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剣組の動向を他の組から聞き出す策は残念ながら失敗に終わった。しかしガガにはまだ他の手段がいくらでも残されている。そしてその中で彼が選んだ手段は。
「お前が新入りか?」
「はい! よろしくお願いします!」
大きな声で返事をしたその男は全身を作業着に身を包み指定の帽子をかぶって、ついでに顔の半分を仮面で隠していた。
「こんなとこに来る割には元気だな……」
「元気だけが取り柄ですんで!」
「ならその仮面も取ったらどうだ?」
「あ~、これはちょっと。実は火傷で酷い見た目でして、皆さんを不快にさせてしまいますから」
「ふ~ん、まあいいや。ちゃんと働くなら何でもいい。付いて来い」
「はい!」
―――あ~、このキャラしんどいな
元気よく返事をした直後、ガガは心の内でこの策を選んだことを既に後悔し始めていた。
ここはスライム工場、割と一般的に存在する工場ではあるがその中でもこれは違法な本来存在しないはずの工場だ。最近は規制が厳しくこれまでそれで荒稼ぎをしていた組も続々と手を引き始めているのだが剣組が治めるシマにはまだまだ数多く存在している。
「スライムの世話は分かるか?」
「以前に別の工場で働いたことはありますよ」
「なら大丈夫か。お前の担当はこの部屋だ」
男が鍵を開けその巨大な鉄扉を開く。その向こうに広がっているのは無数の水槽とその中で飼育されているスライムだ。ただし水槽からは今にもスライムが溢れ出しそうな、いや、幾らかは溢れ出して床で動き回っている。
「とりあえず一日のノルマがあるから最低でもそれだけは体液を採取だわかったな?」
「はい!」
「じゃ、あとはよろしく」
それだけ言い残すと男は扉を閉めてどこかへと去って行った。残されたのはガガと新たに入ってきた生物に興味を持ったのか近寄って来るスライム。彼は無表情にその半分液体の化け物へナイフを投げる。それは寸分たがわず狙い通りに核を貫き、そのスライムは地面へ粘土の高い液体がそうなるように溶けだして行ったかと思うとそのまま消えて行った。
「予想以上に悪い環境だな」
スライム工場はじめじめした洞窟などに潜むスライムを捕獲、飼育する事で家畜化しその体液を集める工場である。スライムの体液は様々な用途に使えるものであり、例えば普段ガガが着ているマントはその体液に漬ける事で耐久性を上げつつ耐火性能を得ているし、合金を作る際に混ぜ合わせるとどういうわけかより強固な金属を作り上げる事が多々あったり、時には料理に使われるような事もあったり薬の原料としても知られるのだ。
何に使うかは人次第だが様々な使い道のあるスライムの体液は需要も多い。工場での生産が始まった際は人々の間で一気に広まり、スライム工場の出資者の中にはほんの数か月で一生に使い切れない程の大金を稼いだものもいるとか。
が、近年はその危険性ゆえに非常に厳しい規制を設けられており法に則って経営を行うなら大きく稼ぐのは難しい。
しかしここは違法の工場だ。剣組にとってスライム工場は大きな資金源でありそれを失うのはあまりに痛い。まさか規制など守るはずも無いだろう。
「でかいな……」
ガガが立っているのはスライムの飼育されている水槽、手を伸ばしても縁に手が届きそうにない巨大な水槽の前。それらはこの部屋の中に五つほど並んでおり正に圧巻といった景色だ。規制には様々な種類があるがその一つが水槽に対するスライムの体積の制限である。具体的に言えばおおよそ三分の一を越えた時点で違法となるのだが、ここではそんなのはまるで無視して今にも溢れそうになるまで放置している。
頭上から雨漏りのようにスライムの体液がぴちょん、ぴちょん、と落ちるのを見ていると思わず寒気がして思わず彼は一歩後ずさった。
「とりあえずこんなつまらん仕事をさっさと終わらせるか」
