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灯夜はこの町で生まれ育ったごく普通の一般人だ。強いて特筆すべき点を挙げるならば両親ともに組の人間と関わりを持たない人間だった点ぐらいだろう。幸せに包まれた生活を続ける彼女はそれが続くことを疑う事は無かった。
しかしいつだって未来は唐突に訪れる。良い未来も悪い未来もその前触れなど見せずにただやって来るのだ。
「そっちだ、逃げたぞ!」
「殺すなよ! 生け捕りだ!」
それは本当に唐突だった。組の抗争が激化している事は彼女らの耳にも入っていた、。しかしこの家族三人誰もが組との接点無く生きていた、まさか巻き込まれる事になるなど思いもしなかったのだ。
親子で道を歩いていただけの彼女らは逃げ惑う今は無き組の構成員と共にただの勘違いで捕らえられる。自ら舌を噛み切る事すら出来ぬよう猿ぐつわを噛ませられた彼らが連れて来られたのは町のすぐ傍にある崖だった。
―――あの男は?
彼女が見たのは自分たちを捕まえた男たちがぺこぺこと頭を下げて指示を頂く一人の男。彼こそが剣組を率い抗争を激化させていた張本人、ザンキだ。
「火柱組の連中は大方捕まえました。首領もここに」
「ほう」
その男は敵対組織の首領を前にしても気負った様子一つ見せる事はなく淡々と呟く。
「これで邪魔者は消えるな」
そう言ったザンキが背中に負っている大剣を手に取る事はない。人の首を切ったところで一時間もしない内に復活地点に戻るだけだ。本気で相手をこの世から消し去りたいと願うならば当然それを押さえなければ意味がない。
のだが、何事にも例外は存在する。
「見ろ、この険しい崖を」
崖の高さは見るだけで人々の足を竦ませるに十分なものだ。百戦錬磨の火柱組の首領ですらそれは変わらない。ザンキ以外の剣組の面々も万が一にも落ちる事の無いよう近付きさえしないほどだ。
「落ちたら死ぬ、間違いなくな」
死、それは本来ならばさして恐れる必要の無いものだ。首を切られようが魔獣の牙に頭を砕かれようが炎に焼かれようが大質量の物体に一瞬で潰されようが、彼らは精々一日もすれば復活地点へ戻って来る。
しかし。
「落下死は一年、だったな」
一年。それは長い時間だ。高い所から落下して死んだ者は一年という時間が過ぎた後に復活することになる。成程、一年もあれば死んだ者の復活地点を探し出しマグマの海の中へ捨ててしまうことだって出来てしまうかもしれない。しかしそれだけならば少々不確実では無いだろうか? 確かに一年は長いが何の手掛かりもなく世界中からたった一つの物を探し出すには短いというものだ。
だがザンキはその一年が過ぎた後に自分に逆らう者が存在しないことを確信している。
「一年、長いよなぁ。あの何も無い空間で過ごすには、長過ぎるぐらいだ」
死んだ者はそのまま復活地点にて目を覚ますのか? その問いの答えはノーだ。彼らは復活までの準備期間でもあるのか、死の直後から何も無い暗闇の空間で生き返るまでの時間を過ごす事になる。そこには何も存在せずただ時間だけが現世と同様に過ぎて行く。
一時間程度ならば自身の死因について考え今後はどうするか考えるだけで過ぎているかもしれない。丸一日なら帰ってからしばらくの予定でも考えてみるのもいいだろう。一週間、長い、しかしどうにか過ごせなくもないギリギリだろうか。
時間と共に彼らは気が狂うような恐怖に襲われる。死因によって復活までの時間が変わるとわかっている現在でさえ、長過ぎる虚無は精神を病ませるに十分過ぎる凶器なのだ。
そしてもしも、もしも彼らがその空間で自ら命を経ったとすれば。
「断言してやるよ。お前が一年後、帰って来ることはない」
その時、人は二度と帰って来ることのできない永遠の虚無へと消えて行くのだろう。
ドンッ。
背中が蹴られ、人が落ちて行く。その様子を後ろで控える者達はただ見届ける事しか出来ない。もうすぐその順番が来ることへの恐怖に震えながら、手足を縛られてもはやどうする事も出来ないその未来の訪れを待つ。
