み等を間近で見せてもらえるだけでも良い機会なのだが、ジェナミアの言う「実の入り」が示すものは別にある。
ヴァルトセレーノ王立魔法学院の研究資料館――『マティアス・オーレン』としての一年目の終わりに、アスタシオンに連れられた先の禁書庫に似た隠し部屋が、ここにも存在していたのだ。
誰の目にも触れさせるべきではない書物の保管場所は他にもあるのだろう。
禁書庫と呼べるにせよ、一部の制限をかけた書物なのであって、幾人かの目に触れることを良しとしている。
選定基準は謎だが、マルティエナが選ばれた表向きとしては『男役が不足しているダンスレッスンを手伝うご褒美』だった。
ダンスが苦手な令嬢がいたので講義終わりに練習相手を申し出たら、大層喜ばれたのだ。ステップが上達したと好評を受けたその令嬢から話が広まって、何人かの相手役をしているうちに教師の耳に入った。
いっそのこと講義のレッスン中も男役を任せられないかと声がかかり、その見返りとして"ラルムシェーンの温室管理"を案内されたのが始まりだ。
(ヴァルトセレーノ王立魔法学院の禁書とは少し系統が違うんだよね)
何となく目に留まったタイトルから読み進めているのだが、残り僅かな在学期間では時間が足りない。
恐らく半分以上は手付かずに卒業してしまうだろう。
(女学院の学生が読めるとは思えない高度な魔法関連の本もあったし……。『マルティエナ・オーレン』には必要なさそうな知識だけど)
兄として過ごした影響だろうか。
もしもの為に知れる範囲は知っておきたいし、単純な興味も湧く。魔法書だったら試してみたくなる。研究資料なら、抜け穴やその先の展開を考えて試みたくなる。
そうした思考が定着しきっているので、知的好奇心が薄れることはなさそうだ。
「そう仰っていただけて何よりだわ。数人の先生からは貴女を研究助手に迎え入れたいとも話が上がっているのだけれど」
「良いのですか!?」
予期せぬ誘いにマルティエナは瞳を輝かせる。
ジェナミアは冷静に微笑みを湛えたままだった。
「私ね、先日王宮に招かれたの。王宮での人材募集は多岐に渡るのだけれど、先方がとても貴重なお話をくださいましてね。貴女にどうかと思ったのよ」
「王宮での募集――ですか」
どきり、と嫌に心音が跳ねる。
無駄な期待と消えたはずの不安が押し寄せてくる感覚だった。
「ええ。来期の社交始まりの舞踏会で、王太子殿下が婚約発表されることが決まったの」
「喜ばしい知らせですね」
「お相手はお分かりよね?」
「はい。一度、お会いしたことがあります」
マルティエナとしては一度だけ。
兄としては学院生活を送る四年間、毎日のように顔を合わせて会話をしていた友人。
(エレノアさん……もう婚約するんだ)
正式な発表はされずとも、ヴァルトセレーノ王立魔法学院の卒業パーティーでお披露目したようなものだ。学生から親へ伝わり、貴族間では水面下で知れ渡っている。
けれど、第一王子の婚約者になるのは、エレノアが光の魔法士としての経験を積んで名を上げてからと思っていた。
エレノアは学院教師の助手になって、任期を満了した第一王子から仕事を引き継いでいる。
セルベスタのもとで光魔法の研究を専門に行い、クレメン教会の本部にも行き来していると聞いたことがある。魔法士団に入団したら必然的に教会との接点も増えるため、光の魔法士としての下地固めと思っていたのだが。
「婚約発表と同時に王宮に部屋を用意されることになったのだけれど、女官の選定に慎重を期しているようね。適した人材がいれば、と私のところまで話が下りてきたの。それで貴女にどうかと思ったのよ」
「――貴重な機会をご紹介くださったこと、恐れ多くも光栄に思います」
喜びの言葉を口にしながらも、目が冴えるような空気すら滲みつつあった。
それをものともせずジェナミアは文字が羅列した一枚の紙を差し出す。
「貴女を推薦できる職は他にもありますからね。しっかりと考えて、貴方の希望に一致する先を選ぶと良いわ。後日、返事を聞かせてちょうだい」
ジェナミアは多くを語らない。何故私なのか、とマルティエナが問える空気はなかった。
箇条書きにされた文字にさっと目を通すと、最初に話のあった女学院での研究助手の記述もある。
それを丁寧に折り畳んで、添えてあった空の封筒に差し込む。
立ち上がったマルティエナは、感謝の言葉を述べるとゆっくりと腰を折った。
どく、どくと心臓が脈打つのを動作の合間に実感する。
夢だと切り捨てた期待と、日々見え隠れしていた恐れ。
膨れ上がって抑えきれなくなりそうだったから、一刻も早く澄んだ風を浴びたくなった。




