22.残酷なまでに無慈悲な現実
社交シーズンの始まる土の季節に近づくにつれて、一足早く到着した貴族が王宮にもまばらに顔を出す。
比例するように王宮全体に慌ただしい空気が増していたのだが――
「ブラウ宮内官は会議が長引いてて不在だから、渡すものや伝言があれば俺が預かるよ」
業務終わりの報告で秘書局を訪れたマルティエナは、書きかけの書類から手を止めたルドの様子に違和感を覚えた。
(少し気疲れしてるような?)
表情だけを見るといつも通りの愛想の良い微笑みでも、目元が陰って見える。
ひとつの違和感に引っ掛かると、他も関連付けて気にしてしまう。
通路を曲がった先にいるはずの宮内官たちの気配がないのだ。
一日の仕事をまとめ終える頃合いの時間にもぬけの殻と呼べる静かな秘書局になるなんて、これまでなかった。
それに――
「今日は会議の予定が入っていませんでしたよね? 何かあったのですか」
上官室の扉横には王太子や上官の先々の予定が記された日程表がある。
昼に報告に来た際に確認したけれど、何も書かれていなかった。
ルドを除く宮内官が一斉に出払うほどの臨時的な会議。
妙な胸騒ぎは発した声にも表れていた。
「あー……やっぱり聞けずに帰るのも気持ち悪いよね、うん」
ルドの視線が他所へ散る。
秘書局の奥にある会議室へと意識が向いていた。会議が終わる物音がしないか動向を探る様子が、マルティエナの不安を煽る。
「地方で少し気がかりなことが起きていてね。その調査に魔法士を派遣してほしいって要請があったんだ。今はその対応を決めてる最中だから、明日には決定が降りると思うよ」
その関連で皆も出払っているんだ、と苦笑いしたルドが続けた。
大したことないように振る舞っているけれど、言葉ひとつひとつを選びながら濁している。
気になることは山とあるけれど、追求されてもルドが困るだろうことも明白で、マルティエナは頷くに留まる。
「もしブラウ宮内官から話がなければ僕に声をかけて。こっそり教えてあげる」
そんなマルティエナにルドは片目を閉じて囁いたのだった。
◇◇◇
王太子の住まうソルフォリア翠陽宮の一角にある会議室には、国王の側近である宰相を筆頭に、王宮内の各部署を率いる代表が鎮座していた。
その背後には副官や秘書官が控えている。
王太子の名において内部会議の緊急招集がかかったアスタシオンも、秘書官を引き連れて列席していた。
「以上がセペルハース峡谷での異変におけるハーストーン辺境伯からの陳述書及び調査協力の要請となります」
王太子付き宮内長官の説明に唸る息が四方から漏れる。
「近年とは比べものにならない濃霧に少雨とは……あの地は元々厄介ですのに」
隣国との国境にもなっているセペルハース峡谷の異変。
実害は出ていないながらも、王太子の緊急招集に見合う厄介ごとと誰しもが理解していた。
「小規模とはいえ、頻繁な崖崩れも捨ておけぬ。ああいう特殊な地は、土地勘のない者が行ったところで足手まといになるというのに」
「それでもハーストーン辺境伯騎士団だけでは危険と判断されたのでしょう。となると、とりわけ優秀な者を送る必要がございますね」
セペルハース峡谷は霧に阻まれて地の底を見下ろすことのできない深い谷である。
両端の絶壁には所々に細い岩棚があり、そこから斜めに木々が伸びている。それが余計に視界を遮り、下層の調査を阻むのだ。
岩肌の隙間からは滝が何本も流れていて、峡谷内を過ぎていく強風は時に暴風へと変わる。
国土と気象の測量を担っている地象局の官吏や、辺境伯が送り出した騎士と調査員が過去に何人も命を落とした地。
比較的穏やかな気候の日にそうなったのだから、今回の調査の危険性は相当なものだ。
加えて、峡谷を挟んだ両国の環境も問題だった。
ヴァルトセレーノ王国側は人が住むのに適した条件の揃っている上に、染料に適した高山植物が自生しているが、峡谷の反対側は急勾配が激しく人を寄せ付けない大自然となっている。
麓にある隣国の町では、決して人が手を加えてはならない精霊の地であると峡谷を神聖視していて、峡谷の高地に小さな町をつくったハーストーン辺境伯と、規制しないヴァルトセレーノ王国に対して反感をもつ住民が多いようだ。
(向こうの王族はその辺りの理解を示しているけれど……現地民の理解も求めるのは容易ではない)
肝心のクレメン教会は、大自然を手付かずのまま残し精霊の棲み処を守る意志を尊重した上で、人の住まう町をつくるのは姿を現さずとも存在している精霊との共生と調和であると、完全に中立の立場にいる。
「国境ということもあり、ハーストーン辺境伯は司教にも助力を頼んでいました。そちらについては教務部政務局長から報告してください」
思い思いに飛び交っていた発言が止む。
皆の注目が初老の男へと集まった。
「ハーストーン辺境伯領に駐在されている司教の御見立てによりますと、連携の取りにくい危険地帯ゆえ光属性の魔法士を主軸とした少数精鋭部隊を望まれておりまする」
妥当な線だ、と言うように隣に並ぶ魔法士団長が深く頷く。
アスタシオンにとってもそこまでは想像の範疇であった。
魔法士団と魔導騎士団の人員を頭の中で並べて、峡谷調査に適した人選や日数、王宮警備の再編成など自分に決定権があるならどうするかを考えていく。
そうした空白のひと息を据えて、教務部政務局長は声を響かせた。
「して、ふたつ。幸いにして隣国ではセペルハース峡谷付近に集落がないゆえ調査の手が及んでおらぬようですが、今後は分かりませぬ。万が一に備え、王族かそれに連なる者を推奨されておりまする」
続いて提示された要望に室内が騒つく。
(兄上はどうする気だ?)