灯夜もその一人だ。凶行を止める術も持たず己が順番が来るのを漫然と待つ事しか出来ない。前に居た人々が次々と剣組の構成員によって連れて行かれザンキにその背を蹴られて行くのを見つめる事しか出来ない。
なぜこんな事になったのか、その理由を敢えて言うならばただ運が悪かっただけなのだろう。その理不尽が彼女はただ悔しかった、憎んでいた、未来を変えたいと願った。
例えば物語の主人公であればそこで特殊な技能でも手に入れて全てを変える事が出来たのかもしれない。しかし、気が付いた時、彼女は崖の目の前に両親と共に立っていて。
「俺の敵に生まれたことを後悔しろ」
そんな台詞と共に背中を蹴られる。
それからの事ははっきりと、記憶に鮮明に残っている。まるで剣組を称えるかのような雲一つない空、崖の上から見下ろすザンキの影、強者が自分の思い通りに世界が回っている事を喜ぶ笑み、それらが遠ざかって行く。そしてそれと対照的に徐々に近付いて行く地面、先に落ちた人々の姿は一つもなくこの距離で落ちれば即死は免れないようだ。彼女は隣にいる父と母の姿を見た。このどうしようもない最期にせめて自身の愛する人の顔を目に焼き付けたい、そう思うことを否定できる者はいないだろう。
しかし彼女が見た二人の姿は、ある意味ではそれを否定するものだったのかもしれない。
―――どうして。
彼女が抱いたのは疑問だ。こんなどうしようもない状況に置かれて尚、二人は。
―――そんな寂しそうな笑みを?
死を目前に覚悟を決めたのだろうか? いや、それならばただ互いに笑い合うだけで良いじゃないか、そんな寂しそうな表情を、まるで、まるで自分たちだけが先に逝くような表情を見せなくてもいい。灯夜は自分だけが恐怖を見せているのだろうかと、こんな時まで怖がっている自分が間違いなのかと思ったほどだ。
そして、地面が彼らの元へ迫る。
グシャッ。
その音は灯夜の耳にはっきりと届いた。それは両親が潰れる音だ。地面に当たる直前、彼女を庇うようにして前に出た結果、彼女と地面に挟まれるようにして潰された音だ。
赤い血が彼女の全身を染める。それは彼女を庇うようにして二人が地面と衝突した証。それでも衝撃は防ぎ切れず彼女の手足の骨を砕いたが、その痛みを気にもせず衝撃で拘束が解けた手で父と母の顔に手を伸ばした。
「……とう、さん、かあ、さん」
そしてその手が届くよりも早く二人の肉体が景色に溶けるようにして消えて行く。彼女の命を守った証である両親の赤い血すらも宙に溶けるようにして消えて行く。そして彼女の指先は何に触れることも出来ずただ空を切った。
灯夜の話を聞きながらガガは肩を震わせていた。そこにあった感情が怒りか悲しみか、或いはそれ以外の何かなのか仮面に隠された方は勿論、晒されている半分の表情からでさえ読み取るのは難しい。彼は表情が相手に与える影響を理解している。怒りを装えば相手を委縮させ望み通りの行動を取らせる事は難しくないし、同情を装えばその心の隙間に容易く入り込む事も出来るだろう。
そんな彼が灯夜に対してどんな表情をも見せないのは迷っているからなのかもしれない。目の前の相手をどう扱うべきなのか、目の前の相手が自分にとって何なのかを。
「どうにか生き残った私はその場を離れ運良く親切な方に拾われて生き残りました。その方は抗争の激化を見てこの町を去ってしまいましたが、私は残る事に決めました」
「無理に残る事は無かったと思うけれど」
「ええ、私を拾った方も一緒に行かないかと誘ってくださいましたよ。本当にありがたい申し出でした。少なくとも、平和な暮らしを望むならその手を取るべきだと私も思いましたよ」
「なら」
「でも!」
大声を出す灯夜に対してガガはただ冷静に事の成り行きを見守る体勢を取っている様に見える。しかしその実態はただ気圧されているだけだ。心の内で小娘と揶揄していたその少女を相手に非情を常とする世界に身を置き続け周囲をつまらない連中ばかりと馬鹿にして来た自分が気圧されている。その事実にガガはただ震えていた。
