41.仕組まれた再会
ヴァンビエント公爵領で最も栄えている領都アステラヴェル。
大陸の中央に座す教会領に接する王都へ向かう際には、その半数以上がアステラヴェルを経由する。
そのため、各地から集まった商人同士の取引や旅人への商談が常日頃行われる、国内の交易都市でもあった。
そんなアステラヴェルの名物である大規模バザールは、王都の祭りにも引けを取らない賑わいを誇る。
(アステラヴェルはいつも活気あるけど、さっきから馬車がちょっとずつしか進まない)
エレノアと王太子に追従する馬車に乗っていたマルティエナは、左側の窓を眺める。
馬車道の隣には幅の広い歩道があるけれど、行き交う人で埋まり、足元の石畳は見えなくなっていた。
更にその奥――通りに面して隙間なく並ぶ建物の地上階では、店員の明るく響く声掛けが続いている。
不運にも飲食店の前のようで、香辛料の効いた香ばしい匂いが車内へと漂う。
昼時に差し掛かった今の時間には反則的な香りだった。
けれど、斜め向かいに座るブラウは涼しい顔で手元の書籍に目を落としている。
(お腹空いてきた……けど流石に音が鳴るのは恥ずかしいな)
馬車の動きが緩やかになったことで、車輪の音は止んでいる。
街の溌剌とした喧騒のおかげで無音ではないけれど、息を吸うたびに空腹を刺激する香りが意識を逸らさせてくれない。
ブラウの手元で開かれたページをマルティエナは盗み見る。
文章の途切れる空行を見つけ、ブラウの左右へと動く瞳を追う。
そうして、視線が止まるのを見計らった。
「少々騒がしくなってしまいますが、窓を少し開けても良いですか?」
「構わない。少しでなくても良いぞ」
口数は少ないけれど、ブラウの口元は微かに上がっている。
有難く甘えることにして店の立ち並ぶ路面とは反対側の窓をマルティエナは開けた。
アステラヴェルは大きな通りの左右で景色ががらりと入れ替わる。
中央広場から放射線状に延びる八本の大通りに区切られた区分けごとに、取り扱う商品の分野が定められているからだ。
なかでも、今いる十字の通りには川のような人工水路が中央に造られていて、小型の船が何隻も往来している。
解放した窓から感じる澄んだ水の冷気と船に揺られた水音に、マルティエナは顔を寄せた。
水路の透きとおる蒼と、船の流れに沿って揺れる水草。大きな白い花弁の花も水面に浮かんでは揺蕩っている。
船の往来が途切れたら凪ぐ水面は、川というよりは池に近いかもしれない。
(向こうの通りも人混みは凄いけど、食品が並ぶこっちほどではなさそう)
水路と馬車道を区切るフェンスの奥では、馬車や行き交う人々が留まることなく流れていく。
水路を挟んだ向こう側は、衣服や絨毯といった布地や織物を取り扱っている区画だ。
一見すると陰鬱にも感じられる色褪せた小麦色や灰白色の建物が隙間なく建ち並ぶ街並みは変わりないけれど、その空気感を覆す数え切れないガラス窓と壁面から垂れ下がるタペストリー、そして緑の葉を纏った布飾りが目立つ。
むしろ、そうして飾られた品々を印象付けるために計算されたような景観だった。
澄み渡る空を見上げると、背の高い両脇の建物から引かれたロープに吊るされたランタンが宙に浮かんで見える。
その隙間の多くはロープが露出していた記憶が強かったけれど、今は干し野菜のガーランドや紐飾りで青空まで飾り付けられていた。
空腹を刺激する香りの薄まった馬車から、少しずつ変化していく街を眺める。
アスタシオンが生涯の大半を過ごす街。
治安と景観を守り、ソルディオンとエレノアの子孫へと歴史を重ねて継承していく地。
そう思いながら一望すると、都市を見る目は変わってくる。
商人同士の取引市場になっているのは、大通りで区切られた区画の内側だ。
そこへ抜けるための回廊が建物に組み込まれているし、住民らしき人物が鍵を使用して通り抜ける隠し通路もある。
庭園になっている平らな屋上も、人が辛うじて歩けそうな三角屋根の連なりもある。
旅の羽休めとして訪れた部外者にとっては綺麗に整備されている街並みでも、奥まった区画は迷路のよう、というのは有名な話だ。
水路の上に橋を架けた中央広場の外郭を回り、北に進む水路沿いへと進路が変わる。
窓際へと頭を近づけて正面を覗き込むと、緑白色の岩肌が遠くに見えていた。
王太子とエレノアの目的地は、ヴァンビエント公爵邸。
突き当りの石灰岩の崖を掘り出し、都市全体を庭のようにして居を構えた宮殿である。
巨大な洞窟の入り口に建てられたような公爵邸は、覆いつくす岩壁の天井によって陰っているのに、そうは思えない程に光り輝いている。
差し込む日差しと邸の内から燈された灯りを反射して。暗く陰るはずの岩肌は、淡い翠交じりの柔らかな白壁として視界に映るのだ。