視線だけでソルディオンを伺い見たものの、静観する微笑は崩れない。
そんなソルディオンの沈黙が、この場を支配する。
「此度の件においては本部から枢機卿を一名、現地に送られるそうです。我々としましては、教会の意向を満たす編成をお願いしたいですな。さすれば、有事には中立となられる教会が味方についてくれまする」
低い囁きが幾重にも重なる。
事が大きくなり国境問題となった時に、教会の威光が味方するか否かは形勢を大いに揺るがす。
教務部政務局長の判断は正しい。教会の要望も理に適っているし、こちらへの要望に見合う対応もしてくれている。
問題は誰を選ぶか、だ。
(光属性の魔法士だけなら候補者は数人いる。王族であれば私か兄上が無難なのだけれど)
付け加えられた"王族に連なる者"――それに該当する者がひとり増えたばかり。
(社交シーズンに被る調査への配慮と受け取っておくべきかな? 国際問題に関わるから慎重な対応になるのは分かるけれど、過度な介入はよしてほしいな)
エレノア・シュネヴィオール子爵令嬢。
教会の意向によって、王太子の婚約者であり魔法士団所属の光属性の魔法士である彼女の名は、一斉に皆の脳裏に浮かんだことだろう。
「私が行ければ良かったのだけれどね」
エレノア同様にどちらの要望にも当てはまるソルディオンが申し訳なさげに笑む。
真剣に名乗りを上げたわけではないことは明白でも、国王の最側近である宰相は眦を吊り上げた。
「土の季節は諸外国からの賓客も数多く集まります。王太子殿下には王宮にいてもらわねばなりません」
「分かっているよ。調査段階で私が出ては、魔法士団の顔を潰しかねない」
薄く笑って会議の参加者を見渡したソルディオンの眼差しに皆が一様に口を閉ざす。
誰かがトン、トンと手すりを叩く音が小さく響いた。
(流石に今回はエレノア嬢を指名することで反感を買うことを恐れている――か)
利害関係で結んだ婚姻ではないことは、口外していなくとも周知の事実だ。
幾らエレノアが稀有な魔力量を有する光属性の魔法士といえども、それだけの理由で子爵令嬢を次期王妃には選ばない。
そんな彼女を命の危険がある調査に推挙すれば、王太子の反感を買いかねない。そうした怯えが見てとれた。
(今回の件、おかしな所はないのにどうにも違和感がある。――嫌な感覚だ)
息を吸うたびに身体が重くなっていくような圧迫感。
思考も狭めてしまうような閉塞感。
それを払拭する為に「私に任せてほしい」と名乗りを上げようとして、視線の交わったソルディオンの有無を言わせぬ圧力に制される。
お前の発言は不要だよ、と音を用いずに告げる冷淡な笑みが、沈黙の続く会議室をひたすらに眺めている。
アスタシオンにはそこに隠されたソルディオンの思惑を想像するしかできない。兄の目的を害する行いは、自分の目指すところではないのだ。
長らく続いた無言の間に、態とらしい溜め息が溢れた。
「私が代表して申し上げましょう。二つの提示された条件に当てはまるシュネヴィオール子爵令嬢を峡谷に向かわせてはいかがですか。それが王太子殿下の為にもなりましょう」
「続けて」
皆の総意だと言うように挙手した宮内長総監に、ソルディオンが言葉少なに続きを促す。
微笑みの下にある威圧に屈することなく宮内長総監は口を開いた。
「シュネヴィオール子爵令嬢には光属性の魔法士としての名だたる実績がございません。王太子殿下の婚約者たるに相応しい偉業は国内外に向けて必要でしょう。此度の件は、結果次第ではそのひとつに数えられましょう」
けれど、その声には緊張が走っていた。
皆がソルディオンの言動に気を張り巡らせているなかで、アスタシオンはそうした面々を観察する。
「一理あるね」
ソルディオンの同意によって口元に笑みをつくる者。喉を鳴らす者。言葉にして同意を表す者。変わらず沈黙する者に、眉を顰める者もいる。