灯夜の瞳がガガを映し出す。それはあらゆる虚飾を剥ぎ取って無理矢理に中身を晒し上げようとしている、彼はそう感じた。
「私は、私の理想を諦めない」
ガガは気付いていない。先程感じたそれは決して灯夜が自身をどうこうしようとしているわけではないと。
まるで逆なのだ。
彼女の熱を前にガガは自身の虚飾が溶けて行き初めて本当の望みを顕わにしようとしているに過ぎない。彼は無意識の内にそれを恐れていた。その理想は焼け爛れる程の恐ろしい熱の中にだけ存在する事が出来るのだから。しかし彼は今、それが目前へと現れ手を伸ばそうとしている。
「理想、とは何だ」
故に彼は問う。その言葉の中身を知らずにはいられないから。灯夜は決して揺らがぬ瞳を携えてその問いに答える。
「組なんてもののない世界」
「それは、つまり」
「私たちみたいなのがあんな馬鹿みたいな出来事に巻き込まれることの無い世界だよ」
それを聞いたガガは脳内である一つの確信を得た。証拠などまるでない勝手な思い込みのようなものであったが、目の前の彼女を見ているとそうだとしか思えなかったのだ。
「……お前、プレートザウルスの素材を頼んだのはまさか、俺をザンキとぶつける為か?」
「上手く行かなかったみたいだけどね」
彼女はなんてことの無いように溜息と共に答える。
灯夜を救ってくれた恩人が町を去り、彼女は働き口を求めて町を彷徨う。その中で見つけた仕事が剣組の違法スライム工場の仕事だ。無論、他の働き口も無数に見つかってはいたが彼女は敢えてその仕事を選んだ。
人を人とも思わないような組の連中を全て消し去る。それは彼女が心に決めた願いだ。父と母が自らの事を省みず救ったこの命で必ず成し遂げる、その誓いの為にはまず両親の仇を取りたいと願った。剣組を滅ぼすのだ、その為に剣組へ近付く必要がある。
幸い工場の仕事で信頼を得るのは難しくなかった。他の人には少なからず存在するスライムへの忌避感が彼女には薄かった。思うに、既に真の死を覚悟している人間にとっては多少の恐れが動きを阻むことは無いのだろう。優秀な工員として信頼を得た彼女は徐々に剣組の下っ端である工場の人間と会話をする事も増えて行く。
「お前だけに特別に教えてやるがな、今度うちのボスがここの視察に来るんだよ」
「え、それって剣組の?」
「ああ、ザンキの旦那だ」
彼女はその日が仕事を休むべきか悩み、しかし結局は工場へと向かった。もしも顔を覚えられていたなら今度こそ崖から落として死体が消えるまで確認されることだろう。そうなったら一年、あの暗闇の中で一年を過ごさなければならない。過去に彼女が最も長くあの暗闇を過ごしたのは三日だ、その三日でさえ本当に生き返れるのかと言う不安と恐怖で頭がおかしくなりそうだった。多少覚悟が決まった今でさえ本当に一年をあそこで過ごせるか、彼女にはまるで自信が沸かない。
それでも、ザンキの今を確認せずに剣組を滅ぼす事は出来ない。彼女はリスクを承知で工場へ足を踏み入れる。
しばらくは普段通りに仕事をしていた。いつものようにスライムの体液を回収しノルマをこなす、何ならノルマ以上の仕事をこなして忠誠をアピールするぐらいだ。そして昼間の休憩時、俄かに工場の中が騒がしくなるのを感じる。
「どうやら旦那が来たらしいぜ」
親しくしていた男がそう声をかけて来る。男はどうやらザンキに惚れ込んでこの工場へ入ったらしく彼を一目見ようと外へ駆けて行く。彼女は普段より目深に帽子を被ると他にも続々と出て行く人の波の中に紛れて外へ向かった。
外へ行くとザンキがいる場所はすぐにわかった。彼はまるで救国の英雄でもあるかのように人々に歓迎され前方で上がる歓声に手を挙げて応える。彼女のすぐ隣でも彼を称える声が聞こえ後ろからも寄る人並みで背中を押されるほどだ。
「わっ!?」
「え?」
その時、後ろから押された人が思わず彼女の背を押した。それは意図せず起きた偶然でどうにもし難い事だ、当然、その時に彼女の帽子が取れてしまったのも。そしてその様子を偶然にもザンキが目撃し二人の目が合ったのも、だ。
―――見られた!?
