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あまりにも、それはあまりにもか細い可能性に賭けた策だった。聞いていて馬鹿らしくなる程に、もしも友人がそんな事を考えていたならば意味が無いからやめろと言ってしまったかもしれないほどに。
しかしガガは目の前でまるで諦めるという事を知らないように瞳の中で決意を燃やす灯夜の姿を見て、それらの一切の言葉が出て来なかった。
代わりに一言、尋ねる。
「策が失敗に終わって、今、どうだ?」
「まだ私は終わってない」
―――だろうな。
その答えは彼の想定通りだった。その事が無性に彼を苛立たせる。
「策の一つが失敗したからってそれで終わりじゃない。さっきも言った通り、私はあなたが逃げるのを認めない。剣組を、ザンキを止められるのは、あなただと思うから」
それはガガを信用しているという事では無いだろう。強いて言えば灯夜は賭けたのだ、彼女が持つ数少ない残りの種銭をガガに。
ならば追い縋ってでも彼を捕まえザンキとぶつける。彼女にはそうするだけの理由がある。しかしその心意気は、ガガにとって疎ましいものになるだろう。
「俺がザンキと争う理由はない」
もし本気でザンキと争うつもりならばそもそも剣組を作る前にそれを終わらせていただろう。そうはせず基礎を共に作り上げてただ離れた、そういう選択を取った時点で彼にとってその選択肢は消えたのだ。
少なくとも彼はそう信じ切っている。
「だからうおぁっ!?」
そう思ってガガは何か言葉を繋げようとしたのだが、それは無理矢理に遮られた。そう、灯夜の不意を打った全力のビンタによって。
「あ、危な……、何のつもりだ!」
まあ避けたのだが。
しかし危険な一撃だったことには変わりない。死にはしないだろうし死んだところでではあるが痛いものは痛い。誰が好き好んで全力のビンタを喰らいたいと思うのか。故に当然、ガガは灯夜を睨み付けるが。
「黙れ!」
その目に映ったのは彼以上に激昂する灯夜の姿。
「お前に生きてる資格なんか無い!」
そして飛んで来るめちゃくちゃな言い分だ。それはもうあまりにあんまりでガガは思わず頭を抱え込み冷静に反論を試みる。
「生きてる資格とはな。随分な言い様だが」
「うるさい黙れ!」
が、行われる言論封殺、あまりの事に両手を広げやれやれと呟く事しか出来そうもない。しかしながらまだまだ彼女はガガに文句をぶつけ足りないようで、しかもそれを言葉よりも暴力に頼って示そうと拳を握り前に出る。経過を黙って見ていた千里でさえこれは流石にと立ち上がり、背後から彼女を羽交い絞めにして動きを止める。
「放して!」
「流石にやり過ぎよ。見てる分には楽しいけれどここは私の家なの。そこら辺の物を壊されでもしたらたまらないわ」
その言葉に灯夜は少し冷静さを取り戻したようでじたばたするのをやめ千里のされるがままだ。しかしその口は止まる事を知らない。
「お姉さんもこんな男の何に期待してるのか知らないけどさっさと縁を切った方が良いよ。こんな奴森のスライムに食われた方が幾らかましだから」
「そうは言ってもねえ、少しは良い所もあるわよ。……少しは」
「少しとは何だ。俺に随分稼がせて貰ってるくせに」
「そういうのは借金を全部返してから言って欲しいわね」
借金があるのに稼がせてもらうも何も無いだろうというのはあるが、一応ガガが返した借金は元金よりは多い。ただ払うまでに間があったせいで利息がかなり膨らんでいる為全然減らないだけだ。まあ金は借りる方が悪いというのは間違いない。
そんな二人が軽い喧嘩を始めそうになったところで灯夜が吐き捨てるように言う。
「そんなつまらない奴のどこが良いんだか、私には分からないよ」
―――つまらない、だと?
