26.片手間の落ち度
セペルハース峡谷へ向かう道中、町で休める時には宿屋に泊る。
空き部屋の確保が限られる時は女性優先で手配をしてくれて、マルティエナはエレノアと同室で一夜を過ごすこととなった。
私は本を読むだけだから、と備え付けの机を譲ってくれたエレノアに感謝して、マルティエナは白紙の記録簿へとペンを走らせる。
王宮に戻った際に提出する調査報告書は王太子の命令通りにギークが記した内容を書き写したものになるが、それとは別に、エレノアの食事や体調面の記録は女官の責務だ。
意識してエレノアと同じ食事を口にしていたマルティエナは、昼食と夕食の内容と食事量、馬車移動の時間や一日のスケジュールを記していく。
とはいえ、これといって何かがあったわけでもない。
大した時間をかけずに書き終えた記録簿を机の端に寄せて、今度は自費で用意した真新しいノートを取り出した。
そこには特務隊の編成と司令式、そして昼に聞いたイシドールの体験談を記していく。
事実だけを端的に書き記したものは、誰にも知られることなく火に焼べることになるマルティエナ自身の調査報告だった。
(私が報告書を書くとしたら……こんな感じかな?)
冒頭から読み返して、今日一日を振り返る。
それからペン先のインクを拭って、青色のインクに浸した。
(イシドールさんが話していた過去の調査は、地象局員五人に魔法士や騎士を入れての二十人編成。現地では辺境伯の騎士団が調査同行があった所は今回と同じになりそうけど、人数は実質倍だったんだよね。魔法士や騎士はどういった基準で選ばれたんだろう)
乾いた黒の文字に被らないよう、余白に気なる点を小さく書き加える。
(人数が多くなるにつれて連携は取りにくい。普段関わりない他部署との合同編成なら尚更だし、移動も調査自体も今回の人数が最適なのかも)
過去の調査も織り込み済みで組まれた編成のはずだ。
人数を減らした分は魔導騎士を多く入れることで、少数精鋭に特化した隊になっている。
(全体的に年齢層は若いけど、エレノアさん以外は在籍年数はそれなりにありそうだったし)
休憩時に遠目から眺めていると、滞りなく分担して各々休憩に入っていた。
御者と従者を兼ねた騎士見習いへの指示出しにも慣れた様子で、王太子直々に行われた司令式後とは思えないほどに落ち着き払って見えた。
(イシドールさんの話を聞いた直後は、流石に面持ちも固かったけど……夕食の時は吹っ切れてたような)
呑める時に、と明快にお酒を仰いでいた数人の隊員を思い出す。
馴染みない豪快な賑やかさを思い出しては微笑ましく思いながら、イシドールの記述に線を引いて『隊員への警告のよう』と書き加えた。
黒字は形式を意識した報告書で、青字は個人的な解釈や疑問点、そして今後気を付けておきたい物事を記した備忘録だ。
他に書き残しておきたいことはなかったかと考えていると、締め切られた扉からノックが響いた。
「エレノア様、ギーク副隊長がお伝えしたいことがあるそうです。入室の許可をいただけますか」
極力抑えた声音が扉の隔たりによって、くぐもって届く。
声の主は廊下で見張りをしているナザリクだ。
「はーい、今開けます!」
「エレノア様、私が出ますね。こちらをお掛けになってください」
自ら赴こうとしたエレノアを制したマルティエナは、枕元に置いていたストールを手渡して扉へ向かう。
エレノアもマルティエナも、風通しの良い薄手でありながらも、身体のラインは出にくい夜着を選んでいる。
野宿の夜でもそのまま歩き回れる装いにはなっているけれど、羽織りがあったほうがナザリクもギークも心置きなく居れるだろう。
制服姿の二人を出迎えて、室内へと招き入れる。
ナザリクと違ってエレノアへと移らないギークの視線に、マルティエナは自分への用事だと悟った。
「エレノア様、申し訳ありませんが用があるのは女官の方なので、この場での打ち合わせをお許しください」
「――分かりました。私も話を聞いて構いませんか?」
「つまらない話で良ければ」
珍しく強張ったエレノアを気にも留めずに儀礼上の振る舞いをするギークに、二人の関係性の薄さが垣間見える。
