27.嘘吐きの末路
「これはどう見ても調査報告書だよ。あんたのメモ書きを日記と捉えるとしてもね」
マルティエナがノートに自分なりの調査報告をまとめたのは見開き二ページ。
数行に目を通すだけで今日一日の記述と分かるものを、ギークは端から端まできっちり読み終えてからエレノアへ突き渡した。
唇を噛み締めながらおずおずと受け取ったエレノアが、傍に控えたナザリクとともに目を落としていく。
その表情に落胆が落ちるのを見たくなくて、マルティエナは瞼を閉じる。
「あんたさ、どうして必要のないものまで書いてるの。俺の報告書をあんたの名であげるのがそんなに不満?」
「違います。私は自分の至らなさを分かっているつもりです。ギークさんの報告書と照らし合わせることで今後の為になると思って書いたものなので、他意はありません」
悪い予想がそのままに現実になると、取り繕う必要もなくなる。
思ったままに告げるだけなら言葉が詰まることもない。
「自己研鑽ってことだ。殿下にあんなに言われたのに真面目だね。俺に隠した理由は?」
「王太子殿下の采配やギークさんの報告書に不満があると思われたくなかったからです。不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
深く頭を下げると視界が暗転する。
夜着から仄かに香る石鹸の香りが涙腺を刺激する。
ブラウの優しさに慰められ、アスタシオンからもらった温もりに恥じないよう、自分に出来る努力をしたいと思って始めたのに。
どこで間違ってしまったのか、こうして裏目に出た。
いずれは王太子にも伝わるだろう。向けられた疑いに深みが増すに違いない。
(でも。そんなことよりも、エレノアさんの信頼を私が壊したことの方が重い。ギークさんのエレノアさんへの評価だって、私のせいで悪くなったかもしれない)
この場においての害悪を決めるとしたら、それは自分だ。
泣いて被害者ぶるなとマルティエナは千切れそうになる涙腺に檄を飛ばす。
「分かったから頭あげなよ。確かなのは、あんたは嘘をついたってことだ」
不必要に虚飾しない正論が痛い。
姿勢を正したマルティエナに、ギークは口元だけで笑った。
「俺はあんたを信用しないから、今後の方針は変える。俺が渡す報告書は処分せずに俺に返して。その時に、あんたが書き写した俺の報告書とその二冊を俺に見せること。不快に思ってないから、自己研鑽は明日からもやって良いよ。むしろやれ」
今後の方針が厳しくなるのも自業自得だ。
暗に監視すると言われている指示に固く返事をすると、盛大な溜息が吐き出された。
「あとさ、イシドールさんの話に書かれてた『隊員への警告のよう』ってやつ。まるで他人事じゃん」
ギークにとっても不本意なのだろう。
終わりに思えた会話は、視点を変えて叱責となる。
「怖くないの? イシドールさんが話してたような事態になった時に、自分を守れないのはあんたとイシドールさんだけなんだけど」
首の裏へと手を回して再び息を吐いたギークは、喉を鳴らしたマルティエナの返事を待たずに言葉を重ねた。
「あんた、動けなかったら置いてかれることもあるよ。あの人は死地に向かう意気込みだったから良いけど」
「ギークさん、俺も居ますから。マルティエナ女官はエレノア様から離れないでいてもらえたら問題ありませんよ」
胃が縮む空気に耐えかねたのか、物言わず護衛に徹していたナザリクが割って入る。
けれど、振り返ったギークは冷たく目を細めた。
「いや、大ありだって。お前はエレノア様を守るためなら女官を切り捨てる覚悟できてる? 今のうちにしておきなよ。――そんで、あんたはそうなる覚悟をしておくんだね」
そうして、マルティエナへと皮肉げに笑う。
「待ってください。それは私が許しません。マルティエナさんは私にとってかけがえのない女官です。この報告書だって――ッ!!」
「エレノア様に許されなくても、俺は殿下の命に従います。エレノア様の身に危険が及んだ時には、如何なる犠牲があっても貴女だけは守る。ナザリク、それはお前の仕事だろ。忘れるな」
「……肝に銘じます」
「ナザリクさん!」
進んで悪役を買って出たようなギークの威圧を一身に浴びていたマルティエナは、彼の目が外れたことで少し冷静になれる。
元々、ギークは必要なことだけを告げて、長居せずに戻る予定でいたはずだ。
言いようは他にあっただろうに、敢えて批難を浴びる言動を選んだ。