当然であるがガガがここへ来たのは金に困ってという事ではない。目的はあくまで剣組が今何をしようとしているのかを見極める事だ。長く剣組にいる者ならばガガの顔を知っていても不思議はないが、そもそもガガは剣組のほとんどのメンバーと面識がない。ましてやこんな誰でも出来るような工場の見張りなどを任されている連中に関しては猶更だ。故にここで話を聞く分には自身の噂がザンキまで辿り着くことはないと踏んでの事である。
スライムの体液採取は素材屋を営むガガからすれば朝飯前だ。核の周囲にある粘性のある液体を身体の主成分とする彼らは餌を体内に取り込み消化する事でその体積を増していく。工場では大量の餌を彼らに放り込み過剰に成長させる。そうすると一つの核から大量の粘液が生まれるわけだが核から離れれば離れる程にそれは本体から分離させるのが容易になるのだ。それを上手く採取して急ぎ密封し各所へ届けるのがこの工場の役目である。
正規の工場ではスライムの体積に規制がある為に非常に効率が悪いが、違法なこの工場ではそんなものは無視して人々を危険に晒すほどに肥大化させることで高効率を実現する事が可能だ。一歩間違えればスライムの海に人が溺れかねない事など剣組の人間が気にするはずも無い。
そんな場所でガガは水槽から溢れそうなスライムを見て思う。
―――これだとまだ効率が悪いな。
水槽すれすれ、若干零れる程に大きくなったスライムだがガガに言わせればその程度ではまだ生温い。特にノルマの量を考えれば必死にそこから体液を掬ったところで朝から日が暮れるまで働くことになるだろう。
「餌の予備がまだあるはず」
本気で効率よくやるならばこの程度では生温い、ガガは予備の餌を発見するとそれを全て一つの水槽にぶち込んだ。
じゅ、じゅじゅるじゅ。
奇妙な音と共にそれらは消化されて行き時間と共にスライムは水槽に収まり切らない程に巨大化していく。そしてそれは水槽を抜け出すに留まらない、他の水槽にいるスライムの体液を吸収し更に巨大化していく。
「中々でかいな」
それは自然界には存在しないようなサイズの養殖スライムだ、その危険性を知る者からすれば叫び声を上げて逃げ出してもおかしくない相手なのだが、冷静に対処すればそれほど恐れるべき相手ではない。
スライムは核とそれを包む粘性の体液で構築されている、そして核とは心臓であり脳だ。それを破壊してしまえばスライムは死を迎え巨大な意思によって動いていた体液はすぐさま重力に従って落下しやがて消えるだろう。しかし今回の目的は体液採取、殺して消えてしまっては意味がない。故に素材屋の面々はスライムの体液を採取する為により効率の良いやり方は無いか常に模索しているのだ。その技は個々人で秘伝のものが多いのだがガガの場合は。
「すぅ~」
彼は息を大きく吸うと、巨大なスライムの海に飛び込んだ。彼らの消化能力は然程強くはないようで人間を消化するよりも溺死させる方が早いぐらいだ。故に余程不意を打たれない限りはスライムに包まれた所で核を破壊する事で脱出できる。しかしこれ程巨大な相手ではその海を泳ぐのにもコツはいるのでやはり自分から飛び込むのはお勧めできないが。
さて、そんな話をしている内にガガはあっという間にスライムの核に辿り着く。そして彼は隠し持っていたナイフを手に持った。核は心臓であり脳でもあるとは言った、言ったが、全く同じというわけではない。ガガは冷静にその核を掴むとナイフを少しずつ押し込んでいく。その結果は明らかだ、先程まで部屋の中を暴れ回っていたそれはナイフが核の表面を撫でた瞬間に弾けるように大きくのたうち、その刃が一ミリずつ入り込んでいく毎にその力が段々と弱まって行く。
そしてとうとう、核の周囲に体液を維持する事すら出来なくなったのか重力に従ってそれらが地面へと落ちて行く。ぼとぼと、びたびた、と音を立てて落ちて行くのだ。
「すぅ~、はぁ~。……疲れたな」
いつの間にかスライムの海から顔を出したガガは核に刺していたナイフを抜き去るとさっきまでそれが入っていた水槽の上に飛び乗り、核を水槽の内へ戻す。スライムの核は完全に破壊されてしまえばそれは不可逆であるが、表面に傷が入った程度であればいずれ自然治癒されるのだ。あとは体液の一部を戻して三日もすれば元通りに回復している事だろう。ガガは地面を覆っているスライムの体液を見つめて溜息をつく。
