第80話 強欲の悪魔
第80話 強欲の悪魔
「ハハハハハッ!!」
静寂を破るように、アモンの豪快な笑い声が夜の森へ響き渡った。
「最高じゃねぇか!」
「そんな目で睨まれたのは何百年ぶりだ?」
黄金色の魔力が全身から噴き上がる。
周囲の木々が軋み、大地が震え始める。
まるで森全体が、強欲の悪魔の気配に怯えているかのようだった。
だが。
ジンだけは微動だにしない。
亜空間から取り出した黒い刀を静かに構えたまま、真っ直ぐアモンを見据えていた。
「最後にもう一度だけ聞きます」
淡々とした声だった。
「クロエさんから手を引いて下さい」
アモンは鼻で笑う。
「断る」
即答だった。
「俺は欲しいもんは全部手に入れる」
「金も」
「力も」
「女も」
「全部だ」
金色の瞳が愉悦に歪む。
「それが強欲だからな」
ジンは小さく息を吐いた。
「……そうですか」
その瞬間だった。
アモンの姿が消えた。
ドォォォォォンッ!!
踏み込みだけで地面が大きく陥没する。
爆発的な脚力。
音速を超えた拳が一直線にジンへ迫った。
「避けてみろ!!」
拳が振り抜かれる。
轟音。
森が爆発した。
拳圧だけで前方数キロに渡る木々が薙ぎ払われる。
巨木が根こそぎ宙を舞い、岩山は砕け、大地が一直線に抉れていく。
だが。
恐ろしいのは威力だけではなかった。
アモンの全身を包む黄金色のオーラが吹き荒れる。
吹き飛ばされた木々へ触れた瞬間。
パキ……。
一本。
また一本。
巨木が黄金へ変わっていく。
草花が黄金へ変わる。
岩石が黄金へ変わる。
土までも黄金色に染まっていく。
命を失った森は、美しくも不気味な黄金の死地へ姿を変えた。
「……やるじゃねぇか。」
アモンは拳を下ろし、愉快そうに口元を歪めた。
数十メートル離れた空間が僅かに歪む。
そこからジンが静かに姿を現した。
空間転移。
拳が届くよりも早く、その場から離脱していたのだ。
ジンは黄金へ変わった森を見渡す。
「触れた物まで黄金へ変わる……」
黒刀をゆっくり構え直す。
「なるほど」
「厄介ですね」
「ハッ!」
アモンが笑う。
「近付けねぇから遠くで見物か?」
「腰抜けじゃねぇか」
ジンは表情一つ変えない。
「近付くのは危険そうですからね」
「分析しているだけです」
「だったらどうする!!」
アモンが再び地面を蹴った。
黄金の魔力を纏った巨体が一直線に突っ込んでくる。
拳が空気を裂く。
黄金の軌跡が夜の森に刻まれた。
ジンは静かに刀を構える。
そして。
黒刀を振り下ろした。
ヒュッ――。
一見すると、ただの静かな一閃だった。
しかし次の瞬間。
ズガァァァァァァンッ!!
