25.悲劇の語り手
出立前の司令式は王太子直々に執り行われた。
セペルハース峡谷の調査任務に当たって編成された特務隊員の名を、宮内長官が一人一人読み上げていく。
特務隊とは別枠で同行するマルティエナは、関係者でありながらも部外者のように隅に控えていた。
特務隊員ではなくエレノアの護衛騎士として同行するナザリクも一緒だ。
特務隊の編成は、魔法士団副団長ヨリアン・ノビルを特務隊長に据えて、魔法士が四名、魔導騎士が五名。国土と気象の把握や測量を担う地象局員が一名。
計十一名の特務隊にナザリクとマルティエナ、王宮使用人のミュレット、御者を兼ねた騎士見習い二名が同行する小規模な編成だ。
特務隊員の名が全て呼ばれると、ヨリアンが階段を数段登った踊り場で跪く。
「これまで幾度となく調査に難航し、引き返した地だ。君達の活躍を大いに期待している」
眠気の吹き飛ぶ眩い朝日に照らされた王太子の鼓舞で、特務隊に選ばれた者たちがより一層背筋を張った。
王太子の住まうスリフォリア翠陽宮のホールで発令式を行うことは稀だ。
王宮に仕える彼等にとって、王太子直々に任命され任務へと送り出されるのは、名誉なことに違いない。
(そういえば、サングレノス君はいないんだ……)
精鋭が集まる魔導騎士団で、期待のエースと呼ばれるアトロス・サングレノス。
遠目からでも目立つ赤髪の彼の姿はない。
(火魔法の使い手はセペルハース峡谷と相性悪そうだし、いくら成長してるとはいえ、火力特化のあの人には向かないのかも)
エレノアの幼馴染の彼について、遠巻きでしか関わりがなくともマルティエナは分かることがある。
彼はとにかく不器用なのだ。
それは魔法においても、
「エレノア、おいで」
――恋においても。
名を呼ばれたエレノアが階段を上がっていく。
王太子の前で跪いた隊長とは違って、エレノアはそのまま王太子に向かい合った。
「これを君に預けよう。いざという時に君の盾となり、我が国を守る剣となろう」
エレノアの耳に王太子の指先が触れ、離れた時には深いエメラルドの耳飾りが揺れていた。
ヴァルトセレーノ王国の王族の象徴である耳飾りが、エレノアの耳元を彩っている。
きっと彼は、その事実から目を逸さずにはいられないだろう。
「私の代わりを任せたよ」
真っさらで清々しい朝日を浴びて微笑み合う二人から、光の神ラスヴィータの加護を感じ取ることはできないだろう。
エレノアからは元々、目にする度に引き込まれる神秘的な気配を肌身に感じていた。
ともに過ごす月日が増えるにつれて慣れてきていたけれど、今日は似た空気感のある王太子と並んだからだろうか。
畏怖すら覚える神々しさに息の根が止まる。
胸に残ったのは、白に埋め尽くされた恐怖だった――
◇◇◇
セペルハース峡谷に辿り着くまでの旅路は約二週間。
馬車に揺られて着いた町の食堂で昼休憩を摂ることになり、マルティエナは円卓を囲む顔ぶれをそっと見渡す。その全員が水の入ったグラスを手に取り、立ち上がった男を見上げていた。
「急な発令にもかかわらず、皆よく整えてくれました。これより続く遠征を乗り切るには食事も大切な務めです。まずはしっかりと休息を摂り、午後に備えましょう」
特務隊長のヨリアンがグラスを掲げる。続いた食前の祝詞を復唱してグラスに口をつけると、静かだった食堂にカトラリーが皿に当たる金属音や咀嚼音が鳴り始めた。
「我々もいただきましょう」
席に腰かけて食事を始めたヨリアンを待ってからシチューを少量口に含んだマルティエナは、耳を澄ませて周囲の会話に意識を向ける。
荷物の積んだ馬車の見張りと馬の世話を任された者を除いた隊員が集まる隣の円卓では、声のトーンを抑えながらも早朝の司令式や道中の話題が持ち上がっている。
それが少々ぎこちなく感じるのは、魔法士と魔導騎士が選り抜かれた小隊だからだろうか。
顔見知りもいれば、初対面も当然いる。それぞれが距離を図るような空気を感じていた。
それはマルティエナが座るテーブルでも同様だ。
「ヨリアン副団長もお疲れさまです。急な召集でのご負担も多かったのではありませんか」
「気遣いをありがとうございます。ですがエレノアさん、ここでは隊長とお呼びください。私も貴女を基本的には一人の魔法士として扱います」
「あっ、分かりました! ありがとうございます、ヨリアン隊長」
向かい合うエレノアとヨリアンの会話を前に、地象局員と魔導騎士のギークは様子を伺いながらも食事を口に運ぶ。