彼女は自身の心臓の音が強く響くのを感じた。今感じているそれは恐怖だ、もしもあの時の者だとばれれば、この後に起こる事は。彼女は起こり得る最悪を想像しながら落ちた帽子を拾う。
そして彼女が再び立ち上がった時、ザンキは何事も無かったかのように別の方を向いていてそのまま工場の方へ歩いて消えて行った。残された者達も仕事に戻るよう通達され続々と工場の中へ戻って行く。
喧騒が静まり返って行くその一角で彼女はただ、怒りを感じていた。
―――お前は自分が殺した相手すら覚えていないのか。
その一件を切っ掛けに彼女の計画は更に加速し始めた。剣組に憧れる少女を演じて工員から様々な情報を聞き出すその手腕は全く素晴らしいの一言である。
「ザンキの旦那は数々の技能を持っていて名だたる魔獣を打ち倒したことがあるんだ」
「昔は相棒が居たって聞いたな。何でも二人で魔獣狩りをやって稼いでた事があるとか」
「剣組と言やあ今やこの町でも有数の力を持ってるが、旦那はまだまだ組をでかくするつもりらしい」
そんな数々の噂を聞く内に彼女は一つの策を企てる。その昔の相棒をけしかけるのはどうだろうか、と。
幾つもの噂を精査する内に二人がどうも喧嘩別れしたような雰囲気であるらしいと判明し、だとすれば上手くやれば相争わせる事は難しくないかもしれないと感じたのだ。となれば次にやるべき事は一つ。
その相棒とは何者か、である。
「旦那の元相棒? ああ、ガガってやつだろ。旦那が手を出すなって言ってたぜ」
「素材屋やってるって聞いたぜ。まあボスと一緒に魔獣を狩ってたんだしそのぐらいは出来るだろ」
「ああ、会った事あるぜ。知り合いが素材を頼んでてよ。礼金は弾んでたのにしけた面してやがったな」
素材屋のガガ、それが男の素性だ。それからも彼女は様々な剣組に関する噂を集め、更には素材屋に関しても調べ上げた。それは言葉にするとあまりに簡単そうだが実際には凄まじく地道で普通の人ならば途中で投げ出してしまうような事だ。まるで門外漢で将来自分の糧にもなりそうもない興味のない事を必要だからと何日も何か月もかけて調べ上げるのは狂人の沙汰だろう。
しかし彼女は執念によってそれをやり遂げ、とある一つの計画を立てた。
「ホーンビートルの巣、プレートザウルスの位置……。これなら、たぶん」
それが穴だらけの策である事は理解していた。しかし、自ら戦う力を持たない彼女にとっては僅かな可能性でさえ十分過ぎる手札だ。
そして彼女はとある占いの館へと足を運ぶ。