風の季節の始まりからの約半年間。水の季節ではエレノアとナザリクは王宮から離れていたけれど、それでも朝から晩までの毎日をリスフォリア離宮で過ごしていれば情は生まれる。
エレノアとナザリクが庇おうとしてくれたのが、その証拠だ。
情は時に足枷となる。
だから、イシドールのようにギークなりの親切心なのだろう。
そうと分かれば答えは簡単だった。
彼の心配を無くせば良い。
「エレノア様、心配していただいてありがとうございます。ナザリクさんとギークさんも」
死地へ向かう覚悟、と彼は言った。
(そんなもの)
兄になると決めた、全ての嘘の始まりの日。
闇の古代魔法を使って兄に成り済ます覚悟とともに出来ている。
むしろ、伯爵家全体の命運を握っていたあの頃の方が重かった。
「私は平気です。覚悟なら既にできていますから」
今回の調査では自分だけ。
闇の古代魔法を使わない限りは兄や伯爵家を巻き込むことはない。
――なんて軽い。
ようやく解けた緊張にマルティエナは心の底から微笑んだ。
◇◇◇
人の半減した室内は何倍も広く感じられる。
隙間を空けて並ぶ細身の寝台に腰を下ろしてみたものの、そう簡単には沈んだ空気は変えられなかった。
「私のせいですっかり遅くなってしまいましたね。エレノア様に迷惑をかけてしまって情けないです。ごめんなさい」
「……ううん、そんなことない」
俯きがちに頭を振ったエレノアに掛ける言葉を迷ったマルティエナは、視線を奥へ向ける。
小さな窓の外側は真っ暗闇だ。
水の季節が終わり土の季節が訪れると、姿を隠していた虫も活発になる。
晴れた夜空を楽しむような涼しい鳴き声がか細く聴こえていた。
「そろそろ寝ましょうか」
少し前までの息苦しい時間には気づけなかった、自然を感じられる音色。
耳を澄ませていると自ずと穏やかな心地になれる。
けれど、エレノアの耳には届いていないようだった。
「少しだけ夜風に当たってきます。エレノア様は先に眠っていてください。明日も朝早いですから」
声には出さないだけで、エレノアだってひとりで心の整理をしたいのではないか。
急に決まった遠征は初日から色々とありすぎた。
ハーストーン辺境領に着いたら辺境伯の屋敷に滞在する手筈になっているけれど、それまでの間は移動も食事も寝泊まりも、ほぼ全ての時間をともに過ごすことになる。
咄嗟の嘘でエレノアに与えた猜疑心が、明日からの彼女の心身に悪影響を与えることに負い目もあった。
自由に過ごせる時間はなるべく距離を置いたほうが良いかもしれない。
隣部屋では女性の魔導騎士と使用人のミュレットが同室で寝泊まりをしているから、時には部屋割りを変えてもらうのもありだろう。
「あっ……駄目! 待って、行かないで」
少しでも心休まるようにと立ち上がったマルティエナの夜着の裾が、弱々しく引っ張られる。
「エレノア様……」
涼やかな黄緑の瞳が瑞々しく潤んでいた。
唇を噛みしめたエレノアが隠すように俯く。
(私、また間違った)
泣かせたくなんてなかったのに。
裾を握る冷えた手を握り返して床に膝をつくと、伏せられたエレノアの瞳と視線が混じる。
「ごめんね、マルティエナさん。私、怖かったの」
噛みしめられた唇が囁きとともに震えた。
「ディオンが貴女に酷い扱いをしたのに、私は何もできなかった。マルティエナさんに謝りたかったけど、ずっと怖かったの」
大きな瞳が瞬いて、ほろほろと大粒の涙を落とす。
「ギークさんだって。私の気持ちなんて相手にされなかったもの。……私ね、マルティエナさんに呆れられたくなかったの。私の女官でいることが嫌になってほしくなかった」
手元にハンカチがないから仕方なく夜着の袖口をひぱって、エレノアの目元へと触れる。そのまま受け入れてくれる姿でまだ嫌われていないと分かるから安堵した。
「マルティエナさんは、私の女官じゃなくても何処へだって行けるでしょう? あんなに分かりやすくまとまった報告書を書けるんだもの。私は、ギークさんが貴女を責める方が間違っていたと思う」
言葉を被せたくなくて首を振ることで否定する。
疑われて当然の行いをしたのだから、ギークは正しい。
王太子に任されたのに、実際に上がった報告書は書き換えられていた――そんな事態になれば、処罰されるのはマルティエナにしても、ギークも何らかの責は免れないのだから。
「人の気持ちに寄り添った優しい嘘を責める権利は、誰にもないわ」
そんなマルティエナにエレノアは語尾を強めて言い放つ。
「それなのに何も言い返せなかったの。何を言ってもあの人には届かないって諦めたの。――私のこと、嫌いになった?」