「集めるのが面倒だな」
結局体液集めにそれなりの時間が掛かってしまったが幸いなことにまだまだ就業時間内。要するに部屋を出ればそこら中に剣組の息のかかった者がいるというわけだ。
そういうわけでガガはこっそり持ち込んでいた着替えで変装すると外にいた見張りの目を盗んで部屋を出る。ここからは情報収集の時間だ。
変装を施し堂々と歩くガガは工場の中を探索している。当然擦れ違う者がいれば彼の方に視線を向けるのだが胸を張ってなんなら少し偉そうにしながら歩く彼を見てまさかここで働いている労働者だとは思いもしない。まあ彼がここで働くのは今日だけになりそうだが。
工場内部は大きく分けてスライムの飼育場、体液の加工場、それと事務作業に使われる部屋の三種類に分けられるらしい。飼育場と加工場にいるのはここで働かされている者達ばかりで話を聞いたところで何ら成果があるとは思えない。外に行けば工場街の中に他の建物もあるだろうがわざわざ内部に潜入しておいてそんな事をする理由は無い、ガガが向かったのは事務所の方だった。
バンッ。
大きな音を立ててスライド式のドアが開かれる。中にいた者達は一斉にドアの方を、そこに立っているガガの姿を見た。そして彼らは口々に近くの者に尋ねる。
「あれ、誰だ?」
それも当然の事だろう。ここにいる面々は誰もガガの事など知りはしない。今は変装の為に顔の半分をいつもの仮面ではなく包帯で隠しているのもあって素材屋の噂を聞いたことがある者ですら思い至らないのだ。
さて、こんな場所にそんな不審な人物が現れたらどうするか、一般的な工場であれば話を聞いて無関係な人物と分かれば穏当に追い返すだろう。場合によっては公権力の力を頼るのも悪くない。組に押され気味とはいえ彼らも全く力が無いわけではない。不審者が工場に押し入ったとなれば話を聞きにぐらいは来るだろう。
だがここは違法工場、公権力に頼るなどあり得ない。そうであれば暴力で話を聞くのが手っ取り早い所だ。彼らの座る机には不思議と武器になるものが備え付けられておりまるで何者かの襲撃でも警戒しているかのようではないか。
もう一秒もすれば武器に手を伸ばす、その時に。
「ここの責任者はどこだ?」
ガガがどすの利いた声を響かせる。責任者はどこだ、その問いに思わず皆が奥に座る如何にも陰険そうな捻くれた表情の男を見た。彼は仕方ないと言った風にゆっくりと、心底面倒そうに立ち上がる。
「まあ、私が、ここの責任者ですがね。あなたは一体誰ですか? 私はここに誰かが訪ねて来るという話は聞いてませんが」
ガンッ、バタバリィンッ!
ガガの手によってドアがぶっ叩かれるとその勢いでレールから外れ地面に倒れる。勢いのままにガラスが割れて大きな音と共に破片が飛び散った。予想外の行動に誰もが息を呑み思考が止まる。その瞬間、
「じゃかあしいわ、このくそボケが!」
周囲を威圧する声と共にガガが前に出る。強く、強く足音を鳴らして周囲を委縮させ、思わず後ずさる責任者の男を壁際まで追い詰めてその襟首を掴んだ。
「わしがここに来たんがどういうことかまだ分かっとらんようじゃのぉ、ああ?」
「え、ぃえ、その……」
「頭があがりが少ない言うとんのじゃ、分かっとんのか?」
「ひっ、あ、あ、ざ、ザンキ様の……、遣いの方で」
「分かっとんのか聞いとんのじゃ!」
こうなってしまえばもはや相手はこの異様な雰囲気に飲まれるばかりだ。そしてこれはザンキならばこういう事もやりかねない、そう思われている事の証左でもある。目の前の相手を睨み付けながらガガは言う。
「どうやらお前とはじっくり話をせんといかんみたいじゃのぉ」
今にも泡を吹いて気絶しそうな男を連れてガガは外に出る。工場内部の見取り図は既にガガの頭の中だ、人があまり来なさそうな場所へと向かいその男の胸倉を掴んで恫喝する。
