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apx8.碧玉破瓜の時

今回は後日談です。

マリー&マリーに出会う前

ハンネはいざとなれば、スヴェトラーナかナジェスタに保護を依頼するつもりであったが、彼女が自身よりも大事にしている女主人のイルンスールはとうとう結婚に同意してしまった。しかしながら、まだ渋々同意しただけであり心から歓迎しているわけでないことも理解していた。


五つの秘宝を持ってきたといっても、それは最低条件に過ぎずイルンスールは妹のエーヴェリーンの義理の母にはなりたくなかったし、エドヴァルドが保護者でなくなるならオイゲンの了解を得てヨハンナと共に父母からの祝福を受けたかった。


グリセルダはそんなもったいぶってばかりだから帝国で東方女性の評判が悪くなるんですよ、などとハンネに零しているが、ハンネからしてみれば当然ですと答えるしかなかった。

グリセルダは移民によって建国されたアルシア王国出身の母の薫陶を受けている為、少し考え方が違うのだ。


幼いころから主人を見守り続けたハンネにはまだ酷く主人の心が傷ついているのも知っており、社交を嫌う主人がまた面倒な立場になることでさらに傷つく事になるのではないかと恐れていた。


家に帰りたいと嘆く主人が帰りたかったのは田舎の山小屋のようだった。

以前なら寂しがり屋で体の弱い主人がそんな環境で暮らしていけるとは思わなかったが、今の主人ならそんな暮らしでも平気かもしれない。

女主人は新たな侍女のラターニャと土いじりをして新たな使用人達を驚かせている。


結局、エドヴァルドはイルンスールのバルアレス王国の戸籍としてはそのままにしてエイラシルヴァ天として帝国籍で婚姻関係を結ぶ事になり、それは人々から祝福された。

その為、エーヴェリーンの姉であり続ける事になりイルンスールも満足した。


議会に選定された候補者が皆脱落してしまっていた為、議会はエドヴァルドをかなり厚遇していたが、それもエイラシルヴァ天を擁しているという下地あってこそだった。


エイラシルヴァ天は昔から社交に出ず、帝国貴族でありながら学院でも政治学を取らず、交友関係も狭く他の大貴族との関係も薄い。

経歴を辿ると平民出身であり、美しい花に覆われるマズバーン大神殿の所有者で、かつての競技場を一般開放し、帝国有数の資産家であり、家族以外に何も財産を持たない貧しい無産市民の為に埋葬、葬式を執り行う資金を提供した事もあり平民の味方といわれている。

神喰らいの獣が出現した時、帝国祭祀界の最高権威でさえ失敗した儀式を単独で成功させこの世を救ったと絶大な支持と尊敬を集めている。

フォーンコルヌ家に貶められ自害したと報道された時は、市民達も憤り彼女を偲んでマズバーン大神殿に多くの市民が駆け付け、危険視したフォーンコルヌ家はそれらの市民を弾圧し、評判をさらに落とした。

悲劇の乙女として詩人達は大陸各地でその儚い人生を歌って競い、学者たちも世論に押されて選帝のシステム自体が限界に来たのではないかとフォーンコルヌ家を直接批判するのを避けて消極的に帝国政府を弾劾していった。


エイラシルヴァ天との婚約は新帝の立場を補強する事になり当面安定政権を望む議会もそれを後押しした。


だが、イルンスールが父と慕うオイゲンの了解を取り付けるのはエドヴァルドには難しく一度は拒否された。

そういうつもりで娘を預けたのではない、と。

だがヨハンナがこれ以上いい相手はいないと説得すると彼もついに折れた。


「それにしてもハンネさんもなかなか年取りませんね。若さの秘訣は?」

「私はお嬢様にずっとお仕えするんですから、お嬢様が若い限り私も若くないとお勤めできないじゃないですか」

イルンスールの様に若返ってはいないが、ハンネもなかなか老けない為グリセルダは不思議がっていたが、すぐに考えるのを止めた。


なかなか迎えに来ない姉の為に、イルンスールはアノエデアとアノプデアの祠を後宮の庭園に建立することにした。

建立にあたり魔術を使って働かされたのはラターニャだ。

大地母神に対して複雑な想いを抱えていた彼女だったが、兄の死は自業自得の自殺で地獄の女神も勝手に終末教徒によって祀り上げられ都合よく使おうとする人々の信仰に振り回され恨む筋では無かった。