ヨリアンは口元をナプキンで拭うと、軽く手を上げた。
「今更ですが、簡単に自己紹介を。隊を任されたヨリアン・ノビルです。今回の任務は少々特殊なため、副団長の私が隊長を務めます。調査ではグライムさんのお力添えが欠かせません。身の安全は我々が責任をもって守りますので、よろしくお願いします」
グライムと呼ばれたのは地象局員の男だ。
「いやいや……私にとっては汚名払拭のようなもので。これも皆さんのおかげですから、頭が上がらない思いです」
白髪混じりの煉瓦色の髪を撫で付けるように掻いて、気まずげに笑う。
目元の皺が下がった目尻を強調する、気弱な印象の官吏である。
「ああ、私のことはイシドールとお呼びください。皆さんもどうか」
「ではお言葉に甘えて。私は特務隊の副隊長になりました魔導騎士のギーク・ランスベルです。私のこともギークとお呼びください」
続いてエレノアとナザリク、最後にマルティエナも簡単に自己紹介を終えると、ヨリアンが皆の疑問を代弁するように口を開いた。
「イシドールさんは過去にセペルハース峡谷の調査員だったご経験がお有りなのですよね」
「ええ……はい。もう……かれこれ二十年も前のことですかな」
把握している内容の再確認といった問いかけにイシドールは頷く。
「私は地象局に入りたての新米で、仕事は見て覚えろと先輩の後をついて回っていた調査のひとつにセペルハース峡谷がありまして。今でも……昨日のことのように思い出します」
マルティエナはひと言も漏らさぬように集中しながら、午前の移動中に読んだ資料を思い返していた。
地象局が国土の把握のためにセペルハース峡谷を調査した最終記録もその頃。
それなりの人員を揃えて行われた調査は早々に中断され、以降は地象局がセペルハース峡谷に出向いた記録はない。
(地象局員と魔法士に多くの殉職者が出て、調査の続行が困難になったと書かれていたけど……)
指揮系統が崩れて曖昧な記述の多い報告書が上がったことで、当時の王宮には様々な憶測が飛び交っていたらしい。
その統制を担っていた地象局は叱責の的だったとか。
「イシドールさんから見た当時の状況はいかがでしたか」
ヨリアンの疑問は静かながらも、波紋を広げたように周辺の席から会話が止んでいく。
平静を装って食事の手を動かしている誰しもが聞き耳を立てている緊張感があった。
一身に注目を浴びたイシドールが額に滲む汗を拭う姿に、マルティエナまでも心拍数が上がる気がして、冷えた水を流し込む。
「お役に立てることを話せる自信はありませんが……あの時は、ちょうど土の季節の半ばでした。一年のなかで最も気候が穏やかに晴れる時期を選んで、万全を期したのです」
それは、現在と重ねて過去を語るイシドールが未来を予言するようで。
「峡谷の崖上に立ったあの日は、私も先輩方も、天候に恵まれたと思っておりました」
耳に入る言葉で、セペルハース峡谷に立つ自分の姿を想像する。
「魔法士様に足場を補強していただきながら峡谷内を降っていくにつれ、霧は濃くなります。あの峡谷は岩肌から流れる滝も多く、風も強い。会話もままならなくなりそうでしたので、一旦引き返そうとしましたら……」
昨日感じた恐怖を吐露していると言わんばかりにイシドールが言葉を詰まらせた。
追体験させられる恐怖に呑まれないようマルティエナは息を深く吸う。
意識的に空気を取り込むと、頭は少し冷静になれる。
(もしかしたら、これはイシドールさんからの警告――なのかな)
王太子直々に編成された特務隊に選ばれたことに浮足立つな、と。
殉職も心しておけ、と。
力量を認められている魔導騎士や魔法士へ直接伝えることが憚られる言葉を、彼は察してほしいのではないか。
「悲鳴や魔法が飛び交ったのです。それも一瞬の間に風と水音に掻き消えてしまい、地上に戻った時には人数が半数を下回っていました」
彼の昂った感情に反した冷静な言い回しは、想像を容易にさせる。だから、余計に聞く者の恐れを際立たせていた。
「何時待てども戻ってくる者はおらず……捜索に行った魔法士様方は、更に人数を減らして戻られて……。帰還した者の多くは、あの日の恐怖が蘇って耐えられないと王宮を離れてしまいました。此度の調査は私の悲願だったのです。亡くなった皆のためにも成功させなければ」
そうして硬い口調で締めくくられた決意は、これから先にある悲劇を迎え入れる覚悟のようにも思えた――