不安に揺れる瞳に、涙を堪えて笑う。
嫌われることを恐れていたのはお互い様だったらしい。
それがどうしようもなく嬉しかった。
「嫌いになんてなりません。私を何度も庇おうとしてくれたエレノア様を嫌いになれるはずがありません」
むしろ、関わる時間が増えるたびに好きになる。
貫き続けてきた嘘を洗いざらい話して全てを許してほしくなるから、これ以上好きにさせないでほしいのに。
「私がこうして毎日を過ごせるようになれたのは、アスタシオン殿下とエレノア様のおかげです。感謝してもしきれないものを、今でもいただいています」
本当は病に罹ってなどいなかったけれど。
それでも、アスタシオンとエレノアが癒しの魔法をかけるために伯爵家を訪れてくれたから、マルティエナは『マルティエナ・オーレン』としての人生を新たに踏み出せた。
それがなければ、聖テレシア女学院に通うことなく、領地に引き篭もったままだったかもしれない。
オーレン伯爵家さえ安寧であれば満足だと、自分の将来を考えなかったかもしれない。
「怖かったのは私も同じです。エレノア様の信頼に見合う価値が私にはありません。嘘をついたのですから落胆されて当然なのに、エレノア様は私を見放さないでくれました。そんなエレノア様を誰が嫌いになれるのですか」
「落胆なんて、それこそ有り得ないよ。人一倍努力家で、誠実で、いつも優しくて。ほんと、マティアス君にそっくりだもの。知れば知るほど……好きになっちゃうよ」
ぽたり、と。
笑みを浮かべたエレノアが最後に落とした涙が嬉し泣きであったなら嬉しい。
湿った目元を親指で優しく払うと、頬を染めたエレノアが勢いよく両手を振った。
「あっ、違うの! 私がマティアス君のこと好きだったんじゃなくて! ううん、好きだったんだけど、それは友達としてって意味なの!! でも異性としての魅力がなかったって意味じゃないよ!? ドキッとした時もあるの! でもマティアス君が誰にでもああなのは見てれば分かるもの……って、私ってば何を言ってるの!? 違うの! マティアス君に似てるから好きなんじゃなくて、私はマルティエナさんのことが大好きなんだからね!?」
じたばたと手や頭を振り、慌てて否定しては訂正してを繰り返すエレノアがなんとも可愛らしい。
どちらも自分のことを指しているから尚更だ。
「兄のことも私のことも、好きになってくださって本当にありがとうございます」
「うん……ディオンにもマティアス君にも秘密にしてね?」
「はい」
火照った頬に手をぱたぱたと仰いで風を送る表情は、すっかりいつも通りの明るさが戻っている。
(エレノアさんが元気になってくれて良かった)
一息つけるようになると、思考は明日に回る。
言うか言わないか迷いながらも、マルティエナは想いを伝えることを優先した。
「私が言うのもおかしいかもしれませんが、私のせいでギークさんを嫌に思わないでください。きっと親切心だったと思うんです。私たちの為を思って悪役になってくれたんだと思います」
「そうかなぁ……でも、そうかもしれないね。そうだと良いな」
最初は口を窄めて不満げな表情を作りながらも、少しずつ面持ちを変えてエレノアがはにかむ。
学生の頃は天真爛漫な明るい笑顔をよく見せていたけれど、大人になった彼女には慈愛に満ちた包容力が増した。
それが一層、光の神そのもののような圧倒的な輝きを感じさせる。
「ね、マルティエナさん。私ね、誰かのためになりたくて魔法士になったの」
だけど、エレノアだってまだ王立魔法学院を出たばかりで、社会の見えないルールや秩序に翻弄されるひとりの人間だ。
「皆を危険から守って、生活の基盤を整えてくれる――そんな、皆にとって英雄で、希望で、憧れになるような魔法士になりたかったし、今でもそう思ってる」
目標を追いかけて努力して、無力感に苛まれて、それでも前を向いて笑う、普通の女の子。
「だから、私が貴女を守るから。その為に魔法を学んできたから、信じて。絶対に、私のそばから離れないでいて。――約束、してくれる?」
そう分かっていても、静謐な輝きを纏ったエレノアを前にすると、ステンドグラスに覆われて燦然とした大聖堂で光の神へ誓いを立てているような気になる。
「はい。私はエレノア様のそばにいます。約束します」
どうか許してほしいと願って、約束――と嘘をつく。
破ることが最善の手段ならば。
それがエレノアの身を守る術になるのなら。
(その時は――エレノアさんが切り捨てられない私を、私が葬り去るから)
そうならないように光の神に祈ろう。