ついでにイルンスールの弟、アルベルドの墓もラターニャは作らされた。

他の二人についてはともかくイルンスールは自分さえ来なければ、アルベルドの人生は狂わずに済んだと悲しんでいて遺体も無く、バルアレス王国でも犯罪者として除籍されてしまった彼を哀れんだ。

「貴女ちょっとお人好し過ぎるんじゃない?」

自身の主人だろうに、ラターニャの口調はかなり砕けている。

「あの子はそこまで悪い子じゃなかったよ。めぐり合わせが悪かっただけ。遺体を嬲るほど悪い趣味はしてなくてほっとしたよ」

「それはわるうございましたね!!」

ラターニャには思い当たる節があるのか、大袈裟に詫びた。

「別に当てつけでいったわけじゃないよ、ラターニャ」

イルンスールは苦笑して友人であり侍女でもある彼女を慰めた。


「そろそろお渡りがあるんじゃない?」

汚れた手を洗って私室に戻ると侍女達とラターニャはイルンスールの寝台を見て感想を漏らした。

「お渡り?」

何の事、とイルンスールは聞き返した。

「この天蓋から下ろされた分厚い布、魔術で防音もかけられているし今まで使っていた帳と違って中も透けて見えないし・・・つまりそういうことよ」

少し頬を染めてそっぽを向きながら察しなさいよというラターニャにやっぱりそうですよねえ、とグリセルダも同意した。

イルンスールが外に出ている間に寝台は改造されていた。

暗殺防止の為に無防備になる寝室に手を加えると説明を受けていたので了解していたものの、侍女達は別の感想を持ったようだ。

イルンスールは身近な侍女だけ私室に残し、他の使用人は全て退室させた。

侍女達はお茶の準備が終わり次第主人と同席して共に雑談に加わる。食事の時も同じだ。

他の貴族達のような習慣をイルンスールは嫌うが、エイラシルヴァ天として人目は多少気にするのでこういった措置を取る事で侍女達とも折り合いをつけている。

幼いころと違い、今のイルンスールには一人寂しい状態で過ごす事にはもう耐えられそうになかった。人の愛情を知ってしまったからだろうか、それとも自分の心が弱くなったのか、自問してはみたが答えはでず考えるのを止めた。

彼女にはしたいように振る舞うだけの力がある。


「この際ですからもっとおねだりしておきましょう。今なら何でも叶えてくれますよ。他に欲しいものは無いですか?」

「じゃあ、わたし旧都の裏山が欲しい。あそこに住みたい」

ハンネの問いにイルンスールはそう答え皆をぎょっとさせた。

「いきなり別居宣言!?まだ式も挙げてないのに?」

「え、なんか不味い?お父様には赤ちゃん産んであげればいいんじゃないの?」

ラターニャは額に手をやって溜息をついた。

婚約しただけで、まだ式も挙げてないのに主人は後宮に囲われてしまっている。

「そりゃ血統残して治世を安定させるのは義務みたいな所はあるけどね?その言い方止めてくれる?いい加減陛下と呼ぶなり名前で呼ぶなりなんなりしなさいよ。その・・・閨でもそう呼ぶつもりなわけ?」

えぇ~と嫌そうにイルンスールは呻いている。


「一応義理とはいえ父親だったんでしょ、抵抗ないの?いつから男として意識してたのよ」

「オイゲン父さんも父親だと思えるようになった頃に、すぐお別れする事になっちゃったし。わたしにはもともと父親なんかいなかったし、よくわからないんだよね。お父様も最初は感じ悪かったけど、段々頼りになる男性だなって思えてきて、昔は年齢より体が大分小さかったからそのままの感覚で接してたんだけど、いつの間にか体が大きくなって男女の違いを意識する前にお父様にはいろいろ教え込まれちゃってたからそういうものなのかなって」

