33.生の終わりに過るのは
エレノアの拘束を全て解いたマルティエナは、エレノアがナザリクに傷を癒す光の古代魔法を使用している間、四人の男たちを順に拘束していった。
ひとりはマルティエナの足首に繋がっていた鎖を利用して拘束し、ひとりはエレノアが座らされていた椅子に括り付ける。
残りの二人は着ていたローブできつく縛り付けて、全員の口元は裂いた布地で覆う。
体重が倍はありそうな男たちを移動して拘束するのは体力を消耗する。
一息つきたくなる気持ちに鞭を打ったマルティエナは、ローブを割くために拝借したナザリクの剣を返しに戻った。
「ナザリクさんの怪我は治りそうですか?」
「うん……右手が元通りに治せるか心配だったけど、何とかなりそう。あとは意識が戻ってくれるといいんだけど」
白く降り積もる雪のように真白な光に包まれる魔法がナザリクとエレノアを照らしている。
エレノアの優しさが伝わってくる、人助けの魔法。
横たわるナザリクの顔色も、幾分か血の気が戻ってきていた。
利き手を集中的に痛めつけられたようで、腕から指先まであり得ない角度に曲がり、皮膚は赤黒く腫れ上がり、なんとか皮一枚で繋がっているような悲惨な有り様だった。身体の内から治っていく魔法のようで、肌の色は未だ色濃いけれど、右手の形は原型を取り戻しつつある。
その傍らに彼の剣をそっと置く。
ナザリクが見せしめのように痛めつけられていたのは、仲間を何人も殺された腹いせだったらしい。
彼自身の剣で体中も斬りつけられていたと溢したエレノアの泣き顔が忘れられない。
口汚い言葉で罵りたくなるほどに許し難い、卑劣で下等な行いだ。
生かしたことを後悔しそうになるけれど、事の次第を王宮に持ち帰れば、犯した行い以上の罰が、ナザリクが感じた以上の痛みを伴って振りかかることだろう。
「役立てそうな物がないか、探してみますね」
床に置かれたランタンを手にしたマルティエナは、光の差さない部屋の隅まで見てまわる。
油の質が悪いのか、ランタン自体の質が悪いのか、灯りは貧しくぼやけている。
峡谷の岩肌を空けた洞窟だろうと思っていたけれど、単純に開けた空間なのではなくて、祭事場のようだった。
エレノアが座っていた椅子が置かれていた周囲の壁は彫刻のように細かな装飾が彫られていて、マルティエナの足につけられた鎖が固定されていた黒岩の円柱も大掛かりな装飾の一部だったらしい。
燭台を置ける台座もあり、中央の壁から浮き上がる像はマルティエナも見覚えがあった。
(これ……闇の神オスクリート様の像だ)
聖堂のステンドグラスや聖画で誰もが目にする神の姿。
天から人々を見下ろすように描かれる光の神ラスヴィータとは異なり、大地の下に埋もれるように描かれる闇の神オスクリート。
それがここでは、光の神のように存在を主張している。
(闇の神を讃える聖堂みたいな場所なのかな)
装飾の施された岩壁に手を触れて扉や抜け道がないことを確認したマルティエナは、壁を伝いながら反対側へと歩いていく。
壁際へと乱雑に寄せられた長椅子があり、黒い岩壁とは質感が異なる鉄製の扉。大量の長椅子は反対側にも寄せ集められていた。
何か物を置くとしたら椅子の上だろうか、とひとつひとつ手探りで見ていく。
そうしていたら、隣の長椅子から黒い布が垂れていることに気づいた。
手にしたランタンを持ち上げて、その先へ近づく。
「えっ……」
思わず競り上がった口を手で塞いだマルティエナは、早まる心臓を感じながら視線を動かす。
「どうしたの!?」
今にも駆け寄ってくれそうなエレノアを手振りで止めながらも、目だけはどうしても離せない。
黒いマントを羽織った男。
エレノアの話していた闇属性の魔法使いが、死んだように長椅子に横たわっていたのだから。
「エレノア様が仰っていた魔法使いがいるのですが、意識はないようです」
闇属性の魔法は少々特殊で、体内の魔力を使い過ぎると、その反動で自分自身も昏睡状態になってしまう。
目の前の魔法使いは青白い首に真新しい包帯が巻かれているけれど、傷のせいというよりは魔法の反動で意識がないように見えた。
耳を澄ませないと聞こえない息が、生気のない男が生きていることを知らせてくれる。
(とりあえず、拘束しておいた方が良いよね……)
余った布の切れ端はベルトポーチに引っ掛けてある。
それを引き抜こうとしたマルティエナは、ふとラルフの顔が浮かんだ。
以前助けてくれた闇属性の魔法士集団の少年。
穏健派と名乗っていた彼がこんな場所にいるとは思えないけれど、もし何らかの事情があったとしたら。
そんな考えが頭をよぎり、顔を覆うフードに手を掛けた時だった。
「あッ――くっ、ぅゔ!!」
瞬く間に伸びた手がマルティエナの首を握り締める。
「マルティエナさん!?」
気道を防ぐ圧迫感。
皮膚に食い込む指先。
そして、身を起こした男の殺気立った目つき――
(ラルフじゃなくて、良かった)
今にも飛んでしまいそうな思考で思ったのは、そんなことだった。
フードから覗く瞳の色が違う。
混沌とした血色の瞳。
(ラルフの瞳はもっと澄んでて)
――空に浮かぶ星を映す、紫紺の瞳だった。
首を握り締める男の手にしがみついていた抵抗が力尽きる。
悔いはなかった。
(私がどうなろうと、エレノアさんなら負けない)
自分の墓場がここになろうとも、出来る事は全てやった。
だから、悔いはない。
そう思えたはずなのに、視界が真っ白になる魔法のなかで思い浮かんだのは、王宮で待つアスタシオンの姿だった。
「――――ゲホッ、はっ、ハァ……」
地面へと落とされたマルティエナが、解放された首に手を当てて咳き込む。
定まらない焦点はチカチカと瞬いていた。
ひたり、ひたりと水滴が落ちて。
服を浸して肌を冷やすそれが、赤色であろうことを悟る。
「遅くなってごめん、マルティエナ女官」
ざらついた床を踏みしだく靴音が反響する。
迫り寄る力強い足跡に瞼を閉じる。
きっと帰れる、と。
そう思えるナザリクの気配に、マルティエナは思いきり息を吸い込んだ。




