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双眼鏡を下ろしたガガは大きな溜息をつく。
「首狩り蜂にサンバード、それに見間違いじゃ無けりゃユメミ蝶までいたな……」
幸運なことに三人組が勝手にプレートザウルスに突っかかってくれたおかげでその背にある生態系の一部を確認する事が出来たのだ。そしてそこにある生態系は非常に面倒であるという事実が発覚してしまった。
空を飛べる魔獣が少なくとも三体、そしてどれも厄介な相手だ。数で相手を包囲し首を狩るスラッシュビー、強力な炎で敵を焼き尽くすサンバード、そして幻覚効果のある鱗粉を撒くユメミ蝶。
プレートザウルスの角を手に入れる為にはどうにかして頭の上に乗ってからそれを切り取る事になるのだが、空を飛べる警備員が大量にいるとなるとその難易度は凄まじく上がる事だろう。
「どうするかね」
本体のプレートザウルスとは戦う必要がなくどうにかして頭の上に乗る事さえ出来れば角を切るのも許す、とまでは言わないが気付かない事が多い。定説によればあれは皮膚の一部が硬質化したものらしく切ったところで痛みは無いとされる。事実、以前にガガがプレートザウルスの角を採取した際も切断自体に痛みを感じている様子は無かった。
そしてガガは以前の経験から知っている。あの巨大な魔獣は人間が近付いた所で人が蟻の接近に気付かぬのと同じで普通は気付きもしないのだと。
「前と同じようにこっそり近付いて頭に上って切るって手もあるにはあるが……」
そう、以前の経験があるのなら同じ手を使えばいい。しかし彼がそれに二の足を踏んでしまうのは。
「単なるでかい鳥に比べて明らかに厄介な敵が住んでるのはまずいよなぁ……」
以前に同じ素材の採取に行った際、そのプレートザウルスの背に住んでいた中で飛ぶことが出来るのはただのでかい鳥の異名を持つプテラ―ドのみ。滑空から足で掴まれてしまえばそのまま高所から落とされて落下死させられる可能性があり危険ではある。が、対策も容易でいざとなれば自決すれば問題ない相手ではあった。
しかし対策の為に用意した近寄れなくする為の網は幾度となく破壊され角の切断を行うまでに死んだ回数が両の指を軽く越えた結果、経費を差し引いた報酬は雀の涙であった。彼にとって忘れられぬ虚しい過去だ。
では今回、大量にしかも素早く接近してくる首狩り蜂と炎を吐いて来るサンバード、対策をこの二種に絞ったとしてもその為にかかる費用は想像もしたくないものだった。寧ろ高い金を払った結果それらが全て失敗に終わりただ大損して終わりという可能性もある。
「うん、無理だな」
要するに今、ガガは別の手段を模索する必要に駆られているのだ。
以前の成功体験が今回は全く通用しない、そうなってしまった時にこそ人の真価が問われるのだろう。その点で言えばガガは十分に価値ある人間という事になるだろう。
「……この川を下った先にホーンビートルの巣があったな」
ホーンビートル、全身が強力な甲殻で覆われている巨大な昆虫だ。非常に獰猛で縄張りに入って来た生物を見かけるとその角を掲げて宙を飛んで突進を仕掛けるという。
「うむ、そっちの線で行くか」
そうと決まれば、だ。ガガはその場を離れ崖を下りられる場所へ向かう。目的地はホーンビートルの巣。
策は簡単だ、ホーンビートル達とプレートザウルスの背に住む魔獣を争わせて安全になったところで角を頂きに行く。背中に作られた生態系が危険だと言うならそれらを全て破壊してやるのだ。
その為に必要なのはホーンビートルの数と質だ。以前に調べた時には正直近寄るのも躊躇われるような数の視線を感じてそそくさと逃げ出したわけだが果たして今回はどうなることか。
ガガにとって都合の良い事にプレートザウルスは川辺で動きを止めてしばらく休むようだ。或いは先の一件で背中が騒がしくてそれが落ち着くまでゆっくりするつもりなのだろう。
その隙に彼は崖を下り巨大な魔獣を大きく迂回して川の先へと進む。ホーンビートルは水辺に自生する木々の蜜を主食にしているようで川沿いに縄張りを作る事が多い。今回もその例に漏れず、ガガは川を下る内に周囲の植生が変化している事に気付いていた。
「この辺からは危ないな……」
周囲に例の木々が混じり始めたのを見てガガは一度足を止める。ここから先はどこにホーンビートルが居てもおかしくはない。数が集まっているのは中心部だろうが弱くて巣からあぶれたような個体がこの辺りをうろついて居てもおかしく無いのだ。実際、彼がホーンビートルの素材を頼まれることがあればそういった個体を狙って採取する事だろう。
しかし。
「……妙に静かだ」
ガガはその場に奇妙な静けさを感じていた。ホーンビートルの巣の周囲に他の生き物がいないことは珍しい事ではない。何せ近付けば鋼鉄のような硬さの角で突進を喰らうのだ、誰が好き好んで近付くというのか。
しかし何事にも例外は存在する。例えば人と同程度のサイズの巨大さを持つかの魔獣が木に登り蜜を吸う蟻にまで攻撃を仕掛けるかという話である。その他にも本来なら気付かぬ内に踏み潰されそうなサイズの虫たちはそこら中にいるはずで、その鳴き声がこの辺りでもするはずである。
しかしガガはその場で静けさを感じている。これはつまり。
―――近くで何かあったのか?