記録簿とノート広げたままの机を背に立つマルティエナに視線を投げたギークは、懐から折りたたんだ紙片を取り出した。
「これがあんたに書いてもらう報告書。隊長が上げる報告書との整合性も取ってあるから、書き写したら燃やして処分してね」
開いた紙片には走り書きの文字がびっしりと埋まっていた。
一見すると乱雑なメモにも見えるけれど、文体や文末は形式が整えられている。
報告用紙の適切な箇所に一字一句違わずに書き記せば、落ち度のない完璧な報告書が出来上がることだろう。
「ありがとうございます。確かに受け取りました」
「流石に毎日来ると怪しまれるし、様子を見て数日分まとめて持ってくるから、後はよろしく」
淡々と告げられた決定事項にマルティエナは頷いて頭を下げる。
早々と要件を済ませたギークが直ぐに引き返すと思いきや「あれ」と声が落ちた。
彼が指差した先には、マルティエナが使っていた机が置かれている。
「あんたは何を書いてたの?」
「エレノア様の食事や体調面の記録です」
「なら見せて。文体や書き方の癖が違うと良くないから」
返事を待たずに歩き出したギークを先導するように前へと急いだマルティエナは、机の端に寄せていた記録簿を手渡した。
その内容へ彼が目を通してる間に、書きかけのノートをさっと片す。
マルティエナがいちから書いた自分なりの調査報告書は知られたくない。
影の代役を任されたギークに不満を抱いていると勘違いされたくはない。
片付ける前に扉を開けてギークを部屋に招き入れた、考えなしの自分を恨んでしまう。
彼が気に留めませんようにと念じながら待っていると、記録簿が机に置かれた。
「これなら支障ないかな。あんた随分簡素な書き方するね」
「……問題がなくて良かったです」
褒められてるとは微塵も思えないのは、皮肉めいて聞こえるからだ。
敬う必要のない相手には砕けた口調で話す性分なのかもしれないが、言葉数の少なさと経験や年齢差を感じる威圧感が、報告書の実の作成者と表向きの作成者という関係性と相まって、肩身が狭く感じてしまう。
乾涸びた喉に気づかないふりをして曖昧に笑うと、ギークの口元も弧を描いた。
「それで? 隠すように片付けたのは何」
机の隅にずらしたノートへ鋭く細まった視線が刺さる。
「ええと、個人的な日記のようなものなので、ギークさんの報告書に影響はでないかと」
「見せて」
「それは……」
話し終える前に被さる彼の言葉が、命令として聞こえてくる。
詰まる回数が増える度に怪しまれると分かっていながらも、取り繕う言葉が出ない。
マルティエナの許可を必要とせずにギークの手が伸びた時、物憂げに様子を見守っていたエレノアが眦をつり上げた。
「ギークさん、個人の日記を見るのは仕事の範疇を超えています。私の女官を困らせないでください」
これまで聞いたことのない、叱責するような物言いだった。
魔法士としてではなく、王族の象徴であるピアスを受け取った者として立っていると分かる、強い意志のこもった発言。
そんなエレノアに対しても、ギークは顔色ひとつ変えずに向き直る。
「私には女官が隠したものが報告書の形式で書かれていたように見えました。見間違いかどうか確かめるのは、私の仕事のうちです」
「でしたら私が確かめます!」
ギークは見間違いではないと確信していた。
空室のなかで一番広い部屋でも二台の寝台で大半が埋まってしまう一室に大人四人が集うと、些細な動作や口振りで簡単に空気が塗り替わる。
さながら裁きの渦中だ。
ひりつく息苦しさを嘲笑うようにギークが口角を上げた。
それでもなお、マルティエナを庇うために前に出たエレノアは引かずにいてくれる。
「――エレノア様、お気遣いいただいたのに申し訳ありません。ギークさんこちらを」
その無償の信頼を与えてもらえるのほどの価値が自分にあるのだろうか。
(私は結局、今でも皆を騙し続けている大嘘吐きだ)
『マティアス・オーレン』として強く在れた仮面が剥がれた途端に弱くなった心が具現化するように、ノートを差し出した手が震えた。