空間そのものが断裂した。
一本の巨大な亀裂が森を一直線に走る。
大地が裂ける。
木々が音もなく切り裂かれる。
夜空にまで黒い裂け目が刻まれた。
裂け目の奥。
そこには一瞬だけ、光すら存在しない漆黒の闇が覗いていた。
まるで世界の裏側を覗いてしまったような錯覚を覚える。
「ッ!!」
アモンの黄金の瞳が妖しく輝く。
刹那。
自分の身体が両断される未来が脳裏を過ぎった。
反射的に身体を捻る。
黒い斬撃が鼻先を掠めた。
背後数百メートルの森が、空間ごと真っ二つに裂けていく。
頬から一筋の血が流れ落ちた。
「空間ごと切り裂きやがったのか!?」
あと一瞬遅れていれば、自分の身体も同じように裂かれていた。
アモンはそう理解した。
だが、恐怖より先に笑みが浮かぶ。
「ククッ……」
「面白ぇ」
黄金の瞳が狂喜に輝く。
「そんな芸当が出来る人間が、まだこの世界にいたとはな」
ジンは何も答えない。
ただ静かに刀を下ろし、アモンの反応を観察していた。
避けられた。
偶然ではない。
アモンには何かある。
それだけは理解した。
「本当に人間か?」
「少なくとも、悪魔ではありません」
「ハッ!」
アモンが獰猛に笑う。
「なら、これはどうだぁ!!」
黄金の魔力がさらに膨れ上がる。
今度は拳だけではない。
アモンの全身が黄金のオーラに包まれていた。
黄金のオーラに触れた瞬間、あらゆる物質を黄金へ変える必殺の突撃。
避けなければ黄金化。
受けても黄金化。
斬っても刃が黄金へ変わる。
常識的な近接戦闘なら、触れた時点で終わりだった。
しかし。
ジンは黒刀を鞘へ納めた。
「……?」
アモンが僅かに眉をひそめる。
武器を捨てた。
そう思った瞬間だった。
ジンは静かに拳を握る。
そして。
何もない空間へ向かって拳を振り抜いた。
ビキビキビキィッ!!
拳が触れた瞬間。
空間そのものへ蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
まるで世界を支える見えない壁へ拳を叩き込んだかのようだった。
「――衝撃転移」
静かな声。
次の瞬間。
アモンの目の前の空間にも同じ亀裂が走った。
ビキィィィッ!!
「なっ――」
ドゴォォォォォォンッ!!
見えない壁が爆発したような衝撃が、真正面からアモンを叩きつける。
巨体が砲弾のように吹き飛んだ。
黄金へ変わった木々を何本も薙ぎ倒しながら、大地を激しく転がっていく。
轟音。
土煙が夜空へ舞い上がる。
黄金の破片が雨のように降り注いだ。
やがて。
砂煙の中からアモンがゆっくりと立ち上がる。
口元から流れた血を親指で拭った。
その黄金の瞳には、驚愕と興奮が入り混じっている。
「……空間を殴って」
「衝撃だけ飛ばしたのか?」
今まで数え切れない強者と戦ってきた。
だが。
こんな戦い方は初めてだった。
ジンは何も答えない。
静かに拳を下ろし、再び黒刀へ手を添える。
(やはり……)
(連続使用は負担が大きい)
表情は変わらない。
呼吸も乱さない。
だが、内側では確実に力が削られていた。
空間干渉は強力だが、燃費は最悪に近い。
長期戦は避けたい。
そう判断しながらも、ジンは一切それを顔に出さなかった。
「まだ続けますか?」
静かな問い。
アモンは肩を震わせた。
次の瞬間。
「ハハハハハハハッ!!」
腹の底から笑い声を上げる。
「最高じゃねぇか!!」
「ますます気に入ったぜ!」
黄金の魔力が再び天へ噴き上がる。
夜空が金色に染まる。
黄金化した森が、不気味な輝きを放ち始めた。
「なら、次は俺の本気を見せてやる」
アモンの背後に、黄金の翼のような魔力が広がる。
大地が震えた。
空気が重くなる。
先程までの余裕とは違う。
強欲の悪魔が、ようやく本気で獲物を狩る気になったのだ。
ジンもまた、黒刀を握り直す。
その目が僅かに鋭くなった。
「ようやくですね」
ジンが静かに刀を構える。
アモンが拳を握る。
次の瞬間。
二人の姿が同時に消えた。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
夜空を覆う雲が一瞬で吹き飛ぶ。
黄金の森が激しく揺れた。
その衝撃は、遥か数十キロ離れた王都の空にまで響き渡る。
王都の人々は誰も知らない。
この夜。
世界でも指折りの怪物同士が激突していることを。
――続く。