彼はすぐさま近くの木の陰に身を隠す。そして地面を調べた。そこにあるのは木々の枝葉が
腐り出来上がった栄養豊富な腐葉土で、その表面に彼はある物を見つける。
―――死にかけた虫?
それを見た瞬間にこの静けさの原因に彼は気付く。この場で虫たちが鳴いていない理由は簡単で、それらが全て死、或いは死にかけて鳴く程の力も残っていないからだ。彼はそれに気付くと念の為に顔の半分を隠していたマスクを口元まで覆う物へと付け替える。彼の顔で見えているのは片目だけとなったが今ここにはそんなことを気にする者など一人もいない。
一方で彼が気にするのはここで何が起こっているのかだけだ。
―――毒ガスか。このやり口は同業者か、或いは……
ホーンビートルに効くような毒を撒くのは人間にも危険だ。しかし彼らの動きを制限する程度ならば多少弱い毒でも問題ない。ガガは自身の身体に影響が無いのを見て然程強くない毒であると勘付いていた。それはつまり目的は討伐ではなく素材の採取であると目されるという事だ。
面倒の予感に溜息をつきつつも彼は耳を澄ませる。しばらくは何の音も拾えずにいたがやがて遠くから地面を砕くような大きな音が聞こえた。
―――とりあえず、確認に行くか。
その先に待つのがろくな事態ではないのは想像がついていたがここまで来て黙って引き下がるのも癪である。彼は慎重に身を隠しながら音の鳴った方へと向かって行くのだった。
ガガが足を進めると徐々に様々な音が聞こえ始める。金属音、人の声、破砕音、虫の羽ばたき、これは。
―――戦闘中か。
何者かがホーンビートルと交戦している。ガガはそれを確信し警戒をより密にする。それは戦闘に巻き込まれて余計な被害に遭わない為であり、もう一つ理由がある。そして今回は特に後者の方が重要であったようだ。
木々の隙間からその姿が見えた。甲殻に身を包んだ巨大な昆虫を相手に一歩も退かず、手に持った大剣を振り下ろす男の姿。その大剣は普通なら弾かれるであろうホーンビートルの角を見事に切り落とし、その事態に戦意を喪失したその個体は思わず身を翻し逃げ出す。
その男の風貌はかなり特徴的だ。とにかくまずでかい、身長は二メートルはあろうかという巨体で筋肉質なその肉体は近付くだけで相当な威圧感を与えるだろう。更にその顔付きは非常に強面で無数の傷跡を有し、目は細く常に周囲を睨んでいるようにも感じる。
彼の名をガガは知っている。
―――何でザンキがこんなところに?
男の名はザンキ、町で幅を利かせているヤクザの一つ、剣組を率いる頭だ。そしてよくよく見ればその後ろには彼が率いる部下が数人いるのが見える。彼らはホーンビートルの角を大事に抱えているようだ。
―――剣組がホーンビートルの角を集めているのか?