「その様子を見る限り、緊張はしていないようだな」
いつの間にか書籍を読み終えていたブラウの眼差しが向けられていた。
「そんなことはないですよ? ヴァンビエント公爵邸を訪ねるのは初めてなので、緊張しています」
アスタシオンと知り合って七年が経とうとしているけれど、実は『マティアス・オーレン』としても訪れたことがない。
学院の長期休暇での滞在を誘われもしたけれど、互いに都合の良い日程が合わなくて話が流れてばかりだったのだ。
アスタシオンの居住地を訪れる高揚が勝ってはいるものの、緊張ももちろんしている。
ブラウはそんなマルティエナに頭を振った。
「私が言いたいのは今日の夜会だ」
既に街の活気は右肩上がりだけれど、バザールは明日からの一週間。
その前夜祭として、ヴァンビエント公爵邸では集まった各地の貴族が参加する夜会が開かれる。
約二ヶ月にも及んだ峡谷調査によって、土の季節の社交界に一度も参加できなかったことを気遣ってくれたのか、マルティエナはオーレン伯爵令嬢としての参加を認められていた。
とはいっても、社交の場でのマルティエナの立ち回りは変わらない。
「ブラウ様が付いていてくれますので、むしろ安心しています」
王太子とエレノアの近くにいやすいようにブラウとパートナーを組む予定と聞き及んでいたのだが――
「君はエレノア様から聞いていないのか?」
ブラウの表情が不自然に強張る。
遠回しな否定に瞼を瞬かせたマルティエナと複雑な面持ちで思案したブラウの沈黙が、窓から飛び込んでくる楽の音色にかき消されていく。
街の喧騒が静まった代わりに試奏のような楽器の調べが重なり合うこの通りは、左方に宝石や宝飾品、右方に芸術や学術分野の区分けがされている。
上流階級向けの区画とも言えた。
「エレノア様の強い希望で、今夜はアスタシオン殿下が君のパートナーだ。つまりは、今夜の主役だな」
驚きが喉に引っ掛かって、音にならずに霧散する。
ヴァンビエント公爵邸は目前に迫っていた――
◇◇◇
エレノアは確信犯である。
「峡谷調査で助けになってくれたマルティエナさんへのお礼だよ! 折角だからアスタシオン君が迎えにくるまで秘密にしたかったんだけど……サプライズは失敗しちゃったね」
それが純粋な好意からだと伝わるから、身支度を終えて王太子の元へと向かったエレノアを、マルティエナは感謝の言葉で見送った。
見計らって扉を叩いた公爵家の使用人に、湯浴みから身支度までされるがままに身を任せて。
白銀の装飾が煌めく紫紺のドレスの裾を揺らしながら、マルティエナは屋敷の奥へと案内される。
使用人のノックが跳ねる心音に重なって。
開かれた扉の先にいた人物に目を見張った。
「マルティエナお疲れさま」
そう第一声を上げたのは兄だ。
寛いだ様子の見慣れた顔触れ三人を前に、マルティエナは思わず口が開く。
「お兄様がどうしてここに?」
領地に向かうアスタシオンとともに王宮を離れた兄からは、オーレン伯爵領に帰ると聞いていた。
領地運営を全て引き受けてくれているルチナが喜びそうなプレゼントを探し回っていたから、休みもそこそこに駆けて帰っていると思っていたのに。
「折角だからどうかと殿下が声をかけてくれてね。ルチナさんに連絡を取ったら賛成してくれたから、バザールを見て回ることにしたんだ」
「実は俺が殿下を通じて呼びつけたんだよね〜。久しぶりに親友に会いたくなってさ! マルティエナちゃんも久しぶり!! そのドレスめっちゃ似合ってる!」
間髪おかずに言葉を発したのはクレイグだ。
風の季節の社交始めに開かれた舞踏会以降は、それぞれが新たな環境で過ごしていたこともあって、連絡を取り合う暇もなかった。
久しぶりの友人との再会は嬉しくもある反面、心苦しくもある。
「お久しぶりです、クレイグ様」
ヴァンビエント公爵邸に数日滞在すると決まった時から、こうして顔を合わせることは分かっていた。
二人きりで話せる機会があれば、これまで秘密を打ち明けずに騙していた謝罪と友人で居続けてくれていた感謝を伝えたいと思っていた。
機会がないなら、闇の古代魔法を用いてでも時間をつくる覚悟もあった。
それなのに、いざ本人を目の前にすると言葉を失ってしまう。
心につっかえていた重石が流れていくような清涼感に、目頭が熱くなる。
「やだな、マルティエナちゃん。敬称なんて他人行儀だと俺寂しいよ」
そんな謝罪も感謝もいらないと、彼の聡明な瞳が物語っていたから。
「そうでしたね――……クレイグ」
どんな状況下であっても変わらない大親友の名を、マルティエナは呼ぶ。
「挨拶は一先ずそのくらいで。ふたりとも、あとのエスコートは私に任せてもらって良いかな?」
そうして、柔らかな表情を湛えて見守るだけだったアスタシオンが席を立った。