その変化が職務としての反応か、私情を挟んだものか。
(エレノア嬢との婚約に不満を抱いている者は多い。兄上にとってこれは踏み絵かな)
ソルディオンに従って静観を決め込んで、集う参加者を流し見る。
「まこと確かに。シュネヴィオール子爵令嬢には既に専任の護衛も秘書を任せられる女官もおられますし、有事の際にはそのまま王族の一員としての対応も任せられますな」
そんな中で何処からともなく聞こえた賛同の声に、アスタシオンはソルディオンに視線上の伺いも立てずに意を唱えた。
「私も同行いたしましょう。シュネヴィオール子爵令嬢は今の段階では婚約者であって、王族の一員に名を連ねたわけではありません。我々は光属性の魔法士と王族を分けて人選するのが妥当ではないでしょうか」
王族の一員として行動するなら側仕えは必ず同行するし、その状況や言動を記録する秘書官がつくのも当然。
けれど、国際問題に関わる状況下においては上級秘書官が選ばれるのが暗黙の了解だ。王妃においては女官の中で選任される場合もあるけれど、それは経験の積み重ねがあってのこと。
王宮に来て半年になる新人女官とは訳が違う。
ユリスやマルティエナへの信頼は関係ない。
いくら忠実に仕事をしようとも、王宮での地位が確立されていなければ、悪意ある者の手によって簡単に事実を捻じ曲げてしまえるのだ。
(他所の上級秘書官を就かせたら、仕事を任せられない者を与えられた婚約者になってしまう)
運悪く、エレノアの元にいる女官はマルティエナひとり。
ユリスと共に役目を担うなら防げる裏工作だって起こる可能性はある。
そして何より、マルティエナは大々的に魔法を扱えない。
マルティエナの魔法の才は『マティアス・オーレン』の日々の研鑽や成績評価をもってしてアスタシオンの知るところであるが、彼女自身は日常的に使う生活魔法程度で留まる、極々一般的な伯爵令嬢だ。
オーレン伯爵家の安寧の為に己を捨てて兄に成り代わった彼女の信念が、峡谷調査で身の危険が迫った際にどのような結果をもたらすのか想像もつかない。
(オーレンの調査同行を止められないのなら、せめて私が――)
いつだって助けられる場にいさせてくれと思わずにはいられない。
けれど、強く申し出たところで結果は見えている。
「アスタシオン殿下にも既に公務が組まれております。土の季節は他国からの賓客が多く、今年も例外ではありません。学院を離れて自由のきく身になった貴方を待ち侘びている貴人も大勢おられますから、私は反対です」
「教会が王族と限定せず気を利かせてくれたように、我々も流動的に決めても良いのではないですかな。なにせセペルハース峡谷は王都から距離が離れていますから」
「そうですな。往復にかかる日数に現地での対応や調査を加えると、最低でも二月は見込むべきでしょうな」
「今季の議会は一月半の予定と聞いたぞ。王太子殿下の婚約者が一度も夜会に顔を出せなくなるが」
続々と上がる反論と、そのまま進んでいく話の流れにアスタシオンは内心で苦虫を噛み締める。
「むしろ、不在によってシュネヴィオール子爵令嬢の存在を大きくするでしょう」
かつての沈黙が嘘のように飛び交う主張を宮内官総監がまとめ上げた。
「リスフォリア離宮を与えられ王宮での地位を確かなものとのとしたエレノア・シュネヴィオール子爵令嬢は、婚約者の域を超えておられます。『王族に連なる者』に相応しい証でしょう。王太子殿下がお認めになられましたら――ですが、いかがでしょう」
それは残酷なまでに望みの薄い、一縷の希望だった。
「構わないよ」
ソルディオンの即答はアスタシオンにとっては無慈悲に。誰かにとっては望んだ通りの結末として訪れる。
「ただし、隊の編成は私が決める。良いね?」
そうして、異論を唱える余地を与えずに会議は幕を閉じた――