その言葉を聞いてガガは自身の中の何かに火が点いたような気がした。その熱に浮かされるようにして口が勝手に開く。
「はっ、つまらない? 違うな、俺がつまらないんじゃない。世界がつまらないんだ」
それはガガが自分でも気付かないような無意識の中でこの世界に対して感じ続けていた事だ。
「毎日毎日くだらない事で騒いで喚いて喧嘩して、どうせほっといても明日は来るんだぞ? そんなことをして何の意味がある。お前たちはどいつもこいつも黙って明日を待てないのか? 俺には理解できないな、こんな場所で必死に生きる意味が」
争いは無益だ。ガガは幼い頃から漠然とそんなことを思っていた。互いに持ち得る力を消費して得られるものといえばかつてより僅かに強くなった力とほんの少しの満足感だけだ。そんなことをするぐらいならばもっと別の事に命を燃やした方が有益に使える。
しかし一方で人と人とが共にいる限り争いから離れる事は難しい。力とは互いに惹かれ合うものなのだ、それを避ける事は不可能に違いない。
そんな中でザンキと過ごした日々は悪くなかった。彼と共に力を合わせてあらゆる力を退けて行く。もしかしたら、と彼は思っていた。もしかしたらこの先に何か、別の未来があるのではないかと希望を抱いたのだ。
二人で組の連中と戦う最中でガガは他の組の力を調整し始めた。強大な力を持つ者がいる限り争いは起こる、だがそれを失わせることはあまりに困難で不可能と言っていい。ならば彼らの力を上手く拮抗させることが出来れば互いの消耗を恐れて争いを失くすことが出来る。それは表面上だけの平和かもしれないが、それでも今よりはずっとましだ。そんな理想を僅かに思い描いた。
が、ザンキの持つ理想は彼のそれとは大きく異なっていた。
気が付けばガガのいる場所も徐々に組の社会へと組み込まれて行き力で自らの存在を示す世界へ変わって行く。
―――つまらない、世界だ。
結局どう足掻こうと変えられないものは変えられない。出来る事と言えば自らその場を離れる事だけだった。人の社会から離れ森の奥で暮らし相争う者達を嘲笑しながら余生を過ごす。
ガガはこのつまらない世界に見切りを付けた。そういう選択を取ったのだ。だからこの話はここでお終い。これ以上は何も起こらない。
「違う!」
しかしそれを彼女は否定する。
「つまらないのはお前の方だ!」
灯夜はその瞳から溢れんばかりの怒りを見せる。
「……お前に何がわかる!」
その怒りはガガにはあまりに理不尽な物に思えた。
―――なぜ赤の他人に勝手に自分の中身を決められねばならない。なぜお前のような部外者が勝手に俺を既定する、ふざけるな!
そんな心の叫びは。
「お前の事なんか理解したくもないね!」
ばっさりと切り捨てられた。
「は?」
「私が知ってるのは、お前がいつもいつもつまらないと口癖のように言ってることだとか、何もかも悟った様な顔をして気取っている事だとか、いつか勝手に自分が報われると信じているガキだってことぐらいだ」
「……な、にを」
「お前は自分の望みから目を逸らして逃げてるだけだって言ってるんだ!」
望み、ガガは自分のそれを既に知っている。
彼は両親がいない孤児だ。この町で孤児の生活がどのようなものかと言えば、全く救いようの無いもので主にゴミを漁って日々の糧を得ることしか出来ない。そうした日々の中で運が良ければそこらに転がっていた善人に拾われる事もあるかもしれないが、大抵はどこかの組に拉致されてどことも知れない場所で死のうが生きようがお構いなしの仕事に従事させられる事になるだろう。
そんな生活に疲れ切った時に彼はザンキと出会った。彼の強さは子供の時から頭一つ抜けており大人たちをばったばったと薙ぎ倒して行く姿に思わず感心し、或いは彼とならば違う未来を掴めるかもしれないと希望を持ったのだ。
違う未来、そう、彼が願ったのは。
「平穏」
たった四音、彼の口から漏れ出たのはそれだけだった。彼が思い返していたのは本当に小さな、ザンキに出会うよりも前、確かにあった僅かな時間。両親からの愛を一身に受けて育ったほんの僅かな時間だ。それを現す言葉を彼はそうとしか表現できなかった。
しかしその言葉は今までのどの言葉とも違う真剣味に溢れていたと言っていいだろう。そしてそれを口にした彼の表情は、付き合いの長い千里でさえ見たことの無い幼い子供のような彼の素の表情だった。
「……平穏?」
「それがあなたの望み?」
ガガがその問いに頷くことはない。しかし半分の仮面で隠し切れない素の表情を見ればその答えは聞くまでもない事だろう。
「成程、よ~く分かりました」
もしもガガの目の前にいるのが親や教師であれば素晴らしい夢だとかお為ごかしを言っていたかもしれない。しかし灯夜はそんなものでは無かった。
敢えてこう言おう、彼女は平穏を脅かすものだと。
「ならばお前は負け犬だ」
そうでなければそんな煽るような事を言うはずがないのだから。
灯夜の言葉に思わず面食らったように驚いたのはガガと千里だ。まさかそんな言葉が飛び出てくるとは思わない、いや彼女の言動を思い返してみれば当然だったかもしれないが、しかし普通思わないだろう。ましてや彼女は小娘だの少女だの呼ばれるような見た目をしているのだ、誰がその見た目から心の臓に突き刺さるような棘のある言葉が放たれると思うのか。
「負け犬だと?」
「そうよ負け犬。要するにお前は理想を持った時、その道のりのあまりの実現困難さに恐れを為して逃げたんだ。世界がつまらないとかわけの分からない言い訳で周囲を誤魔化して良い格好しながら逃げたんだ。まさか今まで気付いてなかったの?」
ガガの瞼がぴくぴくと痙攣し目の奥で何かが爆ぜたようにチカッ、と光った。思わず目元を押さえて深く息を吸う。
―――逃げた?