ホーンビートルの角は素材としての価値が非常に高い。元の甲殻が持つ硬さに加えて尖っている形が丁度良いようで様々な武器などの加工される。例えば槍の先端部になったり短剣に加工されたりしているようだ。中々良い値段で売れるので素材屋のガガとしてはあれを集めるのは理解できる範疇ではある。
しかしどうしても剣組がわざわざそんなことを行っているという点には疑問を抱かずにはいられない。
組にも色々あるのだが剣組は質の悪いヤクザのような連中だ、言うまでも無くろくな連中ではない。その始まりこそ町であぶれた連中を集めただけであったが、無闇な力を持ちその力で人々を従えるようになった時から正道を外れた存在なのである。
故に彼らの扱う儲け話とは基本的に非合法なものであったり、合法であっても何かしらの切っ掛けで非合法になりかねないものである事が多い。
スライム工場も今思えば正にそういう事だったのだろう。
そんな彼らがわざわざ魔獣の素材を自ら取りに行き儲けを得ようとするだろうか? ガガは即座にそんな事はあり得ないと否定する。もしもそうしたいのなら借金でもしている人間を捕にまえて無理矢理にやらせるまでだろう。
しかしそうなると、要するにこの狩りは見てはいけないものだ。本来なら剣組は何らかの理由で誰にも知られる事無くホーンビートルの角を溜め込もうとしていたわけである。何かしら当てか伝手があってそれを高く売る算段が出来ているのか、はたまた別の目的か。
しかしそれを見た者が存在すると知れば、間違いなく捕らえて幽閉でもしておくべきだろう。少なくとも秘密保持の観点から話をするならそれが確実なのだから。
そういうわけでガガは見なかったことにしてこの場を去る事に決める。だがそれはあくまでガガがそう決めただけの事だ。
「……誰かいるな?」
その声は然程大きなものではなかった。しかし戦闘が終わり周囲に静けさが訪れたほんの一瞬を狙い済ましたかのように口にされたせいか離れた場所にいたガガにもその言葉が届く。彼は木の陰で微動だにせずそのまま隠れ潜むつもりのようだが声の主であるザンキはガガが裏にいる木から片時も視線を外そうとしない。
―――これは、駄目だな。
これ以上は心証を悪くするだけだろうと判断したガガは姿を顕わにしそのままザンキたちの方へと歩いて行く。そして互いの姿が十分に見え声も届く位置まで近付くとその場で立ち止まった。
「兄貴、俺達がやっちまいましょうか?」
ザンキの部下は武器を手にガガを睨み今にも襲い掛からんばかりの雰囲気だ。しかしザンキは彼らに何も言わない。ただガガをじっと見つめるだけだ。
「兄貴?」
それを不自然に思ったのか部下の一人が改めてザンキに声を掛ける。剣組は暴力で成り上がった組織だ、たかが一人相手に舐められるような事があってはならない。当然ここは自分たちをけしかける、それが剣組のはずだ。それが部下の考えだったのだが、彼らの後ろ盾となってくれる兄貴が今日は黙り込んでいる。そうなるともう、それは、何もするなと言われているようなものだ。
「おうおうおう、何だか知らねえが何もんだてめえ?」
「俺らが誰か知ってっか~?」
しかしどこにでも察しの悪い者というのはいるものだ。最近剣組に入ったばかりの新入りや部下が出来て気の大きくなった者達が前へ歩み出す。それを見てガガは大きく溜息をつくばかりだ。
「一応確認だが、こいつらに何かあったからって文句付けたりしないよな?」
「あ? 何言ってんだてめえ!?」
「舐めてんのかこら!」
ガガは吼える能無しの二人などまるで見ていない、ただザンキの目を見つめる。
「好きにしろ」
そしてザンキもその二人が部下である事などどうでも良いというかのようにそう言った。その時にはようやく前に出た二人も自分たちのボスと目の前の男に何か繋がりがあるのかも知れないと僅かばかりに察したがもう遅い。
「ぶっ殺してやる!」
「吠え面かきやがれ!」
構えた武器はただ人を殴るためだけに存在するようなこん棒だ、当たれば当然ただでは済まないのだが当たらないのなら単なる素振りだ。ガガは当然のように二人の連撃を避けると擦れ違いざま隠し持っていた鋭い刃で首の動脈を切り裂く。
「なぁ……?」
「うぁ……」
倒れ込みながら二人は首を手で抑えたが噴き出す血を止める事は出来ない。そして段々とその手の力も弱まり地面を血が赤く染めて行く。最初はまだ威勢の良かった罵倒が段々と力も無くなって行き、そして、傷口を抑えていた手が地面に落ちる。
ガガは二人の姿が背景に溶けて消えるのを見送ると再びザンキの方へ向き直った。
「久しぶりだな」
「ああ、そうだな。俺はお前の事を避けているつもりはないがな」
ザンキの言葉にはある種の親しみをも感じられた。傍に控えていた事情を知らない者達でさえ二人の間には何らかの深い関係があったことを察する程度に。
「……俺だってお前を避けているわけじゃないが」
