第76話 降参
第76話 降参
ガイアスが倒れた。
狂戦士。
蒼穹の旅団最強の前衛。
吸血鬼キールをあと一歩の所まで追い詰めた男。
そのガイアスが、たった一太刀で地面へ沈められた。
森に静寂が訪れる。
誰も動けない。
誰も言葉を発せない。
ただ一人。
カノンだけは違った。
(まだ終わってない)
冷静に状況を分析する。
ガイアスは戦闘不能。
エリスも倒れている。
まともに戦えるのは自分とシオン、そして負傷したノーラだけ。
だが。
諦める訳にはいかなかった。
「シルフ」
小さく呟く。
直後。
緑色の魔力が吹き荒れた。
風の精霊シルフ。
カノンと契約する上位精霊だった。
風が身体へ纏わり付く。
脚。
腕。
全身。
身体能力が限界まで引き上げられていく。
さらに。
左手にはめられた銀色の指輪が淡く光った。
不可視化の指輪。
高位魔導具。
その姿が夜の森から完全に消えた。
気配も薄れる。
足音も消える。
A級冒険者であるカノンが誇る暗殺術。
大型魔物ですら気付く前に首を刎ねられる必殺の技だった。
「シオン」
「任せて」
シオンも既に動いていた。
風精霊の加護を受けた長弓を引き絞る。
そして。
放つ。
一本。
二本。
三本。
矢は夜空へ吸い込まれるように飛翔した。
しかし終わらない。
次々と矢を射る。
十本。
二十本。
三十本。
やがて夜空が矢で埋め尽くされていく。
「森よ」
シオンが静かに詠唱した。
「私に力を貸して」
エルフ族固有魔術。
自然支配。
その瞬間。
地面が大きく揺れた。
ズズズズズッ!!
無数の木の根が地中から飛び出す。
巨大な蔓が蠢く。
森そのものが生き物になったかのようだった。
根。
蔓。
枝。
全てが無名の剣豪へ襲い掛かる。
拘束。
そして。
空から降り注ぐ矢の雨。
その隙を突いてカノンが首を狙う。
完璧な連携だった。
普通の相手なら。
間違いなく終わっていた。
だが。
「ほう」
剣豪が楽しそうに笑う。
「まるで忍びと戦っておるようじゃな」
次の瞬間。
刀が消えた。
そう見えた。
ザザザザザザザザッ!!
無数の斬撃音。
巨大な蔓が細切れになる。
木の根が粉々になる。
森の拘束術が一瞬で崩壊した。
誰も斬撃を見ていない。
それなのに。
全て切断されていた。
「そんな……」
シオンが息を呑む。
だが攻撃は終わらない。
夜空から矢の雨が降り注ぐ。
数百本。
回避不能の面制圧。
しかし。
剣豪は歩いた。
ただ歩いただけだった。
右へ一歩。
左へ半歩。
身体を少し傾ける。
それだけ。
一本も当たらない。
まるで雨粒の間を散歩しているかのようだった。
「あり得ない……」
シオンの声が震える。
その頃。
カノンは既に背後へ回り込んでいた。
完全不可視。
気配遮断。
風纏い。
最高速度。
誰にも見つからない。
絶対の間合い。
首筋。
必殺の位置。
(取った)
両手のダガーナイフへ風の刃を纏わせる。
そして。
振り抜いた。
だが。
空を切った。
「なっ……!?」
剣豪は既にそこにいなかった。
背後。
いや。
横。
いつ移動したのかすら分からない。
トン。
刀の峰が首筋へ軽く触れる。
それだけだった。
視界が揺れる。
足元が消える。
カノンは何が起きたのか理解できないまま意識を失った。
崩れ落ちる身体を剣豪が片手で支える。
「ふむ」
静かな声。
「筋は良い」
そして。
「じゃが殺気が隠せておらん」
カノンの身体を地面へ寝かせる。
まるで孫を寝かせる祖父のような手付きだった。
その様子を見たシオンの顔が青ざめる。
勝てない。
レベルが違い過ぎる。
だが。
それでも弓を引いた。
仲間を見捨てる事はできない。
すると。
剣豪は地面から小石を拾い上げた。
「ん?」
シオンが目を瞬く。
親指で弾く。
パチン。
小気味良い音が響いた。
次の瞬間。
「ふぎゃっ!?」
シオンの額へ小石が命中する。
凄まじい衝撃。
視界がぐるぐる回る。
足元が消える。
そして。
そのまま後ろへ倒れた。
脳震盪。
完全な戦闘不能だった。
「悪いが」
剣豪が呟く。
「女子供は斬らんと決めておる」
残ったのはノーラだけだった。
神官の少女は震える膝を必死に押さえながら立ち上がる。
杖を握る手も震えていた。
勝てない。
理解している。
どう足掻いても勝てない。
目の前にいるのは怪物だ。
吸血鬼キールすら弟子に見えるほどの怪物。
ノーラは深く息を吸った。
そして。
「降参……」
震える声で言う。
「させて貰えますか?」
数秒。
静寂が流れた。
やがて。
剣豪は穏やかに頷く。
「うむ」
「よかろう」
その言葉を聞いた瞬間。
ノーラの身体から力が抜けた。
膝をつく。
助かった。
そう思った。
しかし。
「連中は地下牢へ入れておけ」
剣豪がキールへ言う。
「逃げられても面倒じゃ」
キールは苦笑した。
「了解しました」
こうして。
蒼穹の旅団は全滅した。
吸血鬼の屋敷。
その地下深くにある牢獄へ連行されることになる。
そして彼らはまだ知らない。
この屋敷に隠された秘密と。
無名の剣豪の正体を。
まだ――何一つ。
――続く。