彼は自分自身に問うた。
―――そんなはずは無い。
そしてすぐさまそう答えた。答えはしたが、その先が、そんなはずは無いと言えるだけの根拠が何も出て来ない。
―――だって俺は、あいつらみたいに人を支配だとか、そういうのがつまらないと思って。
―――それはなぜだ?
―――それは……。
―――つまらないと思うならそれを一から説明して理解を求めるという手もあったんじゃないか?
―――そんなのザンキが聞くはずが無い!
―――なぜ試しても無いのにそう言える?
―――いや、俺は、一人で生きて行くのが性に合っていたんだ。
―――素材屋の仕事も辞めようかと思っていた奴がよく言う。
―――素材屋は……、結局他の人と関わることがあって……。
―――なら森の奥で作物でも育てて暮らしたらどうだ? 誰とも関わる必要も無くなるじゃないか。
―――それは……、魔獣が多い地でそんなことは難しいだろう。
―――それは結局実現困難な事から逃げたという事を証明するだけじゃないのか?
自問自答が続く。しかしその全ての答えがまるで灯夜の言葉の正しさを証明しているようだった。ただ逃げただけ、夢が、理想が、あまりにも遠くて手が届かないから、その気持ちに蓋をしてそれを見る事もしないように過ごしていただけだと自分自身が訴える。
ガガは気付けば震えていた。怖かったのだ、目の前の彼女が。ガガの中身を暴き晒しその弱さを突き付けて来た目の前の少女に恐れを為した。
一歩、後ずさる。そうするともう、止まらない。更に一歩、もう一歩と後ろへ、後ろへ。その頃には千里は灯夜の拘束を解き彼女もまた前へ歩み出る。この部屋はそう広くない、ガガの背中はすぐに壁へと突き当たった。
「……お前は俺を殺すのか?」
ガガは問うた。この世界で人を真に殺す方法は難しい。が、一つ方法を挙げるならばそれは、心を折るという事になるのだろう。生きる気力を失くした人間は自ら命を断つだろう、暗闇の世界でも、もう一度。
もしも今、灯夜が彼を殺したならばその後ガガは再び命を断つ。様々な死に方を経験した彼でも自らの首を絞めて死ぬのは初めての事だ、その苦しさを想像しながら彼は目を閉じ、裁きの時を待つ。
トン。
と、胸に拳が当てられた。
「……何のつもりだ?」
しばらく灯夜は黙っていた。或いはそれは自分自身の胸に聞けというメッセージだったのかもしれない。少なくともガガはそう解釈しもう一度自分自身に尋ねる。
―――俺は逃げたのか?
その問いに応える声は無い。先程まであれほど流暢に自分の事を貶していた声が聞こえないのはなぜか。それは元々幻聴の類に過ぎなかったのだろうか。そういう面もあるだろう。だが、もしそうではないとすれば?
ただ単にその答えがまだ決まり切っていないが故に答える事が出来ないのだとしたら?
ガガは不意についさっき千里が自分に尋ねた事を思い出す。
『あなたはどうするつもりなの?』
それは千里に戦争が起こる事を告げて逃げるように勧めた後に投げ掛けられた問い。その時に彼はなぜ最初から俺も逃げると答えず言い訳のようにぐだぐだと言葉を並べ立てていたのか。それは。
―――何か、道を、模索しようとしていたのだろうか?
戦争が起こればそれこそ町は彼にとっての理想とは正反対の状況に追い込まれるだろう。組の構成員が争い一般人はそれに巻き込まれ、事態が大きくなれば公権力もそれを抑え込もうと暴力的な手段も辞さない。最後に勝利を得るのがどこであれそこに辿り着くまでに多くの平穏は打ち壊され血に塗れた日々を過ごす事だろう。
―――それ以外の道へ進めないかと考えていたんだろうか?
それはもはやガガ本人にすら分からない、生物が本能によって無意識に取った些細な動きだったのだろう。ただそれは、彼の胸の内に僅かな灯を点ける事は出来たのかもしれない。
ガガは目を開けると正面から灯夜の姿を見た。あまりにか弱いその姿は吹けば飛びそうな脆さを持っている。きっと正面から戦えばザンキやガガどころか剣組の下っ端にすらあっという間にのされてしまうだろう。
だが今。
「灯夜、だったな」
「はい」
「お前の勝ちだ。俺に何をして欲しい?」
彼女はガガに勝った。その心を打ちのめし、もう一度立ち上がらせることで。その小さな変化をもたらす事がどれ程困難だったかは知れないが、彼女はほんの少し満足気に笑みを見せて彼の手を取る。
「共に、戦いましょう」
剣組の起こす戦争は既定路線だった。他の組も戦争を起こそうとしている事を知りながらそれを黙認していたのだ。誰もが争いの巻き起こす混沌の中で如何に自分たちが利を得るか、それだけを考えて着々と準備を進めていたのである。
予定調和のように回る歯車、そこに今、本当に僅かな異物が挟み込まれた。それが今後どのような結果をもたらすのかは、これから分かる事だろう。