「おい!」
「は、はい!」
「分かっとんのか?」
ここの責任者の男は当初纏っていた陰険で捻くれた印象はどこへやら、今や強者に怯え冷や汗を垂らす。目の前の男が剣組の、ひいてはザンキの遣いであると信じ込んでいるのだ。もし機嫌を損ねるようなことがあれば、そう、例えばスライムの海で溺死させられるなんてこともあるかもしれない。
男はそれだけは絶対に避けたかった。
「あ、あの、どうか、何でもしますので、穏便に、穏便にお願いします」
ガガは怯えた瞳で自分の事を見る男を見て急速に心が冷めて行くのを感じていた。何ともまあ、つまらない事をしているものだ、と。
彼が手を放すと責任者の男は地面に崩れ落ち、それでもどうにか上体だけは起こした上体で媚びるような笑みを浮かべている。
―――きっとザンキにも同じような表情を見せて気に入られたのだろうな。
「頭が何をしようとしとるか、言ってみい」
「か、頭、ってのはつまり、ザンキ様ですよね」
「言わんでも分かるじゃろ」
「あ、あの、ですがその。ザンキ様は私のような下っ端にはそこまではお話になる事はないもので……」
その言葉にガガは思わず肩を落とす。わざわざこんな大立ち回りをしておいて何らの成果も得られないとはそういう気になるのも仕方ない事だが。しかし直接聞くことは出来ずとも話はどこからか漏れ出て来るものだ。
「ああ、そうじゃったか。しかし噂ぐらいは聞いとるんじゃないか? 言うてみいや」
そう促すと男は冷や汗を垂らしながら呟く。
「そ、それはまあ、そうですが……」
そこで口を止めたのは決して噂を聞いたことが無いからではない。ただそれを口に出すのが恐ろしかっただけだろう。しかしそれを口に出すよりも目の前の男の方が余程恐ろしく危険であることは百も承知。男はゆっくりと口を開く。
「戦争を起こそうとしてるとか……」
戦争。ザンキに対して流れるその噂の事をそう表現するのは流石に大袈裟が過ぎると言う者もいるだろうか。しかし多くの者がきっとその表現を正しいと評するはずだ。
彼が聞いた噂、それはザンキが剣組を率いて他の組を滅ぼしこの町の頂点に立とうとしているということだった。その規模は世界的に見れば大したものにはならないかもしれない。しかしこの町に住まう者にとっては剣組はこの町を正に戦争の舞台にしようとしていると考えて差し支えないだろう。
「……分かってるじゃないか」
ガガはそれを聞いて納得するような気持ちもあった。つまり。
―――ザンキならいずれそうするとは思っていたが、とうとうか。
という事だ。共に長くを過ごした相手だからこそ彼が何を望んでいるのかは理解しているようで、ザンキがいずれ他の組を潰そうとすることはガガにとって分かり切っていた事だった。本音を言えばそれまでには剣組が潰されるだろうと思っていたのも事実だが、結果的にザンキは自らの力で組を大きくし町の支配者の一角と呼ばれるまでになったのだ。
それを知ってみれば様々な点が一つの線で結ばれる思いだ。剣組の締め付けが厳しくなったのは純粋に資金を集める為、スライム工場のノルマが増えたのは体液を使って加工したい物が山ほどあるからだろう、そしてホーンビートルの素材は優秀な武器や防具に加工することが出来る。これから戦争を起こそうとしているのであればそれらは全てその準備の為に行っている事が明らかではないか。
「んなら、やるべき事は分かっとんなぁ?」
「は、はい!」
「なら行け、頭を失望させるなよ?」
こうして責任者の男から話を聞き出すとガガは溜息と共に堂々と道の真ん中へ、そしてただしく走り回る工員たちを尻目に彼は工場の外へと向かうのだ。
―――工場の労働者には悪い事をしたかもしれない。
そんなほんの少しの罪悪感を抱きつつ外から見上げた工場は想像していたよりもずっと大きく見えていた。ここへ入る時にも同じ物を見たはずなのになぜだか今初めてそれを見たような気にすらなっている。たった一人の手では変えようもない巨大な力、彼はその一端をこの工場に見ているのかもしれない。