「そうか? なら町に来た時ぐらいは顔を出しても良いと思うがな」
そう言われて返す言葉も無いのかガガは咳払いをして話を変えるよう促す。
「ふん、まあいいが」
少しばかり不満そうではあったがザンキはその提案に乗り本題へと移ることにした。
「俺達は見ての通りホーンビートルを狩ってたわけだが、お前は何をしてるんだ?」
「あ~、俺は素材屋として、依頼人の守秘義務ってやつが」
「ここは俺達の狩場だ。邪魔をする気ならお前でも……」
この話し合いの中でザンキが初めてガガに対して明確な敵意をぶつける。どうやら本気らしいと感じたガガは誤魔化すのを諦めて自身の目的を話す事にした。
「ホーンビートルには興味無いしお前の邪魔をするつもりもない」
「ならなぜここに?」
「プレートザウルスが近くにいるのは知ってるか?」
「ああ、おそらく半日後にはここまで来るだろうな」
「俺の目的はそっちだ。あれの素材を欲しいってやつがいたんで取りに来たんだが背中に住んでるのが予想外に面倒な奴らでホーンビートルをぶつけてやろうかと思ってたわけだ」
「……本当だろうな?」
「お前らが何してるかなんて知らねえよ」
ガガの真意を測ろうとしているかのようにザンキはただ黙ってその目を見つめている。肩に担いだ大剣は目の前にいる者を敵と見做したならすぐさま脳天目掛けて振り下ろされることだろう。ガガはそれを良く知っている。
しかし今日、その大剣はゆっくり地面へと下ろされるに留まった。
「お前の言う事だ。信じよう」
「そりゃどうも」
「だがプレートザウルスの件は他を当たれ。ここのホーンビートルは俺の獲物だ」
「そうらしい。殺虫剤撒いたんだろ? どのみちそれじゃ上手く誘導できそうにない。中途半端な戦力じゃあれの相手は出来ないからな。今日の所はこのまま回れ右させてもらうさ」
ガガは当てが外れた事に溜息をついてそのままこの場を去ろうとした。剣組の連中といつまでも一緒にいても仕方ない、そういう思いもあったのだ。
しかし。
「待て」
ザンキがガガを呼び止める。本来ならばそんなものは無視して去ってしまっても良い、少なくともガガはそうしたところで気にするような繊細な性格の持ち主ではない。
それでも彼は足を進める事が出来ず振り返る。
「まだ何か?」
「うちに来い。お前の居場所ならいつだって空けてやる」
その言葉にざわついたのはザンキの周囲にいる手下達だ。それはボス自らが誰かを勧誘するというあまりに珍しい場面を見たからかもだろう。自然、その問いの答えに、つまりはガガに注目が集まる。
「……その問いの答えは聞かずとも分かるだろ」
「お前なら幹部待遇、いや、それ以上の立場にしても構わないと言ってもか? 俺達の事は聞いてるだろ。あの町の中で剣組は有数の力を持っている。お前が仲間になれば今以上に剣組は強くなる、町を支配することだって出来る」
ザンキは自らの力で成し得ない事など存在しない、そう信じているかのような野心に満ちた瞳をしていた。握り締めた拳で秩序を破壊し、その顔は人々にとって恐怖の象徴として心に刻まれる。欲望のままに突き進んだ先にあるのは彼が治めるのではなく彼の為に存在する国家だ。
そんな国をガガは。
「悪いが俺の答えは変わらない」
あまりにつまらない場所だと切って捨てたのだ。
本来ならプレートザウルスの観察をしばらく続けて依頼を達成する為に何かしらの策を考えるべきだったのだろう。しかしガガはそうした気分になる事が出来ず、ザンキと別れるとその足で帰路に就くのだった。
ガガとザンキの関係性を一言で言い表すなら昔の仲間と言えるだろう。両親を失い孤独だった彼らは偶然での出会いを果たし町の表から裏までを駆け回った。
しかし今の彼らにはその頃の面影はない。成長と共にお互いに色々と考えが変わって行きどこか合わなくなっていった。心の内の肝心な何かが噛み合わなくなっていったのだ。結果、剣組を立ち上げたザンキの元からガガは離れて一人素材屋を営み始める事となった。
それからというものガガは誰かと深い関係を築くことにうんざりしたかのように森の奥で暮らし、町に行くのも最小限に留めるようにしている。
「ザンキのやつ、またつまらない事始めたらしいな……」
口癖のようにつまらないと言ってどこか斜に構えた態度で、一人。
途中食糧を採取するのも忘れ家へと辿り着くとガガは再び出掛ける準備を始めていた。と言っても今度は森の奥に探索に行くような格好ではない。最低限の荷物だけを持ち外へ、そしてその足が向いているのはプレートザウルスのいる方角とは逆方向。つまり、町の方角だ。
「剣組は……、あいつは、何をしようとしてるんだ?」
その疑問の答えを求めるように歩き出す。しかし足取りは不確かでふらりふらりとあちらこちらへてんでんばらばら、それはまるで彼の心の迷いをそのままに映し出しているかのようでもあった。