「はぁ・・・やっぱりあの頃どんな理由があっても二人きりにすべきではありませんでした」

グリセルダは結果は歓迎しているが過程には複雑な思いがあるらしい。

ラリサの頃から何度も二人で逢瀬を重ねている事に危惧を覚えていたが、短時間であったし、王族に人払いを命じられてはどうしようもなかった。

「わたしは愛されて嬉しかったよ」

「お嬢様は人肌に接するのが好きでしたからね」

「甘えん坊」

「甘えさせてくれる人が好き」

ラターニャも世間で流れていたような恋愛叙事詩と実態はこうも違うのか、とがっかりしてしまった。若き英雄と悲劇の乙女の大恋愛という感じではない。

「だいたいラターニャはわたしが獣の封印から帰って来た後に、お父様がナツィオ湖の館に迎えにきてしばらく滞在してた時の事耳をそばだてて聞いてたんじゃないの?」

「ずっと聞き続けていられるわけないでしょ!あんな甘ったるいの!!」

「なんだ、最後まで聞かれてたのかと思ってた。結構初心だよね、ラターニャ。このままここで暮らすのはラターニャも退屈だろうし、いっそ一緒にお父様に愛して貰おうか」

「い、いい。いらない」

顔を赤らめたラターニャは必死に否定する。


「なんで?お父様の事嫌い?恨んでる?伝統ある家なんでしょ、血筋残したいとかあるんじゃないの?」

人間の、それも貴族というのはそういうものだとイルンスールは思っている。

複雑な立場にあるラターニャはこのままでは一生男性に縁が出来ないので選択肢が無い。


「別に恨んでないわ。我が家の事は自業自得だもの。家名は残らないけど、分家がいるから血統は何処かで残るんじゃないかしら。もうどうでもいいわ、そんなこと」

ラターニャもその辺りはさばさばしている。

怨恨と復讐を司るアイラクーンディアやその姉神とされていたアイラカーラと繋がりがあったにしては意外だ。

「そう・・・じゃあ嫌いだった?」

世間の女性からは結構人気があるらしいのでイルンスールには不思議に思えた。

「別に嫌いじゃないけど・・・、大体あのタイミングで囚われのお姫様を救出に来るなんて出来過ぎよね。あ、調整してたんだったしら‥・というか二人一緒にって何なのよ」

ラターニャは複雑な思いをぶつぶつと聞き取れない声で呟いている。

「姫様、今度こそ司書さんから『愛の技巧』をお借りしてきましょうか。あの頃はまだ早かったかもしれませんが、今は必要ですよね」

「い、いい。あれはいらない」

今度はイルンスールが顔を赤らめて否定する。

「あれ、どうしてですか?実はあの時ちゃんと最後まで読んじゃってました?」

「『愛の技巧』って何かしら?」

「おや、ラターニャ様も知りませんでしたか。そういえばお母様もいらっしゃいませんし、侍女さんも年下の方だけでしたっけ」

グリセルダは親切心でラターニャに内容を解説してやる。


「なんでそんな本が図書館に置いてあるのよ!?」

「さあ?」

「マヤの趣味?単に知識欲かもしれないけど」

話題は『愛の旅路』などの類似本にまで及び、ラターニャは耐えきれなくなった。


「もう!そんなことより旧都の話に戻しなさいよ!!」

話題を変えたのはラターニャじゃなかったっけ、とイルンスールは首を傾げる。

グリセルダはそつなく話題を逸らした。

「裏山というと霊峰といわれたツェーナ山ですかね。昔の大聖堂に聖堂騎士団が拠点を作っていて、どこかに魔術評議会の研究施設があるとかいう」

聖堂騎士団はまた解散させられたので問題ないが、魔術評議会は今回の争いでは中立を保ち参戦したものは破門してしまっていたので取り上げるのは難しいんじゃないかとグリセルダは控えめに告げた。


イルンスールは山の森の中に住みたかったと残念がったが、後宮も小高い位置にあり当分は地獄の釜のお祓いもあるので仕方ないと諦めたのだった。


破瓜の時・・・16歳のこと

孫綽「情人碧玉歌」から


イルンスールの実年齢はもっと上ですけどね。生まれ変わって16年くらいということで。

本来はグリセルダ視点の時に使おうかと思っていたサブタイトルの流用です。

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