38.傷痕を覗く双子の苦悩
迎えに来たオーレン伯爵家の馬車に乗って王都の邸に帰ったマルティエナは、泣いて喜んでの歓待を受けた。
一番感極まっていたのはカーチェだ。
社交シーズンに併せて兄とともに王都に来たのに、峡谷調査へと発ったマルティエナとすれ違いになったことが余程悲しかったらしい。
ひと足早く王都に来ていればと悔やんでいたカーチェを宥めてから、兄の書斎へと足を運ぶ。
「お兄様、領地に戻らずに待っていてくれて本当にありがとう」
夕食時にも伝えていたけれど、どうしてももう一度伝えたくなった。
比べるわけではないが、キギリがあれほどまでに心配してくれていた。
マルティエナが王立魔法学院で魔法を学んできたことを知っている兄は、別な意味での心労があったのではないか。
土の季節にはオーレン伯爵領でも収穫祭が催される。
王都に滞在していた期間の書類も溜まっていて何かと忙しいはずなのに、ルチナが全て引き受けて、先に領地に戻ってくれたそうだ。
(ルチナさんには頭が上がらないな)
昨年は夫として、今年は義妹として世話になりっぱなしだ。
「私が望んでしたことなんだから、マルティエナは気にしなくていいんだよ。本当は領地に戻るふりをしてそっちに行きたかったんだけど、議会が終わるまでは動けなくてね。でも、議会が終わってからだと遅すぎるだろう?」
ジャケットの内側から小箱を取り出した兄が、箱の中から葉巻を指に挟める。
葉巻なんていつから吸い始めたのだろうか。
慣れた手つきで火をつける兄は、随分と大人びて見える。
「マルティエナは私に何か聞きたいことがありそうだね。遠慮はしなくて良いから、何でも兄さんに聞いてごらん――――ごほッ」
けれど、兄は盛大に咽た。
「だ……大丈夫?」
「ああ、うん――ゲホッ、問題ない」
盛大に咳を繰り返した兄が火のついた葉巻を灰皿に押し付ける。
兄の行動に戸惑っていると、恥ずかしくなったのか兄は両手で顔を覆いだす。
「マルティエナ……俺、どうしたら大人の魅力がでるかな」
「え?」
「ルチナさん、俺のこと出来損ないの弟みたいに思ってるんだよ。だから、大人びた姿で驚かせたいんだけど。ほら、ギャップ萌えっていうだろ?」
「ギャップ萌え……?」
「あ~、ほら! 意外な一面を知った時にドキッとすること、マルティエナもあるだろ?」
それはマルティエナにとって生まれて初めての経験だった。
(お兄様が顔を赤らめながら動揺して、相談してくるなんて)
双子なのに何歳も年上のように感じていた兄が、今では年相応か、それよりも少し幼く思えてくる。
「お兄様はルチナさんにドキッとしてほしいんだ」
恋をして、恋をされたいのか。
惚れさせたいがために、吸わない葉巻に手を出してみたのか。
これがギャップ萌えというものなのかな、と兄の意外な一面にマルティエナはくすりと笑う。
「とりあえず、葉巻は吸わなくて良いと思うよ? 私は――ルチナさんが安心して夜を過ごせるように、隣にいてあげてほしいかな。悪夢に魘されてないといいんだけど」
もう私はその役目を担えないから。
マルティエナは自分にだけ聞こえる声量で呟く。
それが『マティアス・オーレン』としての心残りだった。
今でも変わらず、ルチナの幸せを願っている。
ルチナが心から望んだ相手と添い遂げることを願い、偽物の夫である『マティアス・オーレン』ではなく、本物が現れてくれることを願ってる。
その相手が兄であったなら、どんなに幸せな結末だろうか。
(それに、私が寝付けない時に殿下が隣にいてくれたら……)
きっと触れた温もりに最初は胸を高鳴らして、次第に安心へと変わって。
心が触れ合っているような感覚を一秒でも長く覚えておきたいのに、いつの間にか寝入ってしまうのだろう。
「マルティエナ……お前にとっては兄でも、俺は男なんだ。……最低で、どうしようもない男で、変態扱いされることが目に見えてるんだよ」
震える兄の声は苦悩に苛まれていた。
(ルチナさん、お兄様を嫌がってるようには見えないけど。むしろ肩の力が抜けてる感じ? 違ったかなぁ)
マルティエナの願いが叶うのはまだまだ先らしい。
◇◇◇
エレノアの誘拐に関わった闇属性の魔法使いや四元素の魔法を無効化する魔道具のこと、エレノアとナザリクとの秘密となった報告書とは異なる実際の経緯を告げたマルティエナは、兄から失踪していた期間の話を聞き知った。
神からのお告げのような予知夢を見たこと。
その夢の中では、二年生の学院祭でコルスタンの魔力暴走に巻き込まれて死ぬこと。
予知夢は死後の世界まで及んでいたこと。
それからの日々のことも、兄は詳細に語ってくれた。
ネヴィルの祖国に身を潜ませていた時に、アスタシオンとクレイグが迎えにきたことも――全て。
「クレイグは『マティアス・オーレン』がお兄様じゃないって気づいてたんだ……」
思うことは色々とあるけれど、真っ先に口をついたのクレイグの名だった。
抜け殻のように中身が空っぽだった『マルティエナ・オーレン』に友人がいると教えてくれたクレイグを思い出す。
好きだと告げてくれた眼差しも声音も、昨日のことのように思い出せる。
クレイグと過ごす毎日は『マルティエナ・オーレン』になってからも変わらなくて、それでいてまったくの別ものだった。
気づいた上で。
マルティエナ以上に全てを知った上で――『マティアス・オーレン』と『マルティエナ・オーレン』を明確に区別して接してくれていたのだ。
(私のために、そうしてくれていた)
男友達として接し続けてくれていた。
「マルティエナが負い目を感じる必要はないよ。俺が悪いし、もう謝罪も済んでる。マルティエナは気にせずに、これまで通り気楽に接してやってよ。あいつ喜ぶから」
「――うん、そうだろうね。想像がつくよ」
「あいつは俺にとっての一番の親友で、マルティエナにとっても一番の親友だ。贅沢な奴だよ」
そう語る兄の意地悪い笑みで、クレイグとの関係性が少しだけ見えた気がした。
体面を気にせず、思うままに笑い合える。
兄にとってもそんな特別な存在なのだろう。
「マルティエナやエレノアさんに知っておいてほしいことは他にもあるけど、それはまた明日にでも。もう良い子は寝る時間だね」
二本の針が十二時に近づく柱時計を目に留めた兄が切り上げる。
優しく背中を押されて自室の前までたどり着くと、硬い口調で名を呼ばれた。
どうしたのかと向き合ったマルティエナは、渋い顔をした兄に微笑まれる。
「今日の夜は窓を開けておくと良いよ。お兄さんからのご褒美があるから」
その声音は特段柔らかかった。
「薄着は風邪引くから上着は脱がないように。約束を守れるね?」
それなのに、苦渋の決断をしているような葛藤も感じられる。
おかしな違和感の正体に首を傾げて、戦慄く唇を浅く噛んだ。
「――分かったよ。おやすみなさい、お兄様」
上擦った返事は甘く響いた。
頬の熱が心音を溶かしていくようだった。
アスタシオンに会える。
普通に考えたらあり得ないのに、そんな予感を確信している。




